27 / 27
1.27〈新たなる希望の轍〉
しおりを挟む
真鍮製のパイプと煤けた歯車が壁を縦横に伝う街、タウン・オブ・ウェストエンド。
彼方の山の頂から顔を出した朝の光が街へ届き、全ての金属に乱反射して街を輝かせる。
蒸気急行の始発列車が汽笛を鳴らし、それを合図にまるで雑多なおもちゃが乱雑につめ込まれたようなこの街は、新たなる一日を喧騒とともに迎えたのだった。
そのウェストエンド街の外れにあるこぢんまりとした石造りの建物にも、朝の光は別け隔てなく降り注ぐ。
草花の栄光
真鍮製の板にそう刻み込まれた表札も、朝の光を受けて眩く輝いた。
「おっはよー! 早苗! 芽衣! さぁ朝だよっ!」
「おはよ、萌花。でも『さぁ朝だよ』って言う挨拶は、一番最後に起きてきた人が言うセリフじゃないわね」
「ですねぇ。おはようございます。もえちゃん」
時刻は朝の6時。
普段の萌花なら間違いなく惰眠を貪っている時間だったが、GFOに閉じ込められてからの彼女の生活リズムは、以前よりもかなり健康的になっていた。
「まぁまぁ、挨拶なんて元気がよければどんな言葉でもいいじゃない! ところで、今日の朝ごはんは何?」
早苗はため息をつき、芽衣は萌花の分のサラダとベーコンエッグを皿に盛り分ける。
ギルド『草花の栄光』のホールは急に賑やかになった。
シユウのシステムパッチにより、ユーザーのログアウトが不可能になってから、既に一週間の時が流れていた。
今回の、所謂『第二次GFO事件』でゲーム世界に閉じ込められた人間の数は20万人を超えたが、今のところ死者や脳死者などを含む重篤な容体の被害者は報告されていない。
それは、『現実世界との通信は[DCOM]と言う標準通話機能を使用することで普通に可能である』と言うことが大きな理由だった。
閉じ込められた人の現実の位置はイマース・コネクターで正確に把握されている。しかも、電話でもするように気軽に直接通話もできる。更に、まるでこうなることを予期していたとでも言うような『株式会社GFOエンターテインメント社』の迅速な対応もあって、大きな社会問題にはなっているものの、大混乱とまでは行っていないと言うのが現状だ。
学生は平日に数時間通信による授業を受け、社会人はPC上で出来る仕事を行う。
もちろん『何事も無く今まで通り』とは程遠い状況ではあったが、『ゲームの中に閉じ込められている』と言う異常事態に陥っているはずのウェストエンドの街は、不思議なほど平穏無事に時が過ぎていた。
「ねぇ二人とも、今日はせっかくの日曜日だし、お洋服でも見に行かない?」
カリカリのベーコンをもぐもぐと頬張りながら、萌花は早苗たちを誘う。
現実世界では親が許してくれなかったゴスパンク全開な服を買いたいのだという。
しかし、早苗と芽衣の返事は芳しいものではなかった。
「私は遠慮しておくわ。勇者の館へ行く用事があるから」
「えぇ? また今日も魔王城に行くの?」
「魔王城じゃないわ。勇者の館よ!」
「あ、うん。じゃあ芽衣は?」
「わ、私は……いいですけど、あのあの……ごめんなさい。……エリックも一緒でいいですかぁ?」
その返事を聞いて最後のベーコンをごくんと飲み下した萌花は、つまらなそうにため息を付いた。
「あぁはいはい。お二人共彼氏とデートなのね。わかった。私は一人で買い物に行くよ」
大きなマグカップになみなみと注がれたミントティを一息に飲み干し、萌花はカップとプレートを持って立ち上がる。それに合わせるようにギルドのドアベルが澄んだ音を立てた。
「あ」
短く声を上げた芽衣が、ホールの端にある時計を確認する。
そわそわしながら申し訳無さそうに萌花を見る芽衣に、萌花はもう一度溜息をつくと「分かったから早く行きなよ」と言う意味を込めてヒラヒラと手を振った。
頬を染めて頷き、そのままホールの入口へと駈け出した芽衣は、玄関脇の姿見に全身を映すと髪を手櫛で整える。
両手を胸の前で握りしめ、一つ大きな深呼吸をした彼女は、なるべくゆったりした所作に見えるように注意をしながらドアを開け、目の前に立っている男の表情がぱっと輝くのを満足気に確認した。
「芽衣。おはよう。今日も素敵だ」
ドアの前に立っていたのはエリック。[創世の9英雄]の一人であるもえが、自らの精神データのバックアップを元に作り上げたゲーミングボットの一人だ。
しかし、その姿は以前の「全て標準通り」の外見とは少々違う。
まず、黒い短髪だった髪が少し伸び、色は濃いビリジアンに染まっている。
服装も戦闘用のピッタリとしたものではなく、黒を基調としたカジュアルなジャケットを着ていて、さらにフレームの太いメガネまでかけていた。
これらは全て芽衣のコーディネート。
エリックの言葉と、その姿をじっくりと点検した芽衣は、そこで初めてニッコリと笑った。
「ええ、おはようございますエリック。では行きましょうか」
さっと差し出されたエリックの手に自分の手のひらを重ねて、ゆっくりと階段を降りる。
エスコートを任されたエリックは、誇らしげな顔で彼女の手を引き、二人の姿は街の雑踏の中へと消えていった。
「……まるで恋愛ごっこね」
ゆっくりと自動でしまったドアを面白くなさそうに見つめたまま、早苗がミントティを一口すする。
自分の食べた朝食のプレートを洗っていた萌花は、壁にかけてあるタオルで手を拭くと早苗に向き直った。
「いいじゃない、恋愛。うらやましいよ。芽衣も早苗も」
屈託なく笑う萌花を振り返り、「一緒にしないで欲しいわ」と言いかけた早苗は、言葉を飲み込んで目を伏せた。
「萌花は……恨んでないの?」
この世界を閉ざしてしまったのは、早苗が恋愛ごっこを楽しんでいる相手、ゲーミングボットの一人であるシユウ本人だ。
世界を改変し、今の閉ざされた世界に変わった後、本人の言っていた通り特殊な能力を持たない一プレーヤーとなったボットたちは、許されたわけではないにせよ、殺す必然性もまた見つけられず、とりあえずは放免されている。
今は元の世界に戻す力も持たない、ただの最強レベルのプレーヤーの一人ではあるものの、そんな元凶とも言えるボットと親しく付き合い続けている早苗たちを快く思わないものが沢山居るのは早苗も気付いていた。
親友であるとは言え萌花もそう思っていないとは限らない。
いや、むしろ早苗たちを止めようとして尽力してくれた萌花こそが、一番この事態を苦々しく思っていて然るべきだと、彼女は考えていた。
「うーん、恨むとかってのは無いかなぁ」
おかわりのミントティをマグカップになみなみと注ぎ、萌花は早苗の隣に腰掛ける。
ふぅふぅと息を吹きかけ熱いお茶を一口すすり、小さく「熱っ」とつぶやいた後、萌花はテーブルに頭を付けて、うつむく早苗の目をまっすぐに見上げると、にっと微笑んだ。
「もちろんさ、ちょっと待ってよって思ったよ。いきなりだもん。でもさ、ヘンリエッタさんたちもちょっと強引すぎたし、もえさんが話してくれた事情の事も考えたら、もう責められないよね。お父さんたちには心配かけちゃってごめんなさいって感じだけどさ、……でも私は結構この3人暮らしは楽しんでるよ」
そうだった。
こう言う娘だった。
早苗は今更ながら、この全てを許してくれる親友の懐の深さに驚く。
カップに残ったお茶をごくんと飲み干すと、早苗は立ち上がった。
「まったく。……そうね、萌花がそんなこと気にしてる訳が無いわよね」
自分が逆の立場だったら、こんな風に笑えるだろうか?
心のなかで深く感謝の言葉を何度もつぶやき、早苗はカップを洗うと、玄関の前の姿見へと向かった。
「なによー。私だって色々考えてるよ」
テーブルに横になって頭をつけたまま、萌花は頬を膨らます。
髪や服装の隅々までを確認しながら、早苗は鏡越しに萌花を見つめた。
「色々……ね。どうなの? ケンタさんとは」
「ケ……ケンタさんとはそんなんじゃないから! 歳だって10歳も違うし、……そもそもケンタさんにはもえさんが居るんだもん」
「ふぅん。じゃあ本命は萌花もシユウ72って人なのかしら?」
「今はジリオンって名前よ。……私も時々忘れるけど」
いつまでも「シユウ72」では呼びにくい。それに早苗のシユウと聞き分けがつかなくなる。
そんな理由から、萌花が彼に名前をつけることになった。
それと同時に外見も、萌花に近い赤髪で、サイドを刈り上げたスタイルに変わっている。
萌花が呼び出さないかぎり一人で狩りをしているジリオンだったが、その時ばかりは街の美容室に大人しく座り、萌花の指示に「了解した」と大人しく髪を切らせていた。
「そうそのジリオンね。萌花もピアスで同期してるんだから、私たちと同じような気持ち……感じてるんでしょ?」
「それがよくわからないんだよねー」
テーブルの上にぐでーっと伸びて、萌花は目を瞑る。
その姿を横目で見ながら、早苗は髪、目、鼻、口、耳、服……と、自分の姿を指さし確認すると、満足気に微笑み、振り返った。
「わからないなんておかしいわ。だって、恋は頭で理解するものじゃないもの」
「……早苗って結構乙女よねー」
目を瞑ったまま眉間にしわを寄せ、萌花はテーブルの上で90度寝返りをうつ。
そのまま何度もごろんごろんと往復して寝返りをうつと、最後にはやっぱり元の位置へ戻って「う~」と唸った。
「乙女って何よ。わかってるわよ、私がそんなこと言ったって可愛くないことくらい。でもね、頭の中でシユウを好きになっちゃいけない理由はいくらでも羅列できるけど、気持ちは『行け行け』ってどんどん背中を押すのよ。これはもう理屈じゃないんだわ」
まだ唸っている萌花へ向かって溜息をつくと、「じゃ、私はもう行くから」と言い残して、マップからシユウの位置を選択した早苗は光の渦となって消える。
ギルド『草花の栄光』のホールは、賑やかになった時と同じく、急に静まり返った。
恋愛の経験のない萌花には、まだ恋のなんたるかなど分からない。
かと言って、ただ恋に恋するかのように、相手の都合や立場などお構いなしに好意を向けるほど子供でもない。
それに……。
「まぁ恋なんて無理してするもんじゃないかな」
早苗や芽衣が羨ましいと言う気持ちはもちろんある。
それでも、好きになろうとして好きになるのはなにか違うと萌花は思うのだ。
彼女はテーブルから起き上がり、早苗たちの真似をして姿見の前に立つ。
紅く輝くピアスにちょっと手をやると、ギルドホールの玄関を開き外へ出た。
「萌花、何か指示があるのか?」
まるで待ち構えていたかのようにそこに立つ赤い髪のボット。
「ううん……あ、うん。あのね、一緒に私の服の買い物に付き合ってほしいの」
「了解した」
これからGFOの世界で色々な事が起こるだろう。
冒険もするだろうし、もしかしたら恋だってするかもしれない。
それは皆きっと楽しいことだ。
萌花はジリオンの手を引くと、街へ向かって駆け出していった。
――了
彼方の山の頂から顔を出した朝の光が街へ届き、全ての金属に乱反射して街を輝かせる。
蒸気急行の始発列車が汽笛を鳴らし、それを合図にまるで雑多なおもちゃが乱雑につめ込まれたようなこの街は、新たなる一日を喧騒とともに迎えたのだった。
そのウェストエンド街の外れにあるこぢんまりとした石造りの建物にも、朝の光は別け隔てなく降り注ぐ。
草花の栄光
真鍮製の板にそう刻み込まれた表札も、朝の光を受けて眩く輝いた。
「おっはよー! 早苗! 芽衣! さぁ朝だよっ!」
「おはよ、萌花。でも『さぁ朝だよ』って言う挨拶は、一番最後に起きてきた人が言うセリフじゃないわね」
「ですねぇ。おはようございます。もえちゃん」
時刻は朝の6時。
普段の萌花なら間違いなく惰眠を貪っている時間だったが、GFOに閉じ込められてからの彼女の生活リズムは、以前よりもかなり健康的になっていた。
「まぁまぁ、挨拶なんて元気がよければどんな言葉でもいいじゃない! ところで、今日の朝ごはんは何?」
早苗はため息をつき、芽衣は萌花の分のサラダとベーコンエッグを皿に盛り分ける。
ギルド『草花の栄光』のホールは急に賑やかになった。
シユウのシステムパッチにより、ユーザーのログアウトが不可能になってから、既に一週間の時が流れていた。
今回の、所謂『第二次GFO事件』でゲーム世界に閉じ込められた人間の数は20万人を超えたが、今のところ死者や脳死者などを含む重篤な容体の被害者は報告されていない。
それは、『現実世界との通信は[DCOM]と言う標準通話機能を使用することで普通に可能である』と言うことが大きな理由だった。
閉じ込められた人の現実の位置はイマース・コネクターで正確に把握されている。しかも、電話でもするように気軽に直接通話もできる。更に、まるでこうなることを予期していたとでも言うような『株式会社GFOエンターテインメント社』の迅速な対応もあって、大きな社会問題にはなっているものの、大混乱とまでは行っていないと言うのが現状だ。
学生は平日に数時間通信による授業を受け、社会人はPC上で出来る仕事を行う。
もちろん『何事も無く今まで通り』とは程遠い状況ではあったが、『ゲームの中に閉じ込められている』と言う異常事態に陥っているはずのウェストエンドの街は、不思議なほど平穏無事に時が過ぎていた。
「ねぇ二人とも、今日はせっかくの日曜日だし、お洋服でも見に行かない?」
カリカリのベーコンをもぐもぐと頬張りながら、萌花は早苗たちを誘う。
現実世界では親が許してくれなかったゴスパンク全開な服を買いたいのだという。
しかし、早苗と芽衣の返事は芳しいものではなかった。
「私は遠慮しておくわ。勇者の館へ行く用事があるから」
「えぇ? また今日も魔王城に行くの?」
「魔王城じゃないわ。勇者の館よ!」
「あ、うん。じゃあ芽衣は?」
「わ、私は……いいですけど、あのあの……ごめんなさい。……エリックも一緒でいいですかぁ?」
その返事を聞いて最後のベーコンをごくんと飲み下した萌花は、つまらなそうにため息を付いた。
「あぁはいはい。お二人共彼氏とデートなのね。わかった。私は一人で買い物に行くよ」
大きなマグカップになみなみと注がれたミントティを一息に飲み干し、萌花はカップとプレートを持って立ち上がる。それに合わせるようにギルドのドアベルが澄んだ音を立てた。
「あ」
短く声を上げた芽衣が、ホールの端にある時計を確認する。
そわそわしながら申し訳無さそうに萌花を見る芽衣に、萌花はもう一度溜息をつくと「分かったから早く行きなよ」と言う意味を込めてヒラヒラと手を振った。
頬を染めて頷き、そのままホールの入口へと駈け出した芽衣は、玄関脇の姿見に全身を映すと髪を手櫛で整える。
両手を胸の前で握りしめ、一つ大きな深呼吸をした彼女は、なるべくゆったりした所作に見えるように注意をしながらドアを開け、目の前に立っている男の表情がぱっと輝くのを満足気に確認した。
「芽衣。おはよう。今日も素敵だ」
ドアの前に立っていたのはエリック。[創世の9英雄]の一人であるもえが、自らの精神データのバックアップを元に作り上げたゲーミングボットの一人だ。
しかし、その姿は以前の「全て標準通り」の外見とは少々違う。
まず、黒い短髪だった髪が少し伸び、色は濃いビリジアンに染まっている。
服装も戦闘用のピッタリとしたものではなく、黒を基調としたカジュアルなジャケットを着ていて、さらにフレームの太いメガネまでかけていた。
これらは全て芽衣のコーディネート。
エリックの言葉と、その姿をじっくりと点検した芽衣は、そこで初めてニッコリと笑った。
「ええ、おはようございますエリック。では行きましょうか」
さっと差し出されたエリックの手に自分の手のひらを重ねて、ゆっくりと階段を降りる。
エスコートを任されたエリックは、誇らしげな顔で彼女の手を引き、二人の姿は街の雑踏の中へと消えていった。
「……まるで恋愛ごっこね」
ゆっくりと自動でしまったドアを面白くなさそうに見つめたまま、早苗がミントティを一口すする。
自分の食べた朝食のプレートを洗っていた萌花は、壁にかけてあるタオルで手を拭くと早苗に向き直った。
「いいじゃない、恋愛。うらやましいよ。芽衣も早苗も」
屈託なく笑う萌花を振り返り、「一緒にしないで欲しいわ」と言いかけた早苗は、言葉を飲み込んで目を伏せた。
「萌花は……恨んでないの?」
この世界を閉ざしてしまったのは、早苗が恋愛ごっこを楽しんでいる相手、ゲーミングボットの一人であるシユウ本人だ。
世界を改変し、今の閉ざされた世界に変わった後、本人の言っていた通り特殊な能力を持たない一プレーヤーとなったボットたちは、許されたわけではないにせよ、殺す必然性もまた見つけられず、とりあえずは放免されている。
今は元の世界に戻す力も持たない、ただの最強レベルのプレーヤーの一人ではあるものの、そんな元凶とも言えるボットと親しく付き合い続けている早苗たちを快く思わないものが沢山居るのは早苗も気付いていた。
親友であるとは言え萌花もそう思っていないとは限らない。
いや、むしろ早苗たちを止めようとして尽力してくれた萌花こそが、一番この事態を苦々しく思っていて然るべきだと、彼女は考えていた。
「うーん、恨むとかってのは無いかなぁ」
おかわりのミントティをマグカップになみなみと注ぎ、萌花は早苗の隣に腰掛ける。
ふぅふぅと息を吹きかけ熱いお茶を一口すすり、小さく「熱っ」とつぶやいた後、萌花はテーブルに頭を付けて、うつむく早苗の目をまっすぐに見上げると、にっと微笑んだ。
「もちろんさ、ちょっと待ってよって思ったよ。いきなりだもん。でもさ、ヘンリエッタさんたちもちょっと強引すぎたし、もえさんが話してくれた事情の事も考えたら、もう責められないよね。お父さんたちには心配かけちゃってごめんなさいって感じだけどさ、……でも私は結構この3人暮らしは楽しんでるよ」
そうだった。
こう言う娘だった。
早苗は今更ながら、この全てを許してくれる親友の懐の深さに驚く。
カップに残ったお茶をごくんと飲み干すと、早苗は立ち上がった。
「まったく。……そうね、萌花がそんなこと気にしてる訳が無いわよね」
自分が逆の立場だったら、こんな風に笑えるだろうか?
心のなかで深く感謝の言葉を何度もつぶやき、早苗はカップを洗うと、玄関の前の姿見へと向かった。
「なによー。私だって色々考えてるよ」
テーブルに横になって頭をつけたまま、萌花は頬を膨らます。
髪や服装の隅々までを確認しながら、早苗は鏡越しに萌花を見つめた。
「色々……ね。どうなの? ケンタさんとは」
「ケ……ケンタさんとはそんなんじゃないから! 歳だって10歳も違うし、……そもそもケンタさんにはもえさんが居るんだもん」
「ふぅん。じゃあ本命は萌花もシユウ72って人なのかしら?」
「今はジリオンって名前よ。……私も時々忘れるけど」
いつまでも「シユウ72」では呼びにくい。それに早苗のシユウと聞き分けがつかなくなる。
そんな理由から、萌花が彼に名前をつけることになった。
それと同時に外見も、萌花に近い赤髪で、サイドを刈り上げたスタイルに変わっている。
萌花が呼び出さないかぎり一人で狩りをしているジリオンだったが、その時ばかりは街の美容室に大人しく座り、萌花の指示に「了解した」と大人しく髪を切らせていた。
「そうそのジリオンね。萌花もピアスで同期してるんだから、私たちと同じような気持ち……感じてるんでしょ?」
「それがよくわからないんだよねー」
テーブルの上にぐでーっと伸びて、萌花は目を瞑る。
その姿を横目で見ながら、早苗は髪、目、鼻、口、耳、服……と、自分の姿を指さし確認すると、満足気に微笑み、振り返った。
「わからないなんておかしいわ。だって、恋は頭で理解するものじゃないもの」
「……早苗って結構乙女よねー」
目を瞑ったまま眉間にしわを寄せ、萌花はテーブルの上で90度寝返りをうつ。
そのまま何度もごろんごろんと往復して寝返りをうつと、最後にはやっぱり元の位置へ戻って「う~」と唸った。
「乙女って何よ。わかってるわよ、私がそんなこと言ったって可愛くないことくらい。でもね、頭の中でシユウを好きになっちゃいけない理由はいくらでも羅列できるけど、気持ちは『行け行け』ってどんどん背中を押すのよ。これはもう理屈じゃないんだわ」
まだ唸っている萌花へ向かって溜息をつくと、「じゃ、私はもう行くから」と言い残して、マップからシユウの位置を選択した早苗は光の渦となって消える。
ギルド『草花の栄光』のホールは、賑やかになった時と同じく、急に静まり返った。
恋愛の経験のない萌花には、まだ恋のなんたるかなど分からない。
かと言って、ただ恋に恋するかのように、相手の都合や立場などお構いなしに好意を向けるほど子供でもない。
それに……。
「まぁ恋なんて無理してするもんじゃないかな」
早苗や芽衣が羨ましいと言う気持ちはもちろんある。
それでも、好きになろうとして好きになるのはなにか違うと萌花は思うのだ。
彼女はテーブルから起き上がり、早苗たちの真似をして姿見の前に立つ。
紅く輝くピアスにちょっと手をやると、ギルドホールの玄関を開き外へ出た。
「萌花、何か指示があるのか?」
まるで待ち構えていたかのようにそこに立つ赤い髪のボット。
「ううん……あ、うん。あのね、一緒に私の服の買い物に付き合ってほしいの」
「了解した」
これからGFOの世界で色々な事が起こるだろう。
冒険もするだろうし、もしかしたら恋だってするかもしれない。
それは皆きっと楽しいことだ。
萌花はジリオンの手を引くと、街へ向かって駆け出していった。
――了
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる