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屑と暴君(前編)
しおりを挟む田城蓮也は頭を抱えた。
目の前で泣き喚く女が、とんでもない爆弾を抱えていたからだ。決してお腹に赤ちゃんが、などの話ではない。それはそれで、裸足で逃げたくなる出来事となるだろうが、目の前の女とは昨日出会い、昨日お持ち帰りし、昨日にゃんごろした仲だった。
では、なぜ田城は頭を抱えているのか。それは女の、ある一言がきっかけだった。
「あの、私たちの関係って……」
女は大人の恋愛に不慣れだった。言い換えれば騙しやすい女だった。少なくとも、甘い言葉をほんの少し囁き、見つめるだけでお持ち帰り出来る程度には。
「え、セフレ?」
田城は天性の屑だった。どれくらい屑かと言うと、そういう関係のある女性たちのメッセージアプリ、電話番号に《セ世田谷ゆかり》と言うように、関係性、住所、名前を分かりやすく登録しているレベルの屑だった。
田城は間違えた。いつものように割り切った関係を求める女性に手を出せば良かったのに、昨日は酔って味変を求めてしまったのだ。
それがまさか、こんなことになるなんて
甲高い声でキーキー騒ぐ女に嫌気がさして来た頃、電話がなった。それは近くで殺人事件が発生したという連絡だった。田城は「向かいまーす」と言い放ち、女を尻目に着替え始めた。
「蓮也君、警察官なの?」
「だから何~?」
「うちのパパ、寺田正尚だよ」
「え、誰だよ」
女がスマホを向ける。
田城は面倒くさそうに画面を見て、戦慄した。
【警察庁長官 寺田正尚】
田城は自分の死を覚悟した。
ーーー
死にはしなかった田城だったが、実質、社会的な死が目前に迫っていた。警視庁最上階にある会議室で、田城は誰が見ても分かるお偉いさん方に囲まれていた。そして、田城蓮也は寺田正尚の娘、寺田薫子に結婚を仄めかした、これは詐欺罪ではないかと詰められていた。
もはやギャグである。
こんなの現実逃避するしかない。田城は警視総監の斜め横に佇んでいる美しい女性をじっと見つめる。女性はこちらの視線に気付くと、ニッコリと微笑んだ。もし此処が夜のBARだったら全力で口説くだろうな。そんなことを思っていたら、ドンっと机を殴る音が聞こえた。
「誠に遺憾である……!田城蓮也の懲戒解雇を求めます!」
そう怒鳴るように大きな金切り声を上げたのは、例の官房長官だった。完全に私念じゃねえか、と田城は死んだ目で天井を見上げる。
「待って下さい。田城を懲戒解雇するのは、余りにも時期尚早です」
お、まともな人間もいるんだな。と声の主を探す。そこにはインテリっぽい眼鏡を掛けたイケメンがいた。あんな若いのに役職持ちかよ、とまじまじと顔を見る。
その顔には見覚えがあった。眼鏡と前髪で分かりづらかったが、あの狼みたいなギロ目の人間は、田城の知り合いの中で一人しかいなかった。警察学校で苦楽を共にし、共に臭い飯を食い、共に居酒屋で女子大生を口説いていた。あの目のせいでギロッと睨んでいるように見えるから、ギロ目のぎろ君と呼んでいた同期。扇 桜沙(おうぎ さしゃ)だった。
え、あいつ、あんなに出世したのか?と目を見開き凝視する。そして切なくなった。扇は順調に出世したのに対し、自分は官房長官の娘に手を出し懲戒解雇の危機。田城は目から汗のような雫が止まらなかった。
田城は再び天井を仰ぐ。この世は諸行無常である。
「わたくしも扇様に賛同しますわ」
そう言ったのは、先程の美しい女性だった。大方、警視総監の秘書兼愛人だろうとタカを括っていたが、どうやら役職持ちらしい。
「田城様は優秀なお方です。それこそ、今だに脚足で捜査する方法を主流にしている、時代遅れな方々よりも、ずぅっと、ね?」
庇ってもらうのは非常に有り難い話だが、女性の好戦的な様子に田城は白目を剥きそうだった。扇も「うわ、言っちまったよ」という顔をしている。
「っ!しかしだね!」
「ええ、ええ、分かっております。田城様は素行が悪うございました。
なので、反省の意味を兼ねて、刑事部殺人犯捜査第8係に異動させるのは如何でしょう?」
田城は時に身を任せる。野となれ山となれ、もうどうにでもなれと、自暴自棄になっていた。
「待って下さい。戀川水仙(こいかわ すいせん)の下で働かせるつもりですか!?危険過ぎます。彼は何も、」
「大丈夫ですわ、扇様。戀川様には私が説明しておきますから」
戀川水仙、という名前に対し田城は聞き覚えがあった。一匹狼気質の手が付けられない暴君、相棒をことごとく再起不能にするパワハラ上司、脚癖悪すぎ女など悪い噂が絶えず流れるお方だ。
普通に嫌なのだが、と田城は思ったが発言権はない。田城はただ、この地獄のような時間が終わるのを待つしか出来ない、か弱い存在なのである。
しかし延長戦になりそうな会議は、田城の目の前で、話の終始をまるで仏の様な顔で聞いていた御仁の、鶴の一声で終了した。
「私は、人もゴミもリユースすべきだと思うが、如何かね?」
やはり、警視総監は強かった。
ーーー
「田城様、良かったですわ。第8係就任おめでとうございます」
「はは、あざーす」
会議室がもぬけの殻になった後、事の元凶になった女は甘ったるい声で田城に話しかけてきた。名札には《由羅 四葉》と書かれていた。由羅は間近で見ると更に美しい女性だった。きめ細かな白い肌にパチクリとした大きな猫目、スーツを着ていても分かる女性らしい曲線と、それに相反する少し大きめの太もも、それら全て田城の心にクリティカルヒットしていた。
「まあ、けどこれで出世コースは絶たれましたけどね~」
「田城様……」
出世に固執していた訳ではなかったが、やはり悲しいものは悲しい。出世をしないのと、出世が出来ないはやはり違うのだ。
「可哀想な田城様、私に出来ることがあれば何でも仰って下さいな」
「え、何でも?」
田城は思わず反射的に反応してしまった。いや、決してやましい事を考えていた訳ではない。
しかし、どうしたものかと田城は考える。
扇や由羅が警察に引き留めてくれたことは有り難かったが、田城は適当な良き時期に刑事を辞めようと考えていた。それは出世が絶たれたからというのも理由の一つだったが、それ以上に、第8係には黒い噂があった。
ー新人が、ことごとく行方不明になっている
田城は優秀な男だった。捜査に対し常に情報収集を行い、危険を察知し回避してきた。それは、警視庁という巨大な組織でも同じだった。
誰だって、自分の命は惜しい。今すぐ辞めたいところだが、庇ってくれた扇や由羅さんのためにある程度まで働いてから辞めよう。田城はそう決意し、由羅に話しかけようとした。
「…ええ、何でも。何でもおっしゃって」
蜜の様な甘い声が、耳元で囁かれた。
由羅は田城の手に自分の手を重ね、そっと机に押し倒す。胸元が田城に当たるか当たらないかの際どい距離まで近付け、まるで天女のように微笑みかける。
田城は危険察知能力の高い男だった。絶対に何かある。反応してはいけない。据え膳食わぬは男の恥と、いつもなら押し倒しているところをグッと耐え、視線を逸らす。
しかし、由羅の追撃は続く。太ももを絡ませ、膝下で田城の会陰を少し刺激し、囁きかける。
「田城様、もし、もしもですよ。田城様が第8係で優秀な成績を収めて頂けたら……良いものを差し上げます」
由羅は田城の耳元に吐息を吹きかける。
しかし、田城は賢い男だった。由羅の肩をそっと押し、目線を合わせる。由羅は想定外だと言うように、驚いて目を見開いた。
「優秀な成績って具体的に言うと何ですか?」
田城は馬鹿な男だった。優秀な頭脳も、危機察知能力も田城の元気な下半身の前では無力だった。
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