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「そういえば千夏」
日曜日、朝から漫画制作に取り掛かっていると、私の隣に立って窓の外を眺めている雪実が口を開いた。
さっきまで大人しく私の作業を見守っていたのに、何か気になることでもあるのだろうか。
「どうしたの?」
ペンを机に転がし、雪実を見る。
何の変哲もない外の景色から、双眸がこちらに移る。
「その⋯⋯少し聞きにくいのだが、そなたの両親は何処におるのだ?」
「え?」
てっきり漫画のことで何か言われるのかと思っていたので拍子抜けした。
雪実も聞きづらいのか、目線を落とし、何度も細かく瞬きしている。
「もうこの家に数日いるが、ここにはそなたと弓子しかいないではないか⋯⋯だがそなたの父の服なんかは残っている」
「あー」
どうやら、雪実は両親が亡くなっていると勘違いしている。
その証拠に、何度も申し訳なさそうに俯いては私の顔を覗いている。
雪実は風呂上がりの寝巻きに、父のパジャマや下着を使っているので、色々と考えてしまったのだろう。
「生きてるよ。ただふたりとも仕事で海の向こうに行ってるだけだから」
そう、ただの海外出張で家を開けているだけだ。
それを聞いて安心したのか、雪実は私の隣からベッドに移動して座った。
もう私のベッドの上が定位置みたいになってしまっている。
「海の向こうというと⋯⋯まさか元国ではあるまいな?」
「げ、元国? ああモンゴルね。違う違う。モンゴルの反対側だよ」
鎌倉期のモンゴルと言えば、まさにモンゴル帝国がユーラシア大陸で猛威を振るっていた時代だ。
海の向こうと聞いて、真っ先にモンゴルを浮かべるのは時代のせいだろうか。
ちなみに両親はアメリカにいるのだが、それを説明しても雪実には理解できないはずだ。
「そうか⋯⋯考えてみればまだこの世界に元国は跋扈しているのか?」
「無いよ」
「そうか、もう博多が狙われることは無いのだな」
安心したように微笑みながら、雪実は両手を後ろについて背中を伸ばした。
蒙古襲来の経験者のようにも見えるが、生まれた時代的に被っていないはずだ。
どちらかと言えば雪実は元は元でも元弘の乱の経験者のはずだ。
だが今雪実に乱の話を聞いたりしたら、長話になる可能性がある。
少し聞いてみたい欲もあるが、締切のため我慢だ。
「あ、そうだ」
集中しなきゃと考えれば考えるほど、人は意図しない記憶を呼び覚ましてしまう。
何故か今になって、それまで気にしていなかった些細な場面を思い出した。
「ねえ、最初源之助さんに闘茶のこと教える時、なんか言いたくなさそうだったけどどうして?」
掴んだペンをもう一度放し、椅子を回転させる。
「ああ、その事か」
雪実の反応からは、何も伺いしれない。
「落ち着いてるね。てっきり闘茶に負けて寺に入れられたんだと思ったよ」
「なぜそんな⋯⋯以前教えただろう。出家したのは私が嫡男では無いからだ」
一瞬目が合うと、思わず私の方から逸らしてしまった。
雪実より、むしろ私の方が動揺している。
「じゃあどうして?」
今度は直接的に尋ねると、様子が少し変わった。
雪実は一度斜め下を向くと、すぐに天井に顔を向けて眩しそうに目を細めた。
目を細めたまま、雪実は左腕の袖を右手で掴んだ。
「以前、出家する前の事だが、私は闘茶に逸っていた」
いつもの軽い声色は影を潜め、淡々と語り出した。
「こう言ってはなんだが、私は滅法勝負に強かった。武士や商人、公家や役人なんかとしてもほとんど負けたことがなく、それだけである程度の財を成していた」
静粛にギャンブラー時代の過去を語っているのを、真面目に聞くのは辛い。
私は吹き出しそうになるのを堪えながら、雪実の真剣な横顔を見続けた。
「である日な、鎌倉ではそれなりに名の知れた武士と闘茶を行った。向こうは私に対して、自分が持つ土地を掛けた」
「えっ、土地?」
驚きの掛け金に、つい声が漏れる。
「ああ。土地だ。土地をかけること自体、当時は珍しいことではなかったのだ」
「いやぁ、土地はすごいよ」
「まぁとにかく、私はその勝負にも難なく勝ち、その男の土地を受け取るはずだった」
雪実の声が徐々に沈む。
「だがその武士は賭けを反故にしようと、我が屋敷に雇った賊徒を放った」
その武士の行いが完全にヤクザと変わらないが、この頃の武士などそれこそ今のヤクザよりも恐ろしいかもしれない。
「それで、まさか屋敷が荒らされたり、家族が襲われたりしたの⋯⋯?」
背中と額に、嫌な汗が滴る。
今まで雪実から血なまぐさい話は聞いてこなかったが、彼の生きていた時代はそんなの日常茶飯事なのだ。経験してても不思議では無い。
私は、先にある程度の予測を口にすることで、これから雪実が話すであろう過去が放つ衝撃を和らげようとしたのかもしれない。
「いや、先手で3、4人に斬りかかったら賊はすぐに退散したぞ」
「はい?」
全身の力が抜け、椅子の上で背中が丸くなる。
流血沙汰を話しているのに、雪実が先程までより明るい声色と表情になっているのはなぜなのか。
「え? 斬ったの? 雪実が賊を!?」
「ああ、先祖代々の太刀でシュッとな」
雪実は両手で刀を振り下ろす仕草をすると、半笑いになって額を抑えた。
「だがその日からそれを間近で見ていた姉に距離を置かれるようになってな。いやぁ辛かった」
「⋯⋯なにそれ、緊張して損した。まあ十分すごい話だけどね⋯⋯」
「結局姉は私が家を出るまでほとんど口を聞いてくれなくてな。ほんと災難だった。春乃に出会って驚いたよ。姉の面影があった」
「あ、そうなんだ」
てっきり藤原さんに一目惚れしたのだと思っていたが、それは違っていたらしい。
「まあでも、源之助さんのためにも今度の勝負は真剣に頼むよ」
「当然だ。やるからには勝ちに行くさ。せっかくの機会だしあの男に恨みは無いがたっぷりと辱めてやろう」
「サディスティックだねー」
「さ、さでぃすてぃっく?」
「なんでもないよ。覚えなくていい」
────
「準備できたよ天江さん」
「ありがと」
月曜日の夕方、放課後の茶室で、勝負の準備が整った。
私と藤原さんは衝立の後ろで4種類のお茶を沸かしたやかんをお盆の上に置き、雪実と源之助さん用に、それぞれ10個ずつ茶碗を並べた。
衝立の向こうには、雪実と源之助さんが緊張した面持ちで座っている。
ただの遊びだとどこかで認識していたが、一応賭博というだけあって緊張感が走る。
4つのやかんにはそれぞれ、校長先生が買ってくれた宇治茶、狭山茶、静岡茶、そしてスーパーで売ってる安物の緑茶が分かるよう、名前を書いた紙を貼ってある。
ちなみにお茶は昼間、隣の家庭科室で校長先生が念入りに温度を確かめながら沸かしてくれた。
幽霊ファーストを実行する校長の心意気に少し敬意が芽生える。
そしてその校長は、雪実と源之助さんを挟んだ向こう側の壁にもたれかかって座っている。
「じゃあ茶葉渡すね」
衝立から顔を出し、挑戦者の2人に伝える。
ふたりは静かに頷くと、お互いの様子を観察し始めた。
藤原さんがそれぞれブランドの茶葉が入った袋を開け、合計6つの茶碗に、3種類の茶葉入れ、1種類ずつそれぞれ銘柄を伝えてふたりに渡す。
まずは、勝負に使う茶の匂いを覚えてもらうのだ。
ただし4種類の内ひとつ、安物の茶の匂いは覚えさせない。
静岡茶、狭山茶、宇治茶の順番でそれそれ匂いを覚えさせ、茶碗を回収する。
茶葉を入れた茶碗は藤原さんに渡し、一度家庭科室の水道で軽く流してもらう。
「藤原さんが帰ってきたら始めるからね」
ふたりは黙って答えない。
藤原さんが茶碗を持って帰ってきたら、早速ふたりでそれぞれ10杯の茶を、茶碗10分の1程度注ぐ。
一度の勝負で10杯の茶の銘柄を飲んだ順に当てる。それが今回のルールだ。
念の為、10勝負分、つまり100杯分の順番は決めて紙に書いているので、茶の出し間違いは起きないはずだ。
「おまたせ」
上履きを抜きで藤原さんが帰ってきた。
すすいだ茶碗を並べたのを確認し、私はまず最初の一杯、狭山茶のやかんを手に取った。
極小量をふたつの茶碗に注ぎ、私が雪実に、藤原さんが源之助さんに手渡す。
雪実と源之助さんの足元には、藤原さんが何十枚も印刷した1から10の漢数字が書かれたコピー用紙がある。
10杯の茶を飲み終えた時点で、この紙に順番に銘柄を書き込み、正解した数で勝負が決まる。
ふたりが茶を飲んでいるうちに、次の茶を椀に注ぎ、そして藤原さんと同時に差し出す。
静かな空間の中には、私が茶を注ぐ音と、ふたりが静かに喉を潤す音だけが響いた。
茶を渡す時、奥にいる校長先生の姿が見える。
てっきり退屈そうにしていると思っていたが、校長は腕を組んだままじっとふたりの勝負を見守っている。
「じゃあふたりとも、その紙に銘柄を飲んだ順に書いてね。1種類だけどれか分からない銘柄があると思うけど、そのお茶だと思ったら数字の横には何も書かなくていいから」
説明すると、ふたりは鉛筆という見慣れないであろう道具を持って背を丸くし、畳の上の紙に銘柄を書き始めた。
この間に、私と藤原さんは10個ずつ茶碗を持って家庭科室に向かった。
次の勝負のため、茶碗を綺麗にしておくのだ。
「いやぁ、なんか凄い緊張するね」
水道で茶碗を流し、布で水気を拭き取りながら藤原さんが言った。
校長がふたりを見張っているが、念の為順番が書かれた紙は私が持っている。
「だね、もっと気楽な遊びだと思ってたよ」
「やっぱり賭けたものが良かったんじゃない?」
クスクスと笑い声を漏らしながら、藤原さんは口元に腕を添えた。
たしかに、雪実が真剣なのはそのせいだと思うが、源之助さんからはさらに、無言だが鬼気迫るものを感じる。
「まああれだね、さすがにやばい命令した時は私が止めるよ」
茶碗を洗い終え、茶室に戻ると、既にふたりは解答を終え、静かに睨み合っている。
書き終えた用紙はそれぞれ衝立の左右に置かれている。
それを手に取り、奥で藤原さんと答え合わせをすると、驚くことにふたりとも全問正解だった。
結果を伝えるため顔を出すと、ふたりの刺すような視線が私に集中した。
「今の勝負、ふたりとも全問正解。今から2回戦に入るから」
ふたりの視線から逃れたくて、結果を伝えてすぐに顔を引っ込めた。
11番目に入れる静岡茶のやかんをもちあげながら、藤原さんと顔を合わせ、この勝負かなり長引くのではと、無言で息を飲んだ。
────
予想通り、勝負は全くの互角で決着が付かず、9回目までもつれ込んだ。
90杯目の茶を飲み終え、記入を始めたのを確認し、家庭科室に向かう。
外はもう完全に日が落ち、完全下校時間を知らせる放送も、とっくの昔に流れた。
「ごめんね藤原さん。こんなに遅くなって」
「気にしないでよ。やりたくてやってるんだから」
私は構わないが、藤原さんが帰るのが遅くなるのは申し訳ない。
でも彼女は、一切の不満や億劫さを出さずに、にこにこと笑ってみせた。
「でもどうする? このままだと終わりそうにないね」
雪実を理由に学校で泊まる、と祖母に連絡すれば、おそらく何も言わずに信じてくれる。
藤原さんは私と勉強してるから遅くなると親に連絡しているらしいが、私の家に泊まって直接学校に行くとでも言えば、何とかなるだろう。
だが、時間が出来たとしても、そもそも体力が続かない。
このままだと私達の方からミスが起きそうだ。
「次で決着つかなきゃ勝負内容を変えて後日仕切り直そう。そろそろ校長先生も解放してあげないと」
スカートのポケットから、入れる順を書いた紙を取りだし、今までの傾向を精査してみた。
すると、今までは茶を出す順番を分散させすぎたことに気がついた。同じ茶が続くことがあまりない。
「あ⋯⋯思いついた。多分これで終わる。ていうか終わらなきゃほんとにどうしよ」
妙案が浮かび上がり、紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
「あれ捨てちゃっていいの?」
藤原さんが不安げにゴミ箱を眺めながら言った。
「うん。もう必要ないよ」
これで終わらなきゃ、もう後日別の競技で一発勝負をしてもらうしかない。
「これから10回目を始めるけど、これでも決着がつかなきゃ勝負は持ち越しにするからね。そして勝負内容も変更する」
ふたりは声を出さなかったが、小さく頷いた。
奥にいる校長先生も、黙ってはいるがそっと胸をなで下ろした。
考えてみれば、放課後ここに来てからふたりは一言も話していない。
この集中力をギャンブル以外に生かせれば⋯⋯とも思ったが、幽霊に何かを求めても無駄なことだ。
「じゃあまず1杯目⋯⋯」
日曜日、朝から漫画制作に取り掛かっていると、私の隣に立って窓の外を眺めている雪実が口を開いた。
さっきまで大人しく私の作業を見守っていたのに、何か気になることでもあるのだろうか。
「どうしたの?」
ペンを机に転がし、雪実を見る。
何の変哲もない外の景色から、双眸がこちらに移る。
「その⋯⋯少し聞きにくいのだが、そなたの両親は何処におるのだ?」
「え?」
てっきり漫画のことで何か言われるのかと思っていたので拍子抜けした。
雪実も聞きづらいのか、目線を落とし、何度も細かく瞬きしている。
「もうこの家に数日いるが、ここにはそなたと弓子しかいないではないか⋯⋯だがそなたの父の服なんかは残っている」
「あー」
どうやら、雪実は両親が亡くなっていると勘違いしている。
その証拠に、何度も申し訳なさそうに俯いては私の顔を覗いている。
雪実は風呂上がりの寝巻きに、父のパジャマや下着を使っているので、色々と考えてしまったのだろう。
「生きてるよ。ただふたりとも仕事で海の向こうに行ってるだけだから」
そう、ただの海外出張で家を開けているだけだ。
それを聞いて安心したのか、雪実は私の隣からベッドに移動して座った。
もう私のベッドの上が定位置みたいになってしまっている。
「海の向こうというと⋯⋯まさか元国ではあるまいな?」
「げ、元国? ああモンゴルね。違う違う。モンゴルの反対側だよ」
鎌倉期のモンゴルと言えば、まさにモンゴル帝国がユーラシア大陸で猛威を振るっていた時代だ。
海の向こうと聞いて、真っ先にモンゴルを浮かべるのは時代のせいだろうか。
ちなみに両親はアメリカにいるのだが、それを説明しても雪実には理解できないはずだ。
「そうか⋯⋯考えてみればまだこの世界に元国は跋扈しているのか?」
「無いよ」
「そうか、もう博多が狙われることは無いのだな」
安心したように微笑みながら、雪実は両手を後ろについて背中を伸ばした。
蒙古襲来の経験者のようにも見えるが、生まれた時代的に被っていないはずだ。
どちらかと言えば雪実は元は元でも元弘の乱の経験者のはずだ。
だが今雪実に乱の話を聞いたりしたら、長話になる可能性がある。
少し聞いてみたい欲もあるが、締切のため我慢だ。
「あ、そうだ」
集中しなきゃと考えれば考えるほど、人は意図しない記憶を呼び覚ましてしまう。
何故か今になって、それまで気にしていなかった些細な場面を思い出した。
「ねえ、最初源之助さんに闘茶のこと教える時、なんか言いたくなさそうだったけどどうして?」
掴んだペンをもう一度放し、椅子を回転させる。
「ああ、その事か」
雪実の反応からは、何も伺いしれない。
「落ち着いてるね。てっきり闘茶に負けて寺に入れられたんだと思ったよ」
「なぜそんな⋯⋯以前教えただろう。出家したのは私が嫡男では無いからだ」
一瞬目が合うと、思わず私の方から逸らしてしまった。
雪実より、むしろ私の方が動揺している。
「じゃあどうして?」
今度は直接的に尋ねると、様子が少し変わった。
雪実は一度斜め下を向くと、すぐに天井に顔を向けて眩しそうに目を細めた。
目を細めたまま、雪実は左腕の袖を右手で掴んだ。
「以前、出家する前の事だが、私は闘茶に逸っていた」
いつもの軽い声色は影を潜め、淡々と語り出した。
「こう言ってはなんだが、私は滅法勝負に強かった。武士や商人、公家や役人なんかとしてもほとんど負けたことがなく、それだけである程度の財を成していた」
静粛にギャンブラー時代の過去を語っているのを、真面目に聞くのは辛い。
私は吹き出しそうになるのを堪えながら、雪実の真剣な横顔を見続けた。
「である日な、鎌倉ではそれなりに名の知れた武士と闘茶を行った。向こうは私に対して、自分が持つ土地を掛けた」
「えっ、土地?」
驚きの掛け金に、つい声が漏れる。
「ああ。土地だ。土地をかけること自体、当時は珍しいことではなかったのだ」
「いやぁ、土地はすごいよ」
「まぁとにかく、私はその勝負にも難なく勝ち、その男の土地を受け取るはずだった」
雪実の声が徐々に沈む。
「だがその武士は賭けを反故にしようと、我が屋敷に雇った賊徒を放った」
その武士の行いが完全にヤクザと変わらないが、この頃の武士などそれこそ今のヤクザよりも恐ろしいかもしれない。
「それで、まさか屋敷が荒らされたり、家族が襲われたりしたの⋯⋯?」
背中と額に、嫌な汗が滴る。
今まで雪実から血なまぐさい話は聞いてこなかったが、彼の生きていた時代はそんなの日常茶飯事なのだ。経験してても不思議では無い。
私は、先にある程度の予測を口にすることで、これから雪実が話すであろう過去が放つ衝撃を和らげようとしたのかもしれない。
「いや、先手で3、4人に斬りかかったら賊はすぐに退散したぞ」
「はい?」
全身の力が抜け、椅子の上で背中が丸くなる。
流血沙汰を話しているのに、雪実が先程までより明るい声色と表情になっているのはなぜなのか。
「え? 斬ったの? 雪実が賊を!?」
「ああ、先祖代々の太刀でシュッとな」
雪実は両手で刀を振り下ろす仕草をすると、半笑いになって額を抑えた。
「だがその日からそれを間近で見ていた姉に距離を置かれるようになってな。いやぁ辛かった」
「⋯⋯なにそれ、緊張して損した。まあ十分すごい話だけどね⋯⋯」
「結局姉は私が家を出るまでほとんど口を聞いてくれなくてな。ほんと災難だった。春乃に出会って驚いたよ。姉の面影があった」
「あ、そうなんだ」
てっきり藤原さんに一目惚れしたのだと思っていたが、それは違っていたらしい。
「まあでも、源之助さんのためにも今度の勝負は真剣に頼むよ」
「当然だ。やるからには勝ちに行くさ。せっかくの機会だしあの男に恨みは無いがたっぷりと辱めてやろう」
「サディスティックだねー」
「さ、さでぃすてぃっく?」
「なんでもないよ。覚えなくていい」
────
「準備できたよ天江さん」
「ありがと」
月曜日の夕方、放課後の茶室で、勝負の準備が整った。
私と藤原さんは衝立の後ろで4種類のお茶を沸かしたやかんをお盆の上に置き、雪実と源之助さん用に、それぞれ10個ずつ茶碗を並べた。
衝立の向こうには、雪実と源之助さんが緊張した面持ちで座っている。
ただの遊びだとどこかで認識していたが、一応賭博というだけあって緊張感が走る。
4つのやかんにはそれぞれ、校長先生が買ってくれた宇治茶、狭山茶、静岡茶、そしてスーパーで売ってる安物の緑茶が分かるよう、名前を書いた紙を貼ってある。
ちなみにお茶は昼間、隣の家庭科室で校長先生が念入りに温度を確かめながら沸かしてくれた。
幽霊ファーストを実行する校長の心意気に少し敬意が芽生える。
そしてその校長は、雪実と源之助さんを挟んだ向こう側の壁にもたれかかって座っている。
「じゃあ茶葉渡すね」
衝立から顔を出し、挑戦者の2人に伝える。
ふたりは静かに頷くと、お互いの様子を観察し始めた。
藤原さんがそれぞれブランドの茶葉が入った袋を開け、合計6つの茶碗に、3種類の茶葉入れ、1種類ずつそれぞれ銘柄を伝えてふたりに渡す。
まずは、勝負に使う茶の匂いを覚えてもらうのだ。
ただし4種類の内ひとつ、安物の茶の匂いは覚えさせない。
静岡茶、狭山茶、宇治茶の順番でそれそれ匂いを覚えさせ、茶碗を回収する。
茶葉を入れた茶碗は藤原さんに渡し、一度家庭科室の水道で軽く流してもらう。
「藤原さんが帰ってきたら始めるからね」
ふたりは黙って答えない。
藤原さんが茶碗を持って帰ってきたら、早速ふたりでそれぞれ10杯の茶を、茶碗10分の1程度注ぐ。
一度の勝負で10杯の茶の銘柄を飲んだ順に当てる。それが今回のルールだ。
念の為、10勝負分、つまり100杯分の順番は決めて紙に書いているので、茶の出し間違いは起きないはずだ。
「おまたせ」
上履きを抜きで藤原さんが帰ってきた。
すすいだ茶碗を並べたのを確認し、私はまず最初の一杯、狭山茶のやかんを手に取った。
極小量をふたつの茶碗に注ぎ、私が雪実に、藤原さんが源之助さんに手渡す。
雪実と源之助さんの足元には、藤原さんが何十枚も印刷した1から10の漢数字が書かれたコピー用紙がある。
10杯の茶を飲み終えた時点で、この紙に順番に銘柄を書き込み、正解した数で勝負が決まる。
ふたりが茶を飲んでいるうちに、次の茶を椀に注ぎ、そして藤原さんと同時に差し出す。
静かな空間の中には、私が茶を注ぐ音と、ふたりが静かに喉を潤す音だけが響いた。
茶を渡す時、奥にいる校長先生の姿が見える。
てっきり退屈そうにしていると思っていたが、校長は腕を組んだままじっとふたりの勝負を見守っている。
「じゃあふたりとも、その紙に銘柄を飲んだ順に書いてね。1種類だけどれか分からない銘柄があると思うけど、そのお茶だと思ったら数字の横には何も書かなくていいから」
説明すると、ふたりは鉛筆という見慣れないであろう道具を持って背を丸くし、畳の上の紙に銘柄を書き始めた。
この間に、私と藤原さんは10個ずつ茶碗を持って家庭科室に向かった。
次の勝負のため、茶碗を綺麗にしておくのだ。
「いやぁ、なんか凄い緊張するね」
水道で茶碗を流し、布で水気を拭き取りながら藤原さんが言った。
校長がふたりを見張っているが、念の為順番が書かれた紙は私が持っている。
「だね、もっと気楽な遊びだと思ってたよ」
「やっぱり賭けたものが良かったんじゃない?」
クスクスと笑い声を漏らしながら、藤原さんは口元に腕を添えた。
たしかに、雪実が真剣なのはそのせいだと思うが、源之助さんからはさらに、無言だが鬼気迫るものを感じる。
「まああれだね、さすがにやばい命令した時は私が止めるよ」
茶碗を洗い終え、茶室に戻ると、既にふたりは解答を終え、静かに睨み合っている。
書き終えた用紙はそれぞれ衝立の左右に置かれている。
それを手に取り、奥で藤原さんと答え合わせをすると、驚くことにふたりとも全問正解だった。
結果を伝えるため顔を出すと、ふたりの刺すような視線が私に集中した。
「今の勝負、ふたりとも全問正解。今から2回戦に入るから」
ふたりの視線から逃れたくて、結果を伝えてすぐに顔を引っ込めた。
11番目に入れる静岡茶のやかんをもちあげながら、藤原さんと顔を合わせ、この勝負かなり長引くのではと、無言で息を飲んだ。
────
予想通り、勝負は全くの互角で決着が付かず、9回目までもつれ込んだ。
90杯目の茶を飲み終え、記入を始めたのを確認し、家庭科室に向かう。
外はもう完全に日が落ち、完全下校時間を知らせる放送も、とっくの昔に流れた。
「ごめんね藤原さん。こんなに遅くなって」
「気にしないでよ。やりたくてやってるんだから」
私は構わないが、藤原さんが帰るのが遅くなるのは申し訳ない。
でも彼女は、一切の不満や億劫さを出さずに、にこにこと笑ってみせた。
「でもどうする? このままだと終わりそうにないね」
雪実を理由に学校で泊まる、と祖母に連絡すれば、おそらく何も言わずに信じてくれる。
藤原さんは私と勉強してるから遅くなると親に連絡しているらしいが、私の家に泊まって直接学校に行くとでも言えば、何とかなるだろう。
だが、時間が出来たとしても、そもそも体力が続かない。
このままだと私達の方からミスが起きそうだ。
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すると、今までは茶を出す順番を分散させすぎたことに気がついた。同じ茶が続くことがあまりない。
「あ⋯⋯思いついた。多分これで終わる。ていうか終わらなきゃほんとにどうしよ」
妙案が浮かび上がり、紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
「あれ捨てちゃっていいの?」
藤原さんが不安げにゴミ箱を眺めながら言った。
「うん。もう必要ないよ」
これで終わらなきゃ、もう後日別の競技で一発勝負をしてもらうしかない。
「これから10回目を始めるけど、これでも決着がつかなきゃ勝負は持ち越しにするからね。そして勝負内容も変更する」
ふたりは声を出さなかったが、小さく頷いた。
奥にいる校長先生も、黙ってはいるがそっと胸をなで下ろした。
考えてみれば、放課後ここに来てからふたりは一言も話していない。
この集中力をギャンブル以外に生かせれば⋯⋯とも思ったが、幽霊に何かを求めても無駄なことだ。
「じゃあまず1杯目⋯⋯」
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貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
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