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旅立ち
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第一章 旅立ち
村を旅立った儀助が向かったのは鬼ヶ島……では無い。実のところ儀助は鬼の所業を聞いてじっとしていられなくなり、思い付きと勢いで『鬼を成敗しに行く』などとお爺さんとお婆さんに言っただけ。つまり儀助は鬼が何処に居るかなど知らないのだ。無計画も良いトコだが今更そんなことを言っても仕方が無い。とりあえず鬼が出たという町を目指して儀助は歩いた。
『鬼が出たという町』に儀助が着いた頃には日はすっかり傾いてしまっていた。しかし町は儀助の住んでいた村とは違い、夕刻にも関わらず賑やかで活気に溢れていた。儀助は町の人々は怯えて暮らしているに違い無いとばかり思っていたのだが、そんな風には全く見えない。不思議に思いながら儀助は休憩と情報集を兼ねて一軒の店に入った。
儀助が入ったのは飯屋と酒場を兼ねている様な店で、そう広くもない店内は酔客で賑わっていた。
「いらっしゃい」
店の女将に声をかけられたが、儀助はまだお酒が飲める年齢では無い。それにお婆さんに持たせてもらったお金は大事に使わなければならない。そこで一番安い定食を頼み、周囲の酔客達の話に耳を傾けたのだが、聞こえてくる話は仕事の愚痴や女の話などのたわいのない話ばかりで鬼の話など全く出なかった。
「はい、おまちどお様」
鬼に関する情報が入るどころか鬼が話題にも上がらない状況に儀助が首を傾げていると、女将さんが料理を持ってやって来た。そこで儀助は思い切って女将に尋ねてみることにした。
「あの……町に鬼が現れたって聞いたんですけど、そんな風には思えないんですが……」
すると女将はあっさりした顔で驚くべき事実を儀助に告げた。
「ああ、もう半年にもなるかねぇ……あれから暫くはまた来るんじゃないかってビクビクしてたんだけど、みんな生活があるからね。いつまでもそんな事言ってられないのよ」
鬼がこの町を襲ったのは半年も前の事で、それ以来鬼が現れる事は今のところ無いのだそうだ。この町としては良い事ではあるのだが、儀助にとっては由々しき事態だ。せっかくお爺さんに『鬼斬』を、お婆さんにお金を持たせてもらって鬼の成敗に出たと言うのにこのままでは単なる物見遊山の旅に終わってしまう。それだけは何としても避けたい。お婆さんから無茶はするなと言われてはいるが、このまま村へ帰ってしまってはお爺さんとお婆さんに合わせる顔が無い。
儀助が困っていると、女将は更に容赦無い言葉を叩き付けてきた。
「あんた、もしかして鬼退治でもして名を上げようと思ってたのかい? だったらもっと情報をしっかり集めないとね」
儀助としては情報収集を兼ねてこの店に入ったつもりなのだが…… とは言え客層を見る限り、この店は情報収集には向いていない様な気もする。なにしろ酔客達はどう見ても近所のおっさんばかりなのだ。やはり情報を集めるには荒くれ者や冒険者等が集う酒場に行くのが定石なのだろう。しかしそんな酒場がどこにあるかなどわからないし、そもそも儀助はまだお酒が飲める年齢では無いのだから酒場に行ったところで追い返されるかもしれない。
儀助は出された料理をもそもそと食べながら女将に尋ねてみた。
「どこに行ったら鬼の情報が入るんですかねー?」
「うーん、この町じゃ難しいだろうね。都にでも行ってみたらどうだい」
恐ろしく安直な女将の答えだが、まあ確かにそうだろう。村より町、町より都の方が人も多く、人が多ければ情報も集まりやすいだろう。しかし儀助は都になど行ったことが無い。と言うか村を出たこと自体今回が初めてなのだ。しかも女将によると都へ行くには広い街道を歩けば迷う事は無いだろうが、二日程かかるらしい。儀助は悩んだが、このままおめおめと村へ帰るわけにはいかない。考えた末に明日の朝都に向けて出発する事を決めた。
翌朝、女将に教えてもらった安い宿で一夜を明かした儀助は都へと向かって出発した。女将の言葉通りに街道を歩くうちに段々と日は高くなり、腹が減りだした頃、儀助は町外れの茶店に立ち寄った。だが、そこに先客は一人も居なかった。昼食にはまだ早いのかと思った儀助だったが、壁に貼られているお品書きを見て先客のいない理由を理解した。お品書きに書かれていたのはお茶や甘いものばかりで食事らしい食事と言えば蕎麦ぐらいしか無かったのだ。とは言うものの何も注文せずに店を出るわけにもいかず、儀助は無難な山菜蕎麦を注文した。
幸いにも蕎麦は美味かったのだが、若い儀助としては蕎麦だけでは物足りない。お握りとか炊き込みご飯でも付けられれば良いのだが、この茶屋には米と言えば餅や団子しか無い。やむなく儀助は餅を二つばかり注文し、蕎麦の汁にぶち込んで腹を満たした。
「お客さん、これから町を出るんですか?」
食べ終わって一息入れる儀助に茶店の娘さんが話しかけてきた。儀助も若い男だ、女の子に話しかけられて嬉しくないわけが無い。ついつい調子に乗って言わなくても良いことまで話してしまった。
「ええ。都に行って鬼の情報を集めようかと」
すると茶店の娘さんの目がキラリと輝いた。
「この町を出ると次の町まで結構ありますよ。途中でお腹が空いてもお店なんか無いですから食べ物を持っていた方が良いですよ。例えばお餅とかお団子とか……」
何の事はない、儀助にお餅や団子を売りつけようとしているだけだ。だが確かにこの町を出て次の町まで休める店が無いのなら水や食料を持っていた方が良いのは間違い無い。しかも相手は可愛い女の子だ。儀助は茶店の娘さんに薦められるままに粒餡を包んだお餅と団子を何個かとお茶を買い、茶店を出た……茶店の娘さんに名前すら聞くことも出来無いままに。
茶店から出て街道を歩いていくうちに家やお店が少なくなっていき、田畑が広がる田園風景となり、遂には街道の両脇が草木の生い茂る野原となった。
「次の町まで結構あるって言ってたな」
儀助は一人呟くと来た道を振り返った。町の家々は小さくなり、その遠く向こうには山が見える。儀助の育った村がある山だ。
「随分と遠くまで来たもんだな」
前述の通り儀助が村を出たのは初めてだ。感慨深げに言うと儀助はまた歩き出した。
次の町を目指して街道を儀助は一人歩いた。連れ合いが居ないので話し相手も無く、黙々と歩いているうちに日はどんどん傾いていき、西の空が赤く染まりだした頃ようやく儀助は次の町にたどり着いた。
さっきの町も賑やかだったが、この町は都に近い為か輪をかけて賑やかで、あまりの人の多さに儀助は驚いた。そしてそれ以上に儀助を驚かせる事があった。それは町の人の姿だ。猫耳尻尾や犬耳尻尾を始めとする様々な動物の耳と尻尾を着けている者がちらほらと見受けられたのだ。
「この町ではこんなのが流行ってるのか……」
儀助は呆れた様に呟いた。これが可愛い女の子ならともかく年端もいかない女の子から杖をついたお爺さんまで老若男女を問わず様々な人達がケモ耳尻尾を着けて町を闊歩しているのだ。儀助の目にはこの光景が恐ろしく奇異なものに映ったが、人様の趣味をどうこう言うのは無粋というもの。第一今はそんな事に引っかかっている場合では無い。儀助は前の町と同様に情報収集と食事を兼ねて一軒の店に入った。
店のカウンターで食事を取りながら周囲の声に耳を傾ける儀助だったが、ここでもお目当ての鬼に関する話題は聞こえて来なかった。実は儀助は鬼に関する事を話している人が居ればその話に加えてもらおうと考えていたのだが、これではそんなわけにもいかない。
こうなればこっちから話しかけるより他に手は無い。自ら動くべく、皿に残っている食べ物を一気に掻き込んだ儀助に声がかかった。
「お兄ちゃん、旅の人かい?」
声の主は店の主人だ。儀助は水で口の中の食べ物を胃に流し込み、自分がこの町に来た経緯を話した。
「ふぅん、半年前にあの町が鬼に襲われたって話は聞いてるが、今頃になって鬼退治をしようってヤツが現れるとはな」
煙草に火を点けながら言う店の主人に儀助は尋ねた。
「この町は鬼に襲われなかったんですか?」
儀助の質問に店の主人は大きな溜息を吐き、ゆっくりした口調で語り出した。
「二十年ぐらい昔の話だ……」
この町には二十年ほど前に鬼が現れたらしい。当時、若くて血気盛んだったこの店の主人は鬼に立ち向かおうとしたのだが返り討ちに遭ってしまい、死を覚悟したところを突然現れた老人に助けられたのだそうだ。
「だからな兄ちゃん、鬼に喧嘩売るなんてバカなマネはやめときな」
店の主人が煙草の煙を吐き出しながら言うが、儀助は『その老人』というのが凄く気になってしまった。
「あの……その老人って言うのは?」
儀助が恐る恐る尋ねると、店の主人は熱く語り出した。
「ああ、凄かったぜぇ。あの爺さん、鬼を一刀両断にしたからな。俺の刀じゃ鬼に傷一つ付けられなかったってのによ」
何でもその老人は一人で何匹もの鬼を斬り、この町を救ったと言う。それを聞いた儀助の頭にお爺さんの顔が思い浮かんだ。すると店の主人が遠い目をして言った。
「化け物退治を生業とする者が居るって聞いた事があるが、もしかしたらあの爺さんがそうだったのかもしれねぇな」
やはりそうだ、二十年前にこの町を鬼から救ったのは儀助のお爺さんなのだ。そして鬼を一刀両断した刀と言うのは『鬼斬』に違い無い! そう思った儀助だったが、店の主人は警告する様に言った。
「俺もこう見えて腕に自信があったんだ。だが、鬼には全く通用しなかった。わかるか? 俺達みたいな普通の人間は鬼に立ち向かおうなんて思っちゃダメなんだよ」
店の主人の言う事は一理ある。いや、これが正しい考え方だろう。だが、儀助には『鬼斬』がある。もっとも刀など使った事が無い儀助に『鬼斬』を使いこなせるかどうかはわからないが……
鬼の話はこれ以上しない方が良いと判断した儀助は話題を変えようと、店の主人に別のことを聞いてみた。この町に入ってからずっと気になっていたことを。
「あの……動物の耳とか尻尾を着けるのって、流行ってるんですか?」
「お兄ちゃん、亜人を知らないのか?」
儀助の質問に店の主人は唖然とした顔となった。
『亜人』それは人間とは少し違う存在だ。見た目は普通の人間とそう変わらないが頭に動物の耳を持ち、尻には尻尾が生えている。もちろん人間との違いは外観だけでは無い。その耳や尻尾が示す動物の能力を亜人達は持っているのだ。例えばネコ耳の者は鋭い爪や敏捷性を持ち、イヌ耳の者は強力な臭覚や鋭い牙を持つという風に。言って見れば人間を超越する存在でもあるのだが、絶対的な数としては人間の半分にも満たない。それ故に亜人と人間は上手く共存しているのだ。
「そうなんですか。俺の村には亜人なんて居なかったから……」
儀助が恥ずかしそうに言った時、一人の大男が店に入って来るなり声を上げた。
「大将、いつものヤツ頼むせ」
どうやらこの男、この店の常連らしい。男は注文を告げると儀助の隣に座った。すると店の主人は「おうよ」と答えた後、おしぼりを出しながら男に言った。
「ピーさん、丁度良いトコに来たな。この兄ちゃん、亜人を見るの初めてなんだってよ。悪いがちょっとお前さんの耳を見せてやっちゃくれないか?」
ピーさんと呼ばれた男は突然の申し出に面食らった様子だったが、すぐに快諾してくれた。
「まあ構わねぇけどよ。別に減るもんじゃ無ぇしな。それにしても亜人なんて珍しくも無いだろうに。兄ちゃん、ドコから来たんだ?」
言いながらピーさんは見えやすい様に頭を低く下げてやった。すると儀助の目にピーさんの頭からちょこんと生えている耳が映った。それも大男には似つかわしく無い、モコモコで可愛らしい小ぶりの丸い耳が。
「ピーさんは熊の亜人なんだ。ゴツくて怖そうだが優しいんだぜ」
「ほれ兄ちゃん、どうだ? 作りモンなんかじゃ無いだろ」
そのアンバランスさに言葉を失った儀助に店の主人が笑いながら言い、ピーさんは耳の根元がよく見える様に髪をかき分けた。
確かに丸い熊の耳はピーさんの頭から生えている。それを呆然と見つめる儀助にピーさんは楽しそうに言った。
「何なら尻尾も見せてやろうか?」
その言葉を聞いて儀助は我に返った。尻尾を見るという事は、ピーさんの尻を見るという事でもある。女の子のお尻ならともかく、こんな大男の尻なんか正直なところ見たく無い。儀助が返答に困っているとピーさんは豪快に笑った。
「はっはっはっ、おっさんのケツなんざ見たく無ぇよな」
心根を見透かされた儀助は何とか取り繕おうとしたが、ピーさんは「兄ちゃん、嘘がヘタだな」と笑うばかりだった。
村を旅立った儀助が向かったのは鬼ヶ島……では無い。実のところ儀助は鬼の所業を聞いてじっとしていられなくなり、思い付きと勢いで『鬼を成敗しに行く』などとお爺さんとお婆さんに言っただけ。つまり儀助は鬼が何処に居るかなど知らないのだ。無計画も良いトコだが今更そんなことを言っても仕方が無い。とりあえず鬼が出たという町を目指して儀助は歩いた。
『鬼が出たという町』に儀助が着いた頃には日はすっかり傾いてしまっていた。しかし町は儀助の住んでいた村とは違い、夕刻にも関わらず賑やかで活気に溢れていた。儀助は町の人々は怯えて暮らしているに違い無いとばかり思っていたのだが、そんな風には全く見えない。不思議に思いながら儀助は休憩と情報集を兼ねて一軒の店に入った。
儀助が入ったのは飯屋と酒場を兼ねている様な店で、そう広くもない店内は酔客で賑わっていた。
「いらっしゃい」
店の女将に声をかけられたが、儀助はまだお酒が飲める年齢では無い。それにお婆さんに持たせてもらったお金は大事に使わなければならない。そこで一番安い定食を頼み、周囲の酔客達の話に耳を傾けたのだが、聞こえてくる話は仕事の愚痴や女の話などのたわいのない話ばかりで鬼の話など全く出なかった。
「はい、おまちどお様」
鬼に関する情報が入るどころか鬼が話題にも上がらない状況に儀助が首を傾げていると、女将さんが料理を持ってやって来た。そこで儀助は思い切って女将に尋ねてみることにした。
「あの……町に鬼が現れたって聞いたんですけど、そんな風には思えないんですが……」
すると女将はあっさりした顔で驚くべき事実を儀助に告げた。
「ああ、もう半年にもなるかねぇ……あれから暫くはまた来るんじゃないかってビクビクしてたんだけど、みんな生活があるからね。いつまでもそんな事言ってられないのよ」
鬼がこの町を襲ったのは半年も前の事で、それ以来鬼が現れる事は今のところ無いのだそうだ。この町としては良い事ではあるのだが、儀助にとっては由々しき事態だ。せっかくお爺さんに『鬼斬』を、お婆さんにお金を持たせてもらって鬼の成敗に出たと言うのにこのままでは単なる物見遊山の旅に終わってしまう。それだけは何としても避けたい。お婆さんから無茶はするなと言われてはいるが、このまま村へ帰ってしまってはお爺さんとお婆さんに合わせる顔が無い。
儀助が困っていると、女将は更に容赦無い言葉を叩き付けてきた。
「あんた、もしかして鬼退治でもして名を上げようと思ってたのかい? だったらもっと情報をしっかり集めないとね」
儀助としては情報収集を兼ねてこの店に入ったつもりなのだが…… とは言え客層を見る限り、この店は情報収集には向いていない様な気もする。なにしろ酔客達はどう見ても近所のおっさんばかりなのだ。やはり情報を集めるには荒くれ者や冒険者等が集う酒場に行くのが定石なのだろう。しかしそんな酒場がどこにあるかなどわからないし、そもそも儀助はまだお酒が飲める年齢では無いのだから酒場に行ったところで追い返されるかもしれない。
儀助は出された料理をもそもそと食べながら女将に尋ねてみた。
「どこに行ったら鬼の情報が入るんですかねー?」
「うーん、この町じゃ難しいだろうね。都にでも行ってみたらどうだい」
恐ろしく安直な女将の答えだが、まあ確かにそうだろう。村より町、町より都の方が人も多く、人が多ければ情報も集まりやすいだろう。しかし儀助は都になど行ったことが無い。と言うか村を出たこと自体今回が初めてなのだ。しかも女将によると都へ行くには広い街道を歩けば迷う事は無いだろうが、二日程かかるらしい。儀助は悩んだが、このままおめおめと村へ帰るわけにはいかない。考えた末に明日の朝都に向けて出発する事を決めた。
翌朝、女将に教えてもらった安い宿で一夜を明かした儀助は都へと向かって出発した。女将の言葉通りに街道を歩くうちに段々と日は高くなり、腹が減りだした頃、儀助は町外れの茶店に立ち寄った。だが、そこに先客は一人も居なかった。昼食にはまだ早いのかと思った儀助だったが、壁に貼られているお品書きを見て先客のいない理由を理解した。お品書きに書かれていたのはお茶や甘いものばかりで食事らしい食事と言えば蕎麦ぐらいしか無かったのだ。とは言うものの何も注文せずに店を出るわけにもいかず、儀助は無難な山菜蕎麦を注文した。
幸いにも蕎麦は美味かったのだが、若い儀助としては蕎麦だけでは物足りない。お握りとか炊き込みご飯でも付けられれば良いのだが、この茶屋には米と言えば餅や団子しか無い。やむなく儀助は餅を二つばかり注文し、蕎麦の汁にぶち込んで腹を満たした。
「お客さん、これから町を出るんですか?」
食べ終わって一息入れる儀助に茶店の娘さんが話しかけてきた。儀助も若い男だ、女の子に話しかけられて嬉しくないわけが無い。ついつい調子に乗って言わなくても良いことまで話してしまった。
「ええ。都に行って鬼の情報を集めようかと」
すると茶店の娘さんの目がキラリと輝いた。
「この町を出ると次の町まで結構ありますよ。途中でお腹が空いてもお店なんか無いですから食べ物を持っていた方が良いですよ。例えばお餅とかお団子とか……」
何の事はない、儀助にお餅や団子を売りつけようとしているだけだ。だが確かにこの町を出て次の町まで休める店が無いのなら水や食料を持っていた方が良いのは間違い無い。しかも相手は可愛い女の子だ。儀助は茶店の娘さんに薦められるままに粒餡を包んだお餅と団子を何個かとお茶を買い、茶店を出た……茶店の娘さんに名前すら聞くことも出来無いままに。
茶店から出て街道を歩いていくうちに家やお店が少なくなっていき、田畑が広がる田園風景となり、遂には街道の両脇が草木の生い茂る野原となった。
「次の町まで結構あるって言ってたな」
儀助は一人呟くと来た道を振り返った。町の家々は小さくなり、その遠く向こうには山が見える。儀助の育った村がある山だ。
「随分と遠くまで来たもんだな」
前述の通り儀助が村を出たのは初めてだ。感慨深げに言うと儀助はまた歩き出した。
次の町を目指して街道を儀助は一人歩いた。連れ合いが居ないので話し相手も無く、黙々と歩いているうちに日はどんどん傾いていき、西の空が赤く染まりだした頃ようやく儀助は次の町にたどり着いた。
さっきの町も賑やかだったが、この町は都に近い為か輪をかけて賑やかで、あまりの人の多さに儀助は驚いた。そしてそれ以上に儀助を驚かせる事があった。それは町の人の姿だ。猫耳尻尾や犬耳尻尾を始めとする様々な動物の耳と尻尾を着けている者がちらほらと見受けられたのだ。
「この町ではこんなのが流行ってるのか……」
儀助は呆れた様に呟いた。これが可愛い女の子ならともかく年端もいかない女の子から杖をついたお爺さんまで老若男女を問わず様々な人達がケモ耳尻尾を着けて町を闊歩しているのだ。儀助の目にはこの光景が恐ろしく奇異なものに映ったが、人様の趣味をどうこう言うのは無粋というもの。第一今はそんな事に引っかかっている場合では無い。儀助は前の町と同様に情報収集と食事を兼ねて一軒の店に入った。
店のカウンターで食事を取りながら周囲の声に耳を傾ける儀助だったが、ここでもお目当ての鬼に関する話題は聞こえて来なかった。実は儀助は鬼に関する事を話している人が居ればその話に加えてもらおうと考えていたのだが、これではそんなわけにもいかない。
こうなればこっちから話しかけるより他に手は無い。自ら動くべく、皿に残っている食べ物を一気に掻き込んだ儀助に声がかかった。
「お兄ちゃん、旅の人かい?」
声の主は店の主人だ。儀助は水で口の中の食べ物を胃に流し込み、自分がこの町に来た経緯を話した。
「ふぅん、半年前にあの町が鬼に襲われたって話は聞いてるが、今頃になって鬼退治をしようってヤツが現れるとはな」
煙草に火を点けながら言う店の主人に儀助は尋ねた。
「この町は鬼に襲われなかったんですか?」
儀助の質問に店の主人は大きな溜息を吐き、ゆっくりした口調で語り出した。
「二十年ぐらい昔の話だ……」
この町には二十年ほど前に鬼が現れたらしい。当時、若くて血気盛んだったこの店の主人は鬼に立ち向かおうとしたのだが返り討ちに遭ってしまい、死を覚悟したところを突然現れた老人に助けられたのだそうだ。
「だからな兄ちゃん、鬼に喧嘩売るなんてバカなマネはやめときな」
店の主人が煙草の煙を吐き出しながら言うが、儀助は『その老人』というのが凄く気になってしまった。
「あの……その老人って言うのは?」
儀助が恐る恐る尋ねると、店の主人は熱く語り出した。
「ああ、凄かったぜぇ。あの爺さん、鬼を一刀両断にしたからな。俺の刀じゃ鬼に傷一つ付けられなかったってのによ」
何でもその老人は一人で何匹もの鬼を斬り、この町を救ったと言う。それを聞いた儀助の頭にお爺さんの顔が思い浮かんだ。すると店の主人が遠い目をして言った。
「化け物退治を生業とする者が居るって聞いた事があるが、もしかしたらあの爺さんがそうだったのかもしれねぇな」
やはりそうだ、二十年前にこの町を鬼から救ったのは儀助のお爺さんなのだ。そして鬼を一刀両断した刀と言うのは『鬼斬』に違い無い! そう思った儀助だったが、店の主人は警告する様に言った。
「俺もこう見えて腕に自信があったんだ。だが、鬼には全く通用しなかった。わかるか? 俺達みたいな普通の人間は鬼に立ち向かおうなんて思っちゃダメなんだよ」
店の主人の言う事は一理ある。いや、これが正しい考え方だろう。だが、儀助には『鬼斬』がある。もっとも刀など使った事が無い儀助に『鬼斬』を使いこなせるかどうかはわからないが……
鬼の話はこれ以上しない方が良いと判断した儀助は話題を変えようと、店の主人に別のことを聞いてみた。この町に入ってからずっと気になっていたことを。
「あの……動物の耳とか尻尾を着けるのって、流行ってるんですか?」
「お兄ちゃん、亜人を知らないのか?」
儀助の質問に店の主人は唖然とした顔となった。
『亜人』それは人間とは少し違う存在だ。見た目は普通の人間とそう変わらないが頭に動物の耳を持ち、尻には尻尾が生えている。もちろん人間との違いは外観だけでは無い。その耳や尻尾が示す動物の能力を亜人達は持っているのだ。例えばネコ耳の者は鋭い爪や敏捷性を持ち、イヌ耳の者は強力な臭覚や鋭い牙を持つという風に。言って見れば人間を超越する存在でもあるのだが、絶対的な数としては人間の半分にも満たない。それ故に亜人と人間は上手く共存しているのだ。
「そうなんですか。俺の村には亜人なんて居なかったから……」
儀助が恥ずかしそうに言った時、一人の大男が店に入って来るなり声を上げた。
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どうやらこの男、この店の常連らしい。男は注文を告げると儀助の隣に座った。すると店の主人は「おうよ」と答えた後、おしぼりを出しながら男に言った。
「ピーさん、丁度良いトコに来たな。この兄ちゃん、亜人を見るの初めてなんだってよ。悪いがちょっとお前さんの耳を見せてやっちゃくれないか?」
ピーさんと呼ばれた男は突然の申し出に面食らった様子だったが、すぐに快諾してくれた。
「まあ構わねぇけどよ。別に減るもんじゃ無ぇしな。それにしても亜人なんて珍しくも無いだろうに。兄ちゃん、ドコから来たんだ?」
言いながらピーさんは見えやすい様に頭を低く下げてやった。すると儀助の目にピーさんの頭からちょこんと生えている耳が映った。それも大男には似つかわしく無い、モコモコで可愛らしい小ぶりの丸い耳が。
「ピーさんは熊の亜人なんだ。ゴツくて怖そうだが優しいんだぜ」
「ほれ兄ちゃん、どうだ? 作りモンなんかじゃ無いだろ」
そのアンバランスさに言葉を失った儀助に店の主人が笑いながら言い、ピーさんは耳の根元がよく見える様に髪をかき分けた。
確かに丸い熊の耳はピーさんの頭から生えている。それを呆然と見つめる儀助にピーさんは楽しそうに言った。
「何なら尻尾も見せてやろうか?」
その言葉を聞いて儀助は我に返った。尻尾を見るという事は、ピーさんの尻を見るという事でもある。女の子のお尻ならともかく、こんな大男の尻なんか正直なところ見たく無い。儀助が返答に困っているとピーさんは豪快に笑った。
「はっはっはっ、おっさんのケツなんざ見たく無ぇよな」
心根を見透かされた儀助は何とか取り繕おうとしたが、ピーさんは「兄ちゃん、嘘がヘタだな」と笑うばかりだった。
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