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ハルカの落車
その頃、トシヤは疲れきってハンドルに突っ伏していた。
「ふうっ……ダメだな……俺は……」
トシヤはハンドルに突っ伏したまま呻くように呟いた。無理も無い、ハルカはどんどん上って行ったのに対し、自分はこんなところでへたばっているのだから。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。こうしているうちにもハルカはどんどん先へ進んでしまうだろうから。
「ふうっ、そろそろ行かんとな……」
トシヤは身体を起こし、ハンドルを握る手に力を込め、右足をペダルに乗せ、走り出そうとした。だが、ペダルを踏み込ん途端、右足の前腿の筋肉に重い痛みが走った。そして次に左のペダルを踏んだ時、左足の前腿の筋肉にも右足と同じく重い痛みが走った。
「ダメだな、こりゃ……」
たまらず足を着いたトシヤはまたハンドルに突っ伏して苦しそうに声を漏らした。走り出そうとしてクランク一回転、距離にしてわずか4メートルしか進んでいない。
「ハルカちゃんにメッセージ、送っとくか……」
トシヤは痛む左足の太腿をさすりながら右手でスマートホンをジーパンのポケットから取り出した。もうダメだと判断し、DNF(Did Not Finishの略で、早い話がリタイヤのこと)を宣言しようと思ったのだ。
しかしその時、過去の記憶がトシヤの脳裏を過ぎった。渋山峠に通い始めた頃、何度か途中で諦めてすごすごと折り返していたことを。
「こんなトコであきらめちゃいられないよな」
思い直したトシヤはスマートホンをポケットにしまい、ママチャリから降りた。漕いでも前に進めないのなら、押してでも前に進めば良いのだ。格好悪い姿ではあるが、途中であきらめるよりはマシだ。
ママチャリから降りて地面に立つと、あらためて坂の勾配の強さを感じられる。トシヤは思った。
――下りでスピード落とすのに苦労するわけだ。よくこんな坂、上ってたな――
渋山峠のダウンヒルは頂上から第一ヘアピンまでのセンターラインが無く狭い区間は斜度が10%超とキツい上にカーブも曲がり込んでいるのでブレーキをほとんど握りっぱなし(ブレーキが熱ダレしない程度に放さななければならないが)ので握力が売り切れてスピードを落とすのに苦労する。そして第一ヘアピンを過ぎ、麓の交差点までのセンターラインが引かれ、広くて走りやすい区間を走る頃にはブレーキレバーを握る手が疲れきっているために思うようにブレーキングが出来ず、斜度は緩くなっているとは言え結構なスピードが出てしまうので、やはりスピードを落とすのに苦労するハメになるのだ。
トシヤはママチャリ押して一歩前に踏み出した。
――屈辱だ。こんな姿は誰にも見られたくない。後ろから誰も来ませんように……――
思いながらもう一歩前に出た時、一台の自転車が下ってくるのが見えた。
「あーあ、格好悪いトコ、見られちまうな……」
トシヤは迫ってくる自転車をチラッと見ると顔を伏せて呟いた。いつものトシヤなら前から来るのがどんな自転車か? ドコのメーカーか? どんな装備で走ってるか? などと興味深く観察するところだが、今のトシヤはママチャリだとは言え、漕がずに押している。それが負い目となっているのだ。
そして次の瞬間、トシヤは名前を呼ばれた気がした。
「トシヤ君!」
聞き覚えのある声だ。だが、その声の主はこの道の先をどんどん上っている筈。そう思ってトシヤが顔を伏せたままでいるとスキール音が響いた。キツい下り坂で急ブレーキをかけるとリヤタイヤは簡単にグリップを失う。ハルカはママチャリを押して上っているトシヤの姿を見てフルブレーキをかけた為にグリップを失ったリヤタイヤがロックし、派手にスキール音を上げたのだ。
もちろんタイヤがロックすれば制動距離は伸びてしまう。ハルカのママチャリはトシヤとすれ違ってから数メートル走って止まった。ハルカは車が来ないことを確認し、Uターンしてトシヤの元へと向かおうとしたが、慌ててUターンしようとしたことでバランスを崩してしまった。
「きゃっ」
ハルカは短い声を上げ、足を着いて体勢を立て直そうとした。しかし残念なことにハルカの足には彼女の身体を支えるだけの力が残ってはいなかった。
「あっ、ハルカちゃん!」
スキール音で顔を上げ、下ってきたのがハルカだとわかった途端、目の前で落車してしまったのを見たトシヤは悲鳴にも似た大声を上げ、慌ててママチャリのスタンドを掛け、大急ぎでハルカに駆け寄った。
「あいたた……」
「大丈夫?」
トシヤは道路に転がってしまったハルカの手を取って立たせてあげ、倒れてしまったハルカのママチャリを起こし、脇に寄せた。
「ありがとう、トシヤ君。恥ずかしいところ、見られちゃったな」
「そんなことよりケガは? どこも痛めてない?」
「大丈夫。立ちゴケみたいなものだから」
「そっか、よかった」
Uターン中でほとんどスピードが出ていなかったこと、そして山側に転んだことでハルカは手のひらと膝小僧を少しすりむいただけだった。もしハルカが膝上のキュロットでなくジーパンでも履いていたら膝をすりむくことはなかったかもしれない。だが、ハルカがロードバイクに乗る時に履いているのは防御力が皆無のレーシングパンツなのだから、安全意識が低いとは言い切れないだろう。
「自転車も問題ないみたいだな」
トシヤがハルカのママチャリをチェックして言った。もっとも『チェック』と言ってもトシヤが出来るチェックなどたかが知れている。せいぜい『ブレーキは効くか』とか『ハンドルやレバーは曲がっていないか』『チェーンが外れていないか』ぐらいだ。はっきり言ってハルカもメカについてはそこまで詳しくは無い。だが、さすがはママチャリ。ダメージはハンドルグリップやサドル、そしてペダルに少し傷が付いた程度で走行にはまったく支障は無さそうだった。
「ケガの手当もしなきゃだし、今日は帰ろうか」
「ごめんね。私が転んじゃったせいで」
「いやいや、俺だってへたばってたし。渋山峠にはいつだって来れるんだから、とりあえずコンビニで傷薬買ってケガの応急処置しようよ」
「うん」
トシヤはハルカにハルカのママチャリのハンドルを委ねると、道路を渡り、自分のママチャリに跨った。
「ふうっ……ダメだな……俺は……」
トシヤはハンドルに突っ伏したまま呻くように呟いた。無理も無い、ハルカはどんどん上って行ったのに対し、自分はこんなところでへたばっているのだから。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。こうしているうちにもハルカはどんどん先へ進んでしまうだろうから。
「ふうっ、そろそろ行かんとな……」
トシヤは身体を起こし、ハンドルを握る手に力を込め、右足をペダルに乗せ、走り出そうとした。だが、ペダルを踏み込ん途端、右足の前腿の筋肉に重い痛みが走った。そして次に左のペダルを踏んだ時、左足の前腿の筋肉にも右足と同じく重い痛みが走った。
「ダメだな、こりゃ……」
たまらず足を着いたトシヤはまたハンドルに突っ伏して苦しそうに声を漏らした。走り出そうとしてクランク一回転、距離にしてわずか4メートルしか進んでいない。
「ハルカちゃんにメッセージ、送っとくか……」
トシヤは痛む左足の太腿をさすりながら右手でスマートホンをジーパンのポケットから取り出した。もうダメだと判断し、DNF(Did Not Finishの略で、早い話がリタイヤのこと)を宣言しようと思ったのだ。
しかしその時、過去の記憶がトシヤの脳裏を過ぎった。渋山峠に通い始めた頃、何度か途中で諦めてすごすごと折り返していたことを。
「こんなトコであきらめちゃいられないよな」
思い直したトシヤはスマートホンをポケットにしまい、ママチャリから降りた。漕いでも前に進めないのなら、押してでも前に進めば良いのだ。格好悪い姿ではあるが、途中であきらめるよりはマシだ。
ママチャリから降りて地面に立つと、あらためて坂の勾配の強さを感じられる。トシヤは思った。
――下りでスピード落とすのに苦労するわけだ。よくこんな坂、上ってたな――
渋山峠のダウンヒルは頂上から第一ヘアピンまでのセンターラインが無く狭い区間は斜度が10%超とキツい上にカーブも曲がり込んでいるのでブレーキをほとんど握りっぱなし(ブレーキが熱ダレしない程度に放さななければならないが)ので握力が売り切れてスピードを落とすのに苦労する。そして第一ヘアピンを過ぎ、麓の交差点までのセンターラインが引かれ、広くて走りやすい区間を走る頃にはブレーキレバーを握る手が疲れきっているために思うようにブレーキングが出来ず、斜度は緩くなっているとは言え結構なスピードが出てしまうので、やはりスピードを落とすのに苦労するハメになるのだ。
トシヤはママチャリ押して一歩前に踏み出した。
――屈辱だ。こんな姿は誰にも見られたくない。後ろから誰も来ませんように……――
思いながらもう一歩前に出た時、一台の自転車が下ってくるのが見えた。
「あーあ、格好悪いトコ、見られちまうな……」
トシヤは迫ってくる自転車をチラッと見ると顔を伏せて呟いた。いつものトシヤなら前から来るのがどんな自転車か? ドコのメーカーか? どんな装備で走ってるか? などと興味深く観察するところだが、今のトシヤはママチャリだとは言え、漕がずに押している。それが負い目となっているのだ。
そして次の瞬間、トシヤは名前を呼ばれた気がした。
「トシヤ君!」
聞き覚えのある声だ。だが、その声の主はこの道の先をどんどん上っている筈。そう思ってトシヤが顔を伏せたままでいるとスキール音が響いた。キツい下り坂で急ブレーキをかけるとリヤタイヤは簡単にグリップを失う。ハルカはママチャリを押して上っているトシヤの姿を見てフルブレーキをかけた為にグリップを失ったリヤタイヤがロックし、派手にスキール音を上げたのだ。
もちろんタイヤがロックすれば制動距離は伸びてしまう。ハルカのママチャリはトシヤとすれ違ってから数メートル走って止まった。ハルカは車が来ないことを確認し、Uターンしてトシヤの元へと向かおうとしたが、慌ててUターンしようとしたことでバランスを崩してしまった。
「きゃっ」
ハルカは短い声を上げ、足を着いて体勢を立て直そうとした。しかし残念なことにハルカの足には彼女の身体を支えるだけの力が残ってはいなかった。
「あっ、ハルカちゃん!」
スキール音で顔を上げ、下ってきたのがハルカだとわかった途端、目の前で落車してしまったのを見たトシヤは悲鳴にも似た大声を上げ、慌ててママチャリのスタンドを掛け、大急ぎでハルカに駆け寄った。
「あいたた……」
「大丈夫?」
トシヤは道路に転がってしまったハルカの手を取って立たせてあげ、倒れてしまったハルカのママチャリを起こし、脇に寄せた。
「ありがとう、トシヤ君。恥ずかしいところ、見られちゃったな」
「そんなことよりケガは? どこも痛めてない?」
「大丈夫。立ちゴケみたいなものだから」
「そっか、よかった」
Uターン中でほとんどスピードが出ていなかったこと、そして山側に転んだことでハルカは手のひらと膝小僧を少しすりむいただけだった。もしハルカが膝上のキュロットでなくジーパンでも履いていたら膝をすりむくことはなかったかもしれない。だが、ハルカがロードバイクに乗る時に履いているのは防御力が皆無のレーシングパンツなのだから、安全意識が低いとは言い切れないだろう。
「自転車も問題ないみたいだな」
トシヤがハルカのママチャリをチェックして言った。もっとも『チェック』と言ってもトシヤが出来るチェックなどたかが知れている。せいぜい『ブレーキは効くか』とか『ハンドルやレバーは曲がっていないか』『チェーンが外れていないか』ぐらいだ。はっきり言ってハルカもメカについてはそこまで詳しくは無い。だが、さすがはママチャリ。ダメージはハンドルグリップやサドル、そしてペダルに少し傷が付いた程度で走行にはまったく支障は無さそうだった。
「ケガの手当もしなきゃだし、今日は帰ろうか」
「ごめんね。私が転んじゃったせいで」
「いやいや、俺だってへたばってたし。渋山峠にはいつだって来れるんだから、とりあえずコンビニで傷薬買ってケガの応急処置しようよ」
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トシヤはハルカにハルカのママチャリのハンドルを委ねると、道路を渡り、自分のママチャリに跨った。
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