前略、嘘を吐きました。

狐守玲隠

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前略、嘘を吐きました。

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子供の頃に地下室を怖がるのは、そこには深い闇や何処から来たのか分からない寂しさがあることを察しているからだ。
それなのに、人はその恐れを忘れて、自ら闇に飛び込むことも少なくない。

佐野裕介さのゆうすけも例外ではなかった。
3年前のあの日から、裕介は毎日、泥のような日々を送っている。
冷たい檻の中で機械のように同じことを繰り返し、決まった時間に行動をする。そこには温かさもなければ笑みひとつさえもなかった。

そして、今日もその延長線上に裕介はいた。

檻の外では、雨が降っており、ぽつぽつと水滴が銅板に落ちた時の音がする。
古びた畳に寝転がる裕介は、じめじめとしたその湿気に一つため息をこぼした。

今日は4月1日。裕介の母親の誕生日であり、裕介が檻にやってきた日でもある。

裕介の母親は、3年の間、一度も裕介を訪ねに来なかった。これといって親しい仲ではなかったが、互いのために行動することを厭わないほどの仲ではあった。
それなのに、自分を訪ねてこないということに裕介は失望されたのだと思っていた。
もう、自分は見捨てられたのだと。

傷口に塩を練り込まれるかのような痛みが心臓に響く。じりじり、じりじりと。
裕介は、利き手の左手で胸を押さえつけた。
心臓が蝕まれ、終わりを告げる断末魔のように小さく叫ぶ。
もう限界が近づいてきているぞと。

裕介が芋虫のように縮まり、心臓を押さえつけていると、制服姿の警官が声をかけた。

「1084番、佐野。面会だ」

今までに面会が一度もなかったがために裕介は自分の耳を疑った。あまりの驚きに裕介は勢いよく飛び起き、いつの間にか落ち着いた心臓から手を離す。
本当に自分に面会希望が来ているというのかと。

「あの、本当に僕にですか」

「ああ、お前にだ。大方、お前の母親だろう」

母親。3年も顔を見せなかった母親が今になって自分に会いに来た、という事実が信じられない一方、裕介は少しばかり嬉しいという気持ちもあった。

そんな裕介にお構い無しに警官は、煩わしそうに檻の錠に鍵をさしこみ、ぐるりと回した。そして、重い鉄格子は開く。

「早く出ろ」

ひんやりとした冷たく、重い鉛のような重圧のある言葉が裕介の肩に乗っかる。
早く出なければ、面会を断られるかもしれないと思った裕介は、急ぎ足で檻の外へ出た。

そして、そのまま「黙ってついてこい」という指示に従い、後ろをついて行くと、ひとつの部屋の前で止まった。

「入れ。面会は15分だけだ。それ以上は認めん」

「わ、分かりました」

手から汗が染み出し、妙な緊張に駆られる。
この先に本当に母親がいる、そう思うとどんな表情をして会えばいいのか裕介には分からなかった。

「早く入れ」

警官によって扉を開かれ、裕介は強制的に部屋に押し込まれる。
警官の荒い動作のせいで、裕介はバランスを崩し床に転がってしまった。
部屋の中には、別の警官が座っていたが、手を貸すどころか、大丈夫かと心配する声すらかける素振りは無い。

「はあ」

ひとつため息を零すと、裕介は、服をはたきながら自力で立ち上がり、顔を上げた。
目の前には、大きなアクリル板があり、その向こう側には人がいる。
なぜか、もやがかかっているかのように見えづらい。
目を凝らし、一点だけを見つめるとそこには裕介の母親がいた。

3年前に比べると頬は痩け、髪は以前より白髪が目立つ。
そこに、美しいと評判だった母親の影はなかった。

「母さん」

裕介は、真っ直ぐに歩くことのできない細々とした足で必死に母親の元へ駆け寄る。

母親はもう自分を見捨てているから、別に親しい仲ではないから、そうやって自分を騙していた嘘が弾けた。

「裕介、ごめんね、こんなに遅くなって」

母親の頬には春雨のような涙が伝っていた。

なぜ、もっと早く気づかなかったのだろう。
母親の存在ひとつで人はこんなにも心が暖かくなるということに。

氷のように冷たく、僅かな心拍だけを刻んでいた裕介の心臓がほんの少し、大きく声を上げた。

「裕介、あのね、来週の月曜日、貴方の裁判をもう一度行えることになったの。そしたら、ここから出られるから。だから、あと少し……」

哀れみを帯びた瞳を笑わせる母親を見て、裕介は言葉を失った。

母親は最初から気づいていたのだ。
裕介があの日、大きな大きな嘘をついたことに。
そして、裕介は母親が顔を出さなかったのは、3年もかけてその嘘を払拭するための材料をひたすら、1人で集めていたからだと知った。

「ありがとう母さん」

感謝の気持ちはあるものの、母親をこんな姿に変えた元凶が自分にある、そう思うと裕介は面と向かって母親の顔を見ることができなかった。

「そういえば、裕介元気?どこか具合悪いとこはない?お母さんずっとずっと心配だったの」

木漏れ日のように暖かく優しい声でそっと尋ねる母親に何と返すべきか裕介は少し迷った。

そして、迷いに迷った末に裕介は心を決める。

「元気だよ」

裕介は、かさかさの唇を少し噛み、小さくそう、言葉を吐いた。母親に笑顔を向けて。

「そう、それならよかった」

「面会時間終了です」

母親が今日一番の笑顔を向けた瞬間に、警官によって終止符は打たれた。

早く出ろと催促され、裕介は椅子から立ち上がり、扉の向こう側へ歩き出す。
裕介の後ろからは何やら名残惜しそうな視線が向けられていた。

「あ、そうだ、母さん。お誕生日おめでとう。あと、今までありがとう」

裕介は、扉が閉まる瞬間、今まで伝えられなかった自分の本音を縮小させてそっと呟いた。
もう思い残すことはない。

一番に望んでいた母との再会が叶ったのだから。

裕介は、警官の後ろをついて行きながらそう心に思った。

「入れ」

檻の前につくと警官は裕介に命令を下す。
その命令に裕介は大人しく従った。
そして、鍵を閉めようとしている警官に向かって裕介は「あの」と声をかける。

「一つ頼みがあるのですが」

「なんだ、言ってみろ」

眉をひそめる警官に裕介は負けじと気を引きしめる。

「もし、また面会の申し出があったら全て断ってほしいんです」

「なんだと」

「もう母には会いたくないので」

首をおさえ、頭を傾けながら裕介は作り笑顔でそう言い放った。

警官は裕介の何かを悟ったのかそれ以上追求することはなく、「分かった」と、それだけを残して立ち去った。

窓の外を覗くといつの間にか雨は止んでいる。
その代わりに、雲の隙間からは透き通った青空が裕介を覗いていた。

裕介は、部屋の端に置かれた机を動かし、紙とペンを用意する。
それから、学生時代に戻ったかのように机に齧り付いていた。

「よし、完成」

裕介がペンを置いたのは、1時間後。
命の乗った重い文字が白い紙いっぱいに敷き詰められた手紙を裕介は天に掲げる。
手紙に込めた思いがしっかりと届くことを祈って。

その日から3日後の朝、警官によって、檻の中で息絶えている裕介が発見された。

最期の裕介は、苦しみに顔を歪めるでもなく、ただ幸せを噛み締めるように笑みを浮かべていたという。

そして、裕介の枕元に置かれていた遺書と思われる手紙は泣き崩れる母親へと渡された。

その手紙はただただ優しく、そして悲しい嘘のネタばらしだった。

母さんへ

前略、嘘を吐きました。

三年前、法廷で友の代わりに罪を被ったこと。
母さんの「元気か」という言葉に元気と答えたこと。全部、僕の吐いた嘘です。

でも、母さん、4月1日はエイプリルフールらしいので、どうか許してください。

もう僕には残された時間が僅かだと医者から言われていました。
子どもが産まれたばかりの友が会社から押し付けられた過失致死傷罪で捕まるなんて、あまりにも理不尽だと思ったんです。

だから、三年前嘘を吐きました。

でも、今になって、三年前嘘をつかなければなんて後悔してるんです。
僕が嘘を吐いたばかりに母さんに苦労をかけたから。本当にごめん。

母さん、僕を今日まで育ててくれてありがとう。

大好きでした。

ネタばらしが遅れてごめんね。
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