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本編

12 すべて世はこともなし

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 さまざまなゴタゴタが片付いてから、ラヴィはサーフィから、これら事件の顛末を聞いた。もちろん『極秘』の二文字がしっかり付いて。

「……もう絶対に、会話した事もない人の悪口はいわない」

 ソニアの正体がソフィア姫だったと聞いて、ラヴィの第一声はそれだった。
 ベッドに上体を起こして起き上がり、自己嫌悪にがっくり落ち込む。

 ラヴィの怪我を見たバーグレイ商会の医師は、見た目は酷いが、信じがたいほど急速に治癒していると驚きどおしだった。
 血の量から言えば、あの場で失血死してもおかしくないはずだったそうだ。
 だがルーディに抱かれていた事で、人狼の治癒力がラヴィにも多少うつっていたのだろう。
 明日にでも、ベッドから出る許可が下りるはずだ。

「ソフィアさまは、少々誤解されやすいのです。しかしあの方は、シシリーナ国の民から、とても好かれております」

 サーフィが苦笑しつつ宥めてくれた。
 ルーディは食料の買出しに行ったため、室内には二人だけだ。
 しばらく雑談を交わした後、ラヴィは思い切って尋ねてみた。

「バーグレイ商会は、毎年この王都に来るのでしょう?サーフィにもまた会えるわよね?」

 隊商は普通、一箇所に留まらない。事件の事後処理などでまだしばらくここに滞在するだろうが、サーフィも近いうちに王都を離れるのだ。
 サーフィの赤い瞳が、驚いたように見開かれ、それからためらいがちに伏せられた。

「……ええ。おそらくは」

「サーフィ?」

 浮かない口調にラヴィの顔も曇った。

「あの……友達になれたと思ってたんだけれど……」

 そう思っていたのは、自分だけだったのだろうか?
 気まずい沈黙が部屋に満ちるなか、サーフィが大きく息をして言葉を吐き出した。

「ラヴィ……私は友人に嘘をつきたくありません。ですが、これを聞いても、貴女は再び私を友人と見てくださいますか?」

「なにを……?」

「私はかって『吸血姫』と呼ばれ、シシリーナの王宮に住んでおりました」

 思いもよらぬ告白に、ラヴィはたじろぐ。
 残虐な魔性の妖女と言われた『吸血姫』の噂は聞いていた。

「そんな……だって……どうみても普通の……」

「私の身体は治療され、もう血を飲む必要はなくなりました。ソフィア様や数々の方のご助力により、今の私がございます。しかし過去は消えません」

 消え入りそうなほど小さな震え声で、サーフィが尋ねる。

「生き血と言っても、噂されていたように人を食い殺していたけのではありません。毎日、一口ぶんという量でしたので、王宮の医務室で密かに使用人へ賃金を払い購入していました。それで特に健康を損なったものはいないとだけは、断言できます。…………それでも、生まれてから十八年間、人の生き血を飲み続けていた私と、また会いたいと思いますか?」

「あ……」

 サーフィと今まで交わした数々の会話が、脳裏に蘇る。
 そうだ。沢山のヒントがあった。

 大陸では珍しい白銀の髪と赤い瞳。シシリーナ前王の護衛を務めていた天才剣士の腕前。血を飲まねば生き続けられない彼女は国中から忌み嫌われていたらしい。

「こんな時は、正直に言ったほうが良いのよね」

 ラヴィはまだ力のあまり入らない手を伸ばし、刀を振るえば無敵な少女の、震えている手をそっと握った。

「サーフィ。私は噂に聞く吸血姫がとても恐かったわ。でも、本当の貴女はとっても素敵。私は貴女の友人になれた事を誇りに思う」

「……慰めではございませんか?」

 涙声で笑い、サーフィが目じりを拭う。

「私の率直な意見よ」

 その時ちょうど、果物をいっぱいに抱えたルーディが扉を開いた。

「――え?二人して何やってンの?」

 手を取り合う少女達の姿に、キョトンと琥珀色の目を丸くする。
 小さな部屋の中に、少女達の笑い声が上がった。


****

 ソフィアが帰国しても、祝いのパレードはすぐに行われなかった。
 イスパニラ王が急な病床についてしまったからだ。
 そして床から起き上がった後も、もはや別人のように老け込み、一切の執務をリカルド王太子に任せ離宮へ引きこもってしまった。
 ……この辺りは、王家の人間と一部の側近しか知らぬ事情だ。

 公爵の件も王家のスキャンダルを防ぐために、全ては「何も無かった」事にされている。
 それでも、植民地は厳しい実態調査の結果、腐りきった支配を叩きなおされる事になった。ラヴィの故郷もその一部だ。
 そして投獄された将軍の中に、本来なら夫になるはずだった男の名があった事を、ラヴィは知らない。


 バーグレイ商会がソフィアを救った件は極秘とはいえ、相応の報酬が支払われた。また隊商の人間達は一番良い宿に招待され、王都での休暇を満喫している。
 ルーディがその滞在宿に行ったのは、今回の件での後処理のためだったが、それだけでは済まなかった。

「個人的に頼みがあるんだ。勿論、報酬は支払うよ」

 アイリーンにそう持ちかけられた時は、少々面食らった。
 このきっぷのいい姐さんとは、けっこうな付き合いの長さだが、個人的な頼み事など初めてだ。
 バーグレイ商会の女首領は、籐の椅子にゆったり腰掛け、愛用品の煙管で紫煙をふかしている。

「今回の件は世話になったし、姐さんの頼みなら、何でも聞きたいけど……」

「真冬になったら、フロッケンベルクの王都へ行って、人探しをして欲しいんだよ。アンタなら雪山を越えられるし、もうあそこへ行っても大丈夫だろう?」

「そりゃ……でも、誰を?」

「探して欲しいのは、アンタのお師さまだよ」

 ルーディは何人かの錬金術師から教わったが、「お師さま」と呼んでいるのはただ一人。
 ヘルマン・エーベルハルトだけだ。

「へ? だってお師さまは……」

「うちとフロッケンベルクの連絡役は、もう別の人間なんだ。錬金術ギルドにも取り次いでもらえないし、引越しまでしちまったらしくてね」

 そして、少し憂いを含んだ顔でふうっと煙を細長く吐き出す。
 もう若くはないが、彼女は間違いなく“イイ女”だ。特にこういう顔をしている時は。

「サーフィには今回、頑張ってもらったしね。アンタはあの子に借りがたんまりあるだろう?返したいなら、何も言わずに引き受けとくれ」

 探り当てた人狼たちの住処に『殴りこんで』ルーディとラヴィを助け出してくれたのはサーフィだったと、後から聞いた。
 確かに、彼女はルーディとラヴィの命の恩人になる。その他、色々な意味でも恩人だ。

「でも、一体どうして……」

 煙管を口に咥えたまま、ジロリとアイリーンはルーディを睨んだ。

「余計な質問は無し」

「……はい」

「それから、探してるのがアタシだって事も、ヘルマンの旦那には内緒だ。もっと言えば、旦那に絶対気づかれないように探っとくれ」

「うっ……お師さま相手に、それは難しいかも……」

「はぁっ!? 何言ってんだい!あんたは諜報のプロだろう!!!」

 ビシッ!と言葉の鞭が振り下ろされる。
 狼の姿だったら、間違いなく耳はヘニョンと垂れてしまっただろう。

「すいません! やります!」

 ああ。最近、ラヴィ以外の女性からは、ロクな目に合わされない……

「来年の夏には、うちの隊商も王都にいくけどね、その時には旦那だって用心してるだろう。だから、真冬のうちに探って欲しいんだよ」

 真冬の森を密かに抜けて探りにいけるのは、ルーディだけだ。しかも諜報員として腕のあがった今なら、人探しくらいどうという事は無い。
 ヘルマンがバーグレイ商会からここまで逃げる理由を知らないまま、こんな事を引き受けるのは、少々気が引けるが……。

 ――――お師さま、すみません。

 国王をして、「世界で一番敵に回したくない男」、と呼ばれた師に、心の中でルーディはわびる。
 しかし、アイリーン・バーグレイは、「世界で一番敵に回したくない女」なのだ。

 そして野生の世界では、いつだって真の強者は雌と、相場が決まっている。

****

 ルーディが部屋を出て行くと、アイリーンは煙管の火を消し、サーフィが息子と遊んでくれている隣室へ赴いた。
 白銀の髪をした美しい“元・吸血姫”は、子どもと一緒に床に座り込んでゲームに熱中していた。
 子ども向けの簡単なゲームだが、サーフィはこういった遊びがとても好きだ。誰かと一緒に楽しむ類のものは特に。
 とても孤独な子ども時代を過ごしていただろう事が、それで十分にわかる。よくもまぁ、歪んでしまわなかったものだ。
 サーフィの人柄も気に入っているし、いまやバーグレイ商会の欠かせない護衛だ。
 バーグレイ首領は、隊商の損失になる事などできないが……

(アイリーン個人としてだからね、アタシの好きなようにやるさ)

 アイリーンは、生まれた時からヘルマンと付き合いがある。
 あの青年は……フロッケンベルクの『姿無き軍師』は、アイリーンの祖父の代から、バーグレイ商会の取引相手だ。
 もっとも『姿無き軍師』の正体は国家機密だし、憶測にすぎない。ただ、あの男以外にはありえないというだけだ。

 しかしあの男は、何でもパーフェクトを気取っているが、妙な所で子どもっぽい。
 四ヶ月前、それに初めて気づき呆れた。

『僕は、サーフィのそばにいられません。彼女に許されない事をしましたからね』

 そういって、密かにアイリーンへ、サーフィを護衛に雇うよう頼んだくせに、いざサーフィと離れる時、まるで離したくないと言わんばかりに、泣きそうな顔で後から抱きしめていた。
 いつでも計算ずくめで、腹が立つほど完璧で隙など微塵もなかった稀代の悪党が、自分の気持ちさえコントロールできなくなる恋に落ちた姿は、感動的ですらあった。

 アイリーンも、若い頃は一時、ヘルマンに淡い恋心を抱いた事もあったが、幸いにもすぐに頭が冷えた。
 彼は何でもできながら、愛するという事だけはできない。自分自身さえも愛せないと、わかったからだ。
 その苦い思い出があったからこそ、あの光景は心に沁みた。

 欲を言えば、サーフィと再会して腰を抜かしそうになるヘルマンの姿も見たい所だが、そっちは遠慮したほうがいいだろう。
 野暮はごめんだ。

「母ちゃんも入ってよ!」

 アイリーンに気づいた息子が、声をあげて呼ぶ。

「お話は済みましたか」

 サーフィも、笑みをむけた。
 万一がっかりさせるといけないから、ルーディへ頼んだ事は、まだ内緒だ。
 それでも彼なら、きっと任務を遂行するだろう。腕利きの諜報員だと、信頼している。

「あぁ、すべて世はこともなし、だよ」

 ニヤリと笑い、アイリーンもゲームに参加しだした。

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