二人の果て

瀬楽英津子

文字の大きさ
2 / 6

二人果て〜残夢

しおりを挟む
 「真樹はいつから男が好きなんだ?」

 「んだよ、いきなり」

 「あ、いや……。別に深い意味は無いから。答えたくないなら……」

 「十七……」

 「え……」

 「好きとかではないけど、初めて男とやったのは十七の時。それまでは普通に女と付き合ってた。……意外だろ?」

 「そんなことは……」

 「嘘つけ。男に突っ込まれてヒィヒィ言ってるくせに女抱いてたとか有り得ねー、って顔に書いてあんぞ」

  真樹の白く細長い指が、枕元で頬杖をついて見下ろす祐介の顎をチョンと突く。  
  怒るとスッと細くなる目に伏せられた長い睫毛。斜め上から覗き見る真樹の目は、正面から見るよりも睫毛が濃く長く、輝きの強い瞳をより蠱惑的に輝かせている。
  女を抱くのが有り得ないとは言わないが、自分の腕の中で熱い吐息を漏らしながら身悶える真樹が、女を抱く姿を想像できないのは事実だった。
  抱くよりも、抱かれている方がしっくりくる。何より、抱かれている時の真樹は格別に美しい。美しいという事は、それが正しい姿なのだと祐介は思った。

 「でもまぁ素質はあったのかな。無理矢理だったのに、最後は気持ちよくなってたから……」

 「無理矢理?」

 「ああ。大の男に三人掛りで押さえつけられてズブリ、だよ。後ろから羽交締めにされて、両側から脚を持ち上げられて……」

  遠い景色をあてどなく眺めるように、真樹は、ぼんやりとした瞳で天井を仰ぎ見た。
 
 「うちの制服、ブレザーだったんだけどさ。今で言う〝着エロ〟ってやつ? ズボンだけ脱がされて上はそのままで……思い切り股を開かされたところにいきなり上からガバッと……」

 「レイプ……だったのか?」

 「最初はな。でも、そいつがすっげぇ上手かったんだ。身体押さえ付けられて、普通は、ズドンと乱暴にくると思うだろ? それが、めちゃめちゃ優しくてさぁ。ちゃんとローション使って中ぐちょぐちょに拡げてくれて……。俺が、『初めてなんだ…』って言ったら、『優しくするから』って言ってくれて……。ベストの裾に手を掛けて、こう、ペロンとめくって……俺の乳首を……舌で…」

 「やけに具体的に覚えてるんだな」

 「そりゃ覚えてるさ。めちゃめちゃ良かったんだから。乳首の舐め方がこれまたエロくてさ。乳首の先端? 表面? そこを、舌の先で激しく弾いたり、かとおもえば、触るか触らないか、ってぐらいじれったくなぞるんだ。……あと、アソコもな、さっさと入れればいいのにやたらしつこくて、指をこう、ねちねちねちねち……」

 「本当か、それ」

 「本当さぁ。お陰でこちとら変な声は出るわ、ちんこからカウパーだらだら垂れるわで大変だったんだ。頭おかしくなりそうで、『助けて下さい』って言ったら、『自分でケツの穴開いておねだりしろ』って言われてさ。俺、自分のケツに手ぇ回して開いて腰振っちゃったよ。したら、ようやくガツンと入って来て……」

 「話、盛ってるだろ……」

 「ひでぇな。俺が作り話してる、っていうのか?」

 「違うのか?」

  真樹は、

 「まぁ、実は少しだけな……」

  一瞬、不貞腐れたように目を伏せ、しかし直ぐに、悪巧みのある誘うような目付きで祐介を見上げた。

 「でも興奮したろ?」

  渇いた唇を舌先で湿らせ、うっすらと開いた歯の隙間から舌を覗かせて笑う。挑発的とも取れる真樹の態度は、祐介をその気にさせるには十分だった。

 「なぁ、正直言えよ。俺が犯られてるとこ想像して興奮したんだろ?」
  
 「こいつ……」

  吸い込まれるように、祐介は、真樹の瞳を見詰めながら頬を両手で包み、口角をキュッと結んだ生意気そうな唇を、唇で塞いだ。

 「ほら、やっぱり興奮してる……」

 「誰のせいだ……」

  唇に唇を這わせ、上唇を舐めて甘噛みし、下唇を唇で挟んで吸い上げた。合わせ目の内側の赤い部分をなぞり、真樹の口が緩むのと同時に、前歯をこじ開けて舌を差し入れる。口の中を探るように舐め回すと、真樹の舌が温かい湿った息とともにそれに応え、首に両腕を巻き付け、ねだるように顔を引き寄せた。

 「せっかく想像させてやったんだから、想像通りにやってくれよ……」

 「言われなくてもそうするさ」

  前髪を分け、おでこ、瞼と順番に啄ばむようにキスし、左の耳の下のホクロの周りを舐めながら、首筋を下って胸元に下を這わせて行く。
  舌の先を尖らせ、乳首の先端を激しく弾いた後、表面の、触るか触らないかのところを鳥の羽で撫でるように繊細に舐めた。

 「ちょっ……待って……」

 「なんで? こうされたいんだろ?」

 「……そ……だけど……お前、学習能力高すぎ……」

  乳首の表面を舐め回して口に含み、軽く歯を立てながら強く吸い上げる。ぷっくりと成熟した乳輪を舌の先で丸くなぞり、硬くなった乳首を咥えながら、胸元に埋めた顔を上げて上目使いで真樹を見た。

 「まさか、ここだけでイキそうになってる?」

 「お前は馬鹿か!」

  チュッ、と、わざと音を立てて乳首を離し、胸の中心からみぞおちへと唇を移動させ、おへその周りの薄い皮膚を噛んだ。穴の中をほじくるように舌でまさぐると、真樹が、「ひゃっ」と悲鳴を漏らして祐介の髪を掴む。
  指先を丸めてふんわりと掴むあたり、本気で嫌がっていない様子が伺える。既に一度絶頂を迎えているせいだろう。ほんの少し触れただけで皮膚の表面がビクビクと波を打ち鳥肌を立てる。おへそから下腹へ顔を移動させると、祐介の顎の先に勃ち上がり始めたペニスの先が当たった。

 「可愛い……」

 「どこ見て言ってんだ。喧嘩売ってんのか」

  先端の溝に息を吹きかけ、そこからわざと陰茎を避けて脚の付け根に唇を這わす。太ももを持ち上げて膝を立て、鼠径部や、陰嚢と後孔の間のつるんとした部分を執拗に舐め、ペニスに近づくふりをして、また太ももへ外れる。真樹のペニスが目と鼻の先で硬く起立していたが、それを敢えて無視してわざとギリギリのところを舐めしゃぶった。
 
 「てめ……。じらしてないで早くしろよ」

 「なんでさ。じらされるの好きなんだろ?」
  
  繰り返される〝おあずけ〟に、真樹の、祐介の髪を掴む手に力が篭る。
  その手が頭から離れ下腹部にズレたのを見逃さず、ペニスを握る前に掴み上げた。

 「なにすんだよ!」

 「そっちこそ、なに、勝手に自分で扱こうとしてんの……」

 「お前がじらすからだろ!」

  真樹の両手を掴み、指の間に指を絡めて腰の横で押さえ付け、抵抗できないようにして再びペニスの周りを執拗に舐め回す。時折り気紛れに鼻先で触れたり息を吹きかけたりを繰り返すと、その度、真樹が泣き出しそうに眉を顰め、ねだるように腰を浮かせる。
  卑猥な動きに欲望を刺激され、祐介の中の加虐思考がチラリと顔を覗かせた。

 「真樹さん、触ってないのにビンビンじゃん……」

 「るっせー、こんなん……いっそ触ってくれたほうが……」

 「ねちねちされるの、好きなんでしょ?」

 「誰が……。……も……いいから、さっさと触れよ!」

 「触るだけ?」

 「いいから、つべこべ言ってねぇで早くやれ!」

  極限まで追い詰めてやりたい衝動を堪え、真樹の真っ直ぐに起立したペニスを口に含み、唇がお腹につくほど深く飲み込んだ。
  祐介の口の中で真樹のペニスが更にググッと勃ち上がる。
  真樹の快楽にどこまでも貪欲で従順な反応を見ていると、素質があったのかも、という言葉もあながち嘘ではないと思えてくる。
  真樹本人がどこまで自覚しているかは不明だが、真樹の反応には、綺麗だとか色っぽいだとかだけでは済まされない何かがある。自分が快楽を貪るだけでなく、声や表情や吐き出す息で抱いている男をも取り込み魅了する。男の本能をくすぐり欲望を刺激する真樹の反応は、素質と言うよりもはや魔力に近かった。

  祐介は、誘うようにびくんびくんと脈を打つペニスを喉元まで咥え込み、舌を絡ませながら激しく顔を上下に動かした。
  先端から溢れる汁が唾液と混ざり唇の端から滴り落ちる。
  真樹が果てるのも時間の問題だ。
  わざと音を立てて舐め啜りながら、祐介は、目の縁を赤らめ下唇を噛んで眉を顰める真樹を上目使いに盗み見た。
  
  
  

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  翌朝、微かに聞こえるシャワーの音に祐介はぼんやりと目を覚ました。
  上体を起こし、半信半疑で耳を澄ます。
  真樹が朝まで一緒にいるとは思えない。しかしシャワーの音は紛れもなく祐介のいる部屋の浴室から響き、備え付けのハンガーラックには真樹の着ていた上質な麻のシャツが掛けられている。
  気持ちを落ち着けようとサイドテーブルに置かれたタバコを取り出し火を付けると、一口吸ったところでシャワーの音が止み、バスローブを羽織った真樹が濡れ髪のまま戻ってきた。

 「何だそんな驚いた顔して。知らない間に帰らないでくれ、って言ったのはお前だろ?」

 「言ったけど、まさか本当にいてくれるとは思わなかったから……」

  歩く姿を目で追う祐介に、「浮かれるな」と軽口を叩き、真樹は、濡れ髪をタオルでわしゃわしゃと拭きながらベッドの端に腰を下ろした。

 「お前のためじゃない。今日はこっちに用があるから丁度良かったんだ。悪いが、支度でき次第送ってもらえるか?」

 「なんだよ。足代わりかよ」

  返事の代わりに、無言の圧と鋭い視線で帰り支度をするよう指図され、祐介はしぶしぶベッドから起き上がった。
  朝までいたのが自分のためで無いのは面白くなかったが、車の中でなら次の約束が取り付けやすいと思った。
  次に会う約束をするまで降さなければいいのだ。

  コインパーキングに向かう途中、飲み物が欲しいと言う真樹に、自分が買っていくから先に行って待っているよう伝え、脇道にある自販機に立ち寄り飲み物を買った。
  通りに戻ると、真樹がパーキングの目と鼻の先辺りを歩いているのが見えた。
  そこへ、ふいに横道から男が現れた。次の瞬間、その男の腕を真樹がいきなり掴むのが見え、祐介は慌てて真樹の元へ駈けつけた。

 「真樹!」

  男の腕を掴む手を引き剥がし、そのまま真樹の身体を自分に引き寄せた。
  幸いなことに、相手の男は気の良さそうな若者で、真樹にいきなり腕を掴まれて驚きはしたものの、だからといって反撃したり因縁をつけたりする様子は見受けられなかった。
  真樹は、祐介が若者に詫びるのを他人事のように眺め、若者が去ると、何事も無かったように車に乗り込んだ。

 「服が似てたから。あと、体型も……」

  確かに、若者は祐介と同じ、黒いTシャツにジーパンを身に付けていた。

 「服が似てたら誰にでも付いてくのか?」

 「あの状況なら誰だってお前だと思う」

 「でも俺じゃない……」

  普段の真樹が自然すぎて、つい、顔が覚えられないという事を忘れてしまう。
  次に会った時には多分解らない。そう言った時の、真樹の、自分自身に匙を投げてしまったような、それでいて、どうだと言わんばかりに挑発的に開き直る視線が瞼の裏にチラついた。
  あんなに抱き合い、あんなに見つめ合っても解らない。
  顔を覚えられないから愛されていないというわけでは無かったが、心のどこかで自分だけは特別なのではないかという期待が祐介にはあった。自分は特別なのだから、ひょっととしたら真樹に覚えられているかも知れない。
  それが脆くも崩れ去った。
  男の腕から引き剥がした時の、真樹の祐介を見上げる瞳がふと蘇る。真樹の瞳は祐介を認識していなかった。その他人行儀な瞳は、祐介を想像以上に傷付けた。

 「怒ってんのか?」

  真樹に罪が無いことは充分承知している。それでも、こみ上げる思いが祐介の言葉を尖らせ、態度を強張らせた。

 「怒ってねぇけど、心配にはなるだろ。たまたま相手が良い人だったから良かったものの、変な奴だったら今頃どうなってたか……」
  
 「この落とし前どうつけてくれる、って襲われる、ってか? バカ。ヤンキー漫画の読み過ぎだ」

 「茶化すなよ。だいたい解らないなら無闇やたらに声なんて……」

  言い掛け、祐介はハッと我に返った。しまった、と思った時には遅かった。ドカッと、ドアの内張りを蹴る音が響き、助手席に座る真樹が不服そうにシートにふんぞり返った。

 「解らないなら大人しくしとけ、ってか?」

 「そういう意味じゃない。俺はただ、あんた……真樹が危ない目に遭うんじゃないか、って心配なだけだ」

 「もうしねぇよ。……つか、いつもはしねぇ。そもそも自分から声を掛けなきゃならない相手は作らない事にしてるんだ」

 「自分から声を掛ける相手……」

 「いわゆる、顔見知り、ってやつさ。悪いが俺にはその概念は無い。だから一回こっきりにしてる。一回こっきりなら顔覚えなくても問題無いしな。お前とだって本当はすぐに終わらせるつもりだったんだ。なのにお前、しつこいから……」

 「真樹……」

 「ひょっとして自覚してない? お前、しつこいよ。しかもウゼェ。ちょっとヒト間違いしただけでネチネチさぁ。どうせ俺はお前の顔なんて覚えてねぇよ。ああヤダ。こんな事になんならやっぱ一回で終わらせとけば良かったわ」

 「真樹!」

  祐介は咄嗟にハンドルを切り、路肩に車を急停止させた。

 「っぶねーな!」

 「真樹が変なこと言うからだろ! 無神経なこと言ったのは謝る。でも、それで終わらせるとか、おかしいだろ!」

 「ちょっと落ち着け!」

  知らなかった感覚に、全身が鳥肌を立て焦りが吐き気のように押し寄せる。自分でも呆れるほど混乱し、祐介は、縋り付くように真樹の両肩を掴んだ。

 「そんなことさせてたまるか! 真樹がどういうつもりだろうと俺は絶対終わりにはしない! もう始まっちまってんだよ! あんただってそうだろ?」

  真樹のギョッとした顔が目の前に迫っていた。構わず睨み付けると、真樹の大きく見開かれた目がふいに緩み、柔らかいシワを目尻に浮かべた。

 「勘弁しろよ。三十近い男が泣くとかマジ有り得ないんだけど……」

 「泣いてない……」

 「ホント、可愛くないからそういうのやめて。それに俺、終わりにするとか言ってないし」

 「え……」

 「終わらせとけば良かった、って過去形だし。……てか、ムッとして大人気ないこと言って悪かった。だから取り敢えず離して」

  言われ、力任せに肩を掴んだ手をそっと緩める。

 「次、いつ会える?」

  真樹から手を離すより先に言葉が口をついて出た。祐介は自分勝手な自分に呆れた。

 「あのさ、俺、手、離して、って言ったよな?」

 「約束してくれるまで離さない。……次、いつ会える?」

  真樹は、「やっぱお前しつこい」と笑った。

  結局、真樹とは次の金曜日に会う約束をし、連絡先も交換した。
  約束を取り付けたことで祐介はようやく落ち着きを取り戻し、当初の予定通り真樹を病院へ送ってやった。土曜なので診察は無い。誰かの見舞いだと察しがついたが、しつこいと言われた後だけに、誰の見舞いは聞かなかった。

  真樹を見送り、車を発進させようとギアを切り替えると、ふいにダッシュボードに置かれたスマホが振動した。
  兄からだった。父親の一回忌の日取りと遺品整理、それと、折り入って相談があると兄は祐介に言った。
  話しをするのは一回忌の後で構わないと兄は言ったが、自宅へ戻ったところで、一人でいると真樹のことばかり考えてしまいそうで、祐介はこのまま実家へ顔を出すことにした。

  専門学校を出てすぐ、就職を機に一人暮らしを初めて早八年。その間、実家とは疎遠になっていたが、一年前の父親の死を機に途絶えていた交流が再開した。
  母親は祐介が小学校へ上がる前に病気で他界、母親の死後、父親は再婚もせず、小さな鉄工所を切り盛りしながら、五つ年上の兄、真一と祐介を男手一つで育ててくれた。 
  父親の残した鉄工所は、ともに働いていた兄の真一が引き継いだが、発注元の中小企業の倒産の煽りを受け、経営状態は芳しくないと聞いている。家族経営だけに共倒れを危惧した父親の意向でシステム関連の会社に入った祐介だったが、経営難で未だ独り身の兄を思うと、ゲイで結婚する予定もない自分が代わりに継いでやれば良かったと思う。

 「今更だな……」

  雑草の生茂る敷地に車を停め、鉄工所と同じ敷地内にあるプレハブに毛の生えた自宅を訪ねた。
  一年ぶりに会う兄の真一はひどくやつれて見えた。
  真一は、父親の一回忌の打ち合わせを早々に済ませると、ここからが本題とばかり、祐介を作業場に案内した。
  何の気に無しに作業場に足を踏み入れた祐介は、そこに置かれた見慣れない機械を見て唖然とした。

 「これは……」

 「マシニングセンタだ」

 「それぐらい知ってる。俺が聞いてるのは、どうしてこんな高価な工業機械がうちにあるのか、って事だ!」

  真一は、激昂する祐介を宥めるように「中古だ」と媚びるような笑顔を作った。

 「中古でも五百万は下らないだろう! ただでさえ経営難なのにこんなもの」

 「先行投資さ。これがあれば穴開けから削り、表面仕上げまで全部出来る。しかもミス無くだ。うちが職人を雇えないことぐらい解ってるだろう? これがあれば大量に生産できるんだ」

 「生産、って。何の生産だよ。受注のあてはあるのかよ!」

  真一は、祐介の目を真っ直ぐに見、大きく頷いた。

 「受注は済んでる。だからお前の力を貸してもらいたい」

 「俺に何を……」

 「プログラミングに決まってる。お前、そういうの得意だろ?」

 「そんな……」

  戸惑う祐介に構いもせず、真一は、瞳を輝かせ嬉々とした表情で祐介の両肩を掴んだ。

 「親父の設計図通りにやれば間違いない。それに……」

  祐介は、真一の言葉を遠い記憶の中の声を聞くように聞いていた。
  寒くもないのに奥歯がガチガチと鳴る。悪寒というより戦慄だった。得体の知れない震えが地面から足元に這い上がり、祐介の全身を覆い尽くした。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  池亀浩司の引き攣った表情に、真樹は笑いかけた口元を再び硬く結んだ。
  二十五歳という若さながら、池亀浩司は真樹がハプニングバー、フェイムの経営を任せているだけのことはあり、社交的で人あしらいも上手く、その滅多な事では怖気付かない堂々とした振る舞いは真樹だけでなく周りからも一目置かれている。
  その池亀が、珍しく頬を痙攣らせ、ドアを開けた真樹を、何かを訴えるような目付きで見ている。
  理由は、真樹がカウンターに足を進めてすぐに解った。
  カウンターの一番奥に、ガラの悪そうな男を二人引き連れた、恐ろしく冷酷な顔をした男が座っている。
  端の切れ上がった険のある目、薄い唇。細い銀縁の眼鏡が親しみのない顔をより一層親しみにくい顔付きに仕上げている。
  人の顔を覚えるのが苦手な真樹であったが、この、一重瞼の切れ長の目と、頭の中に鋭くえぐり込んでくるような視線は覚えていた。
  男は、電子タバコの吸口を咥えながら、カウンターに近付く真樹に軽く会釈した。

 「どうも、二ノ宮真樹さん。石破組若頭の内藤です。病院へ行ってもなかなかお会いできないのでこんなところまで来てしまいました」

  会わないようにしているんだから当たり前だ。心の中で吐き捨て、真樹は内藤からわざと目を逸らして隣に座った。

 「お忙しい内藤さんが私に何の御用ですか?」

  内藤は頬の隅に人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて真樹を振り返った。
  
 「まどろっこしいのは嫌いなんで単刀直入に言います。菊地組長にこれ以上バカな真似はするなとあなたから忠告して下さい」

 「はい?」

 「不動産の名義書き換えですよ」

 「あの……それはどういう……」
  
 「ご存知ないんですか? 二ヶ月ほど前からそちらの顧問弁護士が組長の指示で財産をあなた名義に変えてます。不動産に金塊。現金はことごとく株券に換えているようです。しかも全てあなた名義で」

 「そんな……どうして……」

 「あなたの身を案じてるんでしょう。今は組長の庇護下にありますが、組長が亡くなったらあなたは丸腰だ。今までろくに勤めに出たこともないあなたが新しく仕事に就けるとは思えない。ダメ息子に財産を残したいと思う親の心境ですよ。自分が死んだ後あなたが露頭に迷わないようにね」

  全く笑っていない鋭い目と、それとは真逆の柔らかな口調が返って恐ろしさを増幅させる。
  内藤は、隣に座る真樹を舐めるように見ると、恐怖に身を縮める真樹を楽しむように更に低く穏やかな声色で囁いた。

 「ですが、親バカもたいがいにしていただかないと困るんです。菊地さ…組長の資産の中には先代から引き継いだ組の資産もあるんです。それを何をとち狂ったのか、てめぇの金みたいに使われちゃあねぇ」

 「そんなの俺のせいじゃない……」

 「確かに、あなたが頼んだわけでは無いでしょう。でも、組長をそうさせてしまっているのはあなたなんじゃないですか? あなたがまともな大人なら組長だってこんな無茶はしない。外見は充分大人でもあなたはまだまだ小さな子供だ」

 「どういう意味です」

 「大人の庇護無しでは生きられない、って意味ですよ。現にあなたは組長に守られ、組長か亡くなった後も守られ続けようとしている。だが、世の中そんなに甘くは無いですよ? たとえ世間がそれを許してもうちの組織が許さない。不義理にはそれ相応の報復をします。あなたを身包み剥がすことなんて簡単なんですよ?」

 「俺にどうしろと……」

 「あなた名義に変えた不動産、そっくりそのままN企画に変更して下さい。それとこれ以上組長に勝手な真似はさせないでいただきたい……」 

 「N企画……」

  内藤がシノギでやってる会社じゃないか。もっともらしい事を言っておいて結局は自分のものにするわけか。これだからヤクザは。
  思いながらも、内藤の強烈な威圧感に押され、真樹は何も言い返せなかった。

 「まぁ、あまりよくばらない事です。あなたにはこの店がある。それで十分だ」

  真樹の耳の下のホクロに触れるように囁くと、内藤はおもむろに席を立ち上がり、部下を引き連れて入り口へと消えて行った。
  
  真樹は動けなかった。内藤の低い粘りのある声が、耳の奥のさらに脳の奥深くをじわじわと締め付け思考を停止させる。ようやく頭が働き始めたのは、池亀に何度も名前を呼ばれ、肩を揺さぶられた後だった。

 「真樹さん! あの人、何だって? ここ、どうなっちゃうの?」

  一部始終を見ていた池亀は、真樹が一方的に因縁をつけられていると思ったようだった。
  元は菊地の金とは言え、フェイムは、真樹が菊地から貰った小遣いで始めた先物取引や株で得た利益で買い求めた物件で、最初から真樹の名義になっている。
  池亀が心配するようなことは何もないと伝えてやりたかった。
  真樹は、「大丈夫……」と、腕を掴む池亀の手を優しく解いた。
  言葉を続けながら見上げると、ふいに、「真樹!」と名前を呼ばれ、見覚えのあるいびつな手が真樹に向かって左右に揺れていた。

 「祐介……」

  バーカウンターのデジタル時計が7時20分を告げている。

 「約束、8時じゃなかったか?」

 「真樹に早く会いたくて、早めに来ちゃった……」

  祐介は近付くと、池亀を押し除けて真樹の横に立ち、真樹の腕を取って椅子から滑り降ろした。

 「お前!」

  池亀が途端に食ってかかり、祐介が威嚇するように池亀を見下ろす。一触即発の雰囲気に緊張が走ったが、真樹が目配せすると、池亀はしぶしぶながらも折れ、周りの客には気付かれずに済んだ。
  真樹の配慮も知らず、祐介は、池亀を見て勝ち誇ったように笑い、真樹の腕を引いて出口に向かった。
  凄い力で真樹の腕を掴み、店を出ると、人目も気にせず抱き締めて唇を重ねた。

 「ちょっ……バカ、なにす……」

  噛み付くようなキスに頭が痺れる。乱暴なようで、何かを必死に訴えているような、悲鳴を上げているようなキスだった。
  唇を激しく奪われながら、真樹もまた祐介の唇を激しく求めていた。
  まるで、開きかけた傷口を埋めるように、キスは、色々な角度で何度も続いた。
  
  

  

 

  

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

Take On Me 2

マン太
BL
 大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。  そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。  岳は仕方なく会うことにするが…。 ※絡みの表現は控え目です。 ※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。

インテリヤクザは子守りができない

タタミ
BL
とある事件で大学を中退した初瀬岳は、極道の道へ進みわずか5年で兼城組の若頭にまで上り詰めていた。 冷酷非道なやり口で出世したものの不必要に凄惨な報復を繰り返した結果、組長から『人間味を学べ』という名目で組のシマで立ちんぼをしていた少年・皆木冬馬の教育を任されてしまう。 なんでも性接待で物事を進めようとするバカな冬馬を煙たがっていたが、小学生の頃に親に捨てられ字もろくに読めないとわかると、徐々に同情という名の情を抱くようになり……──

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

塩対応の同室αが実は俺の番を狙っていた

雪兎
BL
あらすじ 全寮制の名門学園に入学したΩの俺は、入寮初日から最悪の同室相手に当たった。 相手は学年でも有名な優等生α。 成績優秀、運動もできる、顔もいい。なのに—— めちゃくちゃ塩対応。 挨拶しても「……ああ」。 話しかけても「別に」。 距離も近づけないし、なぜか妙に警戒されている気がする。 (俺、そんなに嫌われてる……?) 同室なのに会話は最低限。 むしろ避けられている気さえある。 けれどある日、発情期トラブルで倒れた俺を助けてくれたのは、 その塩対応αだった。 しかも普段とは違い、必死な顔で言われる。 「……他のαに近づくな」 「お前は俺の……」 そこで言葉を飲み込む彼。 それ以来、少しずつ態度が変わり始める。 距離は相変わらず近くない。 口数も少ない。 だけど―― 他のαが近づくと、さりげなく間に入る。 発情期が近いと察すると、さりげなく世話を焼く。 そして時々、独占欲を隠しきれない視線。 実は彼はずっと前から知っていた。 俺が、 自分の運命の番かもしれないΩだということを。 だからこそ距離を取っていた。 触れたら、もう止まれなくなるから。 だけど同室生活の中で、 少しずつ、確実に距離は変わっていく。 塩対応の裏に隠されていたのは―― 重すぎるほどの独占欲だった。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

処理中です...