冒険者ギルドの小噺

禁茶

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祈ることをしない

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「どうぞ、お受け取りください」

 受付台に革袋に入った清算金がある。冒険者が死んだ場合、ギルドはその冒険者から預かっている金を事前に決めた人物に引き取ってもらう。今回死んだ冒険者は、十五の若い男の子だった。
 受取人は街の教会で修行を積む、彼と同郷の見習い神官の娘だ。私が受付を担当するときは、いつも彼女のことを話していたのを覚えている。正義感が強く、真面目で怒りっぽいのだが、それは困っている人を放っておけない優しい性分だからなのだと。兄妹のように育ったと。彼女の神官の才が町の教会に認められた時、自分も冒険者として武勇を轟かせることにしたとも言っていた。

「軽い……」

 神官の娘は、革袋をそっと持ち上げると、ぽつりと言った。
 中には銀貨が四枚と銅貨が十一枚。確かに重くはないが、それが彼の残した全てだ。遺体は海に引きずり込まれ、下宿先の大部屋にも持ち物は無かったという。彼がこの冒険者ギルドに登録してから、わずか三ヶ月。そのくらいの冒険者としては至って普通の金額だ。

「これだけなんですね。……本当に、お金しか残っていないんですね」

 神官の娘は、とても神の奉仕者とは思えないほど窶れた顔でギルドを訪れていた。真っ赤に腫れた目元にすでに涙は無く、視線は革袋の更に向こう側を幻視しているように見える。彼の話から生気に満ちた人物像を思い浮かべていたが、どうやらその姿を見ることは無さそうだ。

「あいつ、どんな冒険者だったんですか……」

 無理をせず、着実に力をつけていくタイプであったように思う。今回の依頼は多少荷が勝っていたが、本人の強い希望もありパーティを組むのであれば、と担当は判を押した。ありふれた依頼に妥当な判断だ。
 ただ、それでも彼は死んだ。

「いい冒険者でしたよ。あなたのことをいつも楽しそうに話していました」
「……これ、おそろいなんです。私の方が先に街に出てくるとき、彼が渡してくれて」

 ギルドの喧騒に消え入ってしまいそうな声。胸元から海神のモチーフが彫られたネックレスを取り出して、まるで手のひらの雛鳥のように見せる。丸と三角が組合わさった台座に輝く青い魔石。一度だけ彼から見せてもらったことがある。農民上がりの若い男女が持つにはかなり高価な品だ。彼もそれをわかっていたからだろう、普段は娘と同じように帷子の下に仕舞い込んでいたものだ。
 彼女はそれを法衣に仕舞い込むと、しばらく俯いて、袖で目元を拭った。

「……サイン、書きますね」

 くしゃくしゃの顔で、彼女はペンを走らせる。私はそれを黙って見ていた。


────────

 後五刻。
 冒険者ギルドは依頼業務を終了し、併設の酒場側の入口のみ解放される。ギルド側の入り口は閉鎖されるため、客が誰もいなくなった広間で職員は報告書や帳簿を処理したり、関係ギルドや支援者などへの連絡事項を作成したりする。締めの作業中は皆、昼間よりも人目を気にしない。酒場から飯を持ってきたり、酒を飲みながら作業を進める者もいるし、かくいう私もタバコを飲みながら一番カウンターで伝票を処理している。

「あの坊主、死んだんだってな」

 二番のカウンターに同僚の男が座る。目つきの悪い、何かというと棘のある物言いをする男だ。
 報告書の束と帳簿を卓上に放り、まずは一杯とグラスのハーブ酒を煽る。

「しょっぺえ死に方だ。三ヶ月地道にやってきて、あんな依頼を受けたのが運の尽きだ」

 椅子にだらしなくもたれ掛かり、タバコを咥えながら吐く。

「あんたが判押したんじゃない」
「別に悪かねえだろ。あの坊主がどうしてもって言うから、パーティを組ませて参加させてやった」

 同僚は肩肘をついて、いかにも面倒臭いといった態度で報告書をめくる。

「達成できる見込みがあれば受けさせてやる。お前だってそうしただろ」

 そんなことはない、とは言えない。ギルドはいつだって人手不足だ。確実にこなせる人間だけを派遣していたら時間がいくらあっても足りない。もし私が受付を担当していたとしても、おそらく認めていただろう。
 事実、今回の依頼もその男の子が死んだだけで、商隊は無事に目的地に到着した。依頼は達成され、商人に文句があるはずはない。当然他の冒険者は報酬を受領した。何も問題はない。
 冒険者ギルドは依頼の達成を目的とする。冒険者を雇っているわけでもなければ管理しているわけでもない。冒険者が依頼で命を落とすことがあっても、それは自己責任だ。もちろん無闇矢鱈に難度の高い依頼を受けて失敗続きとなっては元も子もないため、等級制度や手付金があったりするわけだが、それでも死ぬときは死ぬ。そのことについて依頼の担当員は何も責められることはない。
 と、そこまで考えて嫌気がさした。嫌気がさすくらいで済まられるようになってしまったのだとも思った。
 目の前の伝票には、今日あの神官の娘に渡した預り金の額がしるされている。
 ただただ眺める。
 タバコの煙の向こうで、数字の列が蠢く。
 灰が手の甲を焼く熱さで、私は我にかえり、急いでそれを振り払った。

「お前さ、もうちょっと気楽にやれよ」

 同僚がいつのまにかすぐ横に立っていた。腹の底からわいたような深いため息をつくと、持ってきたグラスに酒を注いで私の前に置く。

「そんなにあの坊主がお気に入りだったのか?」

 不思議そうな声で聞きながら、もう自分の仕事は終わったとばかりにこちらを向いて座る。

「受取人が同郷の、幼馴染の子だったのよ」

 短くなったタバコを潰し、グラスを煽る。魔術工作にも使われる霊薬草を漬け込んだ効きの強い酒だ。喉がカッと熱くなり、さっきまで冷え込んでいた思考の隙間に血が流れるのを感じた。

「彼よりもひとつ下の神官の女の子だった。おそろいのネックレスをしてて……二人で立派な神官と冒険者になろうって」

 顔を上げると、カウンターの外側に男の子と神官の娘が立っているように見えた。もちろん神官の娘が冒険者ギルドに来たことは無いし、そのような場面を見たことがあるわけでもない。これは、ただの妄想だ。

「悪い子。あんな子一人置いていって」
「……いい冒険者だって死ぬさ」

 同僚の男が吐き捨てるように言った。
 それを見て私は後悔した。
 同僚はもう話すことはないとばかりに机に向き直り、再びだらだらと報告書を捲り始めた。


────────

 数日後。
 一人の冒険者の遺体が、ギルドの検分室に運ばれた。朝方、教会地区の廃屋に打ち捨てられていたという。炎で焼かれていたため顔は分からないが、装備と神官の証言から、男は先日の商隊護衛を受けていた冒険者たちの一人だということが分かった。

「相当なことをやらかしたんでしょうなぁ。懺悔の後にこれとは……教会も形なしだ」

 運搬屋に銅貨を手渡すと、彼らはせいせいしたといった様子でさっさと帰っていった。

「それにしてもひっでえもんだ。顔も体もボロボロ。おまけにこの油……調査人の相手任せるぞ」

 運搬用の木板に乗った遺体を見て、同僚の男が言った。
 頭を抱えるように縮こまった姿勢で焼けている。全身が炭化しており、鎖帷子と短剣などは僅かに歪んだ程度で残っているが、腕と足は一本ずつ崩れてしまっている。それに匂いもひどい。堕落の油と言われる赤みがかった泥のような油にまみれ、そのひどく甘ったるい匂いは、ずっと嗅いでいると酒を飲んだ後みたく気分が高揚してしまう。
 魔の化身が地の底で腐った生き物を捏ねくり回して生み出した油で、それを使って得た炎は海の力でも消すことができない。だから教会は堕落の油を持つことも使うことも禁止し、こうやって油のついた生き物の死体を海に葬ることも許さなかった。運搬屋が足早に立ち去るのも無理はない。

「埋葬係と受取人に連絡しなきゃ」
「受取人はいない」

 同僚が男の登録書を渡してくる。受取人の欄は空いていた。私は遺体を一瞥すると、報告書の受取人欄に冒険者ギルドと書き殴った。


────────

 久しぶりに昼食を外で食べることにした。ギルド内の酒場も悪くないが、あそこはあくまで冒険者用の場所で提供する料理も飲み物も質より量を超えて量、量、量だった。朝に堕落の油の匂いを嗅いでしまった体に、爽やかな潮風を当てたかったというのもある。マーケットでソテーした青魚のサンドと泡酒を買うと、なんとなく教会へと足を運んだ。
 海の教会は街の住民が多く集まる憩いの場所でもある。本堂前には石造りの広場と花壇が整備され、そこから大海原に向かって張り出すように祈りの東屋が建てられている。朝のような事件があったからか、祈りと救いを求める人が集まっている。
 適当に座る場所を探していると、東屋に見知った影が見えた。

「お祈りですか」

 祈祷台の前で祈る神官の娘は私に気づくと、穏やかな顔で聞いた。手には海神のネックレスが握られている。
 私がただ休憩に訪れたことを伝えると、神官の娘はそばにあるベンチへと促した。

「それ、美味しいですよね。私もよく買います」

 クン、と鼻を鳴らした神官の娘が私の両手にある昼食を指して、年相応に可愛らしく笑う。だがすぐに行儀が悪かったことに気づいたのか、一瞬気まずそうな顔をして咳払いをした。

「冒険者ギルドの方には、ご苦労をおかけします。ああなってしまうと教会が葬ることができませんので」
「それが仕事ですから」

 聖職者としての穏やかな表情を浮かべて、彼女は申し訳なさそうに言った。
 以前は教会も堕落の油に汚れてしまった人間の埋葬を行っていたと聞くが、いつの頃からかそれは冒険者ギルドの役割となった。魔術的な埋葬を執り行う能力をもっているのが冒険者ギルドしかなかったというのが通説である。魔術師はもちろんどこにでもいるが、魔術研究院も呪い屋も学者もみな海の神の信徒であったから、信心もごちゃまぜの冒険者ギルドはうってつけだったのだろう。

「もしかして、心配してくださったんですか」

 何気なくその顔を眺めていると、こちらの意図を汲もうとしたのか彼女が尋ねてくる。

「祈るんです。あいつがいい冒険者だったなら、きっと今頃は海の神のもとへ戻っているはずですから」

 私は海神の信徒ではない。だがその教えを信ずる彼女に哀れみの情を持っていた。心配と彼女は言ったが、私はあの時自身の身を削られるような強い痛みを覚えたのだ。その過去の化身のような彼女が一体どうして今を過ごすのか、その疑義が頭にこびりついて仕方なかったのだ。
 無意識の内に、私の深層がいかなる目的を持っていたかを自覚して、私は心臓が跳ねるのを感じた。 

 しばらく二人で、何をするでもなく海を眺めていた。

「……私はこれで。後刻より告解の手伝いがありますので」

 四半刻ほど経っただろうか。彼女はたおたおと立ち上がると、私の手を握って自分の胸に当てた。

「あなたはきっと大丈夫」

 そういって神官の娘は本堂へ歩いていった。
 私は陽の傾くまで祈祷台を眺めていたが、結局祈ることはなかった。


────────

「よお、サボりか」

 何食わぬ顔でギルドに戻ると、同僚の男が二番カウンターから話しかけてきた。面倒臭そうな雰囲気は相変わらずだが、声にいつもより張りがなく、代わりに若干非難めいた響きが感じられる。今は人もまばらだが、どうやら後刻は忙しかったらしい。依頼書が積んであるワゴンを足で蹴ってこちらに寄越す。この横着者が、とちょっかいを出しかけたが、その不機嫌そうな顔を見てやめた。
 ばらばらの羊皮紙の山を取り、目を通していく。近隣村落の魔物駆除、魔除けの大量工作、未開拓地域の調査、そして商隊護衛と変わり映えしないものばかりだ。
 推定される難度に応じて手付金と報酬を決定し、掲示板に貼り出しておく。掲示板の前には、この間登録したばかりの新人コンビが目を皿にして依頼書を睨んでいた。片方が選んだ依頼に対して、大きくかぶりを振ったり、苦笑いしてみたり、ふんふんと意気込んでみたりと初々しい。
 しばらくして持ってきた一枚の依頼書を受け取り、二人の実績や戦い方を確認して判を押す。

「俺はよ、お前はすぐに冒険者に戻るんだと思ってた」

 二人が意気揚々とギルドから飛び出すのを見送って、同僚が懐かしむように呟いた。

「戻るよ」
「……あ?」

 間髪をいれず応えた私に、同僚は面食らったようだった。阿呆のように口を開けたまま、ペンからインクが滴って羊皮紙を汚したのに気付くと、悪態をついて慌てて拭う。気怠さを顔に貼り付けたようなこの男が、こんな表情をしたのは果たしていつ以来だっただろうか。あまりに慌てた様子に今度は私が驚き、笑った。

「え、……本気かよ」

 カウンターに張り付くようににじり寄りながら、同僚が信じられないといった様子で聞いてくる。私自身、全く不本意だが、つい先日までここに骨を埋める気持ちでいたのだから無理もない。

「気が変わったの」

 自分でも声が弾んでいるのがわかる。依頼書に書き込まれる文字が、私の感情を読み取って走り出す。
 同僚はどこか遠くを見たまま、「おお……」だとか「お、お……」だとか似たような呻き声を漏らして、そうしてしばらくした後、何度も頷いて火のついていないタバコを咥えて固まった。

「受取人はあんたにしておく」
「おい、縁起でもねえ」

 冒険者登録書の受取人に同僚の名前を書き込み、これ見よがしにひらひらと振ってみせる。同僚は声を少しだけ荒げて言うが、私は本気だった。この先私が命を落としたとして、これまでの全てを託そうと思えるのは目の前の友だけだったから。
 後五刻の鐘がなる。
 冒険者ギルドはいつもの通り業務を終了した。
 今日の夕飯は酒場の大盛り飯にでもしよう。
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