上 下
1 / 33

何だ、コイツは!?

しおりを挟む
 窓のカーテンの隙間から眩しい光が差し込む。

「うーん、もう朝か……ん?」

 温もりと柔らかい感触を感じた晴人が薄目を開けると目と鼻の先に女の子の寝顔があった。寝ぼけてるのか、それとも何かの見間違いなのかと目をこすってもう一度見てみると、そこにあるのは紛う事無き女の子の寝顔。しかもはっきり言って可愛い。だが何か違和感を感じる。何か変な物が頭に付いているのだ。

 コレ、何だっけ……そうだ、ネコ耳だ。って、ネコ耳!? ガバっと晴人が起き上がると布団からは女の子の上半身が突き出している。しかも何も着ていない。つまり要するに彼女は裸!?

「うぉあわえ○×△……」

 晴人が声にならない叫びを上げ、布団を女の子にかぶせると、その叫び声に建一が目を覚ました。

「なんだよ朝っぱらからうっせーなー。怖い夢でも見たか?」

 呑気に二段ベッドの上から顔を覗かせる建一の顔が一瞬で固まった。晴人が彼女にかぶせた布団から頭とネコ耳が飛び出してしまっていたのだった。

「なんてことだ……俺が寝てる間に二段ベッドの下でネコ耳プレイが繰り広げられていたとは……」

「いや、知らん! 誤解だ!!」

 晴人は取り繕おうとするが、状況は一目瞭然。建一は冷やかな目を晴人に向けた。

「おいおい晴人君、この状況で何を言っているんだい?」

「ち、違う。落ち着け建一!!」

「落ち着くの、お前な。大丈夫、内緒にしといてやるから」

 建一は晴人が女の子を連れ込んだと信じて疑わない。もっともこの状況を見れば当然と言えば当然の反応なのだが、本当に身に覚えの無い晴人としてはたまったものでは無い。

「俺の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 晴人の悲痛な叫び声が部屋に響いた。 


 話は前日の昼に遡る。

「ただいま帰りました」

 とある冬の日。晴人は陽溜りで寝ているトラ猫の頭を撫でてる寮母の智香の姿を見つけ、声をかけた。

「あら、晴人君おかえりなさい。お家はどうでした?」

「親が煩くって。早く寮に戻りたかったですよ」

「その割にはなかなか戻ってきませんでしたね~。実はお母さんにいっぱい甘えてたんじゃないですか? ご両親も久しぶりに晴人君の顔を見て嬉しかったでしょうしね」

 寮母と言うとおばさんのイメージがあるが、智香はまだ若く、どう見ても二十代前半にしか見えない。おまけに肩まで伸びたストレートの黒髪とタレ目気味の大きな目が人目を引く、寮母にしておくのがもったいない程の美人だ。

 全寮制の学園に通う晴人は冬休みに帰省していたのだが、明後日から三学期ということで寮に戻ってきた。だらだら昼まで寝られた冬休みともお別れ。晴人はいっつも寝ているこいつが羨ましいなと思いながら智香の隣にしゃがみ込み、猫の頭を撫でた。

「こいつ、いっつも寝てますよねー」

「タマちゃん、おばあちゃんですから」

「おばあちゃんか。確かにそんな感じしますね~」

「私が学園に通ってた頃から居てましたからねー」

「えっ智香さん、ココの卒業生なの?」

「ええ、私もこのコも晴人君よりず~っと先輩なんですよ」

 この猫、聞けば寮母の智香がこの学校に入学してきた時からこんな感じで日溜りで寝ていたらしい。猫好きの智香が世話をする様になってからはこの寮の飼い猫の様に居着き、智香が卒業、そしてこの寮の寮母として着任してからは彼女の意向で正式な飼い猫に昇格したらしい。

「コイツ、寮の先輩っすか~。それにしてもいつも良いポジションで寝てますよねー。先輩だから遠慮無しってワケだ。たまに俺のベッドで寝てたりもしますよ」

「それは晴人君がドアとか窓を開けっ放しにしてるからでしょ」

「へへっ、俺、ネコ派っすから。でも、寝てるだけじゃなくって遊んで欲しいっすよ」

 そんな話をしながら晴人と智香は猫の頭を撫でたり喉をゴロゴロしたりするが、猫は時折薄目を開けてニャーと鳴くぐらいでまったく起きようとしない。正に大先輩の風格を持つ堂々たる態度だった。

「さて、先輩に挨拶もしたし、そろそろ部屋に戻ります。健一も帰ってることでしょうし」

「ああ、健一君ならお正月明けてすぐ戻って来たわよ。なんでもレポート提出しないと三年生になれないとか」

 猫から手を放し、立ち上がった晴人に智香は困った顔で言った。すると晴人は苦笑いしながら大きな溜息を吐いた。

「建一のヤツ、期末テスト散々だったって言ってましたからね」

 晴人が通う全寮制の豊臣学園は『自分の行動は全て自分に帰って来る』という学園長の理念に基づいて生徒の自主性を重んじ、校則が無駄に厳しくない。かと言ってそれに甘えて適当にやっていると、何かあった時のペナルティが非常に厳しいのだ。


「おお晴人、帰ってきたか! 待ちわびたぜ!!」

 寮は二人部屋。ドアを開けた瞬間ルームメイトの健一が晴人の顔を見て泣きそうな顔で迫ってきた。もちろん二人共にそっちの気は無い。

「冬休みのレポート、いいトコまでいったんだが、どうもうまいことまとまらねぇ。助けてくれ!」

「しょうがねぇな。見せてみな」 

 前述の『大きなしっぺ返し』の一つ『容赦ない留年』の危機に晒された建一を救う為、寮に戻ってくるなり机に向かう晴人。ちなみに今回のレポートのテーマは『足利将軍』だ。晴人は建一曰く『いいトコまでいった』レポートを見て愕然とした。それは時系列と出来事を羅列しただけのモノだったのだ。しかも「これを提出するつもりか?」と思わせる様な汚い字で書き殴ってある。晴人の口から辛辣な言葉と的確な指摘が飛び出した。

「建一、コレはレポートとは言わん。ココとココに線引いて、こうやったら……ほれ、年表の完成だ。ま、小学生の自由研究レベルだな」

「じゃあどうすりゃあ良いんだよぉ?」

 晴人が言う通り、枠線を引けば年表の体裁が整えられた。それも建一の汚い字の上に晴人がフリーハンドで適当な線を引いたものだから、その完成度はまさに小学生レベル。泣きそうな声で晴人に縋り付く建一に晴人は少し考えてアドバイスを与えた。

「そうだな……起こった出来事や年代だけでなく、将軍一人一人をもっと掘り下げるとか」

「なるほど。ところで足利将軍って何者なんだ?」

「お前、自分で書いたコレ、理解出来てないのかよ……」

 建一は真顔で聞いて来た。レポート(と言うか、年表。但し小学生の自由研究レベル)を書いておきながら、その内容を全く理解していないとは。引き気味の晴人に建一は胸を張って答えた。

「ああ。さっぱりだ。」

「お前、日本史やる気全く無いだろ」

 威張るトコじゃ無いだろと思いながら言う晴人に、建一は尚も胸を張って言い切った。

「おう、俺は過去は振り向かねぇ。前だけ見て進むだけだ」

 言葉だけ聞けば男らしい、格好良い様な感じもするが、要は日本史を覚えられない事に対する自己弁護でしか無い。晴人もこうまで言い切られてしまっては返す言葉が見つからない。しかしここで黙ってしまっては建一に明るい未来は望めなくなってしまう。晴人は声を震わせながら声を絞り出した。

「なに言ってんだよお前は。覚えろよ! テストで点取れないだろうが!」

 晴人の口から『覚えろ』という言葉が出た。もっとも教師からは耳にタコができる程聞かされ続けてきた言葉ではある。しかし、そんな言葉がまさか親友の晴人の口からも発せられるとは……建一は悲しい目をして言った。

「テストで点を取る為、進級する為にだけ覚えろ……か。不毛だな」

「そうか、じゃあ俺には何もしてやれることは無い」

 建一の言葉に晴人がサジを投げ、立ち上がろうとすると建一が必死になって引き止めた。

「わかった、悪かったよ。ちゃんとやりますからレポート手伝って下さい。お願いします」

 本当にわかってるのかどうかは定かでは無いが、とりあえずは目の前の問題を解決しなければならない。晴人は呆れた顔で座り直した。

「まったく……いいか、足利尊氏が室町幕府を作った足利将軍の初代だ」

「お、おう」

 建一は本当にわかっているのか? 疑わしい目をしながらも晴人は話を続ける。

「足利将軍と言ったら義満ぐらいは知ってるだろ?」

「そいつは知ってるぜ。一休さんに出てくる将軍様だよな」

 建一は得意満面に答えた。すると晴人は露骨に嫌そうな顔をして言い出した。

「俺が嫌いな将軍でもあるんだがな」

「なんで?」

 自分で名前を出しておきながら、義満が嫌いだと言う晴人に建一は不思議そうな顔で聞いた。

「考えてみろ。将軍って何だ?」

「偉い人じゃないのか?」

 建一にとってはこの程度の認識でしか無かった。晴人は畳み掛ける様に次の質問を彼にぶつけた。

「何故将軍は偉いんだ?」

「さあ?」

 素直に答える建一。わからない事をわからないと正直に言える人間、良くも悪くもそれが彼なのだ。ここから晴人はヒートアップし、面倒臭い持論を展開し出した。

「将軍ってのは正式には『征夷大将軍』と言って、元々は平安時代に朝廷から命じられた蝦夷征伐の為の軍のトップだ。それが鎌倉時代以降は武家政権のトップに与えられる称号となったんだが、とにかく武士の頂点に立つ人間のことだ。武士のトップたろう者が、たかだか小坊主の浅知恵に感心するなど言語道断! 金閣なんぞ作って文化人面して喜んでいたなんて、愚か者だとは思わないか?」

 足利義満と言えば、南北朝の統一を果たした偉人でもあるのだが、逆に、それだけの人物が後に武士としてより文化人として生きた事に対して晴人は憤慨しているらしい。

「いや、昔話にそんな興奮せんでも……」

「いくら世が安定しようと刀は研いでおかなければならない。文化に興ずるのも結構だが、武士としての自覚が義満には足らん!!」

 建一が止めようとしたが、晴人の口は止まらない。遂には義光に将軍としての自覚が足りないとまで言い出す始末。彼の面倒臭い持論は更に続いた。

「俺が好きなのは十三代将軍義輝だ。塚原卜伝の直弟子として剣の腕を磨き、……って、寝てんじゃねぇぞコラ!!」

「すまんすまん、難しい話聞いて気が遠くなっちまった。」

 どうやら建一は、延々と続く晴人の持論について行けなくなった様だ。ようやく晴人も落ち着き、話を締めた。

「何が『難しい話』だ。まあ将軍一人一人を掘り下げた上で、徳川将軍も十五代で終わったことを絡めれば先生のウケも 良いんじゃねぇか?」

「おう、じゃその線で行くか。頼むぜ晴人!」

 晴人の提案に乗ろうと建一は威勢良く言うが、晴人はばっさりと切り捨てた。

「いや、やるのはお前だ」

 こんなバカなやりとりに寮に戻ってきたことを実感する晴人だった。素直にパソコンで調べ物を始める建一とそれを見守る晴人の間に静かな空気が流れる……わけが無く、すぐにその静けさは破られた。

しおりを挟む

処理中です...