鉛色の飽満ー人外転生の大罪ー

煮卵

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抑鬱の大罪

飽満と転生

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 銀色の重いドアを開くと、鉛色の空と疎らな光の無いビル。色の無い住宅街の海が屋上の塀の向こうに見えた。
 そこには緑のフェンスが良く映え、雨風は不規則で無機質な音楽を奏でている。
 今の僕にとって職員室の鍵が開いていたのは僥倖でしか無かった。

「お前は本当に頭の悪いデブだなぁ!」

 振るわれる痛み。
 否定しきれない、事実。
 しかし僕は笑顔だった。
 心は既に疲れ果て、何も無い空でも、普通でありたかったのだ。
 だから笑顔だった。
 どんなに苦々しくても、それは笑顔だったのだ。
 しかし今はそんな事も出来ない。
 口を開けば絶望が、悲しみが溢れ出るのだ。
 これは僕には止めようがない。

「数学なんて0から9までしか無いんだぞ!!何故お前は数学も出来ない!!」

 机を殴る父。
 僕は結局の所虚しく、救いを求めていた。
 必要の無い、需要のない、不快になるだけのマイナス。
 僕の存在価値、存在意義、そんな物などない。
 初めから要らなかったのだ、こんなものなど。
 しかし心は裏腹に涙を流していた。

「母さん、ごめん」

 母は勇敢で、優しかった。
 その大きな心は受け止めてくれた。
 そんな人を裏切る事になるのだ。
 それはどんなに残酷で、重大な裏切りでも、僕はもう壊れてしまった。
 これ以外に考えられる事もない。

「ごめんね」

 叩きつける雨と、無意味な涙はいよいよ強く。
 声と足は震え、体は冷え切っていた。
 しかし僕は全ての終焉に、救いに、収束に既に足を掛けていた。

「ごめん

 その声は、雨音の中に消えていった。

 ◇

 気付くと、暗い場所にいた。
 瞼が閉じているのか空いているかも分からず、ただ暗い。
 死ななかった絶望や虚しさが押し寄せて来たが、この奇怪な暗い場所ではそれしか無かった。
 動きたくない。
 最早何をするつもりも無く、ずっと佇んでいた。

 どのくらい経ったか、何も考える事もなく、自分の境界線を呆然と探していた。
 人の原型を留めているかも分からず、何も感じる事も出来なかった。
 死んでいるのかも、とも思ったが、この暗闇で考え続ける事が出来る時点でそれは無いとも思う。
 兎に角現世と離れたここは、心地が良い。

 ゆるゆると時間も分からなくなってきたころ。
 ずるり。
 体が動いた。
 何か液体状の様で、動き辛いというか殆ど動けない。
 が、今までよりかは刺激が多く、動ける事にのろのろと動き始めた。
 下はゴツゴツとしてして、岩の様。
 温度などは感じられないが、十分だ。

 ずるずると這い回り、始めに比べればスムーズに動ける様になってきた。

 そんな自分の中では欲求が全てを支配していた。
 つまり、お腹が空いたのだ。
 よく考えれば普通の事かも知れない。
 動かなければエネルギーは減らないのだ。
 これは……動き回ったせい。
 だけどお腹が減って、お腹が減って、自分の事を考えるどころでは無かった。
 自分がどれだけ最低で、救えない奴だとか、その分際で他者を食べるのはどうだとか、そんな話じゃ無いのだ。
 とにかくこの欲望は止まる事が無く、地獄の様に蝕んでいく。
 どんどんどんどん、考えることは一つになっていった。
 食べる食べる食べる。
 それだけだった。

 そのうち考える事も覚束ない。
 なにもうまく考えられない。
 僕は、ぼくはボクはボクハ……
 おなかがへった、へった、へった、くるしいくるしいくるしいくるしいくるくるくるるーー

 そうなっても、ずるずると遅い歩みが止まることは無かった。
 止まったら、この地獄の中で苦しんで死ぬ。
 そんな絶対的な確信があった。

 もはや人かどうか怪しくなって来た時。
 目の前で何かが動いた。
 その時の体はのろのろと遅く、死にそうなのが自分でも分かっていた。
 が、その刺激にすかさず飛びつきそれを取り込むのに夢中になる。
 おいしい、満たされる。満たされる。
 それは死の直前の閃光の様に。
 生きている実感と喜びが波になって体を包み込んだ。
 その快感は取り込めば取り込むほどに強くなり、そしてあっという間に終わる。
 満ち足りた満足感と、様々なものを獲得していた。

 先ず、光が見える様になった。
 どうやら蛇になったらしい。
 暗闇の中でもてらてらと光って、緑色の細長い体は洞窟に浮き上がっていた。
 そしてここは地下で、岩肌の洞窟の中らしい。
 黒曜石の様な周りは音を吸収するかの様に静かだった。

 体を動かすと様々な触感が刺激する。
 もはやあの、のろのろと動きが伝わらない様なもどかしさは無い。
 それが嬉しくてしょうがなかった。
 これで次の物が食べれる。
 もっと色々な物が手に入る。
 そんな妄信的な衝動が、体を突き動かしていた。

 洞窟は尋常じゃ無く長かった。
 行っても行っても、分かれ道と合流を繰り返しているのだ。
 もはや自分がどこにいるかも忘れそうになる。
 洞窟の太さはまちまちで、広い所では自分より強者の存在がひしひしと伝わり尻尾を巻いて逃げた。
 実際は尻尾を巻くと逃げれないけど……感覚としてはそんな感じだ。
 ちなみに途中のネズミっぽい小動物は遠慮なく頂いた。
 その時に分かったが、どうやら自分は食べた相手になれるらしい。
 食べ終わると、体は理解不能な変化をして小動物になっていたのだ。
 すぐに蛇に戻ろうと体をよじると、不可解な変化でまた元に戻ったが。
 兎に角、変化の途中は自分では分からないが様々なものになれる。
 次からその小動物を食べても変化は無かった。
 多分、無理矢理なのは最初だけなんだ。

 大分上がって来たが、上に行けば行くほど分かれ道を間違えた時の重圧というか殺気が上がっている気がする。
 これは最初の方の分岐でこの蛇より強い奴に挑んで、乗り換え無いとまずいかも知れない。
 ひょっこり出会って、即死なんか十分あり得る。
 逃げ帰る事が多くなり、最近ではろくに餌も取れない。
 とりあえず、終わりの無いと思える洞窟を空腹に死に体で最初の方まで引き返したのだった。

 引き返して来たが、やはり餌の量はある。
 外に出ない上、小動物を食べて一生を終えるなら困らないだろう。
 それは嫌なので、仕方なく大きな洞窟を進んでいた。
 四方八方から殺気が飛んでくる様で、普段より2倍以上広いこの横穴は隅をのろのろと進んでいても藪蛇なんじゃ無いかと冷や汗だ。
 蛇は冷や汗なんかでないけども。
 というか蛇は自分だけど。
 しかし、この重圧に負けてはいられない。
 上でひょっこり小動物以外に会おうものなら自分は……多分ただの餌だ。
 とにかく自分より少し強いくらいの獲物を探さなければ。
 よく考えれば、もしや洞窟ではかなり小さい方なのかも知れない。
 そうすると、この重圧にも頷ける。
 これが本来の道だとしたら、ひび割れの様な細い抜け道を自分は普段通っていたのだろう。
 それなら自分より遥かに大きい肉食獣がひしめき合っていてもおかしくない。
 多分食物連鎖の下の方なんだ。
 でも……こんな暗闇でずっとぐだぐだしていても始まらない。
 外に出たいし。
 食べるか、食べられるかだ。
 覚悟を決めよう。

 そんな事を考えながら進んでいると、重圧が急激に強くなっていくのを感じた。
 明らかにこの重圧の主が近づいている。
 こちらがやらないとやられる。
 分かっていても、歯向かったら一瞬で散るのが分かっていた。
 残念な事にその邂逅はもうすぐで、壁に引っ付いて震える事ぐらいしか出来ない。
 ここまでの差があるとは思って無かった。
 思えば、通路全体に満ちた殺気があるのに全く襲われなかったのは全てこの主がいるからか。
 そんな事も思いつかなかった。

 そんな無駄な後悔をしていると、目の前には大きな白い狼が三匹現れた。
 暗闇でもよく効くこの目が恨めしいと思ったのはこれが初めてだ。
 その三匹は流線が走る様に毛並みが黒になっていて、額には禍々しい角があった。
 見た目がまず明らかに強く重圧が酷かった。
 もうピクリとも動く事が出来ず、目を見開いて伸びきったまま通り過ぎるのを待っていた。
 が、急に近くで鼻をすんすんとやり始めた。
 自分の事じゃあないよな……必死にそう願う。
 1匹がこっちを向いた……
 すると、2匹もつられる様にこちらを向いた。
 嘘だろ。
 いやだ、辞めてくれ。
 そんな……ここまで来て……
 その殺気に震えながら三匹を願う様に見ていた。
 しかしだんだんと三匹は近づいてくる。
 僕は……このまま死ぬのか……
 いやだ、こんな死に方……

 そんな願いが通じたのか、急にピタリとその圧迫の歩行は止まった。
 もうかなり近くに三匹は居る。
 又鼻をすんすんとやり、1匹が察した様にバウ!と一声吠えると唐突に踵を返した。
 が、その狼が二度と動く事は無かった。
 どしゃ。と、振り返りざま崩れ落ちる体。
 首が無かった。
 そこからドクドクと流れる血を見て、いよいよ心臓はうるさく鳴り始める。
 更に強い奴が来たのか……?

 そこには、真黒の熊が居た。
 いつ出現したかも全く分からず、影の様に。気付いたらそこに居た。
 いや、初めから隠す気などは無いのか。
 重圧すら感じる事は出来ない。
 これが真の強者。というやつなのだろう。
 自分は事の顛末を見守る事しか出来ない。

 バウ!バウ!と一声ずつ吠えると左右から雷神の如く発光して恐ろしい加速を見せる狼。
 なるほど、これが本来の彼らの戦いなのか。
 自分のあれはただの餌の捕食……
 あんなのをやられたら多分チリも残らない。
 対する熊は両腕を一振りしただけだった。
 位置が入れ替わっていて、熊が目の前だ。
 後ろで狼達が壁に激突した様な音がする。
 この分だと彼らの首は無いだろう。

 一瞬、熊と視線が絡んだ。
 その瞬間に死を思ったが、熊は興味が無かったのかそのままのっそのっそと吹っ飛んだ狼の方へ行ってしまった。

 内心、生きている事に安堵しすぐに逃げ帰ろうと思っていた。
 命のやり取りはお腹いっぱいだったし、熊が怖すぎるし。
 が、やはり目の前の狼がとても魅力的に見える。
 狼の食物連鎖の立ち位置は分からないが、食べれば上がるに決まってる。
 少なくとも今よりかは光明が見えるぞ……
 そんな希望を胸に、よだれを口に、急ぎ近くの狼に寄った。
 きょろきょろと自分以外に漁夫の利は居ないか。
 左右を確認して、そのまま倒れた狼にかぶりついた。

 蛇の舌だからか、味はよく分からなかったが普通に美味しかった。
 生肉の美味しさとでも言おうか。
 もしくは死の元凶みたいなやつが近くに居ながら焦って食事したせいかも知れないが。
 とにかく、皮と骨を残して2、3日分の食料をいただくと変化が始まってしまう前にのそのそと元の小道まで戻り始めた。

 熊は追っては来なかった。
 どちらかといえば、変化しないように精神力で抑えつつ来た道を引き返すのが大変だった。
 お腹が重すぎるのだ。
 また違う狼が来るのでは、という恐怖があると然程進まなかった筈なのに帰りは半日も掛かった気がする。
 本当に全くといっていいほど体が上手く進まなかったのだ。
 他の奴に食べられたくは無いので意地でも進んだが。

 やっとの思いで殺気の無い小道まで戻ると、強烈な眠気と共に変化の予兆がした。
 ここで眠ったら不味い。
 そんな不安があったが、ふらふらと倒れてしまった。
 その後は覚えていない。

 起きると、ぐっすりと眠った心地良い寝惚けに空転する頭を引きずってとぐろを解いた。
 なんだか道が狭くなった気がする。
 いつもの高さまで首を擡げるもたげると、思いっきり頭をぶつけた。

「ぐぎゅぅ……」

 衝撃に、変な声が出た後に空転して居た頭が段々と回って来る。
 痛む頭を振ると、どうやら角が額に生えている様だ。
 まだ白く柔そうで、特に意味がある様にも見えない。
 見ると、体もまだ真っ白で、あの緑の鱗は何処にも見当たらない。
 代わりに薄っすらと黒の線が入っていた。
 後ろを見やると何枚もの緑の薄皮が残っている。
 どうやら寝ている間に脱皮したらしい。
 器用な事をするものだ。

 というか、今は本当にこの通路が窮屈に感じる。
 体の太さが小道の半分にもなってしまい、とぐろ巻いたら通路を埋め尽くす。
 多分小動物を今見ても小さ過ぎて捕まえられないだろう。
 これじゃあUターンは出来るが、それ以上の細かな動きはこの通路では無理だ。
 ……でも大通路に出るのは怖いしな……

 まぁ、鱗が固まるまで待って見よう。
 とりあえずとぐろを巻き直して、更に熟睡したのだった。
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