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第二十三話 不器用な姉
しおりを挟む「えっ……」
「お前、よくも私にのうのうと言えたものね。ここまで愚かだったわけ?」
膝を入れ替えて愚かな弟を見やる。
顔立ちは父親似なのに、性格はまるで似てないわ。
「ねぇ、まずはお前が私に何をしたのか思い出して見なさいよ」
「……」
ラディンを救うために奔走していた私を邪険にした。
それどころか愚かな子爵令嬢に魅入られて公爵令息としての誇りも見失っていた。挙句の果てに私に毒殺未遂容疑をかけて、ようやく真実に気付いて私を頼る。
我が弟ながら、なんとも面の皮が分厚いこと。
「確かに、僕は姉上に酷いことをしてしました……けれど、僕だって色々頑張って」
「色々? 頑張って? その結果がコレ?」
ラディンは浮気に走り、愚かな子爵令嬢に惑わされ。執務を台無しにして。
近衛騎士として奔走しても立て直せず、殿下を正気に戻させることも出来ない。
挙句、みんなで嵌めた私の助けに縋る──
「無様ねぇ。ルアン坊や」
「……っ」
ぎゅっと唇を噛みしめたルアンの顎を私は扇子で持ち上げた。
「お前、いつまで被害者面してるつもりなの」
「……」
確かにシルル・バースとやらが狡猾なこともあっただろう。
巧みにラディンの弱い所を突き、私を追い出した手腕は見事しか言いようがない。
でも、それを選択したのはこの子たちよね?
どれだけ魅了にかかっていても選択を強制することは出来ないんだし──
自分で選んだくせに、私に縋るのは違うでしょう?
「お前は私にツァーリの恥晒しだと言っていたけれど。自分のザマはどうかしら」
「…………分かってますよ。僕が悪いことくらい」
ルアンは泣き出しそうに言った。
「いつもそうだ」
顔をあげ、涙を溜めた目で私を見る。
「僕がどれだけ助けを求めても、姉上は突き放したみたいにそう言って……何か相談事をしても、今みたいに冷たいことばかり」
「……」
「姉上は、僕を弟として愛していらっしゃらないのですか?」
「軽々しく愛なんて使うのはやめなさい。虫唾が走るわ」
扇子の先で愚弟の額を叩き、私は背もたれに身体を預ける。
昔から何度も見たコイツの泣き顔は見飽きていて、うんざりする。
ルアンは責めるように言った。
「ほら、真剣に聞いてないじゃないか。父上と同じで僕のことも嫌いなんだろ」
「……あのねぇ。兄弟に好きとか嫌いとか関係ある?」
なんだか頭が痛くなってきた。
一体どうして、こいつはここまで甘えたに育ったのかしら。
お母様が死んだから? あの時こいつはまだ子供だったっけ。
「兄弟と言っても他人なんだし、ムカつく時や殴りたくなる時くらいあるでしょ。誰よりも近い他人なんだから嫌なところも良いところも同じくらい見える。喧嘩だってするし、対立する時もある。それでも嫌いになったりしないわよ。好きとか嫌いとか、そういう次元じゃないの。兄弟っていう枠なのよ」
夕食の席でくだらないことで喧嘩して、お風呂に入ったらコロッと仲直りする。
喧嘩も対立も何事ごともなかったかのように振舞ってふざけ合う。
「それが、家族ってもんでしょ?」
「……父上とは寝ても覚めても対立していますが」
ルアンは呆れたように言った。
「……まだ許してないんですか? 母上の死に目に立ち会わなかったこと」
「当たり前でしょ。一生許さないわ」
「父上は父上なりの──」
「うるさい。今はお前の話をしているのよ。人のことに構ってる余裕ある?」
ルアンはむくれたようにそっぽ向いた。
「……余裕がないから姉上に相談しているんです」
まるで余裕があったら絶対にあなたに頼らないとでも言いたげな態度だ。
こういう頑固なところは昔からまったく変わらない。
ほんと、誰に似たのかしら。
「おい」
見かねたのか、ジャックが耳元に囁いて来た。
「その家族が助けを求めたんだぜ。ちょっとは訊いてやったらどうだよ」
「愚かね。だからお前はいつまで経ってもジャックなのよ」
「名前を悪口に使うのはやめろ、で、どうなんだよ」
「愚かね。順序が違うわ」
「順序ぉ?」
「そう、順序」
私はルアンに聞こえるように言った。
「悪いことをしたら、まずごめんなさいでしょう」
そう。
なんとこのルアン、ここまで来てまだ一度も私に謝っていないのである。
店に入ってから相談事を始めてから、ただの一度も。
「……ぁ」
まぁね? 切羽詰まってるのは分かるわよ?
私だって愚かな弟の頼みを聞いてやらないでもないわよ。
こいつはこいつで、ツァーリの名を背負って頑張ってるんだろうし。
一度や二度の過ち、愚弟だから許せるところもある。
だけどねぇ……。
姉に冤罪を吹っ掛けておいて、いざピンチになったら謝りもせず助けてください?
いやいや、図々しすぎるでしょ。
人間的に一番やっちゃいけないことよ、それは。
口喧嘩とかのレベルを超えてるわ。
姉弟だろうが家族だろうが恋人だろうが、弁える礼儀はあるでしょ。
その程度の礼儀もなっていない男の頼み事なんて、それこそ知ったことじゃない。
「……なんだお前、やっぱ良いやつだな」
ジャックが感心したように唸るので、私は横目で流し見る。
ほんとこいつは、余計なことばかり喋る。そのよく回る舌を躾けなきゃ。
「お前、今夜のミルクティーを味わって飲むことね。人生最後の味よ」
「こえーよ! 毒殺するなよ!」
「毒殺なんてしないわ。ただ二度と甘みが感じられないようにするだけ」
「地味に嫌すぎるんだが!? ある意味殺されるより辛いんだが!」
私は笑顔で言った。
「それでね、お前の目の前で大好物のケーキを食べてあげるの、どう?」
「俺が悪かったからやめろやめてくださいお願いします」
「チョコケーキがいい? それともショートケーキが好き?」
「どっちかというとショートケー……いやマジじゃないよな?」
「さぁ、どうかしら。私はいつだって大真面目よ」
ハァ、とため息をつき、呆然としたルアンを見る。
(……昔はこんな風じゃなかったんだけど)
それこそ五歳くらいの頃は「あねうえ」と呼んでいつも後ろをひっついてきた。
よちよち歩くルアンが転んで、おんぶしてやったこともある。
(それがどうしてこうなったのかしら)
お母様が死んでから?
私が薬師になってから?
それとも、ラディンの婚約者になってから?
分からないけど、いつしか私とルアンの間には距離が出来ていた。
こいつが相談してきた時はそれとなくアドバイスしたものだけど、それを冷たい、人の心がない、なんて言われたから、私じゃない誰かを介して助けてやったりもした……まぁこいつには気付かれなかったみたいだけど。
「姉上……」
ルアンは天啓を受けたように固まった。
静かにジャックと目を合わせる。余計なことが大好きワンコは顎をしゃくった。
「……」
愚弟は瞼を震わせ、何かを噛みしめるように唇を結ぶと、おもむろに腰を上げた。
ゆっくりと膝を曲げ、ソファから降りる。
そして両手を床につくと、私の足元に跪いて頭を垂れた。
「申し訳ありません。僕が愚かでした」
「何に対して謝ってるの?」
「姉上の誇りを穢したこと……姉上に冤罪をかけるのに協力してしまったこと……自分の頭で考えずバース嬢や殿下の言うことを聞いてしまったこと……恥知らずにも、冤罪をかけた姉上に謝りもせず、のこのこここにやって来たこと……です」
「……ん。で?」
「無礼の上だとは思います。図々しいとも。だけど……」
ルアンは泣きそうな顔で紅色の瞳を持ち上げた。
「どうかもう一度だけ、僕に贖罪の機会を下さいませんか……?」
「……贖罪ねぇ」
正直、私はそれほど怒ってるわけじゃない。
いやさっきの態度にはムカついたけど……ルアン自体に恨みがあるわけじゃない。諸悪の元凶は別にいるわけだしね。そいつのことは心から殴りたいと思ってるけど。
(婚約破棄されたおかげで、薬屋を開業出来たわけだし)
帝位争いに巻き込まれることもなくなったしね。
正確には認可が下りていないから開業してるわけじゃないかもだけど、それは置いておく。
重要なのは私が皇太子妃教育から抜け出せて自由を謳歌しているということ。
『たまには気にかけてやれ。ルアンはあまり母上に甘えられなかったからな』
不意にお兄様の言葉を思い出す。
両親の仕事が忙しくて、親に甘えられなかったルアン。
私はその仕事について行ったクチだけど……はぁ、仕方ないわね。
「ちょっと待ってなさい。一時間くらい」
「ちょっとじゃないですよねっ?」
私はルアンが持ってきた毒薬を持って調合室に行った。
オーク材の棚から羊皮紙を取り出し、分析にかけて成分を書き写していく。
最後に薬師としての印章を押して、終わり。
応接室に戻ると、ルアンとジャックがこっちを見た。
私は用意した書類を丸めてルアンに差し出す。
「これは……?」
「その薬の成分と効能、使われている薬草の一覧表」
上級薬師の私が記した書類だ。
もし間違っていたら薬師の資格を剥奪されるけど、帝国法に基づき、ここに書いてあることは絶対だという効力を持つ。
「……! じゃあこれを使えば」
「あの馬鹿共を追い詰められる。あとはお前次第よ」
ルアンの額を扇子で小突く。
「お前が本当にラディンを推すと決めたなら貫きなさい。さすがに諸悪の根源は分かってるわよね?」
ルアンは眉根を伏せて、不安そうにつぶやいた。
「……僕だけで対抗できるとは思えません」
「甘えるのはやめなさい。お前は公爵令息。ツァーリの血を引く男」
「……」
「……そして遺憾だけど、私の弟なのよ。無様な真似を晒すのは許さない」
ルアンは私が小突いた額をそっと撫でて、むくれるように言った。
「姉上はいつも厳しすぎます」
「あ、そうだ。その毒薬が採れる領地と仕入れられる商人も書いておいたから、お兄様に渡しといて」
「姉上はいつも兄上の扱いが雑過ぎます!?」
別にいいでしょ。私たちの世話を焼くのを喜んでるんだから。
なんだかお兄様に従ったみたいで気に食わないし、これくらい許されるわよ。
「慎重に行くことね。敵は手強いわよ」
「はい」
「最初から証拠を突きつけるのはしないこと」
「分かってます」
「お前だけじゃ無理だから周りの手も借りること、絶対に一人で動かず助けを求めること」
「……はい」
ルアンは噛みしめるように頷いた。
「用が終わったらさっさと帰りなさい」
「はい」
やれやれ、ようやく面倒ごとが終わる……。
席を立ったルアンの背中を見ていると、ルアンは振り返って、
「姉上」
「なに」
「姉上も、僕を助けてくれますか?」
「……」
私はそっぽ向いた。
「……ま、暇だったらね」
「はいっ!」
犬みたいに見えない尻尾を振って、ルアンが居なくなる。
ジャックがからかうように言った。
「なんだお前、不器用なお姉ちゃんだな、オイ」
「……ほんとお前は余計なことを言うのが好きね」
「おいそっちは調合室馬鹿やめろ……まじで毒薬はやめろ!?」
そういうのを野暮って言うのよ。この馬鹿。
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