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本編

8 赤の王族

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 石灰岩でできたイスパニラ王城は二重の高い塀と堀で守られ、華麗さよりも重厚さと実用性を重んじている。宮殿というより要塞という表現がピッタリだ、。
 城は主の権威を表わすものだが、堅牢なこの王城は、まさしく現在のイスパニラ王そのものを体現していた。
 イスパニラ国王の年齢は、すでに六十を超え、髪には白いものが目立ち始めている。
 だが眼光はいまだ鋭く、若い頃から戦場で鍛えぬいた身体はなお逞しい。長身で胸も厚く、堂々とした王者の風格に満ちている。

 王の半生は、戦いの連続だった。
 少年時代から戦場で剣を振るい、類稀なき勇者として名を馳せた。
 最年少で大将軍となり、ゆくゆくは兄王を立派に補佐すると思われていたが、兄王や親類と血みどろの闘争を繰り広げ、ついに自身が王座を手にした。
 そして即位して三十年余り。イスパニラ国は不敗を誇り、ますます繁栄を極めている。

 会議用の重厚なテーブルには、王の他に男女三人が鎮座していた。
 王の次男セシリオと、次女のバルバラ。そして王弟のギスレ公爵だ。
 王のもっとも濃い血縁者たちだった。
 しかし、椅子にはまだ二つ空きがある。

 重い沈黙が満ちる室内に、扉を叩く音が響いた。続いて甲冑姿の男が一人、入室した。
 王の長男で、王太子であるリカルドだ。
 三十代前半の顔は、日に焼けてするどく引き締まり、猛禽の類を思わせる。一戦士としても武将としても優秀で、若かりし日の王にも引けをとらないと言われる勇将だ。
 身を包んでいる甲冑も冑も深紅で、冑の房だけが漆黒をしている。
 この広大な軍事国家で十人しかいない“十本指”と呼ばれる将軍の証だ。

 イスパニラ軍の軍装は、甲冑や階級章も赤を基調としている。
 下級兵士はくすんだ褐色に近い色で、階級があがるほど鮮やかな赤になる。
 精鋭の騎士を示す深紅の甲冑は憧れの的であり、兵たちの目標でもあった。
 そして冑の房まで深紅一色の武装が許されるのは、王だけだ。

「ただいま戻りました。陛下」

 父王の前で片膝をつき、頭を垂れてリカルドは挨拶の口上を述べる。
 彼は一ヶ月前、遠い植民地で起きた暴動を鎮圧しに出向き、ようやく戻ったところだった。

「随分と遅かったではないか。たかが漁師どもの反乱程度に、何を手間取った」

 ねぎらいの言葉一つかけず、強烈な眼光でイスパニラ王は、ひざまずく息子を睨む。

 たかが、と言うが実際は壮絶なものだった。
 港で肉体労働をこなす屈強な漁師達が、武器を輸入してきた船を乗っ取ったのだ。しかも彼らは死に物狂いだった。
 イスパニラの国名を笠に着、駐屯地で気抜けしていた兵達は、とても太刀打ちできず本国に泣きついたのだ。
 あと一日リカルドの到着が遅れていれば、あの地からイスパニラ軍は残らず叩き出されていただろう。

「返す言葉もございません」

 しかし、父の気質をよく知っているリカルドは、膝を折ったまま淡々と謝罪する。

「ソフィアが手に入れたシシリーナ国は、お前が今まで攻め落とした領土全てを合わせてたより大きいのだぞ! 王太子として恥じろ!!」

「誠に面目ございません」

 短く返答するリカルドに、ようやく着席するよう目で促し、イスパニラ王は不機嫌そうな唸り声をあげた。

「セシリオ。ソフィアからは、まだ連絡が来ぬのか!」

 次男のセシリオ王子は、兄と母親が違い、いかにも貴公子然とした秀麗な顔立ちだ。
 子ども時代の落馬で、片足をひきずる後遺症が残ってしまったため、戦場には出ないが、幅広く深い知識の持ち主で、宮廷の文官を立派に務めている。

「静養地に迎えを送りましたが、医師から絶対安静との指示が出ており、面会謝絶だそうです」
「もっと腕のよい医者を送り込め!それくらい考えられんのか、愚か者!!」

 不快感も剥き出しに、王は次男を怒鳴りつけた。

「ただちに手配いたします」

 兄よりも、更に感情のそぎ落とされた声が答える。
 静かに退室したセシリオを、王は不満げに眺め、兄は視線を向けることすらしない。
 互いにまったく無関心なようだ。

 部屋にいるただ一人の女性バルバラも、冷たい美貌を崩さず、そ知らぬ顔だ。
 彼女は北方を守護する大貴族の妻になっていた。
 美しいだけでなく踊りの名手でもあり、話術も巧みだ。件の貴族は、王ですら扱い辛かった頑固者だったが、彼女を娶ってすぐ魅惑的な妻へ骨抜きになり、王に意見する事もなくなった。 
 もちろんその縁談も父の命だ。

 部屋の中で、ギスレ公爵だけが薄笑いを浮べていた。

「ソフィアもソフィアだ。この大事な時期に、身体を壊すなど!」

 王の呟きは、娘の身を案じる気持ちからではなく、極めて利己的な怒りからだった。

 今回、ソフィアの帰国には大きな意味がある。
 イスパニラ王の娘であり、前シシリーナ王の正妃だったソフィアは、先の夏にシシリーナ国の女王として戴冠している。だが、これは極めて異例で奇妙な事態なのだ。
 もしソフィアと前王の間に子がいれば、何も問題なかった。しかし異国から嫁いだ女性をそのまま王に据えるなど、通常では有り得ない。
 王に近しい親族か……少なくとも、シシリーナの王はシシリーナの人間であるべきなのだ。
 その大前提を強引に覆せたのは、もちろん周囲の想像通り、イスパニラ軍の圧力があってこそだった。

 ソフィアが帰国したら、シシリーナの王権を少なくとも半分以上、父である自分に献上させるのが、イスパニラ王の思惑だった。
 そうなれば、肥沃な大地と盛んな交易で巨万の富を誇るシシリーナ国は、完全にイスパニラの属国となる。
 ソフィアには、すでにその意志を命令として手紙で伝えてあった。

 娘があの富裕な国を手に入れられたのも、自分が嫁ぎ先を斡旋し、武力を貸し出したからだ。
 要求は当然の権利だ。
 そうでなくとも、子は親に尽くすものではないか!

 ところが、その肝心なソフィアは静養地に引きこもったまま、一向に父の元に向かおうとはしないのだ。
 焦りと苛立ちを、王はそれ以上露にしなかった。
 大陸随一を誇る強国の王としてのプライドが、そうさせた。

 子どもたちを退室させ、ふと弟が部屋に残っているのに気付いた。
 王家の一員として、祝いに加わるように領地から呼び寄せてはいたが、いてもいなくても同じ……それが弟ギスレに対する王の評価だった。
 正直に言えば、この部屋に弟がいる事すら、ほとんど王は忘れかけていたくらいだ。

「まだおったのか」

 じろりと睨む王に、弟は愛想笑いを浮かべて話しかけた。

「実は内密にお話がございます」

 ギスレ公爵は五十過ぎの小柄な男だ。
 血色の悪い顔と貧弱な身体を、サイズの大きい軍服とマントで立派に見せようとしているが、ダボついた衣服がさらに貧相に見せている。
 一流の軍師を自負してはいるものの、彼の策などを採用していたら、イスパニラは領土の半分をとうに失っていただろう。
 王も見離し気味で、遠い海辺の植民地を領地に与え、適当にあしらっているのが実情だ。

「なんだ。手短に話せ」
「はい……フロッケンベルクの使者が、王子達と密かに会っている事をご存知ですか?」

 わざとらしく声を潜め、ギスレ公爵は囁く。

「フロッケンベルクだと!?」

 忌まわしい魔国の名に、思わず王は椅子から身体を浮かせた。

 大陸には、大小無数の国が存在するが、特に抜きん出ているのが強国イスパニラ。そして富裕な貿易大国のシシリーナだ。
 北国のフロッケンベルクは、錬金術と傭兵が有名ではあっても、国土は狭く、貧相な小国にすぎない。

 若い頃の王は、フロッケンベルクを軽く見ていた。
 ことさら攻め込もうとしなかったのは、あの貧弱な土地に興味もなく、傭兵も錬金術師も金銭でいくらでも雇えたからだ。
 必要な時に雇えば良い。わざわざ貧乏国を手に入れて養ってやるなど、バカバカしい話だ。

 だが歳を経て経験を積み、次第にフロッケンベルクの恐ろしさに気付いてきた。
 各国の持つ傭兵の中で、フロッケンベルクの傭兵は飛びぬけて評価が高い。
 それは単なる戦闘技術以上に、どんなに不利な戦況であっても、死ぬまで戦い抜く姿勢からだ。
 雇い主のためではなく、彼らの本当の主君……故国のフロッケンベルク王に恥をかかせないために。

 流行り歌にもあるように、彼らの故国へもつ忠誠心は揺ぎ無く高い。
 傭兵として戦う時ですらそうなのだ。自分達の王を守るためならば、どんな凄まじい猛兵になるか、容易に想像できる。
 特に、今の国王ヴェルナーは、民から圧倒的な支持を受けている上、なかなか油断なら無い食わせ者だ。
 何度か会談をしたが、どう争いを仕掛けようとしても、いつものらりくらりとかわされてしまう。
 それに……あの『姿無き軍師』!
 悪魔のごときフロッケンベルクの守護神がいる。
 誰にも姿を明かさず、手紙によってのみ的確な戦略指示を出す幻の軍師に、手ひどい目を見させられた国が、いくつある事か!

 気付けば“攻め込まない”のではなく“攻め込めなく”なっていた。
 認めたくはないが、認めざるを得ない。

 フロッケンベルクは、大陸の影の支配者だ。

 公に出来ない事実だが、ソフィアがシシリーナの女王になった時さえも、フロッケンベルクも一枚噛んでいた。
 一枚どころか、最終的には作戦も手配も、すべて『姿無き軍師』が仕組んだ。
 その結果、イスパニラ王はフロッケンベルクの傭兵を多数雇用し、北国へ莫大な賃金を払ったのだ。

 考えてみれば、今までにもこのような事例はあった。
 巧みに煽り、こちらに利益を与えると見せつつ、気付けば『姿無き軍師』の見えない手が、ごっそり富を北へ奪い取っていく。
 まるで魔性の蛭に、じわじわと体液をすすられている気分だ。

「確かな筋からの情報です。そこで……私に、王子達の身辺調査を一任願えませんでしょうか?」

 顔色の変わった王へ、ギスレ公爵が得意げに申しでる。
 冷静さを失いかけた王は、思わず頷きかけたがギリギリで止まった。額の汗を拭い、弟へ剣呑な視線を向ける。

「いや。調査は別の者に任せる。おぬしはどうも、早合点の気があるからな」

「しかし、王子達は結託し、謀反を企んでいるやもしれませぬ。さらに、妹のソフィアが大きな功績をあげて優遇されたとなれば、妬みもございましょうし……」

 弟の囁きを、王は一笑した。

「仮に息子たちが反旗を翻すにしても、個別にやるであろうよ。あれらは昔から仲が悪い」

「ですが、万一……」

「それより、せっかくやった領地をきちんと管理する事に専念せよ」

 公爵は釈然としないようすではあったが、もう一度凄みのある視線で睨まれると、ひきつっった愛想笑いを浮かべて黙る。
 実際、リカルドが鎮圧に向かった領地は、ギスレ公爵の管轄地で、甥に尻拭いをしてもらったも同然なのだ。
 ペコペコお辞儀をしながら、公爵は退室した。

「――まったく……」

 一人きりになった部屋で、王は忌々しげな舌打ちをした。
 ただでさえ苛立っていた所に不愉快な名を聞かされ、更に気分が悪い。
 しかし、それももうじきの辛抱だと、腹の虫を諌める。

 ソフィアが戻り次第、シシリーナ国とイスパニラ国の総力をあげてフロッケンベルクを攻撃してやる。
 小賢しい策を練る間も与えず、圧倒的な兵力で一蹴してやるのだ。

 大陸の真の覇者は誰か、忌々しい軍師と若造の王に、思い知らせてやる!!

 
 扉の向こうで、兄が全身から怒気をわななかせているのを感じ、ギスレ公爵はほくそ笑む。
 公爵は普段、自分の領地にある豪奢な城で暮らしているが、王都に滞在する時のために、王宮近くにある高級住宅街へ邸宅も持っている。
 たるんだ腹をゆすりながら、自身がデザインした金色の馬車に乗り込んだ。
 血のように赤い落日が、豪華なかぼちゃに見える馬車へ拡散し、不気味で滑稽な道化の帰路のように見えた……。

 その夜。日付が変わる直前の時刻だった。
 けばけばしく賑わう繁華街の喧騒も、高級住宅街までは届かず、静かな夜の静寂にはときおり犬の遠吠えが混じるくらいだ。
 数々の美術品を飾った客間で、ギスレ公爵は夜中の無礼な訪問客と対峙していた。
 芸術家を自称する公爵はこの客間が自慢だった。だが置かれている絵画や彫刻は、どれも名品なのに一貫性が無く、ただごちゃごちゃ置かれているだけに見える。
 素晴らしい素材を台無しにするという点についてだけは、公爵は天才だった。

「一体、何の用だ。ソフィアを殺して他の兄弟を投獄するまで、ここには来るなと言っていただろう」

 自分では重々しいと信じている態度で、安楽椅子にそっくりかえり、公爵は訪問客を睨んだ。
 向かいに腰掛けている男は、三十代の前半といったところだろう。
 逞しい長身で、イスパニラ軍の中隊長の軍服を着込み、黒髪の秀麗な顔立ちには、剽悍さもあいまって十分な貫禄がそなわっている。
 人狼族の族長、ヴァリオだった。

 たとえ昼間であっても、このおぞましい生物に敷居をまたがせたくないが、断るだけの勇気も持ち合わせていなかった。
 王の目の届かない植民地では、好き放題に羽根を伸ばしているが、ギスレの根はとことん小心者である。
 胸中に野心はくすぶっていても、実際に王座を狙う度胸はなかった。
 人狼族の族長が、そのくすぶりをたくみに煽り立てなければ、永遠に燃え立つ事はなかっただろう。
 人狼達には王都での滞在用に、郊外の古い屋敷を一軒、買い与えてある。
 姪を殺し、その罪を甥たちに被せようとする陰謀を、ギスレに恥じる気持ちはなかった。
 もとより肉親の情など、歴代のイスパニラ王家にとって綿毛より軽い。
 自分を見下す兄も、自分より高い評価を得ている甥や姪たちも、憎くてたまらなかった。

 人狼達が彼らでなく自分へ声をかけてきた事は、公爵の自己愛をたいそう満足させた。
 それはまたたくまに過剰に肥大化し、もはや向かうところ敵無しという気分になっていた。
 姪と甥たちを始末したら、人狼をさらに使い、兄王さえも殺してやるつもりだ。
 そして王座についた暁には、イスパニラ正規軍を使い、この薄気味悪い人狼どもを始末する。
 そうなれば、誰に後ろ暗い部分を知られる事もない。名実共に、俺が大陸の覇者だ。

 俺は不当な評価を受けている!ギスレは胸の中で叫ぶ。
 知力も才覚も、俺は素晴らしいものを持っている!
 フロッケンベルクを恐れ嫌っている兄に、王子達があの国と手を組んでいると、嘘を吹き込んで動揺させてやった。
 ほら見ろ。すっかり息子たちを疑い出したぞ。
 俺は、姿なき軍師にだって匹敵するほどの策士だ。
 周囲の奴等が俺を妬み、正当な評価をしないだけだ!

 その叫びは誰にも聞えなかったが、もし聞えたとしても、失笑くらいしか得られなかっただろう……。
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