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第2話 オーパーツはスマホ
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後ろを振り返らずに数ブロックを全速力で走った。
肺が口から出そうになるくらい――まあ、肺なんかないんだけどさ――の走りっぷり。
塩漬けの腿肉が天井から何本もぶら下がっている店に飛び込んで、揺れている腿肉の間から通りをうかがった。
どうやらハーフエルフの娘からは逃げられたようだ。
ほっと胸を撫で下ろし、おれは店の奥のテーブルに腰を下ろした。
店主が近づいてきたので、何か頼まなきゃいけないな、と思ったが、意外と腹の減っていることに気づいた。
「厚切りの塩漬け肉とパン。辛子はたっぷりつけてくれ」
「飲み物はどうする?」
「おたくの店、エールはどこから買ってる?」
「フッサールのとこだよ」
「じゃあ、ジョッキでもらおう」
「うちは先払いだからね。五ギルになるよ」
店主はおれの風体を見て言った。
上半身はハダカ。ズボンは濡れている。手に持っているシャツはボロ雑巾のよう。
食い逃げしそうに見えても不思議はない。
おれはポケットに手を突っ込んだ。
指の間に五ギル貨幣を出現させる。
それをテーブルに、パチリ、と音を立てて置いた。
店主は貨幣をつまみ上げて店の奥へ行った。
シャツに袖を通すと、ぺたりと冷たく肌に張りついた。
気持ちわるっ。
おれは濡れた服を乾かすことにした。
今度はさっきのようなへまはしない。
適当な文句を呪文のようにゴニョゴニョ唱えてから、上から下まで新品の状態に戻した。
「おや、あんた、魔法使いには見えなかったな」
店主が愛想よく笑った。金さえ払えば大事なお客ってことだ。
店主が運んできた塩漬け肉は美味そうな桜色をしていた。
おれは、そいつに辛子をべったり塗って、パンに挟んだ。
一口齧りつく前から口いっぱいによだれがあふれる。
大口を開けてかぶりつく寸前だった。
そこへ通信――。
――どこにいるのよ?
毎度おなじみの管制だ。
頭の中に、ギンギン響く。
どうしていつもいつも、都合の悪いときにかぎって話しかけてきやがるんだろう?
「わかってんだろ」
――もちろん、わかってるわよ。でも、あんたはどうなの? それをあんたに確認してんじゃない。
「わかってるにきまってんだろ」
――じゃあ、わかっていて、七五八秒も水の中にいたということなのね?
「当然そういうことですよ」
と口では言いながら内心驚いていた。
七五八秒!
そりゃオークもびっくりだわ。
人魚かダゴンか半魚人でなければ許されないタイムである。
ちなみにこの世界、人魚とダゴンはいるが半魚人はいない。
おれを堀に放り込んだオークのことは、黙っていることにした。
騒ぎになっていたなんてことを話したら、底意地の悪い管制のことだからきっと上に報告するにきまってる。
しかも、ハーフエルフに「世界改変」しているところを見られたなんてことまでしゃべった日にゃ、始末書は絶対に避けられない。
この世界に派遣されてかれこれ三百年になる。
もう少し頑張れば本社に栄転できるってのに、へたを打って任期を延長されたりしたら泣くに泣けない。
――本当かしら? ま、いいわ。そんなくだらないことしゃべってる場合じゃないのよ。
くだらないことを言ってきたのはそっちだろ、と思ったが、ケンカになるので黙っていた。
この際、管制に逆らうなんてまねは死んでもすまい。
「何か問題があるのか?」
――そうなの。
管制の声は心なし不安げだった。楽天家の彼女らしくもない。
「大問題?」
――うーん……まだちがうけどね。もしかしたら、あんたもわたしもクビがとぶくらいの大ごとに発展するかも。
クビ? やめて。やめて。どうしてそんな怖いこと言うの?
おれはぞっとした。服がまた一気に濡れたような気がした。
「説明してくれ。問題ってなんだ?」
――オトランのダーゲンでオーパーツが見つかったのよ。現地の僧侶が「これは聖遺物にまちがいない」って教皇庁に申請してきたわ。
オーパーツ。
この世界に存在してはならないもの――のはずなんだけど、これが結構見つかるんだな。
それは世界創造時のバグだったり、異世界から何かしらの理由で紛れ込んだ物だったり。
いずれにしても、あっちゃいけないモンはあっちゃいけないモンだ。
そんな物が出てきたときには、おれのような管理人の出番ということになる。
とはいえ、オーパーツなんてたいていカン違いだし、本物でもすぐに手を打てばほとんど問題になることはない。
どうして今回、「クビがとぶ」なんて管制は怖いことを言うのかわからない。
「よくある話だろ。おれ、この世界でもう何件も処理したぜ。五〇年に一度は出てくるよな。だいたい、本物なのかよ?」
――教皇庁からは、いつものように審問官が現地に行って現物を見てんだけど、どうやら本当に教祖の聖遺物として認定しそうな気配。だから、あんたの目でそいつを確認してほしいわけ。現地人になんか、本当のことなんてわかるわけないんだからさ。
「本物だったらいつもどおり?」
――もし、本当にオーパーツなら管理マニュアル第三項第七則に従って回収、もしくは破壊してちょうだい。でも、今回はそれで終わりじゃない。
「終わりじゃない?」
――マニュアル第七項補足事項β。事故の原因を究明し、可及的速やかに対処すること。フェイズ4以降の対処方法については実施前に本部判断を仰ぐべし。OK?
「了解だけど……ずいぶんと大げさじゃん。いったい何が見つかったんだよ?」
――聞いて驚くんじゃないわよ。スマートフォン。
「へ?」
――スマホよ、スマホ。ス・マ・ホ!
スマートフォン。ご存知か?
科学依存文明の、シンギュラリティ直前の文明期に発明使用される通信機器である。
文明発展のレベルにおいては決して高いとは言えない段階の道具だが――
おれがいま担当しているこの世界は魔法依存系だから、歴史の初めから終わりまでいつどの段階でも、絶対に現れない類の代物だ。
まいったね。絶対に創世時バグなんかじゃない。
何が原因かわからないが、異世界から持ち込まれたのだ。
――しかもね、スマホを見つけた坊さんは、それで神の声を聴いたって言っているの。
「スマホで?」
――そう、スマホで。
「いったい誰と話したんだよ?」
――あたしが知るわけないじゃない。だから、あんたが行って調べるんでしょ。
ごもっともである。
ごもっともではあるが、おれは冷静に物事を判断できる状態ではなかった。
何百年ぶりのショック!
もしかしたら、この世界に着任して以来、最大のトラブルかもしれない。
首を掴まれて、頭をグワングワン揺さぶられているような感じだった。
「なあ、おれの前任者の忘れ物ってことはないかな?」
――あんた、そこに左遷されて何年目? 何百年も電池切れしないスマホなんて作ってる世界、どこにもないと思うわよ。
「え、おれ、左遷されてたのか?」
――あんた、自分が左遷されたことに三百年も気がついてなかったわけ? プッ、ウケるんですけどぉ。
「おれがいったい何したって言うんだよ?」
――んー、そうねー、いわゆるー、世間で言うところの、無能、っていうやつ? アレだと思うわ、あんた。
「カンベンしてくれよお!」
――むしろね、まわりがあんたにそう思ってたんじゃないかしらね。うんうん。だって、あたしなんか、いつもそう思ってるもん。あんたなんかの担当にされちゃってババ掴まされたわね、かわいそー、って他の子にも言われるし。
「誰、誰? 誰が言ってんの、それ?」
――そこは気にしない方がいいんじゃない? だって、聞いたらショック受けるでしょ?
「秘書課の誰かかな? ポリーヌちゃんとか? それとも、受付の子?」
――あー、その辺が気になるのかあ。うわー、そこかあ。そこなんだあ。こりゃ、マズいわー。
「えー、マズいのかよ? まいったなあ。すっかりやる気うせちゃったよ。オーパーツなんてもうどうでもいいわ」
――よくないわよ。言ってんでしょ、へたしたら二人ともクビだって。
そうだった。
スマホがきっかけでこの世界が滅亡するようなことになれば、絶対に解雇は免れない。
ここはしっかりしなければいけないところだ。
しかし、秘書課と受付ではおれは不人気らしい。
この悲しい事実に打ちのめされて、今一つやる気が起きない。
――でもねえ、ピンチはチャンスってよく言うでしょ? このピンチはさ、あんたにとっちゃ何百年に一度の大チャンスかもしれないわけ。
「ピンチはピンチだろ?」
――バカねえ。あんたがそこに派遣されてからどうだった? 何か本社に認められるような機会ってあった? これといって悪いこともなかったけど、これはスゴイってこともなかったでしょ?
「まあ、そうだねえ」
――つまり、ぜんぜん目立ってなかったわけ。本社からすれば、見えていなかったも同然。見えていない物は存在しないも同然。
「なるほど。そうかもなあ」
――そうかもなあ、じゃなくて、そうなのよ。あんたねえ、このままこれまでと同じようにボーッと過ごしていたら、一生そのちんけな世界から出られないからね。本社に戻ってくるなんて夢のまた夢なんだから。
「そうなの?」
――そうなの! でもね、想像してみて。あんたがこの世界滅亡の危機を事前に察知し、回避する。あたしがそれをパンパンに膨らまして上に報告する。どう? 上層部はどう思うかしらね? あいつもなかなかやるじゃないかってことになるんじゃない?
「おう、あいつもなかなかやるなあってなるなあ」
――あいつをあんな僻地に置いておくのはもったいない。本社に呼び戻そうってなるでしょう?
「うん、そりゃ呼び戻そうってなるよなあ」
――それだけじゃないんだからね。おエライさんの誰かが、何かの拍子にポロッと秘書に言うわけよ。知ってるかね、キミ、じつはあそこの世界がちょっと危なくてなあ。それをあの管理人が救ったんだ。ああ見えて、なかなかやるやつだよって。
「うんうん」
――たちまち秘書課じゃ大評判よ。あそこの管理人はやり手だ、切れ者だって。そうなったら、ポーちゃんはビッチ――ううん、軽い子、でもなくて、えーと、純粋な子だから、絶対にあんたを気にするよ。
「ポリーヌちゃんがおれに惚れるかー!」
――惚れる、惚れる。間違いないね。あんたはもう、秘書課のアイドルだよ。で、秘書課がそうなれば受付だって黙ってないから。受付で一番かわいいマインちゃん、知ってるでしょ?
「うん、知ってる。すごく知ってる。名前だけじゃなくて、住んでるとことことか、ご両親のこととか、趣味とか、好きな食べ物とか、おれ、いろんなこと知ってる。総務課のやつに金払って個人情報を教えてもらったんだ」
――んー、それ、得意になって話すことじゃないんじゃないかなー。ま、細かいことは気にしないでおこうか。あのマインちゃん、じつはポーちゃんとバチバチのライバル関係のわけ。ポーちゃんがあんたのこと狙ってるとなれば、マインちゃんだってそれを指くわえて見ているはずがないのよ。
「うわー、マインちゃんも来ますか、マインちゃんも?」
――うん、断言するね。ぜーったい来るよ。
「マインちゃんも来る? 断言しちゃう? 困ったなあ。こりゃ、困った。ポリーヌちゃんとマインちゃん、両方来ちゃう? いやー、困った。3Pですか? うわー、3Pかー!」
――いや、3Pとは言ってないから。
「あ、3Pはダメ? 倫理的に? そういうことなら、二股でいいや。二股交際ね」
――二股でも三股でも好きにすればいいわ。でも、それもこれも全部、このオーパーツの件を解決したらの話なんだからね。わかってる?
「わかってる、わかってる。何か、おれ、俄然やる気が出てきたわー。燃えてきたなー!」
――じゃあ、その調子で、さっそく現地に旅立ってちょうだい。
「よっしゃ、わかった! じゃあ、オトランのダーゲンへ、おれを瞬間移動してくれ」
――ダメ。
「へっ?」
――それはダメよ。
「何で? 緊急時特殊移動の申請をしてるんだけど」
――だから、まだオーパーツが出てきたってだけだもの。本当にオーパーツかどうかもわからないんだし。これじゃまだ、緊急時特殊移動の「緊急時」に当たらないのね。だから、管理マニュアル第二項第一則、管理人の通常時の行動は、当該世界設定に従うべし、よ。移動は通常の方法でお願いね。
「通常の方法って……?」
――わかってるくせに。
そう。わかっている。この世界の交通手段は徒歩か、馬だ。
おれはげんなりした。
しかし、おれには本社への栄転とポーちゃん・マインちゃんとの二股交際という未来が待っているのだ。
この程度の障害にくじけるようでは明るい未来は手に入らない。
気を取り直して皿の上の塩漬け肉を――ないっ!
食った覚えもないのにパンに挟んだ肉がなかった。
皿は空っぽ。
「プハーッ。師匠、さすが良い店知ってますねえ」
顔を上げるとそこに……とんがった耳……黒い髪の毛……ハーフエルフの娘がいた。
彼女は空にしたジョッキを、ドン、とテーブルに置いた。
彼女の前にはパン屑が落ちていた。
口唇の端には黄色い辛子がついていた。
肺が口から出そうになるくらい――まあ、肺なんかないんだけどさ――の走りっぷり。
塩漬けの腿肉が天井から何本もぶら下がっている店に飛び込んで、揺れている腿肉の間から通りをうかがった。
どうやらハーフエルフの娘からは逃げられたようだ。
ほっと胸を撫で下ろし、おれは店の奥のテーブルに腰を下ろした。
店主が近づいてきたので、何か頼まなきゃいけないな、と思ったが、意外と腹の減っていることに気づいた。
「厚切りの塩漬け肉とパン。辛子はたっぷりつけてくれ」
「飲み物はどうする?」
「おたくの店、エールはどこから買ってる?」
「フッサールのとこだよ」
「じゃあ、ジョッキでもらおう」
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店主はおれの風体を見て言った。
上半身はハダカ。ズボンは濡れている。手に持っているシャツはボロ雑巾のよう。
食い逃げしそうに見えても不思議はない。
おれはポケットに手を突っ込んだ。
指の間に五ギル貨幣を出現させる。
それをテーブルに、パチリ、と音を立てて置いた。
店主は貨幣をつまみ上げて店の奥へ行った。
シャツに袖を通すと、ぺたりと冷たく肌に張りついた。
気持ちわるっ。
おれは濡れた服を乾かすことにした。
今度はさっきのようなへまはしない。
適当な文句を呪文のようにゴニョゴニョ唱えてから、上から下まで新品の状態に戻した。
「おや、あんた、魔法使いには見えなかったな」
店主が愛想よく笑った。金さえ払えば大事なお客ってことだ。
店主が運んできた塩漬け肉は美味そうな桜色をしていた。
おれは、そいつに辛子をべったり塗って、パンに挟んだ。
一口齧りつく前から口いっぱいによだれがあふれる。
大口を開けてかぶりつく寸前だった。
そこへ通信――。
――どこにいるのよ?
毎度おなじみの管制だ。
頭の中に、ギンギン響く。
どうしていつもいつも、都合の悪いときにかぎって話しかけてきやがるんだろう?
「わかってんだろ」
――もちろん、わかってるわよ。でも、あんたはどうなの? それをあんたに確認してんじゃない。
「わかってるにきまってんだろ」
――じゃあ、わかっていて、七五八秒も水の中にいたということなのね?
「当然そういうことですよ」
と口では言いながら内心驚いていた。
七五八秒!
そりゃオークもびっくりだわ。
人魚かダゴンか半魚人でなければ許されないタイムである。
ちなみにこの世界、人魚とダゴンはいるが半魚人はいない。
おれを堀に放り込んだオークのことは、黙っていることにした。
騒ぎになっていたなんてことを話したら、底意地の悪い管制のことだからきっと上に報告するにきまってる。
しかも、ハーフエルフに「世界改変」しているところを見られたなんてことまでしゃべった日にゃ、始末書は絶対に避けられない。
この世界に派遣されてかれこれ三百年になる。
もう少し頑張れば本社に栄転できるってのに、へたを打って任期を延長されたりしたら泣くに泣けない。
――本当かしら? ま、いいわ。そんなくだらないことしゃべってる場合じゃないのよ。
くだらないことを言ってきたのはそっちだろ、と思ったが、ケンカになるので黙っていた。
この際、管制に逆らうなんてまねは死んでもすまい。
「何か問題があるのか?」
――そうなの。
管制の声は心なし不安げだった。楽天家の彼女らしくもない。
「大問題?」
――うーん……まだちがうけどね。もしかしたら、あんたもわたしもクビがとぶくらいの大ごとに発展するかも。
クビ? やめて。やめて。どうしてそんな怖いこと言うの?
おれはぞっとした。服がまた一気に濡れたような気がした。
「説明してくれ。問題ってなんだ?」
――オトランのダーゲンでオーパーツが見つかったのよ。現地の僧侶が「これは聖遺物にまちがいない」って教皇庁に申請してきたわ。
オーパーツ。
この世界に存在してはならないもの――のはずなんだけど、これが結構見つかるんだな。
それは世界創造時のバグだったり、異世界から何かしらの理由で紛れ込んだ物だったり。
いずれにしても、あっちゃいけないモンはあっちゃいけないモンだ。
そんな物が出てきたときには、おれのような管理人の出番ということになる。
とはいえ、オーパーツなんてたいていカン違いだし、本物でもすぐに手を打てばほとんど問題になることはない。
どうして今回、「クビがとぶ」なんて管制は怖いことを言うのかわからない。
「よくある話だろ。おれ、この世界でもう何件も処理したぜ。五〇年に一度は出てくるよな。だいたい、本物なのかよ?」
――教皇庁からは、いつものように審問官が現地に行って現物を見てんだけど、どうやら本当に教祖の聖遺物として認定しそうな気配。だから、あんたの目でそいつを確認してほしいわけ。現地人になんか、本当のことなんてわかるわけないんだからさ。
「本物だったらいつもどおり?」
――もし、本当にオーパーツなら管理マニュアル第三項第七則に従って回収、もしくは破壊してちょうだい。でも、今回はそれで終わりじゃない。
「終わりじゃない?」
――マニュアル第七項補足事項β。事故の原因を究明し、可及的速やかに対処すること。フェイズ4以降の対処方法については実施前に本部判断を仰ぐべし。OK?
「了解だけど……ずいぶんと大げさじゃん。いったい何が見つかったんだよ?」
――聞いて驚くんじゃないわよ。スマートフォン。
「へ?」
――スマホよ、スマホ。ス・マ・ホ!
スマートフォン。ご存知か?
科学依存文明の、シンギュラリティ直前の文明期に発明使用される通信機器である。
文明発展のレベルにおいては決して高いとは言えない段階の道具だが――
おれがいま担当しているこの世界は魔法依存系だから、歴史の初めから終わりまでいつどの段階でも、絶対に現れない類の代物だ。
まいったね。絶対に創世時バグなんかじゃない。
何が原因かわからないが、異世界から持ち込まれたのだ。
――しかもね、スマホを見つけた坊さんは、それで神の声を聴いたって言っているの。
「スマホで?」
――そう、スマホで。
「いったい誰と話したんだよ?」
――あたしが知るわけないじゃない。だから、あんたが行って調べるんでしょ。
ごもっともである。
ごもっともではあるが、おれは冷静に物事を判断できる状態ではなかった。
何百年ぶりのショック!
もしかしたら、この世界に着任して以来、最大のトラブルかもしれない。
首を掴まれて、頭をグワングワン揺さぶられているような感じだった。
「なあ、おれの前任者の忘れ物ってことはないかな?」
――あんた、そこに左遷されて何年目? 何百年も電池切れしないスマホなんて作ってる世界、どこにもないと思うわよ。
「え、おれ、左遷されてたのか?」
――あんた、自分が左遷されたことに三百年も気がついてなかったわけ? プッ、ウケるんですけどぉ。
「おれがいったい何したって言うんだよ?」
――んー、そうねー、いわゆるー、世間で言うところの、無能、っていうやつ? アレだと思うわ、あんた。
「カンベンしてくれよお!」
――むしろね、まわりがあんたにそう思ってたんじゃないかしらね。うんうん。だって、あたしなんか、いつもそう思ってるもん。あんたなんかの担当にされちゃってババ掴まされたわね、かわいそー、って他の子にも言われるし。
「誰、誰? 誰が言ってんの、それ?」
――そこは気にしない方がいいんじゃない? だって、聞いたらショック受けるでしょ?
「秘書課の誰かかな? ポリーヌちゃんとか? それとも、受付の子?」
――あー、その辺が気になるのかあ。うわー、そこかあ。そこなんだあ。こりゃ、マズいわー。
「えー、マズいのかよ? まいったなあ。すっかりやる気うせちゃったよ。オーパーツなんてもうどうでもいいわ」
――よくないわよ。言ってんでしょ、へたしたら二人ともクビだって。
そうだった。
スマホがきっかけでこの世界が滅亡するようなことになれば、絶対に解雇は免れない。
ここはしっかりしなければいけないところだ。
しかし、秘書課と受付ではおれは不人気らしい。
この悲しい事実に打ちのめされて、今一つやる気が起きない。
――でもねえ、ピンチはチャンスってよく言うでしょ? このピンチはさ、あんたにとっちゃ何百年に一度の大チャンスかもしれないわけ。
「ピンチはピンチだろ?」
――バカねえ。あんたがそこに派遣されてからどうだった? 何か本社に認められるような機会ってあった? これといって悪いこともなかったけど、これはスゴイってこともなかったでしょ?
「まあ、そうだねえ」
――つまり、ぜんぜん目立ってなかったわけ。本社からすれば、見えていなかったも同然。見えていない物は存在しないも同然。
「なるほど。そうかもなあ」
――そうかもなあ、じゃなくて、そうなのよ。あんたねえ、このままこれまでと同じようにボーッと過ごしていたら、一生そのちんけな世界から出られないからね。本社に戻ってくるなんて夢のまた夢なんだから。
「そうなの?」
――そうなの! でもね、想像してみて。あんたがこの世界滅亡の危機を事前に察知し、回避する。あたしがそれをパンパンに膨らまして上に報告する。どう? 上層部はどう思うかしらね? あいつもなかなかやるじゃないかってことになるんじゃない?
「おう、あいつもなかなかやるなあってなるなあ」
――あいつをあんな僻地に置いておくのはもったいない。本社に呼び戻そうってなるでしょう?
「うん、そりゃ呼び戻そうってなるよなあ」
――それだけじゃないんだからね。おエライさんの誰かが、何かの拍子にポロッと秘書に言うわけよ。知ってるかね、キミ、じつはあそこの世界がちょっと危なくてなあ。それをあの管理人が救ったんだ。ああ見えて、なかなかやるやつだよって。
「うんうん」
――たちまち秘書課じゃ大評判よ。あそこの管理人はやり手だ、切れ者だって。そうなったら、ポーちゃんはビッチ――ううん、軽い子、でもなくて、えーと、純粋な子だから、絶対にあんたを気にするよ。
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「うわー、マインちゃんも来ますか、マインちゃんも?」
――うん、断言するね。ぜーったい来るよ。
「マインちゃんも来る? 断言しちゃう? 困ったなあ。こりゃ、困った。ポリーヌちゃんとマインちゃん、両方来ちゃう? いやー、困った。3Pですか? うわー、3Pかー!」
――いや、3Pとは言ってないから。
「あ、3Pはダメ? 倫理的に? そういうことなら、二股でいいや。二股交際ね」
――二股でも三股でも好きにすればいいわ。でも、それもこれも全部、このオーパーツの件を解決したらの話なんだからね。わかってる?
「わかってる、わかってる。何か、おれ、俄然やる気が出てきたわー。燃えてきたなー!」
――じゃあ、その調子で、さっそく現地に旅立ってちょうだい。
「よっしゃ、わかった! じゃあ、オトランのダーゲンへ、おれを瞬間移動してくれ」
――ダメ。
「へっ?」
――それはダメよ。
「何で? 緊急時特殊移動の申請をしてるんだけど」
――だから、まだオーパーツが出てきたってだけだもの。本当にオーパーツかどうかもわからないんだし。これじゃまだ、緊急時特殊移動の「緊急時」に当たらないのね。だから、管理マニュアル第二項第一則、管理人の通常時の行動は、当該世界設定に従うべし、よ。移動は通常の方法でお願いね。
「通常の方法って……?」
――わかってるくせに。
そう。わかっている。この世界の交通手段は徒歩か、馬だ。
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しかし、おれには本社への栄転とポーちゃん・マインちゃんとの二股交際という未来が待っているのだ。
この程度の障害にくじけるようでは明るい未来は手に入らない。
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皿は空っぽ。
「プハーッ。師匠、さすが良い店知ってますねえ」
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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