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7 深夜の弔い
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狂乱のステージが終わり、ゴウタたちとの別れを経て、寮に戻った頃には日付が変わっていた。
血管を駆け巡っていたアドレナリンが引いていく。
あとに残ったのは、泥のような疲労と、耳の奥にこびりついた歓声の残響だけだ。
俺は眠れず、一人でベランダに出た。
夜風が、汗ばんだ首筋を冷やしていく。
空には、皮肉なほど綺麗な満月が浮かんでいた。
(……死んだんだな、俺)
ふと、そんな当たり前の事実が、遅れてやってきた。
脳裏をよぎるのは、あの雨の夜。
対向車線のトラック。
視界を白く染め上げたヘッドライト。
そして、ドンッという衝撃。
あれは夢じゃない。
俺、田中洸希、三十歳。独身。職業、システム会社のプロジェクトマネージャー補佐。
あの瞬間、俺の人生は唐突に納期を迎えたのだ。
「……あ、プレゼンの資料」
口をついて出たのは、あまりに社畜染みた未練だった。
作りかけのパワーポイント。保存はしただろうか。
俺が無断欠勤したことになって、部長は怒っているだろうか。いや、事故死だと知れば、少しは憐れんでくれるだろうか。
後任の佐藤は、あの炎上案件を捌けるだろうか。
「ははっ。バカみたいだ」
死んでまで会社の心配かよ。
俺は手すりを強く握りしめた。
視界が滲む。
母さん、父さん。ごめん。あんなに心配してくれてたのに。
「体に気をつけろよ」「無理するなよ」って電話くれるたびに、「うるせえな、忙しいんだよ」って素っ気なく切ってごめん。
孫の顔も見せてやれないまま、過労死予備軍から交通事故死なんて、親不孝にも程があるよな。
月を見上げると、涙が一筋こぼれた。
ガラス窓に映る俺の顔――いや、西園寺ルキの顔は、泣き顔さえも絵画のように美しかった。
その美しさが、俺には残酷だった。
田中洸希という男が生きた証はもうどこにもなくて、この作り物めいた美貌だけが、今の俺の全てなのだ。
「さよなら、田中洸希」
俺は夜空に向かって、小さく呟いた。
未練は捨てろ。
俺はもう西園寺ルキとして、この世界に出勤してしまったのだから。
グゥゥゥ……。
その時、腹の虫が盛大に鳴いた。
感傷に浸る隙も与えない、生存本能の主張。
俺は涙を拭い、苦笑した。
腹が減ってはアイドルはできぬ、か。
***
深夜二時の共用食堂。
誰もいないと思っていたそこには、先客がいた。
「んぐ、んぐ、……ふぁ、おいひい」
部屋の隅で、小動物のように背中を丸めてBIGサイズのカップ麺をすすっているのは、湊ハルカだ。
ステージでの憑き物が落ちたのか、パーカーのフードを外し、リスのように頬を膨らませている。
その前にはすでに、おにぎりの包装紙がふたつ散らばっていた。
「食うねえ、ハルカくん」
「うぇっ?! げほっ、げほっ!」
声をかけると、ハルカは麺を喉に詰まらせて振り返った。
俺を見て、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「あ、ルキくん。た、食べすぎだよね、こんな時間に」
「いいよ。あれだけ声出したんだ、カロリー消費も凄まじいだろうさ」
俺が隣の椅子に座ると、ハルカは少しとまどって、へにゃりと笑った。
「僕、歌うの、楽しかった。キラキラなステージの上で、ルキくんが後ろにいてくれて、孔明くんが前を走ってくれて。怖かったけど、一人じゃなかったから」
その笑顔は、ステージで見せた悲痛な表情とは真逆で優しいオーラをまとっている。
年相応の、少年。まだ、人生経験もすくない若人なのだ。
守ってやりたい。
無条件にそう思わせる魅力が、彼にはあった。
「おい、これ以上餌付けすんなよ」
不機嫌そうな声がして、冷蔵庫の影から竹ノ内孔明が現れた。
手にはタッパー。中身は茹でたササミとブロッコリーだ。
深夜にカップ麺を貪るハルカとは対照的に、この男は徹底してストイックだ。
「孔明、まだ起きてたのか」
「寝れるかよ、あんなステージのあとに」
孔明は俺の前の席にドカッと座り、モサモサと味のないササミを咀嚼し始めた。
相変わらずの仏頂面。
だが、その目は以前のような刺々しさは消え、どこか穏やかだった。
「西園寺」
「ん?」
「これ、やる」
孔明がポケットから何かを取り出し、テーブルの上を滑らせてきた。
コンビニの高級プリンだ。金色の蓋の、一番高いやつ。
「え、いいのか? これ、お前の自分へのご褒美用なんじゃ」
「うるせえ。いらないなら返せ」
「いる!」
「フン」
孔明はそっぽを向いた。耳が少し赤い。
「お前、さっき裏でフラついてただろ。糖分足りてねえんだよ。お前が倒れたら迷惑だからな」
「お、おぉ、ありがとな」
なんだよ、それ。
孔明の奴、教科書に載せたいくらいのツンデレだ。
俺は思わず吹き出した。笑い声に反応した孔明が、俺に睨みを利かせている。
俺はプリンを開け、プラスチックのスプーンですくった。
甘い。
濃厚なカスタードの甘さが、疲労した脳に染み渡っていく。
それは、かつて深夜残業の帰りにコンビニで買って食べた、あの味に似ていた。
「おいしいですか?」
ハルカが羨ましそうに見ている。
「一口、いる?」
「い、いいの?! あーん!」
ハルカが口を開ける。俺がスプーンを差し出すと、孔明が横からササミをハルカの口にねじ込んだ。
「んぐっ!?」
「タンパク質を摂れ。背が伸びねえぞ、チビ」
「え、ひどいよ、孔明くぅん! パサパサするぅ!」
騒ぐハルカ。呆れる孔明。笑う俺。
深夜の食堂に、穏やかな時間が流れる。
Fクラスという名の泥舟は沈んでしまったけれど、ここには確かにプロジェクトチームがある。
(悪くないな)
俺は知っている。この安らぎが、束の間のものだということを。
明日になれば、また新しい競争が始まる。もしかしたら、バラバラになるかもしれない。
だからこそ、今夜だけは。
「よし、乾杯するか」
俺は空になったプリンの容器を掲げた。
孔明はブロッコリーを、ハルカはカップ麺の容器を持ち上げる。
「生き残りに」
「デビューのために」
「……この、人生に」
バサン。もっさりした乾杯音が食堂に響いた。
「次はもっと上へ行くぞ。Aクラスなんざ、踏み台にしてやる」
「うん! 僕、もっと歌いたい!」
「俺も、みんなをまとめてやるよ」
俺たちは笑い合った。
窓の外が白み始めている。夜が明ける。
新しい一日が、新しい人生が、また始まるのだ。
血管を駆け巡っていたアドレナリンが引いていく。
あとに残ったのは、泥のような疲労と、耳の奥にこびりついた歓声の残響だけだ。
俺は眠れず、一人でベランダに出た。
夜風が、汗ばんだ首筋を冷やしていく。
空には、皮肉なほど綺麗な満月が浮かんでいた。
(……死んだんだな、俺)
ふと、そんな当たり前の事実が、遅れてやってきた。
脳裏をよぎるのは、あの雨の夜。
対向車線のトラック。
視界を白く染め上げたヘッドライト。
そして、ドンッという衝撃。
あれは夢じゃない。
俺、田中洸希、三十歳。独身。職業、システム会社のプロジェクトマネージャー補佐。
あの瞬間、俺の人生は唐突に納期を迎えたのだ。
「……あ、プレゼンの資料」
口をついて出たのは、あまりに社畜染みた未練だった。
作りかけのパワーポイント。保存はしただろうか。
俺が無断欠勤したことになって、部長は怒っているだろうか。いや、事故死だと知れば、少しは憐れんでくれるだろうか。
後任の佐藤は、あの炎上案件を捌けるだろうか。
「ははっ。バカみたいだ」
死んでまで会社の心配かよ。
俺は手すりを強く握りしめた。
視界が滲む。
母さん、父さん。ごめん。あんなに心配してくれてたのに。
「体に気をつけろよ」「無理するなよ」って電話くれるたびに、「うるせえな、忙しいんだよ」って素っ気なく切ってごめん。
孫の顔も見せてやれないまま、過労死予備軍から交通事故死なんて、親不孝にも程があるよな。
月を見上げると、涙が一筋こぼれた。
ガラス窓に映る俺の顔――いや、西園寺ルキの顔は、泣き顔さえも絵画のように美しかった。
その美しさが、俺には残酷だった。
田中洸希という男が生きた証はもうどこにもなくて、この作り物めいた美貌だけが、今の俺の全てなのだ。
「さよなら、田中洸希」
俺は夜空に向かって、小さく呟いた。
未練は捨てろ。
俺はもう西園寺ルキとして、この世界に出勤してしまったのだから。
グゥゥゥ……。
その時、腹の虫が盛大に鳴いた。
感傷に浸る隙も与えない、生存本能の主張。
俺は涙を拭い、苦笑した。
腹が減ってはアイドルはできぬ、か。
***
深夜二時の共用食堂。
誰もいないと思っていたそこには、先客がいた。
「んぐ、んぐ、……ふぁ、おいひい」
部屋の隅で、小動物のように背中を丸めてBIGサイズのカップ麺をすすっているのは、湊ハルカだ。
ステージでの憑き物が落ちたのか、パーカーのフードを外し、リスのように頬を膨らませている。
その前にはすでに、おにぎりの包装紙がふたつ散らばっていた。
「食うねえ、ハルカくん」
「うぇっ?! げほっ、げほっ!」
声をかけると、ハルカは麺を喉に詰まらせて振り返った。
俺を見て、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「あ、ルキくん。た、食べすぎだよね、こんな時間に」
「いいよ。あれだけ声出したんだ、カロリー消費も凄まじいだろうさ」
俺が隣の椅子に座ると、ハルカは少しとまどって、へにゃりと笑った。
「僕、歌うの、楽しかった。キラキラなステージの上で、ルキくんが後ろにいてくれて、孔明くんが前を走ってくれて。怖かったけど、一人じゃなかったから」
その笑顔は、ステージで見せた悲痛な表情とは真逆で優しいオーラをまとっている。
年相応の、少年。まだ、人生経験もすくない若人なのだ。
守ってやりたい。
無条件にそう思わせる魅力が、彼にはあった。
「おい、これ以上餌付けすんなよ」
不機嫌そうな声がして、冷蔵庫の影から竹ノ内孔明が現れた。
手にはタッパー。中身は茹でたササミとブロッコリーだ。
深夜にカップ麺を貪るハルカとは対照的に、この男は徹底してストイックだ。
「孔明、まだ起きてたのか」
「寝れるかよ、あんなステージのあとに」
孔明は俺の前の席にドカッと座り、モサモサと味のないササミを咀嚼し始めた。
相変わらずの仏頂面。
だが、その目は以前のような刺々しさは消え、どこか穏やかだった。
「西園寺」
「ん?」
「これ、やる」
孔明がポケットから何かを取り出し、テーブルの上を滑らせてきた。
コンビニの高級プリンだ。金色の蓋の、一番高いやつ。
「え、いいのか? これ、お前の自分へのご褒美用なんじゃ」
「うるせえ。いらないなら返せ」
「いる!」
「フン」
孔明はそっぽを向いた。耳が少し赤い。
「お前、さっき裏でフラついてただろ。糖分足りてねえんだよ。お前が倒れたら迷惑だからな」
「お、おぉ、ありがとな」
なんだよ、それ。
孔明の奴、教科書に載せたいくらいのツンデレだ。
俺は思わず吹き出した。笑い声に反応した孔明が、俺に睨みを利かせている。
俺はプリンを開け、プラスチックのスプーンですくった。
甘い。
濃厚なカスタードの甘さが、疲労した脳に染み渡っていく。
それは、かつて深夜残業の帰りにコンビニで買って食べた、あの味に似ていた。
「おいしいですか?」
ハルカが羨ましそうに見ている。
「一口、いる?」
「い、いいの?! あーん!」
ハルカが口を開ける。俺がスプーンを差し出すと、孔明が横からササミをハルカの口にねじ込んだ。
「んぐっ!?」
「タンパク質を摂れ。背が伸びねえぞ、チビ」
「え、ひどいよ、孔明くぅん! パサパサするぅ!」
騒ぐハルカ。呆れる孔明。笑う俺。
深夜の食堂に、穏やかな時間が流れる。
Fクラスという名の泥舟は沈んでしまったけれど、ここには確かにプロジェクトチームがある。
(悪くないな)
俺は知っている。この安らぎが、束の間のものだということを。
明日になれば、また新しい競争が始まる。もしかしたら、バラバラになるかもしれない。
だからこそ、今夜だけは。
「よし、乾杯するか」
俺は空になったプリンの容器を掲げた。
孔明はブロッコリーを、ハルカはカップ麺の容器を持ち上げる。
「生き残りに」
「デビューのために」
「……この、人生に」
バサン。もっさりした乾杯音が食堂に響いた。
「次はもっと上へ行くぞ。Aクラスなんざ、踏み台にしてやる」
「うん! 僕、もっと歌いたい!」
「俺も、みんなをまとめてやるよ」
俺たちは笑い合った。
窓の外が白み始めている。夜が明ける。
新しい一日が、新しい人生が、また始まるのだ。
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