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第47話

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 イギリスに着くと、旅の疲れなんて気にせず、それぞれ別々のテーブルで打ち合わせが始まった。それぞれとは『名バス運転士ホームズ』チームと『路線バスに乗って一人旅』チームだ。そして僕は言うまでもなく役者陣全員が、『路線バスに乗って一人旅』チームのテーブルにいる。打ち合わせとはいっても、『路線バスに乗って一人旅』のテーブルでは仕事の話はそこそこにして、食事をしながら和気あいあいと楽しく過ごしていた。行き当たりばったりが売りでもあるこの旅番組は、外国でも何ら特別な事はやらないらしい。
 最優先事項と言っていいくらいの、ひなちゃんの報酬であるいくつかの美味しそうなドーナツ屋さんは、スタッフの人が一応調べてくれたらしい。ただ、できれば出演者に自力で見つけてほしいということで、どうしても時間的に厳しくなってきたらスタッフが案内してくれるそうだ。
 それを聞いたひなちゃんは、悲しむどころか嬉しそうになり俄然やる気が出てきたようだ。健二さん以外の皆は一緒になって喜んだのは言うまでもない。どうしても見つからない時はスタッフの人が助けてくれるんだからと、ひなちゃんに励まされてる健二さんは本当に心底甘いただの父親だった。
 通訳を兼ねる英語がペラペラのスタッフが一人いるので、言葉の壁は気にしないで現地の人にどしどし質問すれば何でも簡単に見つかるだろうけど、極力頼らない方がいいだろう。番組としてはスリルやハプニングがある方が面白いのだから。
 そして、健二さん以外の人にとっての楽しい打ち合わせは終わった。健二さんの名誉のために言っておくと、健二さんはただの親バカなだけだ。自分が意味もなく歩き続けることに対しては、何の不満も持っていない。仕事では決して妥協しない人なのだから。例えそれが無報酬だとしても。
 明日からの撮影に備えて自分の部屋で休もうと席を立とうとしたその時、塚谷君と僕にはまだ少し話があると呼び止められた。健二さんとひなちゃんは初めての家族旅行ということもあり、楽しそうに去っていく。ディレクターを除くスタッフの人たちも当たり前に去る。リカさんだけが、一緒に残ってくれた。驚いたことにマネージャーもスタイリストも一緒に来なかったので、寂しかったのだろうか。ディレクターさんは、そんなリカさんを気にもとめず話しだした。
「ひろしさん、なぜ残されたのか薄々気づいてますよね?」
「はい。ロンドン交通博物館の件ですよね? やっぱり許可が下りなかったんですか?」
「まさかそんなことあるわけないじゃないですか。山田ひろしの名前を使えば、世界中のどこにでも入れますよ。軍事基地でも行けそうな自信がありますね。まあ、冗談はそこそこにして本題に入りますね。ひろしさんも知っているとは思いますけど、ロンドン交通博物館というのは年中いつでも開いてるんです。だけど、そこに収まりきらない車両なんかが置いてある倉庫が少し離れた所にあって、その倉庫が年に数回、一般の人に公開されてるんです。ひろしさんなら、行きたいですよね?」
「はい、是非是非是非。わざわざそれを言うってことは、僕たちが滞在している間に公開されてるんですね?」
「そうなんですよお。最初は『路線バスに乗って一人旅』の中で寄る予定で進めてたんですけど、今言った倉庫も行ってとなったら正直一日がかりになるんです。はっきり言って、その倉庫は皆さんの想像してるよりも100倍大きいと思っていいですよ。撮影は10日以上できるけど、放送は今のところ2回に分けて5、6時間の予定で、すごく面白いものができても3回で9時間が限界だと思うんですよ。そうなると、せっかくのひろしさんおすすめのロンドン交通博物館の魅力が伝えられそうもないんですよね。そこで相談なんですけど、このロンドン交通博物館は別の番組にしようと思うんですけど、いいですか?」
「別の番組? どういうことなんですか?」
「ちょっとマニアックになるんですけど、ひろしさんが案内役のようになってロンドン交通博物館だけをただひたすら視聴者の方に観てもらうような感じにしたいと。たぶん数字はそんなにというか全く取れないかもしれないですけど、ひろしさんがよければ。どうですか?」
「うーん、僕としてはロンドン交通博物館に行けさえしたら、放送とかははっきり言ってどうでもいいんですよね。そしてそのロンドン交通博物館にはいろいろな乗り物が展示されていて、鉄道車両とかもありますけど、僕が興味あるのはバスだけなんですよ。だけど、案内役となったら、まんべんなくというか鉄道好きな人はまあまあいるから、バスにはあまり時間を取れないんじゃないですか?」
「大丈夫です。ちょっとマニアックになると言ったのは、そこなんです。マニア垂涎のロンドン交通博物館にせっかく来ていながら、ほとんどバスしか見せないって、なかなか攻めてると思わないですか? 放送もどんなに頑張っても2時間もらえるかどうかなので、広く浅くよりも狭く深くでちょうどいいと思うんですよね。バス以外の車や列車が出てくるのを期待して観た人は、裏切られたと感じるかもしれないですけど」
「2時間もロンドン交通博物館のバスだけを見せるなんて、あなたもなかなかのマニアですね」
「そうなんです。実は、この『路線バスに乗って一人旅』だって、僕の企画なんですよ。だから本物のバス運転士であるひろしさんと一度ならず二度までも一緒に仕事をできるなんて幸せですよ。それじゃ、そういうことで良いっていうことですね?」
「あ、あのー、ちょっといいですか?」
 僕が返事をしようとしたその時、それまで黙って聞いていたリカさんが、いきなり口を挟んだ。僕はリカさんが何を言いたいか想像できているけれども。
「どうしたんですか、小野さん?」
「私もロンドン交通博物館に行きたいんですけど……ついて行ってもいいですか?」
「もちろん構いませんよ。どうせなら、ひろしさんと一緒に出てほしいくらいですけどね」
「えっ、いいんですか?」
「えっ、出ていただけるんですか?」
「はい、喜んで。ありがとうございます。私も、バスが好きなんですよ」
「そうなんですか。なんだか嬉しいです。あっ、それでもう一度確認ですけど、ひろしさんも出ていただけますよね?」
「もちろんです。すごく楽しみです」
「ありがとうございます。でもせっかく、小野さんもバス好きなんだから……。ひろしさんが案内役というのは止めて、展示してあるいろいろなバスを見て2人で意見や感想を言い合うようにしましょうか? 無理して褒めたりとかしなくてもいいし視聴者の事を気にしなくてもいいので、思ったことを言ってください。たぶん館内にはガイドもいるので、聞きたい事があれば見学者の気分で普通に質問してもいいですよ。ただ一つだけお願いしたいのは、主役はバスということでいいですか?」
 僕とリカさんに、反対する理由なんてあるはずもない。それどころか嬉しいだけなので即答した。
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