異種間交際フィロソフィア

小桜けい

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本編

5 満身創痍の初デート 2

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 この公園は、魔物から民を守る組織として教皇庁が結成された際、記念に世界各国から寄贈されたものだった。
 モザイク模様の美しい遊歩道は、貿易と芸術の国シシリーナ。巨大な時計塔は機械と錬金術の国フロッケンベルク。そして広場は、魔法国ロクサリスからの寄贈だ。

 円形の芝生広場は、縁を囲むように置かれた六体の天使像に見守られている。
 一見はただの石像だが、スイッチを入れれば透明な結界ドームが広場を覆い、雨を防げる。
 天候にかかわらずイベント開催ができるわけだ。雨だけでなく、衝撃や音も防ぎ、緊急災害時には住民の避難所になる。

 広場には大小のテントが張られ、対戦型のゲーム機が数十台、八ブロックに分けて置かれていた。
 地面には太いケーブルの束が縦横し、巨大なスピーカーの奏でるビートが空気を揺らす。
 広場中央には大きなステージが設置され、一組の対戦台が置かれていた。
 各ブロックで予選を行い、勝ち残った八人がステージ上で本選を戦う勝ち抜きリーグ戦だが、本選で敗退しても敗者復活戦の余興がある。優勝者以外の七人で再びリーグを組み、その勝者は優勝者へ再挑戦できるのだ。
 ステージ上の戦いは、背後の大きなスクリーンへ投影される仕組みになっている。枠組みの巨大なパネルには、獣耳と尻尾のついたゲームキャラクターたちが描かれていた。

「エントリー受け付け、まもなく終了となりまーす!!参加される方は、お急ぎくださーい!」

 ゲームのロゴ入りTシャツをきた係員達が、各所で声を張り上げていた。
 大会参加者だけでなく、その連れや観戦者も多い。屋台もずらりと並びホットドックや串焼きに飲料などを売りさばいていた。
 キャラクターのコスプレをした男女には、カメラフラッシュの嵐が浴びせられている。
 特にメイド服を着た黒豹少女や、際どい衣装のキツネ美女には、カメラマンが行列をなしていた。

「間に合いました!私はEブロックです」

 エメリナが本部テントで登録を済ませて戻ると、ギルベルトは感心したように辺りを見渡していた。

「すごい熱気だな」

 テンポの速い曲が大音量で鳴り、興奮した人々の熱気で、他よりあきらかに温度が高い。
 駅前の喧騒など、比べ物にならない騒がしさだ。

「先生、こういうのは苦手じゃないですか?」

 電化製品の集大成のような場所だ。やはり、少しだけ心配になる。

「まぁ、自分でやろうとは思わないけど、見る分には面白そうだ」

 ギルベルトはスクリーンに目を向ける。まだ予選なので、デモ画面とゲームのストーリー紹介が、交互に映し出されていた。

「休憩所でエメリナくんの勇姿を見守ることにするよ」

 ポンと背中を叩かれる。

「まかせてくださいっ!」

 肩の力が抜け、自然と顔中に笑みが広がる。高揚した気分でエントリーカードを振り、エメリナはEブロックへ駆けだした。

 ***

 ――会場には女性も多かったが、大会参加者の八割は男性だった。
 Eブロックに配置された青年は、ようやく順番を迎え台に座る。対戦台の向こうから、ひょいと輝く亜麻色の髪が突き出た。

「あ?」

 顔を覗かせたのは、ハーフエルフの少女だった。エルフ族特有の美しいオーラは感じないが、くりんと丸い瞳や桜色の頬が、なんともいえず愛くるしい。

「宜しくお願いします」

 ハーフエルフの少女は、にっこりと挨拶した。

「え?ああ……お願いします」

 ぼそぼそと青年は返事をし、顔を引っ込めた。

(多分あれ、ノリで参加したタイプだな。ちょっと遊んでやるか)

 キャラクター選択画面で、逞しい黒豹の青年を選ぶ。
 現実のスポーツはからきしだが、このゲームで黒豹青年を使えば負けた事は無い。
 一方、ハーフエルフの少女は、可愛らしいキツネ少年を選んだ。

(あー、やっぱなぁ……)

 これを選ぶ時点で終わってる。
 強烈な必殺技はあるが、複雑な入力が多すぎるし、パワーバランスも悪く使いづらい。このゲームに慣れていれば、まず選ばないキャラだ。
 左手をスティックに添え、右手を六つのボタン上へ置いた。
 ゲーム画面の中、赤い荒野を舞台に二匹の獣人が向かい合う。
 予選は人数が多いので、1ポイント先取した者の勝ちだ。
『go!』の表示と共に、青年は素早く両手を動かした……。

「―――すげぇ!!なんだよあのキツネ使い!!」

 数十分後、Eブロック参加者たちの目は、最終試合へ釘付けされていた。
 ハーフエルフの少女は、楽しそうに微笑みながら、両手を猛烈なスピードで動かし続ける。
 的確にコンボを決め、相手を宙に投げ飛ばし、ガードされる直前コンマ一秒に必殺技を叩き込む。
 まるで精密機械のように、無駄な動きが一切ない。
 使い辛いと酷評されていたキャラクターの真価を、彼女は信じがたい指さばきで、最大限に開花させていた。

 相当の集中力が必要なはずなのに、少女は実に楽しげである。リボンカチューシャで飾った亜麻色の髪が、時々フワリと風になびく。
 勝敗がつき、キツネ少年の上へ『win』の文字が出る。

「ありがとうございました」

 ペコリと対戦者にお辞儀した少女へ、周囲から割れんばかりの拍手が贈られた。
 負けた相手でさえ、額に汗を浮かべつつも、拍手を贈る。
 それほどまでに美しく、賞賛に値する戦いだった。
 狼執事のコスプレをした係員が、マイクで高らかに宣言した。

「Eブロック、本選出場が決定いたしました!!おめでとうございます!エメリナさん!!」

 ***

「本選進出おめでとう」

 休憩所に戻ると、ギルベルトがペットボトルを渡してくれた。エメリナが好きなオレンジシュースだ。

「ありがとうございます!」

 陽射しは更に強まっており、汗だくになった人々で休憩所も満席だった。テントの隅で立ったまま飲むが、それでも日陰なだけ、ありがたい。
 冷たく甘いオレンジジュースが、喉に染み渡っていく。

「なかなか面白かった。キツネの少年を使っていたのが、エメリナくんだろう?」

「見えてたんですか?先生、あいかわらず目が良いですね」

 予選ブロックの仕切り内はロープで区切られ、休憩所からは距離もある。

「ああ。すぐ人が集まってしまったから、最初の数試合しか見れなかったが……」

 言葉を切り、ギルベルトはくくっと笑う。

「やっぱり来て良かった。いつものエメリナくんに戻ってくれたからな」

「え?……あ、はい」

 ジュースの蓋を閉め、ニヤケてしまうほっぺたを、慌てて押さえる。

 その時だった。聞き覚えのある声が、背後からかけられたのは。

「……エメリナ?」

「っ!?」

 背筋をゾクンと冷たいものがはしる。
 飛び上がらんばかりに振り向くと、やっぱり、一番見たくない顔がそこにあった。
 エメリナより一つ年上の彼は、そういえば確か、王都の大学に進んだと聞いたが……。

「アナウンスで、まさかと思ったけど、マジでお前だったのか」

 金茶色の髪をした若い青年は、整った顔に皮肉めいた笑みを浮かべる。
 ギルベルトと並ぶほどの長身で、ほどよく着くずしたシャツの胸元には、ブランドロゴの入ったステンレスのアクセサリーが光っていた。

「イヴァン先輩……」

「俺の卒業以来だから、二年ぶりか?」

 エメリナを弄び、これ以上ないほど傷つけた張本人は、悪びれもなくニヤニヤと笑いながら近づいてきた。

「エメリナくん、どうした?」

 しかめっ面になったエメリナに、ギルベルトが怪訝そうな顔をした。仕方なく無難な説明する。

「えっと、ハイスクールの先輩で……」

「エメリナとは、工学サークルで一緒だったんですよ。コイツは途中で止めちゃったけど」

 グリグリと無遠慮に頭を撫でる手を振り払った。

(このっ!!!!誰のせいだと思ってるのよ!)

 内心でギリギリと歯軋りし、エメリナは見えない位置で拳を握り締める。
 工学サークルでは、簡単なロボットや機械を作り、コンテストに出したりして楽しかった。
 優秀なのに気取らず面倒見のいいイヴァンを、本当に大好きで尊敬していたのだ。
 だが、二年生になってすぐ、あの事件が起きた。
 裏切られたショックで、しばらくは夜も眠れなかったし、サークルも辞めてしまった。

「そういやお前、ゲームもムチャクチャ強かったもんなぁ」

 自分のしたことなど、すっかり忘れたように、イヴァンは親しげに話しかけてくる。

「ちなみに俺、Bブロックの代表者ね。本選で最初にお前と当たるらしいぜ」

「うそっ!?」

 驚愕するエメリナに、休憩所のスピーカーがアナウンスを告げる。

『まもなく本選の開始となります。出場の方は、ステージ裏までお集まりください。繰り返します……』

「い、行ってきます」

 バッグを抱えなおし、ギルベルトを振り向く。

「……ああ。頑張って」

 ギルベルトは一瞬だけ、心配そうな顔になったが、すぐ穏やかな笑みを浮べて手を振ってくれた。

「ほら、行こうぜ」

 馴れ馴れしく肩を抱くイヴァンの手を、身をよじって振りほどく。

「私に構わず、お先にどうぞ」

「どうせ行き先一緒だろ。昔は俺の後をベッタリだったのにさぁ」

「……あの頃は、人を見る目がありませんでした」

 慣れないヒール靴で、精一杯ツカツカと早く歩いたが、長身のイヴァンは楽々ついてくる。
 休憩所のテントを抜け、まっすぐステージ裏に向おうとしたが、人の波に阻まれて、なかなか進めない。
 横へ横へと避けていくうちに、いつにまにか資材置き場まで流されてしまった。仕方なく、ビニールシートや機材の迷路を黙々と歩く。

 会場の喧騒は届くが、資材置き場は無人だった。
 エメリナの後ろから、イヴァンはまだしつこく着いてくる。
 行き先が同じだから仕方ないが、あきらかに歩調を合わせているのが腹立たしい。

「ちょっと見ない間に垢抜けたな。なんなら、今度は真面目に付き合ってやろうか?」

「……は?」

 とんでもない事をほざく男に、ジュースをひっかけてやりたいのを我慢した。ギル先生に買ってもらったジュースは、コイツには勿体無さすぎる。
 代わりに脳内で、三回ほど蹴っ飛ばした。

「結構です。私には今、最高に素敵な彼氏がいますから」

 フン、と鼻を鳴らし、内心で悪い笑みを浮べた。
 考えてみれば、これはチャンスだ。ゲームなら負けるもんか。この際、思い切り雪辱を晴らさせてもらう!

「もしかしてさっきの?あ~、なるほど。彼氏の方は予選敗退かぁ、お気の毒」

 小バカにしきった口調でほざく男に、頭の中で拳骨をもう五発。

「ギル先生は、最初から出ていません。私に付き合ってくれただけです」

「へぇ~……。相変わらずだな」

 イヴァンが喉を鳴らして笑う。

「ツラ以上に性格ブスの、可愛げねぇ女。ますます彼氏が気の毒だ」

 吐き捨てられた暴言が、見えない鎖になってエメリナの足を止めさせた。

「……どういう意味ですか、それ?」

 振り返り、長身の男を見上げて睨む。

「自分の腕前をひけらかして、彼氏に得意面かよ。嫌味だってわかんねぇの?」

「そんなつもりじゃありません!」

 思わず怒鳴ったエメリナを、イヴァンは奇妙に歪めた表情で見下ろしていた。
 あざ笑いながら怒っているような……寒気がするほどの敵意が伝わってくる。

「マジ目障りでムカつくんだよ、お前は」

 混じり気の無いむき出しの悪意をぶつけられ、ゴクリと喉がなる。

「どうして……私が、先輩に何をしたって言うんですか!?」

 外見がエルフらしくないだけで、そこまで憎まれるはずはない。
 やっと理解できた。あれはエメリナを貶めるための、ただの口実だったのだ。

「お前が一年の時、王都で工学コンテストがあっただろ」

「……はい」

 よく覚えている。何週間も苦労して、リモコン操作で動かす機械の蝶を造り、コンテストに出した。
 コンテストに出せるのは、各学校から代表で一つだけ。皆が提出したものを顧問が吟味して代表作品を決めた。
 自分の作品が学校代表に選ばれ、更に最優秀賞を取れた時は、信じられないほど嬉しかった。
 顧問の先生も友達も……イヴァンも、おめでとうと喜んでくれた。

「なんであの時、俺じゃなくて、お前が代表になったんだよ」

「なんでと言われても……あれは、ブラント先生が選んでくれただけで……」

「俺は本気出せば、誰かに負けたことなんて、一度も無かったんだぜ?なのに、選ばれたのは、年下で女で出来底ないハーフエルフのお前だった」

 手入れした眉を吊り上げ、イヴァンは殺気すら感じるほど憎憎しげに、エメリナを睨む。

「どんな手つかって、顧問に取り入ったんだ?」

「……え?」

「つまんねぇ出来損ないハーフエルフのくせに、お前は顧問のお気に入りだったしな。どうせ何か、汚ない手を使って自分を選ばせたんだろ」

「なっ! そんなこと、絶対にしてません!!」

 自分でも驚くほど大声が出た。悔しくて悔しくて、涙が滲む。
 あれはエメリナが、本当に頑張った結果だ。
 自分の力でやらなければ意味がないと、手伝おうかと言ってくれた父を断り、試行錯誤しながら何度も作りなおした。
 運もあったのかも知れないが、少なくとも後ろめたい真似など、断じてしていない。

「どうかしました!?そこ、立ち入り禁止ですよ!」

 怒鳴り声を聞きつけた係員が、慌てて駆け寄ってくる。

「す……、すみません」

 まだ怒りにガクガク震える身体に両腕を巻きつけ、係員に軽く頭を下げた。
 イヴァンも歪んだ視線を消し、いかにも好青年の笑みを形作る。
 しかし、ピタリと後ろについて歩く長身から、エメリナだけに聞える悪意の篭った小声囁かれた。

「忠告してやる。自分より目立とうとする女に、良い顔する男はいねーよ」

「世界中の男を勝手に代表しないでください。逆恨みしていただけのクセに」

 もう軽蔑しか感じない男に、冷たく答えた。
 かえって清々したというもの。変に傷つく必要もなくなったわけだ。

「フン、どう思うかはお前の勝手さ」

 イヴァンがせせら笑った。

「ま、その調子じゃ、あの彼氏にも、またすぐヤリ捨てられるのがオチだな」

 ***

 本選開幕の挨拶が始まると、会場中の視線がステージに集中した。黒豹メイドのコスプレをした司会者が、甲高いアニメ声で観客を盛り上げていく。
 出場者たちはステージ上で簡単なインタビューを受け、一人づつ挨拶をした。
 壇上から見下ろすと、改めて熱気と人数の多さに圧倒されたが、緊張しつつエメリナも挨拶を無事に終えた。
 ステージからずっと離れていたけれど、ギルベルトの姿を、ちゃんと見つけられたからだ。
 しかし耳の奥には、イヴァンが最後に吐き捨てた言葉が、まだワンワンとうるさく反響している。
 かき消したくて、心の中で気楽に呟いた。

(なーんだ。ただの妬みと逆恨みだったんじゃない)

 司会者に促され、ステージ上の対戦台に座る。向かいの席にはイヴァンが座った。
 ゲーム機には色つきプラスチックの屋根がつき、強い陽射しが画面に反射するのを防いでいる。
 けれど、ジリジリと背中や頭を照り付けられるからだろうか?
 やけに喉が渇き、動悸が激しい。下腹から不安がせりあがってくる。

『ただいまより、第一回戦を開始いたしまぁす!』

 司会の宣言と共に、スクリーンの画面と音楽が切り替わる。
 エメリナはいつもと同じキツネ少年を、イヴァンはライオンの王を選択した。
 巨大な樹木の城を背景にしたステージで、獣人たちが戦いだす。

(あははっ、こんなヤツのいう事なんか、無視無視!)

 必死で言い聞かせる。
 頭でわかっているはずなのに……指がこわばってボタンの表面を滑る。スティックの動きがずれる。攻撃はいつもの半分も当たらない。

(ギル先生は、あんなのとは違うもん!)

 ボタンを押し間違えた。上段蹴りが空振りし、足を掴まれたキツネ少年が空中高く放り投げられる。巨大スクリーンに映る映像に、大きなざわめきが上がった。

(先生は……先生は……)

 チラリと視線を横にそらし、ギルベルトの姿を探してしまう。どんな顔をして自分を見ているか、気になってしかたない。

「っ!!」

 余所見をした隙にガードが遅れ、巨体のタックルをまともに喰らった。
 キツネ少年の体力ゲージがゼロになり、獅子王が勝利の雄たけびをあげた。観客たちから興奮の歓声があがる。

(大丈夫……まだ、これから挽回できる!)

 本戦は予選と違い、ニポイント先取した者の勝ちだ。これから集中して二回勝てば良い。
 二ラウンド目がすぐ始まり、エメリナは両手をぎこちなく動かす。
 ドクドクと心臓が脈打ち、空気がうまく吸えない。冷や汗が背筋を伝い、手が震える。

 ギルベルトは他の分野なら、何でもエメリナより上手く出来る。
 なのに、唯一扱えない電気製品を、目の前で軽々と操っている自分を、彼はどんな気持ちで見ていたのだろ?
 ひょっとしたら、気づかないうちに傲慢な態度をとっていたかもしれない。

 人は自分が出来る事について、ついつい高飛車になりがちだ。
 それで不愉快な思いをした相手にとってみれば、向こうに悪気があったかどうかなんて、関係ない。

(いい気になってなんか……わたし……そんなつもりじゃ……)

 イヴァンに恨まれていたなんて、まるで気づかなかった。
 コンテストの優勝が決まった時、本当に喜んでくれているのだと、バカみたいに信じきっていた。
 確かにあれは逆恨みだと思う。こっちだって正々堂々と努力した結果だ。
 でも……イヴァンや他の皆も、優勝を目指して一生懸命頑張ったのを知っていたはずなのに……。

 ―――自分の優勝ばかり見て有頂天になっていたのは、どこの誰だ?

(もしかして、私……ギルベルト先生にも、無神経だったの……?)

 強張った両手が、完全に動くのを拒否した。画面の中でキツネ少年が、されるがまま攻撃の嵐を受ける。
 もう殆ど残っていなかった体力ゲージがゼロになった。

 司会が駆け寄り、何か言ってきたが、耳を素通りしてよく理解できなかった。
 曖昧な返答をし、観客席にお辞儀してステージを降りた。


「――エメリナくん」

 ギルベルトが、大会ルールを記載したパネルの横で手招きしていた。大好きな姿を見つけた途端、ホッとして力が抜けていく。一目散に駆け寄った。

「あははっ、負けちゃいました」

 ここはちょうどパネルの死角になり、スクリーンも見えないので、近くには誰もいなかった。
 観客はほとんどステージの正面に集まっているし、運営スタッフは裏手で準備に大忙しだ。
 ステージでは既に二回戦が始まったらしい。戦っているのは、黒豹少女と狼執事のようだ。豪華な屋敷のステージで流れるBGMに、打撃音やキャラクターの掛け声が威勢良く響く。

「付き合ってくれて、ありがとうございました!さ、今度は先生の行きたい場所を教えてください!」

 広場の出口へ歩き出そうとすると、ギルベルトに手を取られた。

「本戦出場者は、まだ復活戦があるだろう?」

「い、良いんです!もう十分楽しみましたから!あ、でも勝手に帰っちゃまずいかな?運営に言って、辞退してきますね」

 運営テントに向おうとしたが、しっかり手を握られたまま、動かしてもらえない。

「先生……?」

 ギルベルトは、なんだか釈然としないような顔をしていた。まるで、古文書の翻訳に間違いを見つけた時のような顔だ。

「これを見たのは初めてだし、やったことも無い。ただ……君の予選試合と見比べて、かなり違和感があった。それも技術的な問題でなく、精神的な要素が大きい気がする」

 琥珀色の瞳はいつも優しげなのに、何か納得のいかない部分を突き詰める時は、意外なほど鋭くなる。
 初めてそれを自分に向けられ、エメリナの全身が硬直した。

「どんな勝負でも、緊張感や意気込といったものは共通する。本物の格闘なら、俺も少しはわかるしな。だから、こう言っては悪いが……君が、本気で闘えなかったように感じた」

 レンジャーたちが向かう地は、治安が悪く危険な場所も多い。当然ながら、彼らはさまざまな護身術を身につけ、危険を対処する。
 エメリナは見たことがないが、ギルベルトもその気になれば、現役軍人並みに戦えるそうだ。

「そ、それは……ステージに上がったら緊張しちゃって……」

「それだけか?」

 ギルベルトは、やはり納得がいかないといった顔を崩さない。

「は、はい…………あはっ!先生ってば、私を買いかぶりすぎですよ!」

 口はしを持ち上げ、引きつった笑みを無理やり作った。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、もうどれが正解なのか解らない。これ以上追求されたら、全てぶちまけてしまうような気がした。
 しかしギルベルトは小さく息を吐き、視線を和らげた。

「……すまない。君が一人で解決したい問題なら、あまり立ち入るべきではないな」

 少し悲しそうな声に、ズクリと心臓が痛む。

(ああ……私、嫌な子だなぁ……)

 それもこれも結局は、自分がギルベルトを信じていないからだ。
 そして信じていないくせに、嫌われたくない。ずいぶんと卑怯で身勝手な話だ。

「せんせ……」

 勇気を振り絞りかけた途中で、背後からまた嫌な声がした。

「エメリナ、試合も見ないで彼氏に慰めてもらってんのか?」

「っ!!」

 イヴァンがギルベルトに軽く会釈する。

「すいませんね、彼女を負かしちゃって」

「いや、ゲームに勝敗があるのは当然だろう」

 至極もっともなギルベルトの返答は、イヴァンには少々物足りなかったらしい。少しくらいは悔しがるとでも思っていたのだろうか。
 一瞬顔をしかめたあと、口端を歪めた。

「あ、そうそう。エメリナと付き合うなら、多少の浮気は多めに見てやってくださいよ」

「な!?」

 思いもよらない侮蔑に固まったエメリナへ、イヴァンの薄笑いが向けられていた。

「俺、コイツの初めての男だから、よく知ってますけど、ちょっと甘い言葉かけられると、簡単にさせちまう尻軽ですから。でも、悪気なんてないんだよなぁ?エメリナ?」

「!!!!」

 唇がヒクヒク震え、声も出なかった。足から力が抜けていく。
 しかし、後ろから伸びた逞しい両腕が、地面へ崩れる寸前の身体を、しっかりと抱き締めて支えた。

「……ご忠告ありがとう」

 低い笑い声が頭上から発せられた。
 エメリナを抱きしめたまま、ギルベルトが薄く笑う。

「だが君なら、自分の恋人と、それを貶める初対面の非常識な男と、どちらを信じる?」

「はぁ?」

 不快感も露に、イヴァンが眉をひそめる。

「俺はエメリナくんを信じる」

 きっぱりと、何の迷いもなく断言された。抱きしめる腕に力がこもる。

「だから君の余計なおしゃべりは、もう一言たりとも聞くつもりはない」

 静かなそのセリフが、どんな表情から発されたのか、エメリナには見えなかった。
 しかしイヴァンは、猛獣にでも睨まれたように青ざめる。

「ひっ!」

 引きつった声をあげ、そのまま素早くきびすを返して逃げ去ってしまった。
 抱きしめられたまま、エメリナは呆然とそれを見送る。頬に、二筋の熱い水が流れていくのを感じた。

「……すごく悔しいけど、まったく嘘でもないんです」

 自分の声は、奇妙なくらい冷静だった。
 イヴァンに弄ばれた事や、それで決定的になった外見のコンプレックスに、今日初めて知った彼の真意までを、独り言のようにポツポツと話していた。
 ギルベルトは身動き一つせず、黙って聴いている。そしてエメリナが話し終わると、静かに腕が離れた。
 覚悟はできていたから、諦めの溜め息を押し殺して俯いた。
 あの夜の実例もあるのだ。すぐ雰囲気に流される軽い女だと、呆れられたのだろう。

「今度は、俺の話を聞いてくれるかな?」

 ポンと軽く背中を叩かれた。ギルベルトが誰かを励まそうとする時の仕草だ。

「せんせい?」

 優しい色をした琥珀色の瞳が、エメリナを見つめていた。

「子どもの頃、電気製品を使えるようになりたくて、たまらなかった時があった」

「え……?」

「友達や兄弟が楽しそうにゲームをしているのが、羨ましかったんだ。でも、色々と努力してみたんだが、全部ダメだった」

 少しきまり悪そうな口調だったが、ギルベルトは目を細め、むしろ良い思い出というような顔だった。

「祖父は、そんな俺を見かねたんだろうな。ある日、機械を取り上げられて『重要なのは所詮、過程でなく結果だ』と、言われた」

 爽やかな言葉に、エメリナはポカンと口を開ける。

「……それ、逆じゃないんですかっ!!??」

 出来なくても、努力するのが大事だとか、流した汗は無駄にならないとか……!!

「まぁ、ヘソ曲がりな人だから」

「そういう問題じゃありませんよ! 努力している孫に、なんて事を言うんですか!」

 会った事も無いギルベルトの祖父に、つい憤慨してしまう。
 しかし当人は、呑気に笑って手をふる。

「いや、つまりまぁ……誰だって失敗や不得手があるのは当たり前だから、無理せず最終的に幸せな人生を送ればそれで良し。と、そう言いたかったらしい」

「は、はぁ……」

 大きな手に、そっと濡れた頬を拭われた。

「ただ、俺は結局未だに機械を使えないけれど、使えるようになろうと足掻いた時間や労力を無駄だったとも思っていない。失敗して、それでやっと覚えていくことだって、沢山あるだろう?」

 琥珀の瞳が、エメリナを惹きつけて離さない。

「過去に痛い目を見ていたエメリナくんなら、俺があんな風に誘っても、本当に嫌だったら、ちゃんと拒否しただろうなと、信じている」

 ギルベルトが微笑み、少し身をかがめる。額にかすめるような軽い口づけを落としてくれた。
 そこからじんわりと暖かさが浸透し、重苦しくのしかかっていたものが、嘘のように氷解していく。

「だから俺は、今の話を聞いて、少し自惚れてもいいかと思った」

 コクコクと、必死で頷く。

「……確かにその……雰囲気とか、そういうのも、ゼロじゃなかったですけど……っ!」

 私は本当にバカだった。
 信じるべきなのは、妬みがましい卑小な男でなく、目の前のこの人だったのに。

 「私はギル先生が、本当に大好きです!!」

 まだ目端に残っていた涙を払い退け、両手を握り締めた。
 強張っていた手は、もうすっかり普段の調子を取り戻している。

「先生!すみませんけど、やっぱり敗者復活戦に出ても良いですか!?」

「ああ」

 ギルベルトが、とても嬉しそうに笑う。

「もう一度、君の勇姿を堪能させてもらうよ」

 その姿に見惚れ、改めて思い知った。
 この信頼に足る美形だけは、離れて影から愛でるより、たまに緊張しても良いから、ずっと傍にいたい。

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