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第九話
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俺が気持ちを自覚したのはいつの事だっただろうか。
初めは取り立てて目をやる様な娘ではなかった。元婚約者の様な美しさも、俺が好意を寄せていた貴族の娘の様な愛らしさもない。平民の娘としてもモテる方ではない、普通の娘。
バクシーさんの娘という事で大事には思っていたが、それだけだった。
けれど共に働く様になり、健康的で、いつも快活に笑い、場を和ませる。そんなニーナに好感を持つのはそう時間は掛からなかった。
俺も気安さから次第に軽口を言うようになり……。ああ、そうだ。その頃だ。
俺とニーナが盛大な喧嘩をしたんだ。
俺などが喧嘩など烏滸がましいにもほどがあるが、あの一件については絶対に譲る気なんてない。
そう。あれは冬も終わり、春を迎えようとした頃の事だった。
「看病?」
俺は自分の聞いた事が信じられずおうむ返しに聞き返した。
「うん。八百屋のハチが熱を出してるから」
ニーナはいつものニコニコ顔に心配そうな色を乗せて繰り返し言った。
八百屋のハチ。俺もお使いでよく行くそこの次男坊は、事ある毎にニーナに言い寄っていたと記憶している。
それも恋心あっての事で、ニーナも満更でもないなら俺の出る幕はないのだが、そうではない。ハチはバクシーさんの財産目当ての一人だった。
それでもただの小悪党ならバクシーさんが門前払いするし、ニーナも相手にしないが、よりにも選って幼馴染だという。
ニーナは困った弟の面倒を見る感覚でハチと接していた。
「たしかあそこは今、春の買い付け契約の為に夫婦が長男連れて暫く家を空けているんじゃなかったか」
「うん。だから今ハチは一人なんだよ。アイツは一人じゃ何も出来ないからねー」
なんてことない様にあっけらかんと言って除けているが、わかっていないのか。男と女が一つ屋根の下にいるという危うさを。
「男が一人きりの家に年頃の娘が行くものではないだろう」
俺は料理しながら聞くものではないと判断した。芋の皮剥きをしていた手を止めて包丁を置き、手を拭きながらニーナの側に寄る。
「あはははは!男って!
だってハチだよ?あたしに喧嘩で一度も勝ったことないんだから」
なのにニーナは人の心配も知らずに無防備にも笑い飛ばしたのだ。
「そんなものはわからないだろう!男が本気を出したら女など何をされるかわからないのだぞ!」
流石にカチンときた俺は、テーブルをドンと叩いて声を荒げた。少し強く言い過ぎたかと直ぐに思い直し口を塞いだが、ニーナは全く堪えた様子も見せず口を尖らせた。
「ちょっとー。何本気で怒ってるのー?アスター君お父さんみたーい」
不快には思っていないみたいだが、それ故に軽く見ているニーナに苛立ちが募る。
「ニーナ!」
「え?」
カッとなった俺は勢いに任せてニーナの腕を掴み、クルリと反転させるとテーブルの上に仰向けの状態で押し倒した。
「や、やだ。何するのアスター君」
流石に普段と違う状況に、ニーナも焦りの色を見せた。弱く身じろぎをするが、俺も怒り心頭だ。そう易々と離してやる気はない。
「俺も男だぞ。嫌なら突き飛ばせ」
ニーナの強さは知っている。だからこそ対策を立てれば俺でも抑える事が出来た。
気安い間柄だからこそ生まれる油断と躊躇い。ハチはそこを難なく突いてくる類の人間だ。実際にハチが自慢げに話していたのを、通りすがりに聞いてしまったのだから。
「え?何?なんなの?ちょ、怖いよ。アスター君」
城での護身術は大抵格上相手を想定されて行われている。その知識を使って押さえ込んでいる為、ニーナは暫く動いても抜け出せない事に驚きを見せた。
困惑するニーナだが、それでも相手が俺という事で未だに無防備な姿勢を崩していない。俺は徐に顔を近付けると、その首筋に唇を落とした。
「!?」
流石のニーナもコッチ方面には疎かったらしい。
ビクリとわかりやすく体を震わせた。瞳に恐怖の色が宿ったのを確認した俺は、スルリと身を離してニーナを解放した。
「わかったか。俺だからこの程度ですんだが、ハチは明らかにお前を手に入れたがっている。据え膳があれば例え病気の最中でも、いや。病気にかこつけて既成事実を作ろうとするだろう」
俺が離れた事で起き上がったニーナは、俯いて襟首を両手で押さえ込んでいる。
驚かせ過ぎたんだろうか?
「~~~っ。……ない……」
「?何」
震え声で弱々しく何事か言うニーナ。
俺は聞き取れなかったからもう一度よく聞こうと屈んで耳を近付けた。
ほぼ同時に顔を上げたニーナの顔は、泣いていて、でも眉を吊り上げて怒ってもいた。
「ハチはそんな事しないし、もししたとしてもいつも通りあしらえるわ!!」
そしてものすごい勢いで扉を開けて外に飛び出して行ってしまった。
「ニーナ!!」
俺は慌てて大声で呼び止める。だがニーナは俺の呼び声を振り切る様に離れて行く。
「くそっ!」
俺は悪態をついて追い掛けようとし、食事の用意が途中だった事を寸前で思い出して舌打ちする。
直ぐに奥さんに続きをお願いすると、エプロンを外す時間さえ厭んで駆け出した。
初めは取り立てて目をやる様な娘ではなかった。元婚約者の様な美しさも、俺が好意を寄せていた貴族の娘の様な愛らしさもない。平民の娘としてもモテる方ではない、普通の娘。
バクシーさんの娘という事で大事には思っていたが、それだけだった。
けれど共に働く様になり、健康的で、いつも快活に笑い、場を和ませる。そんなニーナに好感を持つのはそう時間は掛からなかった。
俺も気安さから次第に軽口を言うようになり……。ああ、そうだ。その頃だ。
俺とニーナが盛大な喧嘩をしたんだ。
俺などが喧嘩など烏滸がましいにもほどがあるが、あの一件については絶対に譲る気なんてない。
そう。あれは冬も終わり、春を迎えようとした頃の事だった。
「看病?」
俺は自分の聞いた事が信じられずおうむ返しに聞き返した。
「うん。八百屋のハチが熱を出してるから」
ニーナはいつものニコニコ顔に心配そうな色を乗せて繰り返し言った。
八百屋のハチ。俺もお使いでよく行くそこの次男坊は、事ある毎にニーナに言い寄っていたと記憶している。
それも恋心あっての事で、ニーナも満更でもないなら俺の出る幕はないのだが、そうではない。ハチはバクシーさんの財産目当ての一人だった。
それでもただの小悪党ならバクシーさんが門前払いするし、ニーナも相手にしないが、よりにも選って幼馴染だという。
ニーナは困った弟の面倒を見る感覚でハチと接していた。
「たしかあそこは今、春の買い付け契約の為に夫婦が長男連れて暫く家を空けているんじゃなかったか」
「うん。だから今ハチは一人なんだよ。アイツは一人じゃ何も出来ないからねー」
なんてことない様にあっけらかんと言って除けているが、わかっていないのか。男と女が一つ屋根の下にいるという危うさを。
「男が一人きりの家に年頃の娘が行くものではないだろう」
俺は料理しながら聞くものではないと判断した。芋の皮剥きをしていた手を止めて包丁を置き、手を拭きながらニーナの側に寄る。
「あはははは!男って!
だってハチだよ?あたしに喧嘩で一度も勝ったことないんだから」
なのにニーナは人の心配も知らずに無防備にも笑い飛ばしたのだ。
「そんなものはわからないだろう!男が本気を出したら女など何をされるかわからないのだぞ!」
流石にカチンときた俺は、テーブルをドンと叩いて声を荒げた。少し強く言い過ぎたかと直ぐに思い直し口を塞いだが、ニーナは全く堪えた様子も見せず口を尖らせた。
「ちょっとー。何本気で怒ってるのー?アスター君お父さんみたーい」
不快には思っていないみたいだが、それ故に軽く見ているニーナに苛立ちが募る。
「ニーナ!」
「え?」
カッとなった俺は勢いに任せてニーナの腕を掴み、クルリと反転させるとテーブルの上に仰向けの状態で押し倒した。
「や、やだ。何するのアスター君」
流石に普段と違う状況に、ニーナも焦りの色を見せた。弱く身じろぎをするが、俺も怒り心頭だ。そう易々と離してやる気はない。
「俺も男だぞ。嫌なら突き飛ばせ」
ニーナの強さは知っている。だからこそ対策を立てれば俺でも抑える事が出来た。
気安い間柄だからこそ生まれる油断と躊躇い。ハチはそこを難なく突いてくる類の人間だ。実際にハチが自慢げに話していたのを、通りすがりに聞いてしまったのだから。
「え?何?なんなの?ちょ、怖いよ。アスター君」
城での護身術は大抵格上相手を想定されて行われている。その知識を使って押さえ込んでいる為、ニーナは暫く動いても抜け出せない事に驚きを見せた。
困惑するニーナだが、それでも相手が俺という事で未だに無防備な姿勢を崩していない。俺は徐に顔を近付けると、その首筋に唇を落とした。
「!?」
流石のニーナもコッチ方面には疎かったらしい。
ビクリとわかりやすく体を震わせた。瞳に恐怖の色が宿ったのを確認した俺は、スルリと身を離してニーナを解放した。
「わかったか。俺だからこの程度ですんだが、ハチは明らかにお前を手に入れたがっている。据え膳があれば例え病気の最中でも、いや。病気にかこつけて既成事実を作ろうとするだろう」
俺が離れた事で起き上がったニーナは、俯いて襟首を両手で押さえ込んでいる。
驚かせ過ぎたんだろうか?
「~~~っ。……ない……」
「?何」
震え声で弱々しく何事か言うニーナ。
俺は聞き取れなかったからもう一度よく聞こうと屈んで耳を近付けた。
ほぼ同時に顔を上げたニーナの顔は、泣いていて、でも眉を吊り上げて怒ってもいた。
「ハチはそんな事しないし、もししたとしてもいつも通りあしらえるわ!!」
そしてものすごい勢いで扉を開けて外に飛び出して行ってしまった。
「ニーナ!!」
俺は慌てて大声で呼び止める。だがニーナは俺の呼び声を振り切る様に離れて行く。
「くそっ!」
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