恋の魔法はAAA

波奈海月

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 コーンスープをそのままにしてきたことに気づいたのは自分の席に戻ってからだった。
「藤代さん、社長が呼んでいましたよ?」
 純玲は、会社の花、一番のお嫁さん候補とうたわれている三ノ宮さんのみや千種ちぐさに声をかけられる。
「社長が? 何だろう」
「さあ? 社長室まで来てくれって」
「社長室に?」
 千種が頷く。恋人探し、と合コンがあれば参加している純玲だが、千種のことは憎からず思っていた。もっとも千種のほうは純玲のことは安全牌あんぜんぱいという認識らしく、仕事の話から社内の人間関係など相談してくる。
「それと今届いたんですけど、これ藤代さん宛てでいいんですよね」
 純玲は千種から、堅いペンケースのような物が入った茶封筒を受け取った。だが宛先の住所もなければ送り主の記載もない。ただ表に「藤代純玲様」と書かれているだけだ。
「何これ?」
 重さはそれほどなく、軽く振ってみればカタカタと何か物が当たる音がした。
「送り状の控えがなくてどこで紛れ込んだのか、トラック便の方も首を傾げてたらしいですよ。でも宛名はあるし」
「分かった。ありがとう」
 純玲の返事に、ほんのり笑んで千種が事務室から出て行く。
 その背を見送った純玲は正体不明の荷物に手をかけた。ここで開けていきなり爆発はないと思うが、送り主が誰か分からないのは薄気味悪い。
「どうしよう。あ、そうだ。社長が呼んでいたんだっけ」
 先送りにしても解決することはないが、今は先に社長の用を片づけようと、茶封筒を机の上にそのままにして純玲は立ち上がった。
「別にこれといって思い当たることはないんだよな」
 事務室の隣の社長室に向かいながら、呼び出されそうな理由を考える。ありがたいことにこれといって可もなく不可もなく担当している取引先とも上手くいっていた。
「野瀬社長、藤代です」
「藤代くんか。入ってくれ」
 ドアをノックし、社長の声で中に入る。
「呼ばれていると聞きましたが」
 部屋には野瀬のほかにメタルフレームの眼鏡をかけた若い男がいた。来客だったようだ。
「お客様でしたら、私は後で……」
「いや、いいんだ。用があって呼んだんだから。こちらは懇意にしてもらっている不破ふわ商事の御子息で、不破耀一よういちくんだ」
 若い男が顔を上げ純玲に向かって会釈する。レンズ越しでも分かる涼やかな目をした不破は、自分と同じか少し若いくらいだろう。線が細く、男臭さからは程遠い中性的で整った顔立ちをしている。
「この度不破商事は我が社に大口の融資をしてくれることに話がまとまってね。それで耀一くんが出向という形で我が社に来られることになった」
 それと自分か呼び出された理由と結びつくのだろう。
「で、彼が藤代です。何かあれば彼に訊いてください」
「不破耀一です。藤代さんのことは今、野瀬社長から話を聞きました」
 立ち上がった不破は、純玲に向かって手を差し出してきた。
「――藤代純玲、です」
 そういうことか。自分は不破という男の世話係に任命されたようだ。サラリーマンである以上、上の命令は逆らえない。求められるままに純玲は握手を交わした。
「藤代くん。くれぐれも粗相そそうのないようにな。社運もかかっているのだ、上手くやってくれ」
 横から告げられた野瀬の言葉に、赤字経営の会社事情を把握して頷いた。つまり新規のスポンサー。
「では社内を案内しましょうか」
 不破を伴って社長室を出た純玲は、まずはと声をかける。もっとも案内するほどの大きな会社ではない。一階の倉庫と二階の今いた社長室と事務室、三階のショールームと商談室で終わりだ。
「……あなた、何か香水つけていますか?」
 しかし不破の返答は予想外だった。
「え、香水? これといってつけてないですけど」
 そんなものつけていない。だがいい香りがすると最近誰かにも言われたな、と思い出したのは、あのよく分からない妖精だった。
「でもいい香りがする――あ、失礼。初対面で話すことではないですね。それはそうと、藤代さん。昨日何か変わったことはありませんでしたか?」
「昨日!? いっ、いえ何もないですっ!」
 つい力んで純玲は言い切る。
 息が止まるかと思った。何を急に言い出すのか、心臓に悪すぎる。
「……そうですか」
 不破は純玲を静かに見返したあと、それきり口を噤んだ。
「あの不破さん?」
 整いすぎた顔で黙られると妙な迫力を覚えてしまう。気づまり感が漂う中、案内はまたにすることにして事務室まで戻った。
「不破さんの席はあとで社長に訊いておきますので、私の机ですが今はここを使ってください」
 机の上を片づけ、純玲は不破に自分の席を明け渡す。
 融資をしてくれる会社の御曹司には、さぞかし面白くない待遇だろうと思ったが、意外にも気にした様子はなかった。それよりも不破は脇にまとめた純玲の荷物をじっと見ている。
「不破さん? どうかしました?」
「いえ」
 言葉短く返されて、さっぱり分からない。
「あれ、藤代さん。お客様ですか?」
 そこに梅木戸が戻ってきた。口元についているクリーム色のものは純玲が飲み損ねたコーンスープに違いない。
「いや、今度うちに出向してきた不破さんだよ。不破さん、彼は自分と同じ営業担当の梅木戸です。――ちょっと失礼します」
 不破に頭を少し下げて純玲は梅木戸の手を引っ張り奥に行く。先ほど話をした給湯室だ。
「梅木戸、口ついてるぞ」
「そりゃ口はついてるでしょ?」
「じゃなくてな。スープ、飲んだんだろ?」
 減らず口を捻りたくなる。物的証拠は明白。
「ああ、はい。ご馳走さまでした」
 にへらと笑った梅木戸は、自分の口を指先で拭った。
「で、今の人は?」
「不破商事の御曹司。うちに出向だって。俺も今社長に紹介された」
「不破? 最近の取引先ではないですよね。だったらすぐに分か……あっ」
「どうした?」
 言葉を途切れさせ、声を上げた梅木戸に純玲は問い返す。
「いえ、何でもないです。藤代さんが面倒見るんですね」
「まあそう社長に言われたけど……?」
「じゃあ、そういうことで。何かあれば声かけてください」
「梅木戸?」
 あとはよろしく! と片手を挙げそそくさと出て行った。何か押しつけられた気がしないでもない。
 給湯室から戻ると、純玲が明け渡した席に不破が所在なげに座っていた。純玲の姿を見止めて立ち上がる。
「これで失礼します。このあと打ち合わせが入っているんです」
「はい?」
「私のことは気にしないでください。一応出社はしますが、来たときに適当に相手をしていただくだけでいいですので」
 不破は言いながら、かけている眼鏡の中央を中指で押し上げた。その仕草はさまになっていたが、言っている内容はむちゃくちゃだ。出向とはそういうものなのか? それが御曹司クオリティなのか?
「あのでも、不破さ――」
「では」
 純玲が口を挟む隙もなく、不破が事務室を出て行った。
 その後姿は颯爽さっそうとしていて、純玲は納得できない自分の感覚のほうがおかしいのかと思えてしまうほどだ。
「一体何なんだ? 訳分からん」
 断っていくだけましか。純玲は今まで不破が座っていた自分の席に腰かけると、息を吐いて横に押しやった荷物を元に戻した。
「あ、これ」
 さっきの宛名しか書いていない茶封筒だ。そういえば、不破があのとき見ていたのはこれだったような気もする。
「俺宛てなのは間違いないし、開けてみるか」
 手にした純玲は思い切って封筒を破き、中身を取り出した。出てきたのは本当にペンケースのような物だった。蝶番ちょうつがいがあり、蓋を跳ね上げて開閉する構造だ。全面に唐草のような模様が描かれ真ん中に何か紋章らしき図案が配されている。
「何だろう、この紋みたいなの、どっかで見たような気もするし……あっ」
 紋章のところを指が触れたとき、純玲は眩しい光を感じて目を瞑る。
「どういう仕かけになってんだ」
 目を開けた純玲は瞬きしながら手の中にあるケースをじっと見た。光りは治まり、蓋が開いていた。
「何だこれ、め…眼鏡?」
 中に入っていたのは眼鏡だった。
「何かずいぶんレトロな感じがするな」
 レンズの形は四角いウェリントンタイプで、フレームは蜂蜜色をベースにチョコレート色のが入っているべっ甲調だ。本物のべっ甲ならかなり値が張る。そんなものをこんな形で送ってくるとは思えないからセルロイド製だろうか。いや、もっと廉価にアクリルか。
「けど何でこんなものが俺に?」
 会社が婦人装飾品のメーカーなので、ファッショングラスの注文があれば扱うことはあるが、今はそんな取引はない。
 入っていた封筒を手に取る。宛名は何度見ても自分宛になっていた。他に何かないか中を確かめたが、紙切れ一枚入っていない。
「えーっと」
 そっと眼鏡を持ちテンプルを広げてみた。どこをどう見てもただ眼鏡。しかし妙にそそられる。まるで眼鏡自体に意思があり、「ふふ、かけてごらん」と言われているようだ。
 自分宛に届いたのだからこれは自分のもの。普段ならもっと躊躇いや警戒心があるはずなのに、どうしてだかそんな考えに囚われる。
 純玲は眼鏡をかけた。瞬間、純玲の目の前には一面に紫色の花が咲く風景が広がった。
すみれの花……?)
 驚いて眼鏡を外した純玲は、瞬きを数回繰り返した。今見えたのは何なのだろう。おずおずと眼鏡を再度かけてみる。しかし今度は変化なし。かける前と同じ、お馴染みの事務室だった。
「気のせいだったのか。――ったく相当疲れてるな、俺」
 もういいや、と眼鏡を外しケースにしまった純玲は、届いたときのように封筒に戻した。そして自分のカバンに放り込んだ。
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