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第一章
第七話 過ちの果てに
しおりを挟む──アドアステラ帝国。
──光の女神の神殿、至聖所。
「お待ちください! その場所は神聖なる女神の領域! いかに四英雄といえど神の許可なく立ち入ることは出来ません!」
「聖女に向かって信仰を語るなんていい度胸ね。別にあんたの責任問題にはしないから安心して黙りなさい」
「聖女様、これが本国に知られたら……!」
「大丈夫」
聖女アリシア・フォーベルクはにっこりと笑った。
「光の女神にちょっかいをかけたい神々はたくさんいるもの。手伝ってもらうわ」
「…………っ、いい加減に!」
神聖な空気がただよう石造りの間で老神官が怒りを爆発させようとした時だった。
聖女の背後からドワーフの男たちが出てきた。
「おう、終わったぞ」
「どうだった?」
「予想通りじゃ」
「そ。ならあとは魔力の足跡をたどるだけね」
「ん。これはオリバーからの挑戦状。私は負けない」
ドワーフのあとに続いてきた大賢者が好戦的に言う。
老神官は蒼褪めた顔で三人の背中を見た。
「こんなの、前代未聞だ……いくら聖女でも許していいものではない……」
「あ、そうそう」
至聖所から去ろうとしていたアリシアは振り返った。
「私、聖女辞めるから」
「は!?」
「ついでに国も抜けるから。もう知らない。権力争いも種族間闘争も勝手にやってなさいよ」
「え、や、ちょ」
「お。そしたら儂も『匠聖』やめるばい」
「私は元々『大賢者』なんて名乗った覚えはない」
「ぇ、え、ええええええええええええええええええええ!?」
この四英雄の宣言は神殿から神を通じて全世界に報じられ──
世界はまた、新たな混乱の渦に叩き込まれるのだった。
「さて。死体がないことは確認したし、あとはオリバーを探すだけね」
「女神イルディスが関与しちょるとなると足取りは追うのは容易じゃないばい。どうする?」
「私に任せるべき。不眠不休でスキルを発動させれば痕跡くらい見つかるはず」
帝都の街を歩きながら胸を張る妖精族に、アリシアは半目で言った。
「やめときなさい。あんた、魔王軍との戦いでも索敵で同じようなことやってオリバーに死ぬほど叱られたでしょ」
「んぐ……」
苦い思い出が脳をよぎったのか、コル・セリウスの妖精羽が暗い色に変わった。
「あれは……心にきた」
「普段怒らんやつが怒ると死ぬほど怖いっちゅー典型じゃったのう」
カカ、とラガンが笑い、アリシアは頷いた。
「あいつ、自分の身を大切にしない奴に死ぬほど厳しいのよね」
身に覚えがあるのか、アリシアも肩を抱いて震えを隠した。
「私も敵軍の中に見捨てられて死にかけたし。結局助けに来てくれなかったもの」
◆
──カイゼル大森林、某所。
「よっこらせっと」
どさりと、重いものが落ちる音が響く。
足元を見下ろしたグレンはつま先で荷物の腹を小突いた。
「おい、起きてるんだろ?」
「……」
荷物は──銀狼の女は何も答えない。
スキルで眠らされたという体を隠さないように寝息を立てている。
「起きないと……」
その鼻先に向けて、グレンは容赦なくナイフを振り下ろした。
「殺すぞ」
「………………っ!」
シェスタは弾かれるように飛び起きた。
縛られた身体を器用に動かし、ばね仕掛けのように身体をくねらせる。
その頬に傷が入る。足元にナイフが突き刺さっていた。
「貴様……」
憎々し気に、シェスタはグレンを見る。
「ハッ!」とグレンは嗤った。
「寝たふりが俺様に通じているとでも思ったのかよ? ぇえ?」
「あぁ。小芝居に騙される馬鹿だと思っていた」
「……いつまで生意気な口を聞けるかな」
ピシ、ピシ、とシェスタの足が見えない刃に切り裂かれた。
身体を縛られて動けないシェスタは甘んじて攻撃を受けるしかない。
これがオリバーにつけられた痛みなら甘んじて受けるところが──。
(うむ。やはりだめだな……私は人族では興奮できそうにない)
大嫌いな人族から傷つけられているというシチュエーション。
しかし、シェスタの琴線に触れるのは『尊敬できる、自分より強い男に支配されること』で。
グレンのような相手にマゾを発揮できる性質ではなかった。
(単純に気持ち悪い。主様、早く来てくれないだろうか)
「何のつもりでわざと捕まったか知らねぇがな。お前はもう絶対に逃がさねぇぞ」
「下衆な笑みを浮かべるな、下郎」
シェスタは吐き捨てた。
「性格の悪さが声音から、態度からにじみ出ているぞ。人族は他種族と比べて醜悪で薄汚い生き物だが、その中でも貴様はとびっきりだな」
一拍の間を置き、彼女は言葉をぶつける。
「その薄汚さ、犬畜生にも劣る」
グレンの額に青筋が浮かんだ。
「……気が変わったぜ」
ぱらぱらと、シェスタを縛っていた縄がほどけていく。
捕えた銀狼を自由にしたグレンは両手を広げて挑発した。
「来いよ。クソアマ。テメェの生意気な牙を全部叩き折ってやる」
シェスタはすばやく周囲を見回した。
──逃げ道はない。
薄暗い洞窟の中、出口はグレンが塞いでいる。
直径は十五メートルほど、闘技台の上に立たされた戦士のような気分だ。
(やるしかないか)
決意するや否や、シェスタは爆発的に飛び出した。
「……フっ!!」
銀狼族の速さは一秒で秒速30メルトに達する。
亜人族の中でも最速だ。
創世神話の一節には銀狼の子孫が竜に牙を届かせたという。
間違っても人族ごときに捉えられるものではない。
天職を持っていなければ。
「遅ぇ」
「!?」
たった一言だった。
見えざる衝撃がシェスタを阻み、亜人最速の動きを無にした。
まるで岩壁にぶつかったような衝撃が肺を圧迫し、シェスタは血を吐き出す。
「ぐふッ……!」
「そんなもんかよ。犬っころが。あぁ?」
「貴様……!」
「んだよ、生意気なのは口だけか?」
シェスタは爪を伸ばしてグレンを切り裂こうとした。
爪がバラバラになって地面に落ちた。
「え」
それだけではない。
いくら動かそうとしても、ピクリとも身体が動かないのだ。
「ははっ!」
呆然とするシェスタを、男は鼻で笑う。
「まさかそんなモンで俺様を殺せるとは思ってねぇよな? この俺、レベル80の彗星級冒険者、『虐殺旋風』グレン・ボルボンド様によぉ!」
動けないシェスタに力の差を見せつけるように。
男──グレン・ボルボンドはステータスカードを見せつける。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
名前:グレン・ボルボンド
種族:人族
レベル:80
天職:風法師
《技能》
風の砲弾(大気を圧縮して風の砲弾を叩きつける)
風の拘束(大気を固めて一定時間、対象の動きを止める)
風の祝福(大気を味方につけて身体能力を上昇させる)
風に愛されし者(大気を操作して風向きを変える。魔力が続く限り永続可能)
風の眼(対象のレベルを即座に看破する。ステータスの読み取りは不可)
風の支配者(一定領域内にある大気中の成分を操作する)
《能力値》
体力:S
魔力:S
敏捷:SS
幸運:D
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……っ」
それはシェスタを襲った盗賊たちの五倍のステータス。
手も足も出なかった盗賊たちに負けた時以上の絶望だった。
「あー、その顔だよ。すっげぇいいぜ、お前」
恍惚と、グレンは身体を震わせた。
「生意気な女が絶望を目の当たりにしてくじけそうになるその表情……滾るじゃねぇか。楽しみだなぁ。かろうじて残った心を踏みにじり、テメェが「殺してくれ」って泣き叫ぶさまを見るのがよぉ! きひゃっ、きひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
ぞっと、シェスタの背筋に悪寒が走った。
ゼロコンマ一秒でも早くこの男から離れたい。
その一心でシェスタは足を振り上げた。
「ぁああああああああああああああああああああっ!!」
「……! へぇ」
ぶちぶちっ! とちぎれた筋繊維を代償に拘束を抜け出す。
豪速の蹴りを叩き込み、確かな手ごたえを感じたシェスタは膝をついた。
「ハァ、ぜぇ、ハァ……!」
「ひひっ、まさか俺の拘束をちぎるとはな。大した力だ」
人族程度の頭なら真っ赤なトマトのように潰せると自負する力だ。
しかしグレンがガードした腕には傷一つついていない。
「でも、よぉ。分かってんだろ?」
グレンは口元を三日月に歪めた。
「天職を持っていないお前ら亜人に、俺様が負けるわけねぇってことがよぉ」
──亜人は天職を持たない。
銀狼族が滅ぼされた所以であり、世界で亜人が差別されている理由でもある。
天職は人族のことを哀れんだ最高神イルディスが人族に与えた権能だ。
人族とは。
魔族に比べて貧弱な魔力を持ち、
亜人と比べて脆弱な肉体を持ち、
エルフや妖精族に比べて短命な魂を持ち、
ドワーフと比べてか弱い精神を持つ。
これが女神イルディスの見解で。
神魔大戦勃発当初、魔族と戦うことを決意した人族に与えたものである。
だからその慈悲はまさに世界を変えた。
それまで奪われるばかりだった人族たちが急激に勢力を増し、人口は爆発的に増えた。
力で勝っていた亜人は急速に衰え、被差別民となっていったのだ。
「お前らみたいな獣は、俺たちに狩られる運命なんだよ。ハッ! 飛んで火にいる夏の虫ってのはこのことだぜ! わざわざ捕まってくれてありがとよ!」
圧倒的な力を見せつけられながら、しかし、シェスタは心折れなかった。
「なぜ私がわざと捕まったのか、考えないのか?」
「……なんだと」
彼女の心にあるのは独りの男。
その男に叱られたい欲望の火花。
「あの方は来る。いいや、もうここに来ているのだ」
ニィ、とシェスタは顔を上げた。
「我が主、元剣聖オリバー・ハロック。義を貫き情に厚く、すべてを圧倒する最強の男が!」
オリバーはグレンの背後に呼びかけた。
「さぁ、ご主人様。このムカつく男をぶっ飛ばしてください!」
(そして私を叱ってください! 出来れば全身を縛り付けて鞭を打ってください!!)
内心で煩悩を炸裂させたシェスタの叫びに──
シィー……ン。
誰も、応えない。
警戒して振り返ったグレンは「くはッ」と額を抑えた。
「誰もいねぇじゃねぇか! しかもなんだ、オリバー・ハロックだと!? あいつは一ヶ月以上前に死んだはずだ! とんだ妄言だな、おい!?」
「そんな……! 確かに匂いが……ご主人様、シェスタはここにいます!」
やはり誰も応えない。
グレンは腹を抱えて笑った。
「なるほどなぁ、自称剣聖が助けに来てくれることを期待してわざと攫われたってのか。敵のアジトを突き止めるためってか? 泣かせるが、俺様だったらそんな奴、絶対に助けないね」
「……なに?」
「だってそうだろうが?」
グレンは嘲笑うように言った。
「自己犠牲的になんて言えば聞こえはいいが、要は自分の力を諦めて仲間に依存してるってことだろ? 」
「……っ」
言葉の刃がシェスタの胸を切り裂いた。
大嫌いな人族の言葉なのに、言い返せない真実がそこにある。
「作戦を練ったなら話は別だが、そうじゃなさそうだしな。自分を諦めて勝手に自滅するような奴を、誰が助けるかよ。また同じことをするに決まってんのによ」
「……っ、違う。私はっ!」
「私は? なんだよ」
──そうだったのか?
ただ一人の寄る辺を見つけた嬉しさは、ただの依存でしかなかったのだろうか。
自分の性癖を他人に押し付けて好き勝手して。
その上で助けろと叫ぶ自分は何者なのだろう。
「私は……」
──誰かに必要とされていたかった。
シェスタは一族から役立たずと言われて育った落ちこぼれだ。
優秀な姉と比べてダメな自分は両親からも構ってもらえなかった。
だからよく悪戯をしたし、構ってくれるならなんでもした。
殴られたり蹴られたりしたこともあったけど。
痛いことや苦しいことも、誰にも構ってもらえない孤独に比べればまだマシだ。
だから、わざと大嫌いな人族に捕まって。
『誰かに必要とされる』という快感を得ようとしていたのだろう。
「は、はは……私は……愚か者だ……」
絶望がシェスタの心を覆い尽くした。
高笑いするグレンの声が聞こえる。服がビリビリに破られた。
野卑な手が身体を押さえつけ、馬乗りになる。
「ようやくわかったようだな、テメェの本性ってやつがよ」
「……」
「人族様に生意気な態度を取った罰だ。俺様が調教してやるよ!」
グレンが拳を振りかぶった。
シェスタは目を瞑る。
最後に、ぽつりと呟いた。
「ご主人様、ごめんなさい……」
「──ようやく分かったようだな」
「ぐぁ!?」
林檎がグレンの身体を吹き飛ばした。
どごぉん! と砲弾のような林檎を喰らった彼は土煙に包まれる。
シェスタは呆然と顔を上げた。
「え……」
「一度だけだ。次にこんなことしたら絶対に見捨てるからな」
かつ、かつ、と音を響かせて。
林檎を手にした男がシェスタの下に歩いてくる。
「今回は、助けてやる」
四英雄が一翼。
元『剣聖』オリバー・ハロックがそこにいた。
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