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第二十五話 ジェレミー&ラプラス侯爵家
しおりを挟む「母上!? なぜここに……!」
ジェレミーと同じ金髪を優雅に編み上げ、豪華なドレスを纏っている。
身に着けているのはすべて高級品で、白皙の美貌は年齢を感じさせない。
アストラル王国第二十代国王夫人にして元宰相。
ジョゼフィーヌ・フォン・アウグスト・アストラル。
「愚かしいこと」
切れ長の瞳がジェレミーを捉えた。
「あなた、なぜと言いましたの?」
「え、や、それは、隣国に行っていた筈じゃ」
「隣国に行っただけで息子の動向に気付かなくなるあたくしだと思って? あなたの──あなたたちの動向はすべて耳に入っています。愚かな夫は既に折檻済みです。あとはあなたと侯爵だけですわ」
「ひっ」
悲鳴を上げたジェレミーに距離を詰めて。
扇の端で息子の顎を持ち上げたジョゼフィーヌは目を細めた。
「ねぇジェレミー。あなた今何を考えていますの? あたくしを出し抜く方法かしら?」
「……っ」
ジェレミーは沈黙した。
沈黙こそが何より雄弁な答えだった。
見透かしたように蠱惑的に微笑んだジョゼフィーヌは言う。
「そう。あたくしを嫌っているヨゼフ騎士団長に頼るつもりかしら? あるいは金で買収した商会ギルド長? あぁ、それとも貴族院で知り合った宮廷魔術師のオズワルドかしら?」
まるで心の底をすべて見透かされるような、恐ろしい瞳だった。
思わず生唾を呑み込むジェレミーに、ジョゼフィーヌはにこりと笑って一言。
「どちらも既に掌握済みですわ」
「……っ」
ジョゼフィーヌが離れる。
見えない圧力から解放されたようにジェレミーは深く息を吐き出した。
「母上、あの」
「今回のことは、隣国へ目を向ける前に国内の害虫駆除をしなかったあたくしにも落ち度があります。あなたがここまで周りに毒されるとは思いませんでした。やれ子供の自由だの、やれ自分の人生だの……やはり貴族院は毒ね。あそこも近いうちに掃除しなきゃ」
「母上! 俺は……いえ、私は、レノアと本気で……!」
「結婚は認めてあげます」
ジェレミーは目を見開いた。
真っ先に反対されると思っていたジェレミーは徐々に頬をほころばせ、
「じゃあっ」
「但し条件があります」
ジョゼフィーヌは言った。
「ベアトリーチェを連れ戻しなさい」
「なッ」
「アレは有用な女です。現にあなた、アレを追い出してから仕事の質が落ちているでしょう?」
それは事実だった。
ジェレミーには王太子として各領地の陳情処理や国王付きの文官たちが担当する様々な仕事が割り振られていたが、そのすべての質が低下し、方々から苦情が来ていた。ベアトリーチェが出て行った影響が大きいことを、彼自身も理解している。
「正妃が嫌なら側妃にしなさい。離れに閉じ込めておけば顔も合わさないでしょう」
「……確かに、それなら。ですが周りが」
「周りなど黙らせればいい。それが出来ないからあなたは未熟なのです」
「……っ」
悔しげに俯くジェレミーに、
「何をしているの? あなたはボールを投げないと取りに行けない駄犬じゃないでしょう?」
「……失礼します」
辛辣に告げたジョゼフィーヌにこれ以上逆らっても無駄だ。
ジェレミーはその場を後にした。
「ベアトリーチェ……絶対に連れ戻してやる!」
◆◇◆◇
「さて、次はあなたね。ヘンリック」
「……お、王妃様」
まるで屋敷の主であるかのようにソファに座るジョゼフィーヌ。
本来の主であるヘンリックは寒さに震える子猫のように身を縮こまらせた。
「あの」
「あたくしとあなたの約定は覚えているわよね?」
「は、はい」
「ふぅん。なら言ってみて?」
ヘンリックは恐怖で顔を強張らせながら言った。
「ベアトリーチェを王族に……ジェレミー殿下の婚約者とする代わりに、ジョゼフィーヌ王妃がラプラス領のことを支援する……と」
「そうね。なんでこうなってるのかしら」
ジョゼフィーヌはあくまで静かだ。
しかし、静かだからこそ為政者の威圧感がヘンリックを襲っていた。
「し、仕方なかったんです!」
ヘンリックは身を乗り出し、
「私とて王妃との約定を優先したい気持ちはありました。しかし、ジェレミー殿下が『自分に従わなければどうなるか分かっているだろうな』と脅してきて……! 王族の意向に逆らえず、やむなく……だ、大体! あんな娘が居たところで何も変わりません。アレはただ傲慢で知識を振りかざして悦に浸る子供のようなもので……」
「もういいわ」
ジョゼフィーヌは扇を口元に当てた。
「つまりあなたは、あたくしに人を見る目がないと言っているわけね」
「それは……!」
「違うの?」
「……っ、申し訳、ありません……」
「あなたのプライドはお湯に浮かべた氷のようね。誰のおかげで今ここにあるかも忘れたようだわ」
ジョゼフィーヌが今回の婚約を進めたのはラプラス領の経営を立て直したベアトリーチェの能力を評価してのことだ。そこにヘンリックの意志は関係ない。そもそも、この父からよくぞあのような娘が生まれたものだとジョゼフィーヌは思っていた。
「これで西方諸国との貿易をしくじっていたら隠居してもらっていたのだけど」
「……っ」
彼女の言う『隠居』が何を意味するのか分からないヘンリックではない。
アストラル王国の実権を握っているのはジョゼフィーヌなのだ。
事故に見せかけて殺すのも、難癖をつけてラプラス領を接収するのも簡単なことである。
「これでベアトリーチェさえ手に入れば……ハァ。本当に使えない男ばかり」
「お、王妃様……」
ジョゼフィーヌは扇を額に当てた。
そして忌々し気にヘンリックを睨みつける。
「選りにも選ってアルフォンスのところに嫁がせるなんて」
他の領主のところならいくらでも手は打てた。
しかし、アルフォンスはジョゼフィーヌの甥に当たる男だ。
(あの子に政治的な手腕はないに等しいけど……)
不遇な領地に嫁入りしたのはベアトリーチェだ。
あの娘なら、誰もが不可能と断じる公爵家の復興を成し遂げてしまうかもしれない。ジョゼフィーヌはベアトリーチェの経営手腕を正しく評価していた。
(もしかしたら既に軌道に乗せた後かも。あぁ忌々しい。本当に下手を打ってくれたものね……!)
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「本当にやってくれたわ……ヘンリック。この怒りどうしてくれようかしら」
「わ、私は」
「あなた程度の愚物、いくらでも替えは効くのよ。分かってる?」
「ひッ」
顔が土気色に変わるまで怯えた侯爵を見てジョゼフィーヌは多少留飲を下げた。
そっと息をつき、これからのことに考えを巡らせる。
(仕方ない。ジェレミーを使って探りを入れてみようかしら)
予想以上に使えない息子だが、捨て駒にはちょうどいい。
あれを囮にすれば、アルフォンス領がどうなっているかくらいは分かるだろう。
(やれやれ。あたくしは国のために働いているだけだっていうのに)
そして彼女は、動き出す。
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