真夜中に咲くガランサス

mirockofthebook

文字の大きさ
上 下
10 / 13

第十話 不協和音

しおりを挟む
 飛行機から降りると、その国の匂いがまず人の感覚に「ようこそ」と挨拶をする。
 元橋玄はいつも飛行機を降り、ボーディングブリッジを抜けたところでドーナツの甘い香りとコーヒーの香ばしい匂いを感じる。彼はそこでバンクーバーに来たと実感するのであった。
 入国審査を終え、バンクーバー国際空港の外に出ると北隅由紀夫が出迎えてくれた。
「久しぶり。でもないか。いつもわりなぃな」
「飛行機の中で何回クソした」
「毎回それ聞くよな。三回だよ」
「しすぎだろ」北隅はゲラゲラと笑いながら言った。
「スタジオはちゃんと抑えてんだろうな」
「とりあえず、一週間はスタジオ抑えてあるよ」
「やる気漲ってんじゃん」
「これからどうする」
「映画三本も見ちゃったしな。今日は一日ゆっくりして、明日からのレコーディングに備えたいところ」
「まあそう言うだろうと思ってスタジオは明日から取ってある。今日はゆっくり休め。クソも三回したしな」そう言うとまた北隅はゲラゲラと笑った。
「笑いすぎ。夕飯どうする今日。気分的には北隅の家でゆっくりって感じだけど」
「じゃあ、ヤオハンで食材買って帰るか」
 バンクーバー国際空港から車を数分も走らせれば、目的地のスーパーマーケットのヤオハンに到着する。
 空港からヤオハンまでの道のりで、また新しい中華系のショッピングモールが出来たなとぼんやりと元橋は車の窓から流れる景色を眺めていた。
 ここリッチモンドという町の人口の8割は中国人だと言われている。それは言い過ぎだろうと思うのだが、実際に街中を歩いてみるとどこを見ても中国人ばかりだった。それを象徴するかのように中華系のショッピングモールやレストランがやたらと多いのだ。元橋は初めてリッチモンドに来た時になんでこんなに中国人が多いのかと、北隅に聞いた。
 もう二十年以上も前の話らしいが、と北隅は教えてくれた。

 香港が中国に返還される直前に返還に反対した人たちが多くいたらしい。香港が中国になるくらいなら他の国に移住した方がましだと一部の返還反対派が占いで移住先を決めたという。それがカナダはブリティッシュコロンビア州のリッチモンドだった。彼らは占いに導かれるまま、リッチモンドへ移住をした。
 リッチモンドに住んでみると、そこが彼らにとってすばらしく居心地の良い場所となり、それが遠く離れた香港にも届き、その後、続々と香港から移住してくる人たちが増えていった。リッチモンドの町のすばらしさは香港だけに留まらず中国本土にも届き、そこからの移住者、特に富裕層たちがリッチモンドへ移住してきたのだ。彼らはリッチモンドを拠点とする会社や土地を買収し、現在のリッチモンドの姿へと変えていった。
 中国人たちがリッチモンドへやってくる前は実は日本人が多くこの街にいたのだという。リッチモンドの南に位置する港街、スティーブストンがかつては日本人タウンとして賑わっていた。その名残か、スティーブストンには日系人の経営する会社や、日本語で書かれたスーパーが未だににある。
 北隅に連れられて、スティーブストンにフィッシュアンドチップスを食べに行った時に、その話を聞き、元橋はなぜか悲しい気持ちになった。かつてここは日本人が多くいた港街だったが、今はその面影が僅かに感じられるだけであったからだ。
 ヤオハンもかつては日本の起業が運営をしていたが、いつのまにか台湾の会社に買収され、元々日系のスーパーだったという面影は、今は食品エリアの寿司コーナーに感じられるほどだった。

 元橋と北隅はヤオハンで酒と手間がかからなそうな食材を買いこみ、北隅の自宅へと向かった。
「今回はどのくらい滞在するんだ」北隅はハンドルに握りながら聞いた。
「ニ週間くらいだな」
「店は大丈夫なのか」
「優秀な大学生が店番してくれてるよ。ちょうど夏休みも入るみたいでさ。そいつさ、八十年代の映画とか雑貨が好きでさ。日本じゃ買えないグッズを買ってきてくれるならっていう条件で店番を頼んできた」
「いいバイトの子見つけたな」
「でも、その学生が気に入ってるうちの店に来る客と俺できてんだけどね」
「はぁ? お前もえげつないことするな」
「いや、あっちから言い寄ってきたからさ。その後に、その学生バイトくんがその子のことを気にしてるってわかったからセーフ。まだおれたちのことはバレてない」
「なにがセーフかわからんけど、うまくやれよ。今の若い子は怖いからな」
「レコーディングが終わったら、ロブソンかグランビルアイランドにでも行って、あいつがほしがってるもの探してくるよ」
「そんなんで罪滅ぼしにはならねぇからな」

 予定通り、翌日からレコーディングが始まった。レコーディングはバンクーバーのダウンタウンにあるウエアハウススタジアにて行われた。
 スタジオにふたりが到着すると、すでにレコーディングの演奏を依頼していたベースのブライアンとドラムのショーンがソファーに座り、コーヒーを飲みながら談笑していた。英語をほぼ話せない元橋は軽い挨拶だけは自分でし、その後のレコーディングの流れなどの説明は北隅に話してもらった。
 元橋が日本で作ってきた音源と楽譜はすでにメールで北隅に送ってあり、それをブライアンとショーンは受け取り、もう今すぐにでも録れるぞと、意気込んでいた。
 意気込んでいただけあり、ブライアンのベースとショーンのドラム録りはあっけなく終わった。さすが高い金を払っただけはあると、元橋は関心をした。
 ふたりのレコーディングをしたものをエンジニアと一緒に確認していると、「じゃあ、またな」と言い、ふたりはそそくさとスタジオを出て行ってしまった。元橋があっけにとられていると、レコーディングエンジニアと北隅がうなるほど完璧な演奏だと感嘆な声を漏らしていた。
「すごいな彼ら」元橋が感激したように言った。
「やっぱり、お金を出せばそれに見合った人たちが来るんだよ。よくあんな金出せたな。そんなに儲かってのか、古着屋」
「いや、俺は一切出してないよ」
「え、じゃあ誰が出してんだよ」
「出所はわからん。俺の彼女づてで依頼が来て、ある時、自宅のポストに楽曲のイメージが書かれた紙と札束が入った封筒が入ってた。差出人はわからなかった。そこまで気にすることないかって俺も思って、それ以上は考えないことにしたよ」
「なんか怖いな。誰が歌うのかもわからない。何のために作られるのかもわからない。そして、間奏で不協和音を入れろと」
「そういうこと。じゃあ、次、よろしくな」
「かましてくるか」北隅はそう言うとギタースタンドに立てかけてあったヴィンテージのテレキャスターを手に取り、レコーディングブースへと入っていった。
 北隅がブースに入ったことを確認すると元橋はエンジニアに「外に出てくる」とジェスチャーで伝え、スタジオを出た。
 北隅と日本でバンドを組んでいた時も同じように、レコーディングで彼がブースに入った後、元橋はスタジオの外に出ることが多かった。北隅のレコーディングは時間がかかるからだ。当時から彼は何をやるにも完璧を求める男だった。
 元橋はスタジオを出るとスマホを取り出し、地図アプリを起動して、ウォーターフロントステーションを目指し、歩き出した。
 パウエルストリートを進み、ウォーターストリートに入る。パウエルストリートにもレンガ作りの建物がちらほらと建ち並んでいるが、ウォーターストリートに入るとそれらは急に多くなり、現代とは思えない雰囲気を味わうことができる。そこはリッチモンドと異なり、多くのカナディアンたちとすれ違う。
 お昼近くの時間ということもあり、路面に面するレストランやカフェでは店内やテラスでランチを楽しむ会社員風の人たち、観光客、この辺りに住んでいるのであろう老夫婦の姿が見られた。不思議とどの人たちも幸せそうに見えた。
 ウォーターストリートをさらに進むとギャスタウンで有名な蒸気時計が姿を表す。蒸気時計の周りでは観光客たちが集まり、熱心に写真を撮っていた。
 ウォーターストリートを抜けると大きな通りに出て、バスや車の通りも多くなる。そして、右手に目的地のウォーターフロントステーションが見えてくる。
 元橋は北隅から渡されていたコンパスカード、日本で言うSuicaのようなものを使い、シーバスへと乗り込んだ。シーバスというのはバンクーバーのダウンタウンからノースバンクバーまでを結ぶフェリーのことだ。ウォーターフロントステーションからノースバンクバーまでは約十分の船旅だ。この時間の乗客は観光客が多い。聞こえてくる言語が様々だ。
 シーバスを降りるとすぐに、バス停があり、そこから元橋はキャピラノサスペンションブリッジを目指した。バスは山の中を登って行き、二十分程度でキャピラノサスペンションブリッジの最寄りのバス停に到着した。
 元橋はバスを下車するとすぐに、深呼吸をした。森の香りが彼の鼻腔を通って肺に達すると、自然と肩の力が抜けた。
 元橋はバンクーバーに来ると必ずここへやってくるのだ。ここに来るとなぜか心が安らいだ。日本にも同じように心が安らぐ場所がある。東京なら吉祥寺の井の頭公園、遠くまで足を伸ばすなら、沖縄の平和記念公園がそれにあたる。元橋はそこへ必ずひとりで行く。そこで自分のことを考えることもあるし、友人や恋人のこと、それから家族のことを考えることもある。カナダに来れば、どうしても北隅のことを考えてしまう。
 元橋は入場料を払い、キャピラノパークの中へ入った。毎回出迎えてくれるトーテンポールに挨拶をし、カフェでコーヒーを買い、ちびちびとそれを飲みながらパーク内を散歩した。
 まず、北隅が元気そうでよかったと安堵したところから元橋の思考は始まる。平日の昼間ということもあり、パーク内は人が少ない。遠くで人が会話をする声や吊り橋を渡っているのだろう、楽し気な叫び声も聞こえる。それよりも、風で木の葉同士が擦れる音や吊り橋の下を流れる川の音の方がよく聞こえる。

 元橋と北隅がバンドを組んだのは九十年代後半の頃だった。ちょうどハイスタンダードを筆頭に、メロコア、スカコア、ハードコア、ミクスチャーと言われるバンドが多く出てきて、エアジャム世代と言われる時代だった。
 元橋と北隅は当時同じ大学に通い、元橋は文学部、北隅は政治経済学部に所属し、大学の授業が終わると、ふたりは軽音楽部サークルでバンド活動に精を出していた。
 元橋はベース、北隅はギター、ドラムは法学部の片桐良太、ヴォーカルは商学部の綿引俊太、この四人でバンド活動を行っていた。バンド結成のきっかけは皆同じバンドが好きだったことだった。
 最初はそのバンドのコピーをやっていたが、次第に元橋がオリジナル曲を作りたいと思うようになり、ある日突然、元橋がどこか決まりが悪く部室に入って来るや否や「オリジナル作ってきたんだけど」とメンバーの顔を見ずに言った。それを聞いた他のメンバーたちは「聞かせろ!」「早く!」とまくし立てた。
 元橋は「わかったわかった」と言い、北隅のギターを借りてその曲を歌い上げた。コードの上にただ歌詞のないメロディーが乗ったものだったが、その演奏が終わると、メンバーが顔を見合わせ急に笑い出した。元橋は「なに笑ってんだよ」と予想外の反応に困惑しながら言った。
「すご過ぎて笑った」
「お前、天才かよ」
「すぐに形にしようぜ」
 メンバーたちの意外な誉め言葉に元橋はどう対処していいものかと考えていると、メンバーたちはそそくさと音を出す準備を始めた。
「ほら、お前もベースのセッティングしろよ早く」北隅は元橋からギターを取り返し言った。
 その日からオリジナル楽曲の制作が始まった。しかし、最初に躓いたのは、歌詞だった。歌詞も元橋が書いてきたが、他のメンバーも元橋自身もどうもしっくりときていないなと感じていた。メロディーはいいが、そこに元橋が書いた歌詞を乗せると急に安っぽくなったり、ダサくなったり、要するにせっかくの良曲をダメにしてしまうのだった。
 そんな歌詞作りに煩悶する日々を過ごしていたある時、今度は北隅が俯きながら部室に入って来る否や、「歌詞書いてきた」とメンバーの顔を見ずに歌詞の書かれたA4のコピー用紙をメンバーに渡した。
 歌詞を読んだメンバーたちは顔を見合わせ、あの時と同じように笑い「また一人天才がいたよ」と笑いだした。
 それから曲は元橋、歌詞は北隅が担当することになった。コードとメロディーを元橋が持ってくると、まずバンドで合わせて曲を作ってしまう。曲を作っている最中に北隅は曲にあった歌詞を考え、メロディーに乗せていった。
 そんな風に曲作りをしていくうちにあっという間にアルバムを作れるくらいの曲数が完成していた。しかし、まだ誰にもそれらの曲を聞かせたことがなかった。皆、自分たちでも最高の曲を作ったと自信を持っていたが、他の誰かに聞かせることについてはどこか積極性が欠けていた。
 バンドのメンバーたちは全員学年が一緒で三年になったばかりだった。就活や卒論のことを考えると、バンド活動ができるのも残り僅かだと皆気づいていた。メンバーの誰かが皆が望んでいる言葉を言い出すのを待っていった。
「外でライブをやろう」そう言ってくれたのはヴォーカルの綿引だった。綿引は就活の次期になれば就活をし、卒業後は普通に会社員として働くことを考えていた。だから、やるなら今しかない。そう思っていた。
「やろう」他のメンバーたちは即答だった。そして、作戦会議に入った。
「おれたちは今、十二曲のオリジナル曲がある」北隅には考えがあるようだ。
「そうだな」外のメンバーたちは頷いた。
「ライブをする前に、音源を作った方がいいと思うんだ」
「アルバムを作っちゃうってこと」驚いたように片桐が言った。
「いや、ニ曲入りのシングルを作る。それを持ってライブハウスに行くんだよ。ただの学生バンドとしてライブハウスに行けば、きっとただの学生バンドとして認識をされて、適当な日に適当なバンドと対バンを組まされることになると思う。そうなるとライブハウスに俺たちがお金を払ってライブをすることになる」
「え、そうなの」言い出しっぺの綿引が面を食らって言った。
「だからニ曲、まずは自分たちで作って、それを持ってライブハウスに売り込みに行くんだ。ライブハウスのブッキング担当がもし俺たちのことを気に入れば、出てくれとあっちからオファーが来るかもしれない。かもしれないじゃない。おれたちの曲なら必ずオファーは来る」
 北隅の力説に圧倒されながらも、他のメンバーたちは北隅の言葉に自信をもらった。
 
 レコーディングは綿引が見つけてきた吉祥寺にあるリーズナブルなレコーディングスタジオで行われることになった。
 やはり、人生で初めてのレコーディングということもあり、皆、緊張をしていた。元橋はスタジオに入ってからひたすらタバコを吸い続け、北隅はスタジオ内を意味もなくうろつき回り、片桐はポケット六法の著作権法の部分真剣に読み、綿引は持参したハーブティーをちびちび飲んだり、「はっはっはっは」とか「あめんぼあかいなあいうえお」とひとりで発声練習をしていた。
 そんな風に各々で初めてのレコーディングの緊張感を味わっていると、エンジニアさんからお呼びがかかった。
「最初はドラムからで大丈夫ですか」
「はい大丈夫です」片桐の声は上擦っていた。
「一曲目のクリック音のBPMは百八十で大丈夫ですか」
「はい、大丈夫です」
「イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Aメロ、サビ、間奏、サビ、アウトローの順に区切ってレコーディングしていきますね」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、じゃあよろしくお願いします」
「はい、大丈夫です」しか言わない片桐は緊張の面持ちでレコーディングブースへ入っていった。
 他のメンバーたちはエンジニアさんがいる部屋で待機し、片桐の演奏を見守った。
 最初は緊張からミスがあったが、ドラムを叩くうちに徐々に緊張がほぐれたのか、いつもの片桐のリズムがメンバーたちが待機するモニタールームに響いていた。その後、順調に演奏が進み、2時間程度でドラムのレコーディングは終わった。
 次はベースのレコーディングで、元橋はタバコを一本吸って、ブースへと入っていった。
 片桐と同じように最初は緊張が演奏に影響していたが、元橋も徐々にいつものペースを取り戻していった。無事、レコーディングが終わると、倒れこむようにモニタールームのソファーに「あー疲れた」と言いながらもたれた。
 次はギターのレコーディングであった。これが思いの外、時間がかかった。結果的に、この日はニ曲のレコーディングをする予定だったが、一曲しかレコーディングができなかった。理由は北隅の音と作品へのこだわりが出たからだった。セッティングから彼が望む音が出ず、時間がかかり、レコーディングが開始してからも何度も彼が納得いかない演奏だった場合はやり直した。
 漸く、ギター録りが終わり、そしてヴォーカル録りも終えたのは、レコーディングが始まってから約十四時間経った、夜の十一時であった。予定では、一日で二曲を録り終えるはずだったが、二曲目のレコーディングは翌週へと持ち越されることになった。メンバー全員が疲労困憊という状態だったが、エンジニアさんの言葉でその疲れはどこかへ言ってしまった。
「君たち学生だよね。曲作ったのは誰」
「僕です」元橋は遠慮気味に答えた。
「すごくいいセンスしてる。ライブで聞きたいと思った。歌詞は」
「俺です」北隅は少し得意げな表情をして答えた。
「歌詞もいいよ。聞いてて心地いいし、なんかメロディーに乗った歌詞が、ちょっと陳腐な言い方かもしれないけど、心を掴んでくるような感じ。ドラムとベースもリズム感最高にいいし、ヴォーカルの声が何よりいい」
 元橋たちはスタジオを出ると、今にも四人で肩を組んでスキップしをしたいようなそんな衝動に駆られていた。
 翌週、レコーディングは前回の経験もあり、前回よりはスムーズにレコーディングをすることができた。
 レコーディングを終え、エンジニアさんに「ライブの時は教えてよ。あと、アルバム作る時はまた来てよ。また一緒に作りたい」そんなうれしい言葉をもらい四人は次のステージへと向かった。

 レコーディングが終わり、二曲入りのシングルが出来た。四人とも納得のいく物が出来上がった。四人はマスター音源を手に高円寺にある元橋の家に向かった。出来上がった音源を四人揃って一音一音確認するかのように熱心に聴いている時にふと、片桐が言った。
「バンド名どうする」
 他のメンバーは虚をつかれたような表情をした。
「忘れてたな。バンド名なきゃCDのジャケットも作れないし、俺たちはただの、バンドだ」北隅はそう言うと腕組みをし、バンド名を考え始めた。
 他のメンバーは歌詞を書く北隅があっさりとバンド名を出してくれるだろうと思っていた。しかし、彼が沈思黙考し始めて一時間が経ってもひとつもバンド名が彼の口から出てこないことで、他のメンバーたちが不安に思い始めた頃、彼がようやく口を開いた。
「だめだ。推敲すればするほど底なし沼に沈んでいくみたいだ」
「じゃあ、みんなで出し合って決めよう」片桐がそう言うと、四人とも黙り、空を見つめ、バンド名を考え始めた。
 時々、メンバーの誰かが他のメンバーの様子を横目で見ては様子を伺い、誰かが最初の口火を切るのを待っているかのようだった。その間、元橋は幾度となく腹を押さえながらトイレに行った。トイレからすっきりしたような表情で戻ってきたと思えば、その十分後にはまた腹を押さえ、トイレに戻った。彼が五回目のトイレからの生還の時に綿引が言った。
「腹、大丈夫か。元橋はよく腹壊すよな」
「そうなんだよな。一回病院で診てもらったことがあるんだけど、ストレスを感じるとお腹を壊す傾向があるって言われた」
「へぇ、ストレスとかでとお腹壊すことがあるのか。変なもん食べたとか、お腹が冷えたとかで下痢になるって思ってたな」綿引は自分が下痢になったことを思いだしながら言った。
「ストレスで下痢になるのか。じゃあ、そのストレスは下痢となって、元橋の身体から排出されるのか」北隅は歌詞を書いている時にふと何かが降りてきた感覚をその時に感じた。そして、徐に立ち上がり部屋に転がっている英語の辞書を拾い上げて、パラパラとページをめくり、何かを探し始めた。
「いや、ストレスが排出されるかはわかんないけど、すっきりはするわな、当然」
「The Runs」北隅は不意にそう言った。
「ザランズ」片桐がそれを繰り返して言った。
「バンド名か」綿引が北隅に問いかけた。
「そう」北隅の眼の奥には決意の色が浮かんでいるようだった。
「どういう意味。ランて走るって意味だよね」元橋が腹を摩りながら言った。
「下痢って意味」
 それを聞いた他のメンバーはお互いに顔を見合わせて、そして堰を切ったかのように笑いだした。
「シンプルでいいよ」
「パンクっぽい」
「臭そうだな」元橋は眉間に皺を寄せながら言ったが、口元は笑っていた。
「聞いててわかると思うけど、おれが書く詩って世の中の不条理なこととか、理不尽なこととか、生活の中で感じるストレスとかそういうことを書くことが多いじゃん。おれはそういう世の中の変なところを曲に乗せて伝えたいと思ってるの。要はそういう世の中のクソみたいなことを曲で吐き出してるわけ」
「まさにピッタリだな」元橋は合点がいったように言った。
 それから数日後には、The Runsは自分たちでデザインをしたシールをCDに貼り、更にCDのジャケットも自分たちで作った。
 それを持って、下北沢、高円寺、初台、渋谷、新宿周辺の有名どころのライブハウスに四人で乗り込んで行った。
 数日後、元橋がお茶の水駅を出て、信号待ちをしていると、下北沢のSHELTERのブッキング担当である浦沢と名乗る男から元橋の携帯に電話がかかってきた。
「The Runsの人」
「はい、ベースの元橋です」元橋は正直なところ驚き、そして期待をしていた。
「元橋くん、いいよ、君たち。曲、何曲ぐらいあるの」
「十二曲あります」
「よし、じゃあ企画組むからライブ出てよ」
「あの、出演料とかは」
「んなもんいらないよ。こっちから出てって依頼してんだからさ。三バンドぐらいで調整するから、持ち時間は五十分ね。で、日時はそうだな。来月の末、ならまだ大丈夫だな。オッケーオッケー。時間は十七時開場、十八時時開演でいいな。リハは十二時からね。出演の順番は他の二バンドが決まったら、また連絡するよ。それでいい」矢継ぎ早に浦沢は言った。
「あ、はい。大丈夫です」
「オッケー、んじゃまた連絡するから。本番まで仕上げてきてね」
「わかりました。ありがとうございます」
 電話が切れて、しばらく元橋は呆然とお茶の水駅前の横断歩道の前で立ち尽くしていた。信号が何度も変わり、元橋の横を通り過ぎていく人たちは不思議そうに彼を見つめてた。
 はっとして、元橋はメンバーにメールを送った。
「SHELTERで来月ライブ決まった! スリーマンだって!」
 返信がすぐ帰ってきたのは、北隅だった。
「まじか! あのSHELTERでライブデビューかよ!」
 しばらくして、片桐と綿引からも驚きと嬉しさが混じった返信があった。
 元橋は授業があったが、その興奮からまったく授業の内容は頭に入ってこなかった。
 SHELTERというライブハウスはThe Runsのメンバー全員が憧憬の念を持つバンドたちがPVで使っていたり、もちろんライブを幾度となくやっているライブハウスで、SHELTERでライブができることが、四人にとって僥倖であることは間違いなかった。
 The Runsの初ライブは八月の最終週の金曜日の夜に決まった。
 八月には大学も完全に夏休みに入り、The Runsはほぼ毎日、ライブに向けた練習を重ねた。それは曲選びから始まり、曲順決め、曲と曲との繋ぎのアレンジの練習、MCの内容と意外にもライブまで時間が足りないのではないかとメンバーたちは思うこともあった。というのも、完璧を求める北隅が時々、他のメンバーを困惑させることがあったからだ。時には口論になることもあった。そんな口論なんてしてる場合ではないと誰も思っていたが、北隅は自分が納得いくまでライブの構成、演出にこだわった。そんなことがあっても顔を合わせ、音を重ねていくうちにバンドはひとつになっていくような感覚を皆、感じていた。
 そして、いよいよ初ライブの日がやってきた。開場時間の前にも関わらずSHELTER横の細い路地には多くの客が列を成していた。そして、開場の時間になるとフロア内はあっという間にお客さんで埋め尽くされた。
 The Runsの他には、当時人気を博していたメロコアやスカコアバンドの直属の後輩にあたるバンドがThe Runsと対バンをすることになっていた。
 The Runsは世間では誰も知らないと言ってもいいバンドだが、他の二バンドはレーベルにも所属し、バックには超のつくほど人気のバンドが付いていたこともあり、すでに巷では注目株として知られる存在であった。そんな中にThe Runsが捩じ込まれたのである。The Runsのメンバー全員は思っていた。
「上等だ。あいつらのファン全員掻っ攫う」
 ライブのトップバッターは、踊れるロックを謳ったバンド、イリーガルポリスだった。当時、歪みの効いたギターに、パンクのリズム、そこにメリディアスな歌が乗っかるというのが昨今のバンドの流行であった。多くのバンドが似たり寄ったりというところで、イリーガルポリスはロカビリーなども含め、ダンスミュージックとパンク、ロックを融合させた踊れるロックを奏で、人気を博していた。
 もうひとつのバンドは歪ませた音が主流という中であえてクリーンギターでカッティングをするという、一見ひと昔前に流行ったシティポップを彷彿をさせるが、ジャズやボサノバをパンクやロックと融合し、会場を多いに沸かせるバンドマンションというバンドだった。
 そのふたつの巷ですでに話題になっているバンドに挟まれてThe Runsは初めて人前で演奏をするのだった。
 The Runsは楽屋からイリーガルポリスの演奏と観客の歓声を聞いていた。次がThe Runsの出番である。
 元橋はタバコを何本も吸い、北隅はひたすらギターソロの練習をし、片桐はポケット六法をどのページを見ると言う訳でもなくパラパラとめくり、綿引は楽屋をうろうろと歩きながら発声練習をしたり、客席と楽屋を行ったり来たりし、皆、それぞれ緊張に飲み込まれないように必死であった。
 ステージから「ありがとうございました!」という声が聞こえ、客席から歓声と拍手があがっていた。いよいよかとThe Runsのメンバーたちは腹を括った。
「じゃあ、次、The Runsさん準備お願いします」SHELTERのスタッフがそう告げると、The Runsのメンバーたちはステージに上がり、楽器のセッティングを行った。レーベルなどに所属していないThe Runsはこういった機材や楽器のセッティングも自分たちでやらないといけないのである。セッティングが終わるとメンバーたちは再び楽屋に戻った。
「よし、一回集まろ」声をかけたのは北隅だった。
「いよいよ、初ライブ。とにかくいつも通り、楽しく演りましょう」
「おう」
「うい」
「うっしゃ」
 四人はお互いの顔を見合わせ、そして、幸せそうな笑顔を見せた。
 楽屋の外からThe Runsの出囃子として、SHELTERのスタッフに渡していた、レッドカーランドのオールモストライクビーイングインラブが聴こえてきた。客席からはその曲に合わせて手拍子が鳴っていた。
「よし、行こう」北隅がそう言うと、他のメンバーたちは頷き、ステージに上がっていった。
 客席から歓声がちらほらと上がるが、イリーガルポリスよりはまばらな感じはある。どちらかといえば、暖かく迎えてくるような印象だ。出囃子をジャズにしたもの、それを狙ったところがあった。だから客の反応は予想通りであった。レッドガーランドの軽快なピアノが客席に響いている。誰もが穏やかな表情でThe Runsの演奏を待っていた。
 北隅は他のメンバーの準備ができたことを確認すると、客席の後方にいるPAさんにOKの合図を送った。
「The Runs、初ライブ始めます」ヴォーカルの綿引がそう言うと、ドロップDチューニングされたギターとベース、そして、バスドラムとシンバルの音が一斉に鳴った。
 その音を聞いて客たちの顔色が変わった。臨戦体制に入ったというのだろうか、客席の空気か一瞬にして変わったのだ。
 演奏が始まると、客席は見ようによれば暴動が起こっているかのような状態になっていた。客と客が体をぶつけ合い、ステージに上がってきた客が客席にダイブしたり、まさにThe Runsのメンバーたちが憧れていた光景がそこにはあった。
 
 The Runsはその後、すぐに口コミなどで話題になり、レーベルに所属し、アルバムを出した。そのアルバムを引っ提げて全国ツアーも行った。ライブをやるごとに客は増え、雑誌の取材も受け、深夜のテレビ番組にも出た。The Runsは次世代を担いバンドとして世間に認識されるようになっていった。
 全国ツアーが終わる頃にはThe Runsのメンバーたちは四年生になっていた。周りの学生たちはすでに就活を終えている者もいた。The Runsのスケジュールはライブを始め、アルバムの制作、フェスの出演、テレビ出演、雑誌のインタビューなど次々に決まっていった。バンドとしては、順調に見えたが、綿引と片桐はどこかで線を引かなければならないと考えるようになっていた。一方で、元橋と北隅は大学を卒業してもバンドは続けたいと考えていた。そんなバンド内の齟齬はバンドの何か大切なものをひとつひとつ蝕んでいった。日に日にメンバー同士、メンバーとマネージャー、メンバーとレーベル社長との口論も増えていった。それでも、決まっているスケジュールはバンドとしてこなしていかねばならないという責任感はバンドメンバー全員にあった。
 各地であった夏フェスの出演がすべて終わり、夜風が肌寒く感じる頃に事件は起きた。
 マネージャーから初台の病院に呼び出され、急いでそこへ行くと、病院の待合室にはすでに綿引と片桐が到着していて、そして待合室の奥の方で泣いている人たちが何人かいた。
「北隅は」元橋はマネージャーに駆け寄り言った。
「今、ICUに入ってる。命は今のところは取り留めたってさっきお医者さんが言ってた」
「あの方たちは」
「北隅のご両親と妹さん」
 元橋たちは北隅の家族に歩み寄って言った。
「一緒に北隅くんとバンドをやっている元橋と言います」
「綿引です」
「片桐です」
「君たちか、うちの子を訳の分からんことに付き合わせて、終いには自殺未遂だ。もう由紀夫はバンドなんてやらない。君たちはここから出て行ってくれ」北隅の父親だろう、彼はそう言うと鋭い眼光を元橋たちに向けた。
 元橋たちは、自分たちがいったい何をしたというのだろうという戸惑いと、そしてその理不尽さに怒りを覚えた。しかし、元橋たちは何も言わず、病院から出ていった。
 北隅は、ひとり暮らしをするマンションの七階から飛び降り、自殺を図った。幸いにも落ちた先に木があり、それに一旦引っ掛かり、そして自転車置き場の屋根に落下をした。
 ドン! という音を聞いた同じマンションの住民が自転車置き場の屋根に倒れる北隅を見つけ、すぐに救急車を呼んだのだという。
 北隅は左足の骨折と無数の擦り傷だけで命は助かった。しかし、彼の心はこの時すでに死んでしまっていたのかもしれない。

 北隅由紀夫の実家は福島県いわき市にあった。
 父親は長年いわき市の市議会議員を勤め、息子、つまり北隅由紀夫にもその道を行ってもらいたいと強く思っていた。
 高校生だった北隅はすでに地元でバンド活動をしていた。しかし、父親から一度、「そんなくだらんことをしてないで地元のボランティアに参加しろ」と言われて以来、こそこそとバンド活動を続けてきた。言うまでもなく、北隅はバンドにハマり、なんならこれで飯を食っていきたいとも思っていた。しかし、彼はそんなこと父親に言える肝の据わった青年ではなかった。バンドを父親にとやかく言われずに続けるためには、父親から遠く離れればいい、そう考えたのだ。それから北隅は猛勉強をし、父親が納得する大学で、尚且つ政治経済学部に受かることが彼の目標となった。
 彼は見事、東京の地方から見れば一流と言える大学の政治経済学部に合格することができた。そして、父親は北隅の思惑など知ることもなく、東京でしっかり政治の勉強をしてこいと期待を胸に送り出した。
 彼は大学に入学するとすぐに軽音楽部に入り、バンドを組んだ。それは夢のような毎日だった。こんな日々が一生続けばと彼は願っていた。
 彼のバンドはいつの間にか大きくなった。複数の夏フェスの参加が決まって間もない、まだ梅雨真っ只中の時期だった。彼は電話で父親に「音楽で飯を食っていく」と告げたのだ。すると父親は烈火のごとく怒り、ついには高速バスで東京の北隅の住むマンションにやってきたのだ。そして、音楽を辞めることを延々と説得し、辞めないのであれば大学は退学してもらうと言ったのだ。しかし、北隅はそんなことに聞く耳を持たなかった。
 その後、しばらくは父親からの連絡はなかった。北隅は父親は自分を説得することを諦めたのだと思った。しかし、それはただの思い違いだった。
 例年ならもうすぐ梅雨明けだと気象予報士が発表してもいい頃だった。そんなあくる日、今度は北隅のマンションに妹の泰子がやってきたのだ。
「お兄ちゃん、大学卒業したらいわきにもどってきてもらえない。今、お父さん大変なの」
「なんかやらかしたのか」
「お父さん癌なんだって。胃がん」
 北隅はそれを聞いた時、悲しい気持ちにはならなかった。寧ろ自分が愉快な気持ちなっていることに困惑し、戸惑った。
「それで俺にどうしろって言うんだよ」
「お父さんはお兄ちゃんに大学を卒業したらこっちに戻ってきて、仕事の手伝いをしてほしいみたい。たぶん長くないだろうから、自分の仕事を受け継いでほしいみたい」
「市議の仕事をか。そんな受け継ぐとかそういう仕事じゃないだろう」
「お父さんには市議としての想いがあるんだよ。それを受け継いでほしいみたい」
「知らねぇよそんなこと」北隅はそれ以上父親の話を聞く耳を持たなかった。
 その夏、北隅はThe Runsのギタリストとして各地のフェスに参加した。新人バンドとしては異例の観客動員数を記録するフェスがいくつもあった。しかし、観客が増えていく度に、北隅は「自分は何のために音楽を作り、ギターを弾き、ステージに立つのか」そんなことを考えては答えが見つからず路頭に迷い、煩悶する日々が続いた。そして、北隅は飛び降りた。
 The Runsは彼の自殺未遂後、セカンドアルバムの制作は中止、予定していたライブもなくなり、事実上解散となった。

 The Runsの四人は大学を無事卒業し、片桐と綿引は都内の会社に就職をし、元橋はThe Runsが所属するレーベルで新人を発掘する仕事をすることになった。北隅は地元のいわき市に戻り、父親の秘書として働いた。
 北隅の父親は彼が秘書として働きだして、一年も経たない内に息を引き取った。父親が亡くなってから、父親と親しい市議や地元の人たちから市議にならないかと誘われたかが、自分がこの街に貢献できることはないと北隅は断った。
 その後、北隅はいつのまにかリッチモンドへ移住をしていた。元橋がそれを知ったのは大学を卒業して、バンドのメンバーたちが別々の道を歩み出してから十年の月日が経ってからだった。その十年、お互いが変な気を使い、連絡を取り合うことはなかった。
 十年なんて経ったことなんて誰も気づかない、そんなある時、元橋の携帯に北隅からメールが届いたのだ。
「今、俺カナダにいるんだけど、遊びくる?」
 元橋はすぐに返信をし、しばらく北隅とメールのやり取りが続いた。十年の月日はメールではほんの十数件で表現できるものであった。
 この頃、元橋はレーベルを退職し、高円寺で古着屋を始めていた。
「じゃあ、古着の仕入れのついでに会いに行くよ」
 それからというもの元橋は北隅の様子を窺うついでに古着の仕入れに彼の住むリッチモンドを訪れるようになったのだ。

 レコーディングは一週間ほど続いた。一曲だけのレコーディングに一週間もスタジオを取ったのは、北隅のギターをレコーディングするためだったのだと元橋は思った。
 北隅と元橋はマスター音源を聴き終わり、言った。
「自分が弾いておいて、あれだけどギターソロ気持ち悪いな」
「だな」
「でも、こういうことなんだろ」
「依頼には完璧に応えてるな」
「なんかギターソロを弾いてる時に昔のことを思い出したよ」
「昔って」
「おれたちがバンドやってた頃のこと」
「初期か後期か」
「そんな初期も後期も語れるほどの時代を持ってないけどさ、強いて言えば、後期だな。あの時はひどかった。その時のことを思い出しながらギターソロを弾いたよ。それがよくこの不協和音に出てると思う」
「なるほどね。あの時の北隅の想いがギターソロに込められてるわけか」
「レコーディングも終わったし、じゃあ飯でも食べにいくか。ロブソン通りからちょっと入ったところにうまいギリシャ料理屋があるからそこに行こう」
「ギリシャ料理か。全然料理の想像がつかないわ」
「お前は世界観が狭いな」
 その後、北隅と一緒にカナダ観光を満喫した元橋はマスター音源、それから長瀬誠と新里摩耶へのお土産を持って日本へ帰国した。
しおりを挟む

処理中です...