ベテルギウスはまだ爆発しない

不伎倍あさみ

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第四章

超新星爆発

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 僕たちは牧場に向かって歩いていた。地名と思われるものが書かれた標識の前で安部さんが立ち止まっている。小難しい顔で考え事をしているようだ。先輩が笑いながら尋ねる。
「もしかして漢字が読めないの?」
 安部さんが何も答えないでいると先輩が地名を教えてやった。顔をむくれさせる安部さん。
「だって難しいじゃないですか」 
とはいえその地名は僕も読めなかった。明らかに日本語らしくなく、アイヌ語にその語源があるのだろう。そのことは僕に北海道が植民によって開拓された地だったという事実を思い起こさせた。

 牧場の草むらで二人で座っていると、先輩が突然こんなことを言い出した。
「自然ってなんなのかしらね。一つの考え方は植物がいっぱい茂ってるだとか空気が澄んでいるだとかそういう具体的な状態を指すっていう考え。そうだとしたらここは疑いようもなく自然いっぱいの場所」
 
 また何かおかしなことを言い始めたと思いつつ僕は先輩の話に耳を傾ける。
「もう一つは人間の手が加えられてない、あるいはあまり加えられてない状態を指すっていう考え。そう考えるとここが自然いっぱいの場所っていうのは疑わしくなってくる。なにせ人の手が入念に入った牧場だからね。自然自体が一種の商品になってしまっているのよ。だからこういうところに来て自然が綺麗だとか言って楽しむのは悪くないけど、ちょっと倒錯していないかしら」
 
 僕は先輩の考えがどこかおかしいのではないかと思った。だけど具体的に指摘することが出来なくて塗装の剥げた柵により掛かりながらずっと黙っていた。
 遠くで部長と安部さんがポニーに乗っている姿が見えた。スタッフの人に導かれながらおっかなりびっくり乗馬している。
「叔母さんも元々東京でアクチュアリーをしてたんだけど旦那さんと一緒にロハスにハマってわざわざこんなところまでやってきたのよ。旦那さんが癌になった時も抗癌剤治療を拒否して代替医療で通したそうよ。まあそれが原因で死んだのかどうかはわからないけれど」

 牧草を手でいじりながら話題を変える。
「僕の小説そんなに悪かったですか?」
 僕の作品は安部さんと部長から様々な欠点を指摘された。まあ初めて書いたのだからしょうがないのかもしれない。頭ではそう分かっていても批判されるとへこんでしまうものだ。
 そして先輩も安部さんから僕の原稿を貰って読んでいたのだ。

 先輩は励ましたいのか馬鹿にしたいのかよくわからないことを言った。
「そんなもんじゃない、高校生の書いた小説なんて。自意識過剰で、テクニックなんてあってないようなもんで」
「しかし安部さんも部長もこと小説に限ってはずけずけ言いますからね」
 先輩は真顔で答える。
「当り障りのないことを言い合う馴れ合いよりも本心をぶつけるほうが私は好きだけどね」

夕食の後に先輩が天体観測を提案した。何でも昨日は曇りがちだったので今日に延期したのだという。
 先輩は飲み物を入れたビニール袋を手に持っているので僕が望遠鏡を担がされる。重厚な作りでずっしりと重く本格的なもののようだ。先輩がからかうように僕に注意した。
「結構高いから落とさないようにね」 
「それはいいですけど、どうしてわざわざ遠くまで歩くんですか。家の周りでやってもいいんじゃないですか」
「駄目よ。楽しちゃ。光源から遠い方がいいし、なによりこういうのは気分が大切なんだから。苦労してこそ喜びも大きくなるって寸法。それに場所も大切よ。家の周りよりも草原のほうが気持ちが良いじゃない」

 僕たちは歩き出した。普段だったら四人横に並んで歩いていたら歩道からはみ出して自転車や車にとって邪魔でしょうがないだろう。でもここにはそのことを咎めるものはいない。
 暗闇の中で頼りになるのは手持ちの懐中電灯だけだ。本当の暗さというのはこういうことを言うのだなととめどなく思った。

「ここらへんにしましょう」
 先輩はそう言って立ち止まった。意外なほどテキパキと望遠鏡を操作し観測の準備を進めていく。僕たちは手出し出来ないので肉眼でぼんやりと星を眺めていた。僕は星座なり宇宙なりに疎いので見ている天体がなんという名前なのかも分かりもしなかったが。
 先輩は望遠鏡を覗き込みながら何かを調節している。その間だけ先輩の顔から暗さが消えているように思えた。気のせいかもしれないが。

 先輩は望遠鏡の設置を終えて言った。
「ほら、あれが夏の大三角よ。目視でも見えるけど覗いてみたら」
 確かに綺麗だ。覗き込みながら答える。
「でも僕、夏の大三角を構成する星の名前も知らないんですよね」
「ベガ、アルタイル、デネブ」
 突然そう呟いたのは安部さんだった。
「星座といえば神話。私、神話が好きなんです」
 
 先輩がちょっかいを入れる。
「安部さんらしい、少女趣味ね」
 それは不思議な慈しみのあるからかいだった。
「もう、またそんなこと言って」
 安部さんがむくれる。先輩が笑いながら続けた。
「褒めてるのよ。それに私も昔はそういうの好きだったんだから」
 安部さんが不審げな顔で先輩を見つめる。笑顔を絶やさない先輩。

 安部さんは諦めたように話題を変えた。
「私達が見ている星が何十光年、何百光年って離れているんですよね。ということは今見ている星の光はその星の人達にとっては何十年前、何百年前の光ってことで。それってとても素敵なことじゃないですか」
「どこかで聞いたことのあるような台詞だけど安部さんってやっぱりロマンチストね」
「どこかで聞いたことのあるような台詞で悪かったですね」
 安部さんが珍しくちょっと拗ねる。

 先輩が話題を変える。
「超新星爆発って知ってる」
 安部さんがぽかんとした顔で答える。
「なんですかそれ、聞いたこともありません」
 僕も知らない。部長も心あたりがないようだ。とはいえ字面から多少想像はつくけど。きっとろくでもない事だ。

「簡単に言うと巨大恒星の末路よ」
「恒星って太陽とかですよね」
 安部さんが答える。このぐらいの基本的な知識ですら僕は怪しい。
「その通り。もっとも太陽の大きさじゃ起こすことはないけれど。太陽よりももっと大きい恒星が超新星爆発を起こすの」
 
 そのあと先輩は核融合がどうたらとかいう詳しい超新星爆発の原理を説明し始めてその手の知識に疎い僕達三人は閉口した。
 手持ち無沙汰からか安部さんは缶ココアをしきりにちびちびと飲んでいる。
「まあ詳しい理屈はいいわ。とにもかくにも馬鹿でかい星がドッカーンと大爆発を起こすの。ものすごい明るさでね。なにせ原爆より文字通り桁違いに大きいエネルギーが放出されるんだから。ちょっと想像するだけでとんでもないってことが分かるでしょ」
 先輩はドッカーンの部分で立ち上がって両手を大きく広げた。

 道化じみたジェスチャーに呆れながら尋ねる。
「で、なんで超新星爆発って言うんですか」
「良い質問ね。明るさが足りなくて見えなかった星――正確に言うとその残骸だけれど――が超新星爆発で見えるようになった時を考えてみて。昔の人は新しい星が出来たって勘違いしたわけ。誕生の姿だって思い込んでいたら実は破滅の姿だったなんてとっても滑稽なことじゃない」
 
 こうなってくると先輩は止まらない。
「地球の近くだとベテルギウスが超新星爆発をそろそろ起こすかもしれないって言われてるの。まあ近くって言っても何百光年も遠くの星なんだけどね」
 安部さんが声を上げる。
「ベテルギウスって冬の大三角の一つですよね。あとの二つはシリウスとプロキオン」

「大正解。よくできました」
 先輩が安部さんの頭を撫でる。安部さんは頬を膨らませて
「恥ずかしいからやめてください」
と抗議する。だけれども本当に嫌がってるという感じはちっともしなくて、見ているこっちが微笑ましい気分になってくる。

「それでベテルギウスが超新星爆発を起こしたら地球にも影響があるんじゃないかって言われてるの。ガンマ線バーストで生物が焼け死ぬだとか通信が大混乱するだとか」
 ガンマ線バーストが何なのか恐らく誰もわからなかっただろうけれど皆黙って先輩の話を聞いていた。
「一昔前に巨大隕石を核兵器でぶっ飛ばすなんて言う馬鹿なアメリカ人が好きそうなハリウッド映画があったけれど、何百光年も先のベテルギウスを人類はどうすることも出来ない。まさしくハルマゲドン」

 取り憑かれたように語った先輩はそこで押し黙って空を見上げた。一見すると望遠鏡を覗き込んでいた時と変わりがないように思えた。もっともそれが真実なのかどうかは僕にはわからないが。部長が缶コーヒーを握りしめて寒そうにしながら呟いた。
「超新星爆発もハルマゲドンも面白いけどさ。今は星を眺めていようよ」

 先輩が部長を見つめる。
「そうね」
 先輩は意外なことに素直に応じた。僕達はあまり会話もなく星を眺めていた。こんな時間がずっと続けばいいのに。
 とはいえ時間は止まらない。まず部長がダウンした。やはり寒気がよくなかったのだろう。七月とはいえここは北海道。夜になると冷え込む。無論それは部長も重々承知だったろうけど予想以上だったみたいだ。
 寒さに体を震わせて言う。
「老いぼれは去るよ。あとは若い一年生でごゆっくり」

 部長が去ったあとに先輩が尋ねる。
「あれって私への皮肉?」
 安部さんがおかしそうに笑う。
「気にしすぎですよ」
 
 先輩はより一層怪訝な顔になった。その後しばらく三人で星を眺めていたが、やがて安部さんは徐々に口数が少なく、かつ不明瞭なものになっていき眠りに落ちた。
 こんなところに事実上二人っきりで置かれて、いつもの調子で先輩の異常な話を聞いていると先輩の世界に引きずり込まれてしまいそうだ。

先輩に声を掛ける。
「帰りましょうか。寝ちゃいましたし」
「そうね。でもちょっと私の昔話を聞いてくれる?」
 僕の方を向いた先輩は急に真面目な顔をしていて僕は緊張した。だけど、もちろん首を縦に振った。
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