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〜第一話 愛される素質と受け入れる身体
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精液を身体の上に吐き出される感覚は、一度味わうと癖になる。
お腹の上に点々と散らばる白い液体を眺めながら、今村千尋は、たった今精液を放ったばかりの、後藤龍一の呻くような吐息を聞いていた。
生温かい感触と鼻を突く匂い。
龍一の雄の部分に触れるたび、千尋は、自分が龍一のものだということをまざまざと思い知らされる。
龍一の、引き締まった上腕、筋の浮いた二の腕、程よく筋肉のついた胸板、骨張った関節、美しく割れた腹筋。
肩幅の広い、見るからに頑丈そうな身体が圧倒的な力で自分を捻じ伏せ、問答無用に身体の中に押し入ってくる。
まるで、自分の全てを征服されてしまったような感覚だ。
お前は俺のものだと言われているような気がする。
どこにも行くなと言われているような気がする。
それは、帰る場所を持たない千尋の心の拠り所となり、千尋の胸の内側を甘く疼かせた。
「千尋! てめぇ、聞いてんのか、こら!」
ぼんやりしていたところを、突然、胸元に衝撃を感じ、千尋は、うっ、と息を詰まらせた。
「さっきから呼んでんだろ? ほら、さっさと綺麗にしろよ」
龍一が胸の上に馬乗りになってペニスを唇に突きつけている。
射精してもなお龍一のペニスは衰えを見せず、硬く盛り上がったまま赤黒い先端を千尋の上唇にピタリと寄せている。
ご奉仕フェラの要求に千尋が口を開けると、龍一は、押し付けたペニスを揶揄うように唇の上でペチペチと弾ませた後、ゆっくりと中へ押し込んだ。
「もっと、喉チンコに当たるまで飲み込めよ。そうそう、いい子だ。お前はコツを掴むのが上手い。優等生だ」
「ほんほ?」
「ああ、ホントだ……」
最初に、やれ、と言われた時は、あまりの苦しさに、涙と鼻水とよだれで顔をぐちゃぐちゃにしながら必死で吐き気と闘っていた。
それが今では、軽々と咥え、平気で奥まで飲み込んでいる。
口の中で大きくなって行く感触も、舌の上で脈を打つ感覚も、舌に絡まる体液のしょっぱさも、今は存分に味わうことが出来る。
どうすれば龍一を喜ばすことが出来るのかも解ってきた。
答え合わせをするように、千尋は、龍一のペニスに精一杯舌を巻き付け、口を窄めて、きゅぅぅっと、引っ張り上げながら吸った。
「くぅッ……畜生、その気にさせんなよ……」
龍一の手が、前髪を掴んで千尋の顔を自分の股間に引き付ける。腰を突き出されたせいで、口一杯に頬張った龍一のペニスが喉の更に奥深くに当たる。
熱っぽい視線を感じて見上げると、切なそうに目を細める龍一の恍惚とした瞳と目が合い、千尋はドクンと胸を高鳴らせた。
「りゅういひ……まは、いれう? おへ、まは、やらかいとおも……から、すぐれきふよ……」
「ばっか! そのまま喋んな! 変な気分になるだろう!」
答えを聞くまでもなく、龍一が、千尋の口から慌ただしくペニスを引き抜き、両肩を掴んで乱暴に身体をうつ伏せにひっくり返した。
「え……そんな急に……」
「うっせぇ、てめぇが煽ったんだろうが。いいからさっさとケツを上げろ!」
もぞもぞと膝を立てると、龍一の手が待ちきれないとばかり腰をがっつりと掴み、いきり勃ったペニスをお尻の割れ目に突き立て、千尋の中にねじ込んだ。
「いったぁ! ……も……と、やさしくして……よぉっ……ぁぁッ」
先程まで中に入れていたとは言うものの、ローション無しでいきなり挿入された衝撃に、千尋の口から悲鳴が漏れる。
いつもなら間違いなく無視される場面だが、千尋の予想に反し、龍一は、力任せに突き上げていた腰をピタリと止め、身体の奥に沈めた肉棒を後孔からゆっくり引き抜いた。
「え?」
「なんだよ、痛てぇんだろ?」
ペニスを引き抜いたばかりの後孔を覗き込んで、「切れてはいないな」と呟き、ローションを垂らして指先でゆっくりと馴染ませる。
入り口をいつになく丁寧に揉みほぐし、充分柔らかくなったところで自分のペニスにもたっぷりとローションを垂らし、手のひらでまんべんなく伸ばして挿入した。
「あああっ、んはあぁぁっ……ぅあっ」
先程とは違う優しい挿入に、千尋の背中がしなを作って小さく震える。
それでいて胸の奥がゾワゾワと騒ぐのは、千尋の繊細な感覚が、龍一の異変を感じ取っているからだ。
十五歳で拾われてから五年。
出会ったその日に龍一の部屋に連れ込まれて以来ずっと一緒に暮らしているが、千尋の知る限り、龍一は、お世辞にも優しい男とは言えなかった。
龍一は、むしろ、思いやりのない冷たい男だ。
自分勝手でわがままで、気分次第で周りを振り回す。
龍一が優しいのは何か裏がある時だけ。
そして、その“裏”が、徐々にエスカレートしていることも千尋を不安にさせていた。
「あっ……りゅ、りゅうっ!」
お尻の中の感じる部分を巧みに擦り上げながら、ふいに、龍一が、千尋のくびれたウエストから下腹に腕を回し、ペニスを掴んで扱き上げた。
「なっ、ちょっ……」
後背位でする時は、千尋が一人で勝手にイッてしまわないよう、千尋の腕を後ろ手に押さえ付け、自分でペニスを扱げないようにしてしまうのがいつもの龍一のやり方だ。
千尋を極限まで追い詰め、イカせて下さいと何度も懇願させ、本気で泣くまで決して射精を許さない。
それが今夜は、龍一の方から進んで促していた。
「ひッ、ぁああっ……なんで……こんなぁっ……」
「あぁ? いつも、扱かせてくれってギャアギャアわめいてるくせに、何、ワケわかんねぇこと言ってんだ……」
「はぁっ、あっ、ああん」
動揺する千尋を面白がるように、龍一が、手の中に握りしめたペニスを激しく扱き上げ、それと同じリズムで、腰をズンズン奥へ突き入れる。
後ろと前を同時にいじられ、千尋の口から、どこから出しているのか解らないような、鼻にかかった甘ったるい声がほとばしる。呼吸が喘ぎ声に変わり、吐き出す息に、赤味の強い肉感的な唇がわなわなと震え、色素の薄い癖のある髪が、頬骨の上で柔らかく上下した。
「ん……あぁ……やだァもう……イッちゃう……イッちゃうからッ……離してぇっ!」
「イキたきゃイケよ……」
「そんな……アッ、だめぇ……アッ、あ、イヤ……」
首筋がゾワっとしたのも束の間、身体の奥がキュゥッと締まり、お尻の付け根から頭のてっぺんへと焼けつくような快感がザザッと突き抜けた。
背中がビクンと跳ね上がり、千尋は、腰をヒクヒクと突き出しながら、シーツに欲望を吐き出した。
龍一は、絶頂を迎えた千尋に少しの休息も与えず、痙攣の止まない肉壁に何度も腰を突き立て、乱暴に射精した。
こうして二度目のセックスが終わり、千尋が龍一に手渡されたウェットティッシュを箱から二、三枚取り出し、身体を拭き始めた時だった。
案の定、龍一にバイトの話しを切り出され、千尋は不貞腐れたように溜め息をついた。
「もう痛いことはしなくて良い、って言ったじゃん」
「まぁそう言うな。いつもの倍出すって言ってんだ。それに、身体に傷が残るのはNGだってちゃんと言ってあっから」
そう言いながらも、前回も、手首を縛られて天井から吊るされ、肩が外れるほど激しく責めらた。
最初の約束など、行為が始まってしまえば何の意味も無い。
限られた時間の中で己の欲望を少しでも多く満たすには、相手への思いやりを捨ててしまうのが一番だ。
泣こうが、喚こうが、痛がろうが、自分の快楽のみを優先させ、相手の反応など一切気にしない。欲情の前では、千尋など、ただの性欲処理の肉人形にすぎないのだ。
「相手は、藤田さん一人?」
「あ? ああ、確か一人だって聞いてる……」
「ふぅん……」
視線を逸らすのは嘘を付いているからだ。
おそらく相手は一人ではない。
それでも敢えて指摘しないのは、ベッドの隅に捨て置かれたTシャツを手繰り寄せる、龍一の薬指に嵌まる指輪のせいだった。
龍一には大切な人がいる。
それなのに、前と変わらず衣食住の面倒をみてくれて、毎日のように顔を出してくれる。もっともそれは、千尋の身体と、そこから得られる報酬目的と思われたが、龍一に大切な人が出来た時点で放り出されていてもおかしくなかった千尋にとって、龍一の以前と変わらない態度は、たとえ邪な目的でも十分嬉しく、有り難いものだった。
これ以上我が儘を言ってはバチが当たる。
ベッドの上に胡座をかいてTシャツを頭から被る龍一を隣で見上げながら、千尋は、目の前に伸びた龍一の逞しい腕に手を伸ばしてぶら下がるようにしがみ付いた。
「……なんだよ。 暑苦しいから甘えンな……」
龍一は、白目の目立つ目を面倒臭そうに細め、野良猫を追い払うように、「シッ」と唇を尖らせた。
優しいとは言い難い素っ気無い態度だが、いつも威嚇するように尖った研ぎ澄まされた奥二重の目が、二人でいる時は、少しだけ柔らかくなることを千尋は知っている。
優しくはないが嫌われてはいない。それで十分だと思わなければならない。
龍一の、日に焼けた筋肉質の腕に巻き付いた自分の軟弱な白い腕を眺めながら、千尋は、自分自身にそう言い聞かせた。
「わかった。ちゃんと藤田さんの相手するよ」
龍一は、「ああ」と答えると、千尋がぶら下がった方の腕をヨイショと持ち上げ、千尋の頭を自分の胡座の中に引き込んだ。
「縛るのもNGだって言ってあっから安心しな……」
「え……?」
「この前大変だっただろ……」
「りゅう……」
「なんだ。縛られるの嫌だって言ってなかったか?」
「言ったけど……」
「なら、なんでそんなムッとしてんだ」
ムッとしているのではなく、泣きそうになるのを堪えているのだ。
膝枕しているのに髪も撫でない、怒っているのと、嬉しくて胸が一杯になっていることの区別もつかない。それでも、前回、藤田に縄で責められた時のことを気に掛けてくれていたことは嬉しかった。
千尋は、龍一の膝の上に置いた頭をゴロンと仰向けに返し、「ムッとしてないよー」と、わざとおどけた口調で言った。
龍一は、ニコリともせず、むしろ呆れたように、フンッ、と鼻息を吐いた。
「とにかく、明日の昼過ぎに迎えに来るから、いつもみてぇに準備して待っとけよ…」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ごめんなぁ、千尋ちゃん。これ、縛ってんじゃないから。はめてるんだから」
藤田の、顎の尖った神経質そうな顔が、薄気味の悪い笑みを浮かべながら千尋を見ていた。
痩せ型色白の軟弱そうな外見とはうらはらに、加虐心が強く、拘束プレイや陰湿な言葉責めを好む。その藤田が龍一との口約束を守るとは到底思えなかったが、まさか、こんな姑息な真似をするとは思っていなかった。
「ほら、こうやってカチッとはめるだけ。縛るのはダメだけど、はめちゃダメだとは言われてないからね。手首と、足首と、首はこれでよし、と……」
冷たい鉄の感触と重さ。
息苦しさに顔を上げると、鏡張りになった天井に、両手首と両足首にゴツい鉄製の枷をはめられ、首に重厚な首輪を巻き付けられた自分自身の姿が映っていた。
一瞬見ただけなのに、白い肌と黒い鉄のコントラストが、残像となって瞼の裏に貼り付く。
拒絶している筈なのに、どうしていつまでも貼り付いて離れて行かないのか、千尋は、鏡に映る自分の姿に微かな興奮を覚えている自分自身に戸惑った。
これだから藤田の相手は嫌なんだ。
藤田は、キングサイズのベッドの上に座り、傍に置かれたカバンの中から何かを取り出している。
反対側には知らない若い男。
宣言通り昼過ぎに迎えに来た龍一の車に乗せられ藤田の待つホテルに向かうと、藤田と、もう一人、見知らぬ若い男がバスローブ姿で待っていた。
龍一の話ぶりから予想はしていたが、やはり相手は一人では無かった。
見たところ、どこにでもいる普通の若者だが、藤田の知り合いだけに異常性は拭えない。
千尋の不安を裏付けるように、若者は、藤田が手枷を取り出すと、興奮に目を輝かせ、嬉々とした表情で千尋の手首に装着した。
「藤田さん、本当にこの子、俺の好きなようにしていいの?」
手枷と足枷を鎖でそれぞれベッドの脚に縛り付けて千尋を動けなくすると、若者は、千尋の身体の上に馬乗りに覆い被さり、千尋の顔中をベロベロと舐め始めた。
「ああ、可愛い、可愛いなぁ。この子、凄く良い匂いがする。ほっぺも柔らかい。唇もプニプニ。ホント、食べちゃいたい……」
「んんんんっ! んっ、くるし……んふっ……」
唇で唇をこじ開けて舌を深く捻じ込み、千尋の舌を自分の口の中に引っ張り込んで、千切れるほど強く吸い上げる。
ツーンとした痛みとともに背筋に戦慄が走る。
怖いのは、乱暴を通り越した狂気的なキスだ。
そうでなくても、初めての相手は、何をされるか解らない恐ろしさがある。
手足をベッドの脚にギチギチに張られた状態で繋がれているのも拍車を掛けていた。
藤田も拘束プレイを好んだが、藤田がそれを要求したのは、三回ほど普通にセックスの相手をした後だった。
若者のように、初対面でされた訳ではない。そのイレギュラーな状況が千尋の恐怖心を煽り立てていた。
「ん? 緊張してるの? こんな仕事してるくせに? でもまぁその方が俺は嬉しいけど。抵抗出来ない人間を怯えさせるのってホント楽しい……」
舌の先からこぼれた唾液を味わうように啜ると、怯える千尋を面白がるように、若者は、千尋に覆いかぶさった身体を下にスライドさせて胸元に吸い付いた。
「乳首も小粒で可愛いね。君、いくつなんだっけ? こんな子供みたいな乳首して、これが感じてビンビンに尖るとか、逆に卑猥だよね」
珍しいオモチャにかぶりつくように、千尋の乳首を穴があくほど見詰め、乳輪を両側から指先で摘んだり広げたりしながら変形させ、舌先を尖らせて、乳首の表面を突いてペロンと舐め上げる。
左右の乳首を、交互に吸ってはしゃぶる、を繰り返し、時々、歯を立ててキツく引っ張り上げ、千尋が痛がる様子を満足気に目を細めながら眺めた。
「もうちょっと大きいと吸いやすいんだけどな。いっそ俺が一晩中吸って大きくしてやろうか?」
軽口を叩いて乳首をチュッと吸い上げ、今度は、身体を起こして千尋の脚の間に膝を揃えて座り、背中を丸めて股間に顔を近付けた。
「あっ、いやぁっ!」
ペニスに触れるか触れないかのところを唇でなぞられ、反射的に、千尋の口から悲鳴が漏れる。
そのまま口の中に含まれると思っていたが、若者は直ぐに顔を上げた。
「そんなことしてないで、藤田さんもこっちへおいでよ」
藤田は、若者が千尋を弄ぶ様子を見ながら自慰行為に耽っていた。
もともと視姦の趣味があったかどうかは定かでは無いが、藤田は、実際に自分が千尋を抱く時よりも興奮しているように見えた。
「俺はチンポをしゃぶるから、藤田さんは、口でもオッパイでも好きな方をいじっててよ」
若者は言うと、剥き出しになった千尋のペニスを手のひらで包んで撫でさすり、硬くなり始めたところで根元を摘んで真上からすっぽりと口に含んだ。
藤田は、大袈裟なほど舌を長く伸ばして千尋の乳首を舐め上げていたが、若者が千尋のペニスを口に含んだの見て、触発されたように、千尋の顔の上に中腰になって跨がり、ガチガチに硬くなったペニスを咥えさせて腰を前後に振った。
「んんんっ、んぐっ、はぁっ」
千尋の眉間が歪むのは、藤田に、喉の奥まで容赦なくペニスを突き立てられているせいばかりでは無い。自分もまた若者に執拗にペニスを啜られ、その絶妙な舌使いにギリギリまで射精感を促されていた。
若者は、追い討ちを掛けるようにわざと敏感な裏スジの溝を小刻みに舐め、千尋のペニスがヒクヒクと強張り始めると、ふいにペニスから口を離してお尻の肉を左右に開いた。
「んっ、んんっ!」
生温かい舌の感触が、お尻の溝をじれったく這い回る。
中途半端に放り出されたペニスがムズムズと疼き、千尋の腰が、刺激を求めて自然と浮き上がる。しかし若者は、ペニスには一切触れず、後孔の周りだけを執拗に舐め続けた。
「腰が揺れてるの、めっちゃヤラシイなぁ。でも今はこっち方をいじりたいんだよね。やりにくいから足の鎖外そうね……」
カチリ、と音がして足枷に付いた鎖が外れると、若者の手が太ももを掴み、これからが本番だと言わんばかりに、頭の方へ返して千尋のお尻を天井に向けさせた。
「んんんんっ!」
露わになった後孔を指で開かれ、中の粘膜を舌の先でチロチロと突かれて、千尋が更に眉を顰めて呻く。
ローションを垂らされ指を挿入される頃には、千尋は、自分の口に藤田のペニスが押し込まれていることなど忘れてしまったかのように喘ぎ泣いた。
「んァ……あ、んふぅ……ぁんぁぁっ、ん……ひっ……」
「すっげぇヒクヒクしてる。ねぇ、藤田さん、この子すぐに柔らかくなるけど、そんなにヤリ慣れてんの?」
「こういうことしてるぐらいだから素人さんよりは慣れてるだろうが、千尋ちゃんの場合は、まぁ、何というか、“素質”があるんだと思うよ」
「素質?」
「ああ。男に愛される素質、とでも言うのかな。男を受け入れるのが上手い、と言うか、そういう身体を持っていると言うか。いくら受け入れたくても、どうしてもダメな人間もいるからね」
「藤田さんみたいに?」
ああ、と低く頷く藤田の声を、千尋は、快感の波に飲み込まれながら聞いた。
若者は、そっか、と答え、柔らかくなった千尋の後孔に更に三本目の指を加え、肉壁をグチュグチュと掻き回した。
「んああっ、んんんっ、あっ、ひっ」
「ああ、いい反応……。正直、俺は藤田さんに入れてみたいけど、藤田さんが無理なら仕方ないよね……」
「すまない……」
「謝らないでよ。そのためにこの子を用意したんでしょ?」
言いながら、千尋の後孔から指を引き抜き、「そろそろイケるよ」と藤田に声を掛ける。
藤田は、千尋の口からペニスを抜き去ると、手枷の鎖を外して千尋を抱き起こし、ベッドヘッドに浅くもたれて、千尋に、膝の上に後ろ向きに乗るよう命令した。
「自分で跨いで俺のを入れるんだ……」
千尋は、言われた通り、ゆっくり腰を沈めた。
根元まで沈めると、藤田が、後ろから千尋を抱えて上半身を倒し、千尋のお尻を前へ突き出させて下から押し込んだ。
「あああっ、あっ……あ……やだっ……あっ」
何度も経験している藤田のセックス。
力任せなのは相変わらずだが、今日は、いつもと比べて少し優しい気がする。若者がどういうセックスをするのかは解らないが、この分なら案外まともに挿入して終わらせるかも知れない。
そう思った矢先、突然、若者に太ももを押さえ付けられ、千尋はハッと頭を起こした。
「え……なに……」
若者は、千尋の股の間に腰を据え、逞しく反り返ったペニスの先端を、藤田のペニスを咥え込んだ後孔の結合部に押し当てている。
何をしようとしているのか頭が理解した途端、強烈な恐怖が全身を駆け抜け、千尋は、これまでに出したことの無いような悲鳴を上げた。
「待って! もう藤田さんのが入ってるからぁっ! これ以上は無理だからぁっ!」
若者はしかし全く怯まなかった。
「大丈夫だよ。君のここ、すんごく柔らかいから。こうして入り口にたっぷりローションを垂らせば多分入る……」
「やっ、ホント、やだって! やだやだ! お願い! やだってぇぇっ!」
「辛いのは入り口だけだから……ほら、たっぷりローション垂らすし……」
「やだっ! やだぁぁアァァッ!!」
ローションまみれの亀頭が後孔の入り口にめり込み、じわじわと奥へ埋め込まれて行く。
喉を引き裂くような悲鳴を上げると、後ろに座る藤田が千尋の顔に手を回して口を塞いだ。
「んんんんっ! ううう、うぐっ! ひっ! んぅぅっ、んひっ!」
「ああもう、最高……。君の中で藤田さんと一つになってる……。ホント、すごく良い。夢みたいだ……」
痛み、と言うより、恐怖で意識が朦朧とする。
身体より、精神的なショックが大きく、千尋は逃げ出すように意識を失った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
記憶が途切れた後、千尋は、自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。
発作的に、龍一の名前を叫んで飛び起きる。
しかしすぐに、「ここにいる」と腕を掴まれ、現実に引き戻された。
「ちゃんとここにいるから、大丈夫だから……」
温かい手の感触と、力強く握られた腕を包む心地良い痛み。
それが龍一のものであると気付いた途端、泣きたいような安堵が込み上げ、千尋は、傍らに横たわる龍一の胸にすがりついた。
「りゅう! りゅう!」
龍一は、千尋を自分の胸の中に抱き、身体を横向きに起こして、千尋の背中を、幼な子を寝かしつけるようにトントン叩いた。
「大丈夫だから、落ち着け。身体も何ともなってない。もう、なんも心配すんな」
「りゅう……俺……」
「解ってる。全くひでぇことしやがるぜ……。でももうあんな真似はさせねぇから安心しろ」
本当? と、言いかけた言葉を、千尋は声に出すギリギリのところで飲み込んだ。
『もうさせない』という言葉が、龍一にとって、口癖程度の軽いものであることは痛いほど解っている。
これまでにも、千尋が酷いことをされるたびに龍一はそう言って千尋を宥めたが、実際に約束が守られたことはただの一度も無かった。
今回のことも、そもそも、前回、肩が外れるほど縛り上げられた時点で、藤田の相手は二度としなくて良いと言われていた。しかし、それも結局守られることは無かった。
いつも期待してガッカリさせられる。
千尋が嬉しさに胸を踊らす言葉も、龍一にとっては何気ない一言。
千尋が一語一句忘れずに憶えている言葉も、龍一にとってはいつ言ったのかさえ覚えていないような他愛の無い言葉。
龍一にとって千尋はいつも二の次だ。
龍一といると、千尋は、自分が龍一にとっていくらでも代わりの効く人間だということを思い知らされる。
それでも離れないのは、龍一にとっての一番になりたいという願望と、千尋の心の弱さのせいだった。
十五歳で家を飛び出してから、千尋は、ずっと龍一と一緒に生きてきた。
龍一と離れるなんて考えたこともない。龍一がいなければ生きていけない。
精神面だけでなく、金銭面でも生活面でも、千尋は、自分が、自分一人だけの力で生きていけるとは思っていなかった。
自分にはもう龍一しかいない。
そんな思いが、千尋の瞳にフィルターをかけ、龍一の嫌な部分を自分に都合よくぼかし、見えなくさせていた。
まるで、現実から目を背けるように、千尋は、龍一のこれまでの裏切りを綺麗さっぱり過去へと押し流し、今度こそはと淡い期待を抱いた。
「りゅう……俺……本当はもう……」
「ああ。解ってるから、もう何も言うな……」
自分にはもう龍一しか帰る場所はない。
龍一の肩に鼻先を擦り寄せながら、千尋は、龍一の、汗とタバコと整髪料の匂いが入り混じった、腐敗寸前の果実のような大人の男の体臭を胸一杯に吸い込んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
これまでの二十年間の人生において、千尋は、死を意識したことが三回あった。
一度目は、小学三年生の年の暮れ。
父親の事業が失敗し、夜逃げ同然で移り住んだ静岡の古ぼけたアパートの一室での事だった。
突然、背中に焼けるような痛みを感じて前のめりに倒れたら、次の瞬間、病院のベッドの上で目を覚ました。
千尋はそこで、父親が千尋を道連れに無理心中を図ろうとしたことと千尋が生死の境を彷徨っていたことを、お見舞いに来た祖父母が話しているのを聞いて知った。
二回目は、母親が再婚してしばらく経った中学二年の夏。
両親の留守中に、再婚を機に一緒に暮らし始めた大学生の義理の兄に寝込みを襲われ、逃げ場を失った千尋は、当時住んでいたマンションの三階のベランダから飛び降りた。
その時も千尋は、自分が、落ちた時の衝撃であばらが折れて肺に刺さり、大変な状況であったことを病院のベッドの上で聞かされた。
そして、三回目は、龍一と出会った十五の春。
中学を卒業してすぐの春休み、飛び降り事故があった後もずっと続いていた義兄の性的強要がついに母親の知るところとなり、羞恥心と罪悪感に苛まれた千尋は、着の身着のままで家を飛び出した。
なけなしの小遣いで切符を買い、高速バスで一晩かけて新宿に出た。最初の一日は賑やかな都会の雰囲気に気も紛れたが、二日、三日と過ぎてお金が底をつくと、空腹と心細さから、壮絶な孤独と絶望感に襲われた。
そんな千尋に追い討ちをかけるように、季節外れの冷たい雨が丸一日続き、千尋はついに高熱を出して倒れた。
寒さと怠さに奥歯をガチガチと鳴らしながら、千尋は自分の呼吸がだんだんゆっくりになって行くのを感じた。
自分はこのまま死ぬのだと思った。
知らない間に生死を彷徨っていた過去の事故とは違い、自分が死んでいくのがはっきりと自覚出来た。
千尋は、この時初めて、死、というものを意識し、死んで行くことに恐怖を覚えた。
だから、差し出された手を迷うことなく掴んでしまった。
『お前、行くとこ無ぇのか?』
その時、自分がどう答えたのか千尋は覚えていない。
気付くと、温かいお湯の入った湯船の中で、千尋は、男の膝の上に後ろ向きに抱きかかえられ、身体中を撫でられていた。
男は、千尋の肩に顎を乗せて背中に貼り付き、脇腹から胸元へ這わせた手で胸を撫で回し、千尋が乳首を触られて身をよじると、『感じるのか?』と嬉しそうに笑った。
その日は、同じベッドで裸のまま抱き合って眠り、翌朝、目が覚めるとすぐにセックスした。
男のセックスは、愛撫が長くねちっこかったが、義兄にされるより何倍も気持ちよく、アソコも、義兄より一回り大きかったが不思議と耐えられないほど痛くは無かった。
セックスの後、男は、ようやく、自分の名前を名乗った。
後藤龍一。二十七歳。
お前は? と聞かれ、千尋は、『今村千尋』と答えた。
十五歳だと告げると、龍一は一瞬目を丸め、しかしすぐに、『マセてんな』と笑った
『マジで一回り下とかあり得んわ。今からこんなで、この先どうするよ……』
千尋は、何を言われているのかも解らず、自分を真っ直ぐに見詰める、男の、威圧的な、それでいて瞳の奥に深い憂いを帯びた寂しげな目を呆然と眺めた。
龍一は、千尋の素性を詮索することもせず、その後も、千尋を自分の部屋に住まわせ、昼夜を問わず気の向くままに抱いた。
一方千尋は、自分から男に抱かれたいと思ったことは一度も無かったが、義兄の痛いだけの乱暴なセックスしか知らなかったせいもあり、それとは真逆な、龍一の官能的な大人のセックスに溺れて行った。
龍一は、性欲に従順になっていく千尋を可愛がり、馴染みの場所に連れ回しては見せびらかし、友人を部屋へ招いては自慢した。
千尋自身は、どうして龍一がこんなに自分を褒めるのかさっぱり理解できなかったが、龍一が自分のことを『色っぽい』だの、『感度が良い』だのと嬉しそうに友人に話す姿を見るのは好きだった。
龍一の口から甘い言葉が漏れるたび、千尋はとろけるような優越感を覚えた。
そんな生活が半年ほど続いたある日、千尋は、龍一の留守中に訪ねて来た友人たちにレイプされた。
レイプは、大の男が二人掛かりで千尋を押さえ付け、もう一人が無理やり股を割って貫くという逃れようの無いものだったが、千尋は抵抗しなかったのを逆手に取られ、同意の上だと泣き寝入りさせられた。
その後も、男たちは、龍一の留守を狙ってやって来ては、千尋の身体を良いように弄んだ。
最初は同じ顔ぶれだったのが、いつの間にか新しい顔が混じるようになり、気付けば、龍一の友人でも何でもない、見ず知らずの男の相手までさせられるようになっていた。
土木作業員という不定休な職種ながら、どうしてここまで龍一の留守を狙ってやって来れるのだろうと不審に思った時にはすでに遅かった。
いや。
本当を言うと、男たちが来たその翌日、いつもはコンビニ弁当を問答無用に差し出す龍一が、必ず、『夕飯は何が食べたい?』と聞いてくることに気付いた時点で薄々感づいてはいた。
気付かないフリをしたのは、龍一を信じたいという気持ちと、たとえ龍一の手引きであったとしても、龍一と暮らす部屋で他の男と関係を持ってしまったことへの罪悪感からだった。
言葉にすることで、曖昧に誤魔化せていたものが現実として浮かび上がり、見たくないものが目の前に突き付けられてしまうような気がした。
千尋は知らん顔を決め込み、龍一にも真意を尋ねようとはしなかった。
龍一は、千尋が気付いていることを暗黙の了解で悟り、ちゃんとした説明もないまま、なし崩しに客を取らせるようになった。
もちろんそれは千尋の本意では無かったが、命を助けられた恩と、やはり、龍一に嫌われたくないという気持ちが心に蓋をした。
客を取らされた日は、龍一は、いつも決まって優しかった。
龍一は、千尋を、『たいした奴だ』と褒め、他の男に抱かれた千尋を労うように甘く抱いた。
千尋は、龍一に抱かれることはもちろん、龍一の役に立てていることが嬉しかった。
役に立ってさえいれば傍にいられる。
千尋は龍一の役に立つために、龍一に言われるままに男たちに身体を開いた。
だからこそ、龍一に大切な人が出来た後も、こうして棄てられずに済んでいるのだと千尋は思っている。
龍一に大切な人が出来たのは二年ほど前のことだった。
それまで滅多なことでは外泊しなかった龍一が頻繁に外泊するようになり、龍一の荷物が少しづつ部屋の中から消えて行った。
そのうち、千尋の元で夜を過ごすことは殆どなくなり、日中にふらりとやって来て、夜には帰って行くという生活パターンに変化した。
そんな生活が一年ほど続いた後、ある日、龍一の左手の薬指に細い指輪が嵌っているのを見て、千尋は、龍一に大切な人が出来たことをようやく理解した。
客の話しでは、龍一は、地元では名の知れた建設会社の跡取り息子で、前々から打診されていた取引先の役員令嬢と結婚したとのことだった。
聞かされた時、千尋は、正直なところ、自分が何を感じ、どう行動したのか具体的なことは何も覚えていなかった。
ただ、龍一に棄てられるかも知れないと思った途端、心臓がバクバクと鼓動を早め、死んでしまいそうなほど息苦しくなった。
そこでプッツリと記憶が途絶え、気付いた時には、いつもの龍一のアパートのベッドの上で龍一に手を握られていた。
千尋が目を覚ますと、龍一は、千尋の名前を呼び、『棄てないから』と呟いた。
結婚の話を聞いた時のショックは忘れてしまったが、その時の安堵は、今でも千尋を温かい波のように押し包んだ。
『棄てないから』
龍一の言葉が素晴らしい魔法の言葉のように聞こえる。
「本当に棄てない?」
その時の幸福感に包まれながら、千尋は、自分を見下ろしながら絶頂へと気持ちを昂らせていく龍一の瞳を上目遣いに覗き見た。
「こんな時になに言って……んだっ……」
「ねぇ、言ってよ。お願い、俺のこと、棄てない?」
龍一は、しかたねぇな、と言いだけに腰の動きを止めた。
「棄てねぇよ。ただし、お前がいい子にしてたらな……」
片側の頬に挑むような笑みを浮かべて言うと、龍一は、下瞼までかかった前髪を指先で払い、千尋と視線を合わせて唇を重ねた。
「んんんっ……」
食べ合うように舌を絡ませながら、互いに抱き締め合い、嫌というほど奥まで身体を繋げる。
後孔を隙間なく埋めて猛り狂う龍一の感触と、入り口にへばり付く淫らな音に意識を持っていかれ、千尋は、本能のまま突き上げるような悲鳴を上げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
第一印象は、小鹿。
上を向いた勝気な瞳が、幼い頃、絵本で見た小鹿によく似ていた。
全体的な雰囲気は猫だ。
白い顔に、長い首。緩やかなウェーブのかかった茶色い髪を揺らしながら背中を丸めて足音も無く歩く姿は、陽だまりの歩道を歩く猫に似ている。
唇がやけに赤く見えるのは肌の色が白いせいだ。普通にしていればいいものを、いつも不貞腐れたように先を尖らせているから余計に目が行ってしまう。
興味深そうに見るくせに、いざ目が合うと、化け物でも見るように視線を逸らす。
身長は170そこそこで、痩せ型。身体の線も細く、頼りない肩幅と小さなお尻は、女子供のそれにしか見えない。
顔も、パッと見、中高生にしか見えないほどの童顔だが、ふとした時に見せる妙に艶っぽい表情が、大人の秘めごとを知っているような、よからぬ雰囲気を漂わせている。
ようするに、何もかもがチグハグで得体が知れない。
迂闊に近寄れば火傷する、正直、あまり深く関わり合いたく無いタイプだ。
脳裏に浮かぶ顔に思いを馳せながら、岡本芳春は、雑草だらけの駐車場に車を停めた。
コーポ幸福荘。
築三十年以上経っているこの木造モルタルアパートを芳春が祖父から相続したのは一年前のことだった。
部屋は上下階で合計八室。
壁が薄く、生活音が響くのと遮断性の悪さからなかなか借り手がつかず、部屋は半分も埋まっていない。
その上、老朽化の進んだ建物はあちこちガタがきており、修繕費だけでもかなりな額に及んだ。
ならばいっそ更地にして売ってしまいたいところだが、家賃の安さが災いし、現在住んでいる住人たちがなかなか出て行かないという弊害もあった。
その上、前オーナーの祖父と何かと比較され、しょっちゅうクレームを入れられていた。
岡本芳春、三十歳。
大学卒業後、家族の反対を押し切りバーテンダー見習いとして老舗のカフェバーで働き始め、その後、色んな店で修行を積んで二十七歳で自分の店をオープンさせた。
カウンターのみのこじんまりとした店だったが、“気軽に寄れる”をコンセプトにラフな感じにしたのが幅広い客層にウケ、お店はそこそこ繁盛し、自分一人の食いぶちが稼げるぐらいの収益は上げていた。
それでも三十歳を目前に、将来を考え、少しでも財を成そうと株でもやってみようかと考えていた矢先だった。
母方の祖父が亡くなり、祖父が所有していた賃貸物件を相続しないかという話が舞い込んだ。
タイミング良く舞い込んだ話に、芳春は、運命的なもの感じ、物件もろくに見ないまま相続してしまった。
仲介業者に管理を丸投げし、オーナーとして悠々自適に収入を得るつもりでいたが、修繕費用が家賃収入を上回ることもある老朽化アパートに仲介業者を雇う財力は無く、管理責任は必然的に芳春の身に降りかかり、クレーム処理から修繕、家賃滞納の対応まで、アパートに関わる問題は全て芳春が引き受けることになった。
そして今日も、芳春は、家賃滞納の対応でアパートを訪れていた。
一階D号室、後藤龍一。
キャッシュレスが主流となったこのご時世に、D号室の後藤龍一は、現金での納入を頑なに希望し、集金に来させると言うタチの悪さで芳春を苛立たせた。
断るつもりでいたが、念のため契約書を確認すると、家賃の納入方法に、『現金での集金』と但書きがしてあった。
仕方なく、芳春は後藤龍一の言い分を飲み、三ヶ月に一度、まとめて集金に来ることで話をつけた。
集金はこれで四回目。
単身で住んでいるという話しだったが、部屋には色白の、西洋系のハーフのような少年も住んでおり、集金に来た芳春にニコリともしないでお茶を出した。
二回目に訪れた時、たまたま後藤が家を開けていて、戻って来るまでの間、部屋で待たせてもらったことがあった。
その時、芳春は少年と少しだけ話しをした。
名前を尋ねると、少年は、千に、尋ねる、と書いて、『ちひろ』という名だと答えた。今年で二十歳になると言ったが、そばかすの浮いた頬と、無駄毛のないつるんとした顎周りは、とても成人を迎える男の顔には見えなかった。
後藤とは似ても似つかない端正な顔立ちとおっとりした雰囲気から、千尋が後藤の弟でないことはすぐに解ったが、かと言って、友人や後輩のようにも見えなかった。
それとなく聞いてみると、千尋は、『内緒』と答えた。
その時の、誘うように見上げる黒目がちの目が、少年のような外見とひどく不釣り合いで、芳春は、奇妙な違和感を覚えた。
違和感は、ぞわぞわとした胸騒ぎに変わり、やがて、苦手意識へと変わって行った。
気付くまでは気にも止めなかった事がやたらと目につき、芳春を疑心暗鬼にさせる。一度色メガネをかけてしまったら、千尋と後藤の何もかもが不自然に思え、自意識過剰とも取れる警戒心を起こさせた。
千尋を見る後藤の目が気になる。
正確に言うなら、芳春が千尋を見ている時に感じる、後藤の意味深な視線。まるで、千尋を見る芳春をじっくりと観察するような、芳春の内面を探り、あれこれと想像して喜んでいるような低俗な視線がたまらなく癇に障った。
後藤の視線を感じるたびに、芳春は、『こいつが気になるんだろう?』と言われているような、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。
今日もあんな思いをするのだろうか。
滅入る気持ちを抑えながら、芳春は、D号室のドアの前で大きく息を吸った。
そして、呼吸を整え、チャイムを鳴らした時だった。
「りゅう!!」
突然胸の中に飛び込んできた華奢な身体に、芳春はギョッと目を丸めた。
千尋だ。
後藤の名前を叫びながら、芳春のシャツを引き千切らんばかりに強く引っ掴み、襟元に鼻先を擦り付けて、取り憑かれたようにしゃくり上げている。
普段の涼やかでおっとりした様子からは想像もつかないほどの取り乱しように、芳春は、何が起きているのかも解らずあたふたと千尋を抱き止めた。
頭を整理しながら、取り敢えず千尋を落ち着かせようと、肩に手を掛ける。
Tシャツに血が着いているのに気付いて顔を上げさせると、目蓋が塞がってしまいそうなほど腫れ上がった赤い目元と涙で焼けた頬が視界に飛び込んだ。
「これは一体……」
端正な顔は見る影も無く泣き歪み、ふわふわと揺れた髪は、汗に固まりべっとりと頭皮に貼り付いている。
血の正体は下唇だった。切れるほど噛み締めたのだろう。下唇と前歯が重なるすぐ内側に赤い鮮血が滲んでいる。その赤色が、ただでさえ赤みの強い千尋の唇をより肉感的に見せていた。
「一体なにがあったんだ……」
千尋は、一瞬大人しくなったものの、すぐにまた両腕を芳春の首に腕を巻き付け、すがり付くように抱きついた。
「りゅう! りゅう! どこ行ってたんだよ! なんで帰って来ないんだよ!」
あまりの激しさに芳春はたじろいだ。
「ちょい待て! 俺は、後藤さんじゃないっ!」
引き離そうと、脇の下に手を差し入れて脇腹を掴む。
途端に、男の身体とは思えないほど薄い華奢な感触が手のひらに伝わり、芳春は慌てて手を離した。
「ごめん」
芳春の声だと解っているのかいないのか、千尋は、身体を剥がされてもなお芳春に抱き付き、胸板におでこをグリグリ擦り寄せた。
「嫌だ! 絶対嫌だよ! りゅう!」
「ちょっと落ち着け、って! 俺は……」
「嫌だ! 棄てない、って言ったじゃないかっ! 良い子にしてたら棄てない、って言ったじゃないかぁっ!」
変なクスリでもやっているのだろうか。芳春は思ったが、今は落ち着かせるのが先だと、千尋の首根っこを捕まえ、顔を上げさて無理に視線を合わせた。
「ほら、よく見ろ! 俺は、後藤じゃないだろう?」
「嫌だ! りゅう! りゅう!」
これでは一向にラチが開かない。
手荒な真似はしたくなかったが、千尋に正気を取り戻させるため、芳春は敢えて千尋の頬を平手で打った。
千尋はお人形のように無抵抗で打たれたが、よろけたところを芳春が抱き止めると、ようやく、しっかりとした瞳で芳春を見返した。
「あんた誰? りゅうは? りゅうはどこ?」
先ほどとは打って変わった攻撃的な反応に、芳春は、先手を取られまいとわざと高圧的に千尋を見下ろした。
「俺は大家の岡本だ。何度か会っただろう?」
「知らない。そんなことより、りゅうは? 早く、りゅうを連れて来てよ」
掴みかかる手を逆に掴み返し、そのまま部屋の奥へと引きずり、床の上に投げつけた。
「痛ってぇ!」
折れそうなほど細い二の腕の感触に、どこか痛めたのではないかと、芳春は、千尋の上半身を起こして腕を取った。
「なにすんだ! 俺に触るなっ!」
抗う手を、じっとしていろ、と嗜め、腕を色々な角度に曲げて痛みを確認する。
雰囲気も変わったが、身体もずいぶん痩せた。
もともと痩せ型ではあるものの、集金に来るたび、いつもお茶を出してくれた手首の綺麗な骨の出っ張りが、今は、肉が落ちてコブのように目立ってしまっている。
前回来てからこの三ヶ月の間に何があったのかは解らないが、床に散らばった弁当の空き容器やところどころ家財道具の抜けた室内の様子から、この部屋の主人である後藤龍一が部屋を出て行ったのは明らかだった。
痴情のもつれか、裏切りか。ただの痴話喧嘩でないことは、千尋の常軌を逸した取り乱し方と、憔悴しきった様子からも容易に推測できる。
千尋は棄てられてしまったのだ。
二人が性的な関係にあることは薄々感付いてはいたが、まさかこんな形で思い知らされるとは夢にも思っていなかった。
優しい言葉の一つも掛けてやりたいところだが、男同士の恋愛に、なんと言葉を掛けたら良いのか見当もつかない。
それに、芳春は、千尋を慰めるためにここへ来たわけでは無かった。
芳春はアパートのオーナーとして、家賃の集金にここへ来たのだ。
どんな事情があるにせよ、本来の目的を果たさずに帰るわけにはいかない。
芳春は、意を決して、千尋に切り出した。
千尋は、涙でグズグズになった顔を上げ、怒っているような困っているような顔をしながら、虚勢を張るように、唇の端に引き攣った薄ら笑いを浮かべた。
「いきなり、なに言ってんの?」
「いきなりじゃない。そのために来たんだ。 四、五、六月分で16万5千円。今すぐ払ってもらわなきゃ困る」
「そんな金ないよ……」
予想通りの返答に、芳春は、オーナーになって以来、いつかは遭遇するであろう場面に備えて用意していた言葉を千尋に突き付けた。
「ないと言われても困るんだよ。今日来ることは前から言ってあるんだし、出て行くにしてもそれまでの家賃はきっちり払ってもらわないと……」
「出て行く……?」
ああ、そうだ、と答えようとして、芳春は、ハッと目を止めた。
千尋の瞳が一瞬にしてぐにゃりと歪み、唇が何か言いたそうにフルフルと震え出す。
「出て行くって、誰が! どうして!」
「どうしても何も、家賃を払わないなら出て行ってもらうしかないだろ?」
「そんなバカな……」
優しく言ったつもりだったが、焼石に水だった。
ヤバイ、と思った時には、時すでに遅く、芳春は千尋に胸ぐらを掴まれ、そのまま押し倒されるように床の上に仰向けにひっくり返った。
「そんなこと絶対に許さない! ここは龍一の部屋なのに! 龍一はここに帰ってくるのに!」
玄関先で飛び付いてきた時と同じ切羽詰まった様子で、千尋は、芳春の上に馬乗りに跨がり、胸ぐらをギリギリと締め上げた。
「ちょっ……離せ、って」
「嫌だ! 俺は龍一を待ってるんだ! 龍一は絶対帰ってくる! ここを追い出されたら俺はどこで龍一を待てばいいんだよ!」
「いいから、ちょっと落ち着けよ」
あまりの激しさに目が眩む。
どうやって落ち着かせるか思案していると、ふいに千尋がピタリと動きを止め、芳春は反射的に千尋を見上げた。
「金を払えばいいの?」
視線を合わせた先で、千尋の、深い闇のような瞳が鈍く光っている。
唇を読まなけば解らないほど小さい、吐息のような声で呟くと、千尋は、
「だったら払うよ」
言いながら、芳春の胸ぐらを掴んだ手を離し、上体を起こして、Tシャツの裾に手を掛け一気に捲り上げた。
「ちょっと、なにやってんだ、お前!」
見るからに滑らかそうな白い胸に薄桃色の乳首。後藤との関係を知ったからか、男の身体にしては妙に柔らかみのある質感に、芳春は、目のやり場に困り、慌てて視線を逸らした。
かたや千尋は、少しも表情を崩すことなく、芳春のズボンに手を掛けた。
「おいっ! バカ! 何するんだ!」
「だから、金、払うんだってば。何でもするから一回二万で買ってよ」
「買うって……」
「金の代わりに身体で払う。一晩くれれば十回ぐらいはいけるから……。生でしても中出ししても構わないよ。縛っても、殴っても、首絞めても、何でもあんたの好きなようにしていいから……」
ファスナーを下ろし、股間に顔を埋める千尋の熱い舌の感触に、芳春の身体に戦慄にも似た痺れが走る。
拒みながらも、本気で抵抗していない自分自身に戸惑う。
馬乗りになられたところで、千尋の痩せギスの身体など、少し力を入れれば簡単に払い退けられる。
それなのに、千尋の舌使いに翻弄され、されるがままに下腹部をいたぶられている自分自身に戸惑った。
耐えきれず目を閉じると、ふいに、いつもこの部屋で目にした後藤龍一の舐めるような視線が脳裏に浮かび、芳春は再び目を見開いた。
芳春の頭の中で、後藤龍一は、千尋に股間を舐められる芳春をじっくりと観察するように眺めていた。
『こいつが気になってだんだろう?』
そう言われているような気がして、頭の中の龍一を慌てて振り払う。
しかし、後藤龍一の声が止むことはなかった。
『こいつの味はどうよ』
芳春の内側を探り、見透かすように、龍一は、芳春の頭の中で、なおも品の無い薄ら笑いを浮かべた。
お腹の上に点々と散らばる白い液体を眺めながら、今村千尋は、たった今精液を放ったばかりの、後藤龍一の呻くような吐息を聞いていた。
生温かい感触と鼻を突く匂い。
龍一の雄の部分に触れるたび、千尋は、自分が龍一のものだということをまざまざと思い知らされる。
龍一の、引き締まった上腕、筋の浮いた二の腕、程よく筋肉のついた胸板、骨張った関節、美しく割れた腹筋。
肩幅の広い、見るからに頑丈そうな身体が圧倒的な力で自分を捻じ伏せ、問答無用に身体の中に押し入ってくる。
まるで、自分の全てを征服されてしまったような感覚だ。
お前は俺のものだと言われているような気がする。
どこにも行くなと言われているような気がする。
それは、帰る場所を持たない千尋の心の拠り所となり、千尋の胸の内側を甘く疼かせた。
「千尋! てめぇ、聞いてんのか、こら!」
ぼんやりしていたところを、突然、胸元に衝撃を感じ、千尋は、うっ、と息を詰まらせた。
「さっきから呼んでんだろ? ほら、さっさと綺麗にしろよ」
龍一が胸の上に馬乗りになってペニスを唇に突きつけている。
射精してもなお龍一のペニスは衰えを見せず、硬く盛り上がったまま赤黒い先端を千尋の上唇にピタリと寄せている。
ご奉仕フェラの要求に千尋が口を開けると、龍一は、押し付けたペニスを揶揄うように唇の上でペチペチと弾ませた後、ゆっくりと中へ押し込んだ。
「もっと、喉チンコに当たるまで飲み込めよ。そうそう、いい子だ。お前はコツを掴むのが上手い。優等生だ」
「ほんほ?」
「ああ、ホントだ……」
最初に、やれ、と言われた時は、あまりの苦しさに、涙と鼻水とよだれで顔をぐちゃぐちゃにしながら必死で吐き気と闘っていた。
それが今では、軽々と咥え、平気で奥まで飲み込んでいる。
口の中で大きくなって行く感触も、舌の上で脈を打つ感覚も、舌に絡まる体液のしょっぱさも、今は存分に味わうことが出来る。
どうすれば龍一を喜ばすことが出来るのかも解ってきた。
答え合わせをするように、千尋は、龍一のペニスに精一杯舌を巻き付け、口を窄めて、きゅぅぅっと、引っ張り上げながら吸った。
「くぅッ……畜生、その気にさせんなよ……」
龍一の手が、前髪を掴んで千尋の顔を自分の股間に引き付ける。腰を突き出されたせいで、口一杯に頬張った龍一のペニスが喉の更に奥深くに当たる。
熱っぽい視線を感じて見上げると、切なそうに目を細める龍一の恍惚とした瞳と目が合い、千尋はドクンと胸を高鳴らせた。
「りゅういひ……まは、いれう? おへ、まは、やらかいとおも……から、すぐれきふよ……」
「ばっか! そのまま喋んな! 変な気分になるだろう!」
答えを聞くまでもなく、龍一が、千尋の口から慌ただしくペニスを引き抜き、両肩を掴んで乱暴に身体をうつ伏せにひっくり返した。
「え……そんな急に……」
「うっせぇ、てめぇが煽ったんだろうが。いいからさっさとケツを上げろ!」
もぞもぞと膝を立てると、龍一の手が待ちきれないとばかり腰をがっつりと掴み、いきり勃ったペニスをお尻の割れ目に突き立て、千尋の中にねじ込んだ。
「いったぁ! ……も……と、やさしくして……よぉっ……ぁぁッ」
先程まで中に入れていたとは言うものの、ローション無しでいきなり挿入された衝撃に、千尋の口から悲鳴が漏れる。
いつもなら間違いなく無視される場面だが、千尋の予想に反し、龍一は、力任せに突き上げていた腰をピタリと止め、身体の奥に沈めた肉棒を後孔からゆっくり引き抜いた。
「え?」
「なんだよ、痛てぇんだろ?」
ペニスを引き抜いたばかりの後孔を覗き込んで、「切れてはいないな」と呟き、ローションを垂らして指先でゆっくりと馴染ませる。
入り口をいつになく丁寧に揉みほぐし、充分柔らかくなったところで自分のペニスにもたっぷりとローションを垂らし、手のひらでまんべんなく伸ばして挿入した。
「あああっ、んはあぁぁっ……ぅあっ」
先程とは違う優しい挿入に、千尋の背中がしなを作って小さく震える。
それでいて胸の奥がゾワゾワと騒ぐのは、千尋の繊細な感覚が、龍一の異変を感じ取っているからだ。
十五歳で拾われてから五年。
出会ったその日に龍一の部屋に連れ込まれて以来ずっと一緒に暮らしているが、千尋の知る限り、龍一は、お世辞にも優しい男とは言えなかった。
龍一は、むしろ、思いやりのない冷たい男だ。
自分勝手でわがままで、気分次第で周りを振り回す。
龍一が優しいのは何か裏がある時だけ。
そして、その“裏”が、徐々にエスカレートしていることも千尋を不安にさせていた。
「あっ……りゅ、りゅうっ!」
お尻の中の感じる部分を巧みに擦り上げながら、ふいに、龍一が、千尋のくびれたウエストから下腹に腕を回し、ペニスを掴んで扱き上げた。
「なっ、ちょっ……」
後背位でする時は、千尋が一人で勝手にイッてしまわないよう、千尋の腕を後ろ手に押さえ付け、自分でペニスを扱げないようにしてしまうのがいつもの龍一のやり方だ。
千尋を極限まで追い詰め、イカせて下さいと何度も懇願させ、本気で泣くまで決して射精を許さない。
それが今夜は、龍一の方から進んで促していた。
「ひッ、ぁああっ……なんで……こんなぁっ……」
「あぁ? いつも、扱かせてくれってギャアギャアわめいてるくせに、何、ワケわかんねぇこと言ってんだ……」
「はぁっ、あっ、ああん」
動揺する千尋を面白がるように、龍一が、手の中に握りしめたペニスを激しく扱き上げ、それと同じリズムで、腰をズンズン奥へ突き入れる。
後ろと前を同時にいじられ、千尋の口から、どこから出しているのか解らないような、鼻にかかった甘ったるい声がほとばしる。呼吸が喘ぎ声に変わり、吐き出す息に、赤味の強い肉感的な唇がわなわなと震え、色素の薄い癖のある髪が、頬骨の上で柔らかく上下した。
「ん……あぁ……やだァもう……イッちゃう……イッちゃうからッ……離してぇっ!」
「イキたきゃイケよ……」
「そんな……アッ、だめぇ……アッ、あ、イヤ……」
首筋がゾワっとしたのも束の間、身体の奥がキュゥッと締まり、お尻の付け根から頭のてっぺんへと焼けつくような快感がザザッと突き抜けた。
背中がビクンと跳ね上がり、千尋は、腰をヒクヒクと突き出しながら、シーツに欲望を吐き出した。
龍一は、絶頂を迎えた千尋に少しの休息も与えず、痙攣の止まない肉壁に何度も腰を突き立て、乱暴に射精した。
こうして二度目のセックスが終わり、千尋が龍一に手渡されたウェットティッシュを箱から二、三枚取り出し、身体を拭き始めた時だった。
案の定、龍一にバイトの話しを切り出され、千尋は不貞腐れたように溜め息をついた。
「もう痛いことはしなくて良い、って言ったじゃん」
「まぁそう言うな。いつもの倍出すって言ってんだ。それに、身体に傷が残るのはNGだってちゃんと言ってあっから」
そう言いながらも、前回も、手首を縛られて天井から吊るされ、肩が外れるほど激しく責めらた。
最初の約束など、行為が始まってしまえば何の意味も無い。
限られた時間の中で己の欲望を少しでも多く満たすには、相手への思いやりを捨ててしまうのが一番だ。
泣こうが、喚こうが、痛がろうが、自分の快楽のみを優先させ、相手の反応など一切気にしない。欲情の前では、千尋など、ただの性欲処理の肉人形にすぎないのだ。
「相手は、藤田さん一人?」
「あ? ああ、確か一人だって聞いてる……」
「ふぅん……」
視線を逸らすのは嘘を付いているからだ。
おそらく相手は一人ではない。
それでも敢えて指摘しないのは、ベッドの隅に捨て置かれたTシャツを手繰り寄せる、龍一の薬指に嵌まる指輪のせいだった。
龍一には大切な人がいる。
それなのに、前と変わらず衣食住の面倒をみてくれて、毎日のように顔を出してくれる。もっともそれは、千尋の身体と、そこから得られる報酬目的と思われたが、龍一に大切な人が出来た時点で放り出されていてもおかしくなかった千尋にとって、龍一の以前と変わらない態度は、たとえ邪な目的でも十分嬉しく、有り難いものだった。
これ以上我が儘を言ってはバチが当たる。
ベッドの上に胡座をかいてTシャツを頭から被る龍一を隣で見上げながら、千尋は、目の前に伸びた龍一の逞しい腕に手を伸ばしてぶら下がるようにしがみ付いた。
「……なんだよ。 暑苦しいから甘えンな……」
龍一は、白目の目立つ目を面倒臭そうに細め、野良猫を追い払うように、「シッ」と唇を尖らせた。
優しいとは言い難い素っ気無い態度だが、いつも威嚇するように尖った研ぎ澄まされた奥二重の目が、二人でいる時は、少しだけ柔らかくなることを千尋は知っている。
優しくはないが嫌われてはいない。それで十分だと思わなければならない。
龍一の、日に焼けた筋肉質の腕に巻き付いた自分の軟弱な白い腕を眺めながら、千尋は、自分自身にそう言い聞かせた。
「わかった。ちゃんと藤田さんの相手するよ」
龍一は、「ああ」と答えると、千尋がぶら下がった方の腕をヨイショと持ち上げ、千尋の頭を自分の胡座の中に引き込んだ。
「縛るのもNGだって言ってあっから安心しな……」
「え……?」
「この前大変だっただろ……」
「りゅう……」
「なんだ。縛られるの嫌だって言ってなかったか?」
「言ったけど……」
「なら、なんでそんなムッとしてんだ」
ムッとしているのではなく、泣きそうになるのを堪えているのだ。
膝枕しているのに髪も撫でない、怒っているのと、嬉しくて胸が一杯になっていることの区別もつかない。それでも、前回、藤田に縄で責められた時のことを気に掛けてくれていたことは嬉しかった。
千尋は、龍一の膝の上に置いた頭をゴロンと仰向けに返し、「ムッとしてないよー」と、わざとおどけた口調で言った。
龍一は、ニコリともせず、むしろ呆れたように、フンッ、と鼻息を吐いた。
「とにかく、明日の昼過ぎに迎えに来るから、いつもみてぇに準備して待っとけよ…」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ごめんなぁ、千尋ちゃん。これ、縛ってんじゃないから。はめてるんだから」
藤田の、顎の尖った神経質そうな顔が、薄気味の悪い笑みを浮かべながら千尋を見ていた。
痩せ型色白の軟弱そうな外見とはうらはらに、加虐心が強く、拘束プレイや陰湿な言葉責めを好む。その藤田が龍一との口約束を守るとは到底思えなかったが、まさか、こんな姑息な真似をするとは思っていなかった。
「ほら、こうやってカチッとはめるだけ。縛るのはダメだけど、はめちゃダメだとは言われてないからね。手首と、足首と、首はこれでよし、と……」
冷たい鉄の感触と重さ。
息苦しさに顔を上げると、鏡張りになった天井に、両手首と両足首にゴツい鉄製の枷をはめられ、首に重厚な首輪を巻き付けられた自分自身の姿が映っていた。
一瞬見ただけなのに、白い肌と黒い鉄のコントラストが、残像となって瞼の裏に貼り付く。
拒絶している筈なのに、どうしていつまでも貼り付いて離れて行かないのか、千尋は、鏡に映る自分の姿に微かな興奮を覚えている自分自身に戸惑った。
これだから藤田の相手は嫌なんだ。
藤田は、キングサイズのベッドの上に座り、傍に置かれたカバンの中から何かを取り出している。
反対側には知らない若い男。
宣言通り昼過ぎに迎えに来た龍一の車に乗せられ藤田の待つホテルに向かうと、藤田と、もう一人、見知らぬ若い男がバスローブ姿で待っていた。
龍一の話ぶりから予想はしていたが、やはり相手は一人では無かった。
見たところ、どこにでもいる普通の若者だが、藤田の知り合いだけに異常性は拭えない。
千尋の不安を裏付けるように、若者は、藤田が手枷を取り出すと、興奮に目を輝かせ、嬉々とした表情で千尋の手首に装着した。
「藤田さん、本当にこの子、俺の好きなようにしていいの?」
手枷と足枷を鎖でそれぞれベッドの脚に縛り付けて千尋を動けなくすると、若者は、千尋の身体の上に馬乗りに覆い被さり、千尋の顔中をベロベロと舐め始めた。
「ああ、可愛い、可愛いなぁ。この子、凄く良い匂いがする。ほっぺも柔らかい。唇もプニプニ。ホント、食べちゃいたい……」
「んんんんっ! んっ、くるし……んふっ……」
唇で唇をこじ開けて舌を深く捻じ込み、千尋の舌を自分の口の中に引っ張り込んで、千切れるほど強く吸い上げる。
ツーンとした痛みとともに背筋に戦慄が走る。
怖いのは、乱暴を通り越した狂気的なキスだ。
そうでなくても、初めての相手は、何をされるか解らない恐ろしさがある。
手足をベッドの脚にギチギチに張られた状態で繋がれているのも拍車を掛けていた。
藤田も拘束プレイを好んだが、藤田がそれを要求したのは、三回ほど普通にセックスの相手をした後だった。
若者のように、初対面でされた訳ではない。そのイレギュラーな状況が千尋の恐怖心を煽り立てていた。
「ん? 緊張してるの? こんな仕事してるくせに? でもまぁその方が俺は嬉しいけど。抵抗出来ない人間を怯えさせるのってホント楽しい……」
舌の先からこぼれた唾液を味わうように啜ると、怯える千尋を面白がるように、若者は、千尋に覆いかぶさった身体を下にスライドさせて胸元に吸い付いた。
「乳首も小粒で可愛いね。君、いくつなんだっけ? こんな子供みたいな乳首して、これが感じてビンビンに尖るとか、逆に卑猥だよね」
珍しいオモチャにかぶりつくように、千尋の乳首を穴があくほど見詰め、乳輪を両側から指先で摘んだり広げたりしながら変形させ、舌先を尖らせて、乳首の表面を突いてペロンと舐め上げる。
左右の乳首を、交互に吸ってはしゃぶる、を繰り返し、時々、歯を立ててキツく引っ張り上げ、千尋が痛がる様子を満足気に目を細めながら眺めた。
「もうちょっと大きいと吸いやすいんだけどな。いっそ俺が一晩中吸って大きくしてやろうか?」
軽口を叩いて乳首をチュッと吸い上げ、今度は、身体を起こして千尋の脚の間に膝を揃えて座り、背中を丸めて股間に顔を近付けた。
「あっ、いやぁっ!」
ペニスに触れるか触れないかのところを唇でなぞられ、反射的に、千尋の口から悲鳴が漏れる。
そのまま口の中に含まれると思っていたが、若者は直ぐに顔を上げた。
「そんなことしてないで、藤田さんもこっちへおいでよ」
藤田は、若者が千尋を弄ぶ様子を見ながら自慰行為に耽っていた。
もともと視姦の趣味があったかどうかは定かでは無いが、藤田は、実際に自分が千尋を抱く時よりも興奮しているように見えた。
「俺はチンポをしゃぶるから、藤田さんは、口でもオッパイでも好きな方をいじっててよ」
若者は言うと、剥き出しになった千尋のペニスを手のひらで包んで撫でさすり、硬くなり始めたところで根元を摘んで真上からすっぽりと口に含んだ。
藤田は、大袈裟なほど舌を長く伸ばして千尋の乳首を舐め上げていたが、若者が千尋のペニスを口に含んだの見て、触発されたように、千尋の顔の上に中腰になって跨がり、ガチガチに硬くなったペニスを咥えさせて腰を前後に振った。
「んんんっ、んぐっ、はぁっ」
千尋の眉間が歪むのは、藤田に、喉の奥まで容赦なくペニスを突き立てられているせいばかりでは無い。自分もまた若者に執拗にペニスを啜られ、その絶妙な舌使いにギリギリまで射精感を促されていた。
若者は、追い討ちを掛けるようにわざと敏感な裏スジの溝を小刻みに舐め、千尋のペニスがヒクヒクと強張り始めると、ふいにペニスから口を離してお尻の肉を左右に開いた。
「んっ、んんっ!」
生温かい舌の感触が、お尻の溝をじれったく這い回る。
中途半端に放り出されたペニスがムズムズと疼き、千尋の腰が、刺激を求めて自然と浮き上がる。しかし若者は、ペニスには一切触れず、後孔の周りだけを執拗に舐め続けた。
「腰が揺れてるの、めっちゃヤラシイなぁ。でも今はこっち方をいじりたいんだよね。やりにくいから足の鎖外そうね……」
カチリ、と音がして足枷に付いた鎖が外れると、若者の手が太ももを掴み、これからが本番だと言わんばかりに、頭の方へ返して千尋のお尻を天井に向けさせた。
「んんんんっ!」
露わになった後孔を指で開かれ、中の粘膜を舌の先でチロチロと突かれて、千尋が更に眉を顰めて呻く。
ローションを垂らされ指を挿入される頃には、千尋は、自分の口に藤田のペニスが押し込まれていることなど忘れてしまったかのように喘ぎ泣いた。
「んァ……あ、んふぅ……ぁんぁぁっ、ん……ひっ……」
「すっげぇヒクヒクしてる。ねぇ、藤田さん、この子すぐに柔らかくなるけど、そんなにヤリ慣れてんの?」
「こういうことしてるぐらいだから素人さんよりは慣れてるだろうが、千尋ちゃんの場合は、まぁ、何というか、“素質”があるんだと思うよ」
「素質?」
「ああ。男に愛される素質、とでも言うのかな。男を受け入れるのが上手い、と言うか、そういう身体を持っていると言うか。いくら受け入れたくても、どうしてもダメな人間もいるからね」
「藤田さんみたいに?」
ああ、と低く頷く藤田の声を、千尋は、快感の波に飲み込まれながら聞いた。
若者は、そっか、と答え、柔らかくなった千尋の後孔に更に三本目の指を加え、肉壁をグチュグチュと掻き回した。
「んああっ、んんんっ、あっ、ひっ」
「ああ、いい反応……。正直、俺は藤田さんに入れてみたいけど、藤田さんが無理なら仕方ないよね……」
「すまない……」
「謝らないでよ。そのためにこの子を用意したんでしょ?」
言いながら、千尋の後孔から指を引き抜き、「そろそろイケるよ」と藤田に声を掛ける。
藤田は、千尋の口からペニスを抜き去ると、手枷の鎖を外して千尋を抱き起こし、ベッドヘッドに浅くもたれて、千尋に、膝の上に後ろ向きに乗るよう命令した。
「自分で跨いで俺のを入れるんだ……」
千尋は、言われた通り、ゆっくり腰を沈めた。
根元まで沈めると、藤田が、後ろから千尋を抱えて上半身を倒し、千尋のお尻を前へ突き出させて下から押し込んだ。
「あああっ、あっ……あ……やだっ……あっ」
何度も経験している藤田のセックス。
力任せなのは相変わらずだが、今日は、いつもと比べて少し優しい気がする。若者がどういうセックスをするのかは解らないが、この分なら案外まともに挿入して終わらせるかも知れない。
そう思った矢先、突然、若者に太ももを押さえ付けられ、千尋はハッと頭を起こした。
「え……なに……」
若者は、千尋の股の間に腰を据え、逞しく反り返ったペニスの先端を、藤田のペニスを咥え込んだ後孔の結合部に押し当てている。
何をしようとしているのか頭が理解した途端、強烈な恐怖が全身を駆け抜け、千尋は、これまでに出したことの無いような悲鳴を上げた。
「待って! もう藤田さんのが入ってるからぁっ! これ以上は無理だからぁっ!」
若者はしかし全く怯まなかった。
「大丈夫だよ。君のここ、すんごく柔らかいから。こうして入り口にたっぷりローションを垂らせば多分入る……」
「やっ、ホント、やだって! やだやだ! お願い! やだってぇぇっ!」
「辛いのは入り口だけだから……ほら、たっぷりローション垂らすし……」
「やだっ! やだぁぁアァァッ!!」
ローションまみれの亀頭が後孔の入り口にめり込み、じわじわと奥へ埋め込まれて行く。
喉を引き裂くような悲鳴を上げると、後ろに座る藤田が千尋の顔に手を回して口を塞いだ。
「んんんんっ! ううう、うぐっ! ひっ! んぅぅっ、んひっ!」
「ああもう、最高……。君の中で藤田さんと一つになってる……。ホント、すごく良い。夢みたいだ……」
痛み、と言うより、恐怖で意識が朦朧とする。
身体より、精神的なショックが大きく、千尋は逃げ出すように意識を失った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
記憶が途切れた後、千尋は、自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。
発作的に、龍一の名前を叫んで飛び起きる。
しかしすぐに、「ここにいる」と腕を掴まれ、現実に引き戻された。
「ちゃんとここにいるから、大丈夫だから……」
温かい手の感触と、力強く握られた腕を包む心地良い痛み。
それが龍一のものであると気付いた途端、泣きたいような安堵が込み上げ、千尋は、傍らに横たわる龍一の胸にすがりついた。
「りゅう! りゅう!」
龍一は、千尋を自分の胸の中に抱き、身体を横向きに起こして、千尋の背中を、幼な子を寝かしつけるようにトントン叩いた。
「大丈夫だから、落ち着け。身体も何ともなってない。もう、なんも心配すんな」
「りゅう……俺……」
「解ってる。全くひでぇことしやがるぜ……。でももうあんな真似はさせねぇから安心しろ」
本当? と、言いかけた言葉を、千尋は声に出すギリギリのところで飲み込んだ。
『もうさせない』という言葉が、龍一にとって、口癖程度の軽いものであることは痛いほど解っている。
これまでにも、千尋が酷いことをされるたびに龍一はそう言って千尋を宥めたが、実際に約束が守られたことはただの一度も無かった。
今回のことも、そもそも、前回、肩が外れるほど縛り上げられた時点で、藤田の相手は二度としなくて良いと言われていた。しかし、それも結局守られることは無かった。
いつも期待してガッカリさせられる。
千尋が嬉しさに胸を踊らす言葉も、龍一にとっては何気ない一言。
千尋が一語一句忘れずに憶えている言葉も、龍一にとってはいつ言ったのかさえ覚えていないような他愛の無い言葉。
龍一にとって千尋はいつも二の次だ。
龍一といると、千尋は、自分が龍一にとっていくらでも代わりの効く人間だということを思い知らされる。
それでも離れないのは、龍一にとっての一番になりたいという願望と、千尋の心の弱さのせいだった。
十五歳で家を飛び出してから、千尋は、ずっと龍一と一緒に生きてきた。
龍一と離れるなんて考えたこともない。龍一がいなければ生きていけない。
精神面だけでなく、金銭面でも生活面でも、千尋は、自分が、自分一人だけの力で生きていけるとは思っていなかった。
自分にはもう龍一しかいない。
そんな思いが、千尋の瞳にフィルターをかけ、龍一の嫌な部分を自分に都合よくぼかし、見えなくさせていた。
まるで、現実から目を背けるように、千尋は、龍一のこれまでの裏切りを綺麗さっぱり過去へと押し流し、今度こそはと淡い期待を抱いた。
「りゅう……俺……本当はもう……」
「ああ。解ってるから、もう何も言うな……」
自分にはもう龍一しか帰る場所はない。
龍一の肩に鼻先を擦り寄せながら、千尋は、龍一の、汗とタバコと整髪料の匂いが入り混じった、腐敗寸前の果実のような大人の男の体臭を胸一杯に吸い込んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
これまでの二十年間の人生において、千尋は、死を意識したことが三回あった。
一度目は、小学三年生の年の暮れ。
父親の事業が失敗し、夜逃げ同然で移り住んだ静岡の古ぼけたアパートの一室での事だった。
突然、背中に焼けるような痛みを感じて前のめりに倒れたら、次の瞬間、病院のベッドの上で目を覚ました。
千尋はそこで、父親が千尋を道連れに無理心中を図ろうとしたことと千尋が生死の境を彷徨っていたことを、お見舞いに来た祖父母が話しているのを聞いて知った。
二回目は、母親が再婚してしばらく経った中学二年の夏。
両親の留守中に、再婚を機に一緒に暮らし始めた大学生の義理の兄に寝込みを襲われ、逃げ場を失った千尋は、当時住んでいたマンションの三階のベランダから飛び降りた。
その時も千尋は、自分が、落ちた時の衝撃であばらが折れて肺に刺さり、大変な状況であったことを病院のベッドの上で聞かされた。
そして、三回目は、龍一と出会った十五の春。
中学を卒業してすぐの春休み、飛び降り事故があった後もずっと続いていた義兄の性的強要がついに母親の知るところとなり、羞恥心と罪悪感に苛まれた千尋は、着の身着のままで家を飛び出した。
なけなしの小遣いで切符を買い、高速バスで一晩かけて新宿に出た。最初の一日は賑やかな都会の雰囲気に気も紛れたが、二日、三日と過ぎてお金が底をつくと、空腹と心細さから、壮絶な孤独と絶望感に襲われた。
そんな千尋に追い討ちをかけるように、季節外れの冷たい雨が丸一日続き、千尋はついに高熱を出して倒れた。
寒さと怠さに奥歯をガチガチと鳴らしながら、千尋は自分の呼吸がだんだんゆっくりになって行くのを感じた。
自分はこのまま死ぬのだと思った。
知らない間に生死を彷徨っていた過去の事故とは違い、自分が死んでいくのがはっきりと自覚出来た。
千尋は、この時初めて、死、というものを意識し、死んで行くことに恐怖を覚えた。
だから、差し出された手を迷うことなく掴んでしまった。
『お前、行くとこ無ぇのか?』
その時、自分がどう答えたのか千尋は覚えていない。
気付くと、温かいお湯の入った湯船の中で、千尋は、男の膝の上に後ろ向きに抱きかかえられ、身体中を撫でられていた。
男は、千尋の肩に顎を乗せて背中に貼り付き、脇腹から胸元へ這わせた手で胸を撫で回し、千尋が乳首を触られて身をよじると、『感じるのか?』と嬉しそうに笑った。
その日は、同じベッドで裸のまま抱き合って眠り、翌朝、目が覚めるとすぐにセックスした。
男のセックスは、愛撫が長くねちっこかったが、義兄にされるより何倍も気持ちよく、アソコも、義兄より一回り大きかったが不思議と耐えられないほど痛くは無かった。
セックスの後、男は、ようやく、自分の名前を名乗った。
後藤龍一。二十七歳。
お前は? と聞かれ、千尋は、『今村千尋』と答えた。
十五歳だと告げると、龍一は一瞬目を丸め、しかしすぐに、『マセてんな』と笑った
『マジで一回り下とかあり得んわ。今からこんなで、この先どうするよ……』
千尋は、何を言われているのかも解らず、自分を真っ直ぐに見詰める、男の、威圧的な、それでいて瞳の奥に深い憂いを帯びた寂しげな目を呆然と眺めた。
龍一は、千尋の素性を詮索することもせず、その後も、千尋を自分の部屋に住まわせ、昼夜を問わず気の向くままに抱いた。
一方千尋は、自分から男に抱かれたいと思ったことは一度も無かったが、義兄の痛いだけの乱暴なセックスしか知らなかったせいもあり、それとは真逆な、龍一の官能的な大人のセックスに溺れて行った。
龍一は、性欲に従順になっていく千尋を可愛がり、馴染みの場所に連れ回しては見せびらかし、友人を部屋へ招いては自慢した。
千尋自身は、どうして龍一がこんなに自分を褒めるのかさっぱり理解できなかったが、龍一が自分のことを『色っぽい』だの、『感度が良い』だのと嬉しそうに友人に話す姿を見るのは好きだった。
龍一の口から甘い言葉が漏れるたび、千尋はとろけるような優越感を覚えた。
そんな生活が半年ほど続いたある日、千尋は、龍一の留守中に訪ねて来た友人たちにレイプされた。
レイプは、大の男が二人掛かりで千尋を押さえ付け、もう一人が無理やり股を割って貫くという逃れようの無いものだったが、千尋は抵抗しなかったのを逆手に取られ、同意の上だと泣き寝入りさせられた。
その後も、男たちは、龍一の留守を狙ってやって来ては、千尋の身体を良いように弄んだ。
最初は同じ顔ぶれだったのが、いつの間にか新しい顔が混じるようになり、気付けば、龍一の友人でも何でもない、見ず知らずの男の相手までさせられるようになっていた。
土木作業員という不定休な職種ながら、どうしてここまで龍一の留守を狙ってやって来れるのだろうと不審に思った時にはすでに遅かった。
いや。
本当を言うと、男たちが来たその翌日、いつもはコンビニ弁当を問答無用に差し出す龍一が、必ず、『夕飯は何が食べたい?』と聞いてくることに気付いた時点で薄々感づいてはいた。
気付かないフリをしたのは、龍一を信じたいという気持ちと、たとえ龍一の手引きであったとしても、龍一と暮らす部屋で他の男と関係を持ってしまったことへの罪悪感からだった。
言葉にすることで、曖昧に誤魔化せていたものが現実として浮かび上がり、見たくないものが目の前に突き付けられてしまうような気がした。
千尋は知らん顔を決め込み、龍一にも真意を尋ねようとはしなかった。
龍一は、千尋が気付いていることを暗黙の了解で悟り、ちゃんとした説明もないまま、なし崩しに客を取らせるようになった。
もちろんそれは千尋の本意では無かったが、命を助けられた恩と、やはり、龍一に嫌われたくないという気持ちが心に蓋をした。
客を取らされた日は、龍一は、いつも決まって優しかった。
龍一は、千尋を、『たいした奴だ』と褒め、他の男に抱かれた千尋を労うように甘く抱いた。
千尋は、龍一に抱かれることはもちろん、龍一の役に立てていることが嬉しかった。
役に立ってさえいれば傍にいられる。
千尋は龍一の役に立つために、龍一に言われるままに男たちに身体を開いた。
だからこそ、龍一に大切な人が出来た後も、こうして棄てられずに済んでいるのだと千尋は思っている。
龍一に大切な人が出来たのは二年ほど前のことだった。
それまで滅多なことでは外泊しなかった龍一が頻繁に外泊するようになり、龍一の荷物が少しづつ部屋の中から消えて行った。
そのうち、千尋の元で夜を過ごすことは殆どなくなり、日中にふらりとやって来て、夜には帰って行くという生活パターンに変化した。
そんな生活が一年ほど続いた後、ある日、龍一の左手の薬指に細い指輪が嵌っているのを見て、千尋は、龍一に大切な人が出来たことをようやく理解した。
客の話しでは、龍一は、地元では名の知れた建設会社の跡取り息子で、前々から打診されていた取引先の役員令嬢と結婚したとのことだった。
聞かされた時、千尋は、正直なところ、自分が何を感じ、どう行動したのか具体的なことは何も覚えていなかった。
ただ、龍一に棄てられるかも知れないと思った途端、心臓がバクバクと鼓動を早め、死んでしまいそうなほど息苦しくなった。
そこでプッツリと記憶が途絶え、気付いた時には、いつもの龍一のアパートのベッドの上で龍一に手を握られていた。
千尋が目を覚ますと、龍一は、千尋の名前を呼び、『棄てないから』と呟いた。
結婚の話を聞いた時のショックは忘れてしまったが、その時の安堵は、今でも千尋を温かい波のように押し包んだ。
『棄てないから』
龍一の言葉が素晴らしい魔法の言葉のように聞こえる。
「本当に棄てない?」
その時の幸福感に包まれながら、千尋は、自分を見下ろしながら絶頂へと気持ちを昂らせていく龍一の瞳を上目遣いに覗き見た。
「こんな時になに言って……んだっ……」
「ねぇ、言ってよ。お願い、俺のこと、棄てない?」
龍一は、しかたねぇな、と言いだけに腰の動きを止めた。
「棄てねぇよ。ただし、お前がいい子にしてたらな……」
片側の頬に挑むような笑みを浮かべて言うと、龍一は、下瞼までかかった前髪を指先で払い、千尋と視線を合わせて唇を重ねた。
「んんんっ……」
食べ合うように舌を絡ませながら、互いに抱き締め合い、嫌というほど奥まで身体を繋げる。
後孔を隙間なく埋めて猛り狂う龍一の感触と、入り口にへばり付く淫らな音に意識を持っていかれ、千尋は、本能のまま突き上げるような悲鳴を上げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
第一印象は、小鹿。
上を向いた勝気な瞳が、幼い頃、絵本で見た小鹿によく似ていた。
全体的な雰囲気は猫だ。
白い顔に、長い首。緩やかなウェーブのかかった茶色い髪を揺らしながら背中を丸めて足音も無く歩く姿は、陽だまりの歩道を歩く猫に似ている。
唇がやけに赤く見えるのは肌の色が白いせいだ。普通にしていればいいものを、いつも不貞腐れたように先を尖らせているから余計に目が行ってしまう。
興味深そうに見るくせに、いざ目が合うと、化け物でも見るように視線を逸らす。
身長は170そこそこで、痩せ型。身体の線も細く、頼りない肩幅と小さなお尻は、女子供のそれにしか見えない。
顔も、パッと見、中高生にしか見えないほどの童顔だが、ふとした時に見せる妙に艶っぽい表情が、大人の秘めごとを知っているような、よからぬ雰囲気を漂わせている。
ようするに、何もかもがチグハグで得体が知れない。
迂闊に近寄れば火傷する、正直、あまり深く関わり合いたく無いタイプだ。
脳裏に浮かぶ顔に思いを馳せながら、岡本芳春は、雑草だらけの駐車場に車を停めた。
コーポ幸福荘。
築三十年以上経っているこの木造モルタルアパートを芳春が祖父から相続したのは一年前のことだった。
部屋は上下階で合計八室。
壁が薄く、生活音が響くのと遮断性の悪さからなかなか借り手がつかず、部屋は半分も埋まっていない。
その上、老朽化の進んだ建物はあちこちガタがきており、修繕費だけでもかなりな額に及んだ。
ならばいっそ更地にして売ってしまいたいところだが、家賃の安さが災いし、現在住んでいる住人たちがなかなか出て行かないという弊害もあった。
その上、前オーナーの祖父と何かと比較され、しょっちゅうクレームを入れられていた。
岡本芳春、三十歳。
大学卒業後、家族の反対を押し切りバーテンダー見習いとして老舗のカフェバーで働き始め、その後、色んな店で修行を積んで二十七歳で自分の店をオープンさせた。
カウンターのみのこじんまりとした店だったが、“気軽に寄れる”をコンセプトにラフな感じにしたのが幅広い客層にウケ、お店はそこそこ繁盛し、自分一人の食いぶちが稼げるぐらいの収益は上げていた。
それでも三十歳を目前に、将来を考え、少しでも財を成そうと株でもやってみようかと考えていた矢先だった。
母方の祖父が亡くなり、祖父が所有していた賃貸物件を相続しないかという話が舞い込んだ。
タイミング良く舞い込んだ話に、芳春は、運命的なもの感じ、物件もろくに見ないまま相続してしまった。
仲介業者に管理を丸投げし、オーナーとして悠々自適に収入を得るつもりでいたが、修繕費用が家賃収入を上回ることもある老朽化アパートに仲介業者を雇う財力は無く、管理責任は必然的に芳春の身に降りかかり、クレーム処理から修繕、家賃滞納の対応まで、アパートに関わる問題は全て芳春が引き受けることになった。
そして今日も、芳春は、家賃滞納の対応でアパートを訪れていた。
一階D号室、後藤龍一。
キャッシュレスが主流となったこのご時世に、D号室の後藤龍一は、現金での納入を頑なに希望し、集金に来させると言うタチの悪さで芳春を苛立たせた。
断るつもりでいたが、念のため契約書を確認すると、家賃の納入方法に、『現金での集金』と但書きがしてあった。
仕方なく、芳春は後藤龍一の言い分を飲み、三ヶ月に一度、まとめて集金に来ることで話をつけた。
集金はこれで四回目。
単身で住んでいるという話しだったが、部屋には色白の、西洋系のハーフのような少年も住んでおり、集金に来た芳春にニコリともしないでお茶を出した。
二回目に訪れた時、たまたま後藤が家を開けていて、戻って来るまでの間、部屋で待たせてもらったことがあった。
その時、芳春は少年と少しだけ話しをした。
名前を尋ねると、少年は、千に、尋ねる、と書いて、『ちひろ』という名だと答えた。今年で二十歳になると言ったが、そばかすの浮いた頬と、無駄毛のないつるんとした顎周りは、とても成人を迎える男の顔には見えなかった。
後藤とは似ても似つかない端正な顔立ちとおっとりした雰囲気から、千尋が後藤の弟でないことはすぐに解ったが、かと言って、友人や後輩のようにも見えなかった。
それとなく聞いてみると、千尋は、『内緒』と答えた。
その時の、誘うように見上げる黒目がちの目が、少年のような外見とひどく不釣り合いで、芳春は、奇妙な違和感を覚えた。
違和感は、ぞわぞわとした胸騒ぎに変わり、やがて、苦手意識へと変わって行った。
気付くまでは気にも止めなかった事がやたらと目につき、芳春を疑心暗鬼にさせる。一度色メガネをかけてしまったら、千尋と後藤の何もかもが不自然に思え、自意識過剰とも取れる警戒心を起こさせた。
千尋を見る後藤の目が気になる。
正確に言うなら、芳春が千尋を見ている時に感じる、後藤の意味深な視線。まるで、千尋を見る芳春をじっくりと観察するような、芳春の内面を探り、あれこれと想像して喜んでいるような低俗な視線がたまらなく癇に障った。
後藤の視線を感じるたびに、芳春は、『こいつが気になるんだろう?』と言われているような、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。
今日もあんな思いをするのだろうか。
滅入る気持ちを抑えながら、芳春は、D号室のドアの前で大きく息を吸った。
そして、呼吸を整え、チャイムを鳴らした時だった。
「りゅう!!」
突然胸の中に飛び込んできた華奢な身体に、芳春はギョッと目を丸めた。
千尋だ。
後藤の名前を叫びながら、芳春のシャツを引き千切らんばかりに強く引っ掴み、襟元に鼻先を擦り付けて、取り憑かれたようにしゃくり上げている。
普段の涼やかでおっとりした様子からは想像もつかないほどの取り乱しように、芳春は、何が起きているのかも解らずあたふたと千尋を抱き止めた。
頭を整理しながら、取り敢えず千尋を落ち着かせようと、肩に手を掛ける。
Tシャツに血が着いているのに気付いて顔を上げさせると、目蓋が塞がってしまいそうなほど腫れ上がった赤い目元と涙で焼けた頬が視界に飛び込んだ。
「これは一体……」
端正な顔は見る影も無く泣き歪み、ふわふわと揺れた髪は、汗に固まりべっとりと頭皮に貼り付いている。
血の正体は下唇だった。切れるほど噛み締めたのだろう。下唇と前歯が重なるすぐ内側に赤い鮮血が滲んでいる。その赤色が、ただでさえ赤みの強い千尋の唇をより肉感的に見せていた。
「一体なにがあったんだ……」
千尋は、一瞬大人しくなったものの、すぐにまた両腕を芳春の首に腕を巻き付け、すがり付くように抱きついた。
「りゅう! りゅう! どこ行ってたんだよ! なんで帰って来ないんだよ!」
あまりの激しさに芳春はたじろいだ。
「ちょい待て! 俺は、後藤さんじゃないっ!」
引き離そうと、脇の下に手を差し入れて脇腹を掴む。
途端に、男の身体とは思えないほど薄い華奢な感触が手のひらに伝わり、芳春は慌てて手を離した。
「ごめん」
芳春の声だと解っているのかいないのか、千尋は、身体を剥がされてもなお芳春に抱き付き、胸板におでこをグリグリ擦り寄せた。
「嫌だ! 絶対嫌だよ! りゅう!」
「ちょっと落ち着け、って! 俺は……」
「嫌だ! 棄てない、って言ったじゃないかっ! 良い子にしてたら棄てない、って言ったじゃないかぁっ!」
変なクスリでもやっているのだろうか。芳春は思ったが、今は落ち着かせるのが先だと、千尋の首根っこを捕まえ、顔を上げさて無理に視線を合わせた。
「ほら、よく見ろ! 俺は、後藤じゃないだろう?」
「嫌だ! りゅう! りゅう!」
これでは一向にラチが開かない。
手荒な真似はしたくなかったが、千尋に正気を取り戻させるため、芳春は敢えて千尋の頬を平手で打った。
千尋はお人形のように無抵抗で打たれたが、よろけたところを芳春が抱き止めると、ようやく、しっかりとした瞳で芳春を見返した。
「あんた誰? りゅうは? りゅうはどこ?」
先ほどとは打って変わった攻撃的な反応に、芳春は、先手を取られまいとわざと高圧的に千尋を見下ろした。
「俺は大家の岡本だ。何度か会っただろう?」
「知らない。そんなことより、りゅうは? 早く、りゅうを連れて来てよ」
掴みかかる手を逆に掴み返し、そのまま部屋の奥へと引きずり、床の上に投げつけた。
「痛ってぇ!」
折れそうなほど細い二の腕の感触に、どこか痛めたのではないかと、芳春は、千尋の上半身を起こして腕を取った。
「なにすんだ! 俺に触るなっ!」
抗う手を、じっとしていろ、と嗜め、腕を色々な角度に曲げて痛みを確認する。
雰囲気も変わったが、身体もずいぶん痩せた。
もともと痩せ型ではあるものの、集金に来るたび、いつもお茶を出してくれた手首の綺麗な骨の出っ張りが、今は、肉が落ちてコブのように目立ってしまっている。
前回来てからこの三ヶ月の間に何があったのかは解らないが、床に散らばった弁当の空き容器やところどころ家財道具の抜けた室内の様子から、この部屋の主人である後藤龍一が部屋を出て行ったのは明らかだった。
痴情のもつれか、裏切りか。ただの痴話喧嘩でないことは、千尋の常軌を逸した取り乱し方と、憔悴しきった様子からも容易に推測できる。
千尋は棄てられてしまったのだ。
二人が性的な関係にあることは薄々感付いてはいたが、まさかこんな形で思い知らされるとは夢にも思っていなかった。
優しい言葉の一つも掛けてやりたいところだが、男同士の恋愛に、なんと言葉を掛けたら良いのか見当もつかない。
それに、芳春は、千尋を慰めるためにここへ来たわけでは無かった。
芳春はアパートのオーナーとして、家賃の集金にここへ来たのだ。
どんな事情があるにせよ、本来の目的を果たさずに帰るわけにはいかない。
芳春は、意を決して、千尋に切り出した。
千尋は、涙でグズグズになった顔を上げ、怒っているような困っているような顔をしながら、虚勢を張るように、唇の端に引き攣った薄ら笑いを浮かべた。
「いきなり、なに言ってんの?」
「いきなりじゃない。そのために来たんだ。 四、五、六月分で16万5千円。今すぐ払ってもらわなきゃ困る」
「そんな金ないよ……」
予想通りの返答に、芳春は、オーナーになって以来、いつかは遭遇するであろう場面に備えて用意していた言葉を千尋に突き付けた。
「ないと言われても困るんだよ。今日来ることは前から言ってあるんだし、出て行くにしてもそれまでの家賃はきっちり払ってもらわないと……」
「出て行く……?」
ああ、そうだ、と答えようとして、芳春は、ハッと目を止めた。
千尋の瞳が一瞬にしてぐにゃりと歪み、唇が何か言いたそうにフルフルと震え出す。
「出て行くって、誰が! どうして!」
「どうしても何も、家賃を払わないなら出て行ってもらうしかないだろ?」
「そんなバカな……」
優しく言ったつもりだったが、焼石に水だった。
ヤバイ、と思った時には、時すでに遅く、芳春は千尋に胸ぐらを掴まれ、そのまま押し倒されるように床の上に仰向けにひっくり返った。
「そんなこと絶対に許さない! ここは龍一の部屋なのに! 龍一はここに帰ってくるのに!」
玄関先で飛び付いてきた時と同じ切羽詰まった様子で、千尋は、芳春の上に馬乗りに跨がり、胸ぐらをギリギリと締め上げた。
「ちょっ……離せ、って」
「嫌だ! 俺は龍一を待ってるんだ! 龍一は絶対帰ってくる! ここを追い出されたら俺はどこで龍一を待てばいいんだよ!」
「いいから、ちょっと落ち着けよ」
あまりの激しさに目が眩む。
どうやって落ち着かせるか思案していると、ふいに千尋がピタリと動きを止め、芳春は反射的に千尋を見上げた。
「金を払えばいいの?」
視線を合わせた先で、千尋の、深い闇のような瞳が鈍く光っている。
唇を読まなけば解らないほど小さい、吐息のような声で呟くと、千尋は、
「だったら払うよ」
言いながら、芳春の胸ぐらを掴んだ手を離し、上体を起こして、Tシャツの裾に手を掛け一気に捲り上げた。
「ちょっと、なにやってんだ、お前!」
見るからに滑らかそうな白い胸に薄桃色の乳首。後藤との関係を知ったからか、男の身体にしては妙に柔らかみのある質感に、芳春は、目のやり場に困り、慌てて視線を逸らした。
かたや千尋は、少しも表情を崩すことなく、芳春のズボンに手を掛けた。
「おいっ! バカ! 何するんだ!」
「だから、金、払うんだってば。何でもするから一回二万で買ってよ」
「買うって……」
「金の代わりに身体で払う。一晩くれれば十回ぐらいはいけるから……。生でしても中出ししても構わないよ。縛っても、殴っても、首絞めても、何でもあんたの好きなようにしていいから……」
ファスナーを下ろし、股間に顔を埋める千尋の熱い舌の感触に、芳春の身体に戦慄にも似た痺れが走る。
拒みながらも、本気で抵抗していない自分自身に戸惑う。
馬乗りになられたところで、千尋の痩せギスの身体など、少し力を入れれば簡単に払い退けられる。
それなのに、千尋の舌使いに翻弄され、されるがままに下腹部をいたぶられている自分自身に戸惑った。
耐えきれず目を閉じると、ふいに、いつもこの部屋で目にした後藤龍一の舐めるような視線が脳裏に浮かび、芳春は再び目を見開いた。
芳春の頭の中で、後藤龍一は、千尋に股間を舐められる芳春をじっくりと観察するように眺めていた。
『こいつが気になってだんだろう?』
そう言われているような気がして、頭の中の龍一を慌てて振り払う。
しかし、後藤龍一の声が止むことはなかった。
『こいつの味はどうよ』
芳春の内側を探り、見透かすように、龍一は、芳春の頭の中で、なおも品の無い薄ら笑いを浮かべた。
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