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第一話

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 くそ、と舌を打ったのはたぶん同時だ。

 みるみるうちに外との境目が綺麗に消えた壁を見上げ、そこに手をつき茫然とする俺の背後で、ハアハアと肩で息をしている男が片膝を床につく。
 この男がこんな状態になる場面など見たことがなかった俺は、その様に頬を引きつらせた。
 どうやらとんでもない状況に陥ったと、焦りから闇雲に四方の壁を叩いて回る。

「駄目だ、なにかの魔法で閉じ込められてるっ!」

 わかってはいたが、囲まれたこの空間を隈なく見て回った俺は、視界に入れるのも嫌だった男に叫んだ。

「……は、クソの役にも立たないお前など、さっさと捨てておけばよかった」

 呟いた男の声は、とてもこの世界を救う勇者の言葉とは思えない。
 だがコイツはいつも俺に対してこんな態度で、そして言われた俺もまた、「ああ、ここから出してくれればすぐにでもこんな役回り降りてやる」と返すほど、勇者の事が大嫌いだった。


 
 そもそも俺たちがこうも仲が悪く、理解し合えないのは仕方のない部分もある。
 男女とは別に三つの種別が付属するこの世界。
 大多数が一般的な男女、所謂βという種でしめられている世界で、極一部の男女に現れるα、そしてΩという種がある。
 αは一般的にすべてにおいて優秀で特別な力を持つと言われ、現に魔法や特殊能力を持って生まれる者が多い。
 一方でそのαを産めるのはΩという種族のみで、彼等は男女ともに子宮を持ち子を設けられる。αを誘いやすいように体格も小柄な者が多く、容姿端麗ではあるが非力な者が圧倒的だ。にも関わらず特殊能力を持つ者も多く、βの非力さとはまた異なる。それでもΩがβからにも遠巻きにされる所以は、周期的な発情期に生涯悩まされ、それはαのつがいを持たぬ限り続くからだろう。
 αとΩの結びつきは、発情期ヒートの性交時に首を噛めばつがい契約が成立するという特殊的な関係がある。
 βである俺にはまったく関係ないことなのでここは割愛しよう。
 とにかく、Ωはαを誘う強力なフェロモンを定期的に垂れ流し、それに誘われたαが発情期ラットという状態に陥りΩ同様、その状態に入ると強烈な性衝動を抑えられず、フェロモンを出すΩとつながり続けるという性質を持っていた。
 つまり、Ωとαは交尾フェロモンを身体に入れてしまうと逆らえない、という不運な身体の持ち主なのだ。
 βの俺からすれば、フェロモンとかいう匂いだかなんだかを嗅いで所構わず腰を振るしかないなんて、はっきり言って恐怖だし嫌悪の対象でしかない。
 そうじゃなくともβを顎で使ってくるような奴が多いαやΩが大嫌いだったし、だからこそ我関せずで過ごしてきたのだ。



 それなのにただの村人Aだった俺がこの勇者一行に目をつけられたのは、正に村人Aに徹していたせいだと言うのだから浮かばれない。
 黒王を倒しに勇者達が世界中を回っている、というのは連日のニュースで色々知っていた。
 新聞の中に写る彼等は正にα、といった装いの男女六人。無論全員αで、世界を代表する魔法使いや召喚士や騎士や剣士だという。
 敵を倒すまでの道中、不要な発情期に振り回されたくないからといい、Ωは当然省いている。彼等の誤算は全員が全員、唯我独尊を地で行く強者であるαだったため、協調性が皆無だったということだろうか。
 村人だったβの俺は、自分の住む村で宿屋を経営していた父親の手伝いをしていて、客室の掃除や、母の作る料理の下ごしらえや、客へのクレーム対応、まあとにかく隅から隅までやっていたわけだが、そこでこの勇者一行の一人に、「貴様、よく気が利くな。ちょうどよかった、我々についてくるといい」と言い放ったからだ。
 当然俺は断った。何を言っているんだこの女、と心底馬鹿にしながら顔には出さず断った。
 女だがαだ。どんな能力を持っているのかわかりはしないし、体格だってさして差がなくとも俺なんてすぐにひねり潰されるのは目に見えている。なによりもこの世界の頂点に立つαに逆らう者はそういない。
 けれど俺には俺の人生があるし、世界を救う勇者達と同行などという無謀な事を考えたこともなかった。当然、行くつもりはない。
 ここで言う黒王とは、今この世界を脅かしている魔物達を統括する者のことだ。
 彼の目的がなんなのか一般人には知りもしないが、勇者達は見当をつけて動いているようで村人Aの抵抗に「世界を救う手立ては、なにも我々だけが担うものではない」と一蹴した。
 それは暗に、お前はこの世界を見捨てるのか、ましてや世界の為に戦う勇者たちを、と言ったのと同じことだ。
 俺は屈した。その場にいた両親もαであり勇者である彼等の助けになるならば、これほど名誉なことはないだろうと背を押した。
 その胸中がどうであれ、俺にはもう逆らう力などなく、雑用をこなす者が欲しかったのだ、と言い放った女を脳内で滅多刺しにする妄想で気を静め、村を離れた。

 言ってしまえばそれからの旅は地獄だった。
 αだけの一行は、本当に自己中の集まりで連携すらとれていない。戦闘の最中、突然いなくなる奴も多数で、挙げ句の果てには気紛れに戻ってくることも多く、遂にブチ切れた俺が大怪我をし、このまま見殺しにしろ! と叫んだことで癒やしの力を持つ白魔導士のαが行方をくらますことを控えた経緯もある。
 俺の仕事は彼等の荷物持ちやら、特殊な道具で集合をかけたり、武器の手入れをしたり、料理と言った雑用だったが、なによりも一番頭を悩ませ時間を割いたのは、彼等の仲を取り持つことだった。
 αは優秀で特殊能力を持って生まれることが多い。育ちも良く家柄も悪くないので雑務が出来ない。自分の服さえ着たがらない奴が数人いたときには叫び出しそうになった。
 その上プライドが高く、少しでも相手が気に食わない言葉を放つと徹底的に潰そうとする。自分が悪いという意識はなく、譲歩という言葉を知らない。一行は常にギスギスしていた。だからこそ戦闘で互いの意思疎通が図れず、思い通りに行かないと平気で単独行動をする。そんなことを繰り返していたのだ。
 それでも彼等が誰も離脱することもなく黒王を追っていたのは、所謂強者故の責任感からだ。
 αの素晴らしいところは多分ここだけだと断言できる。
 生まれついて力のある者として育てられ、弱い者を守れと教えられ生きている。彼等の責任感は生まれついた自分の種の諦めと覚悟と、矜持だった。
 少しずつだが俺たちは共に戦うことが増え、自由行動を控えるようになり、不要な言葉を吐くことが少なくなっていった。朗らかな空気こそ流れなかったものの、俺はそれで常に痛んでいた胃を休めることが出来たし、不眠気味だった夜も眠れるようになった。
 魔法さえ使えぬ俺を庇う者も増えて、彼等が戦っている間、隅でひとり放置され、そこを狙う魔物から逃げ回ることもしなくてすむようになったのだ。

 それでも一人だけ、俺と目を合わせることもなく徹底的に無視していた人物がいる。
 勇者だ。魔法と剣を見事に使いこなす、誰よりも強いαの頂点。
 そう、まさに今、βの俺と二人きりで閉じ込められたα勇者、アレスである。

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