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第42話

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 不動産屋さんまで、トラゾウは初めてのお散歩を楽しんで、阿部君と明智君は新しいアジトへの妄想で周りが見えていず、私だけがトラゾウの正体がバレないかとヒヤヒヤしつつさらに6000万円の入ったリュックサックを背負っていたので一人生きた心地がしていなかった。もちろん今のアジトの修繕費と豪華フランス旅行のために700万円はとっておかないといけないので、6000万円を全部使うつもりなんてないが、あのボロボロのワンルームに置いておきたくなかったのだ。
 『怪盗20面相』と『超高級エナジードリンクのロイヤルプレミアムバージョン』とおそらく高価であろう美術品も心配だけど、とてもじゃないが持ち歩けるものではない。それに、もし盗む奴がいたとしても、阿部君と明智君から世にも恐ろしい仕打ちが待っているのだからなんとかなるだろう。なので、今はとりあえず新アジトに集中しよう。
 不動産屋さんのご厚意で明智君とトラゾウも一緒に中に入り、予算を5000万円と伝えてさっそくアジト候補の物件を見せてもらった。最終的には私が全額負担なのに、私に選ぶ権利がないことくらいは分かっているので、まずは阿部君と明智君に気に入ったのがあるのか尋ねないといけない。無利子無担保ではなく、せめて有利子で借りればよかったのだろうか。阿部君にしてやられたようだな。まあいい。二人が気に入ったものは、きっと私も一番の候補に上げるはずだ。そう思い込むのが大事なのだ。
「どうだい、阿部君明智君? もう薄暗くなってきたけど、良さそうなのがあるなら見に行ってみるかい?」
「そうですねえ。一つだけあるんですけど、ほんの少し予算オーバーなんですよね。不動産屋さんが価格的に少し妥協してくれるなら見に行きたいです」
「ほんの少しって、どれくらい?」
「1000万円くらいです。物件が6000万円なんですけど、私と明智君が2000万円づつでもリーダーはせいぜい1000万円くらいしか出せないでしょ?」
 なんか私が悪いかのように言われているな。仕方がない。阿部君に口答えしても意味がないので、不動産屋さん相手に私の素晴らしい交渉術を見せてやろうじゃないか。こういうのも含めてリュックサックにお金を入れてきたのだから。おおらかな不動産屋さんでありますように。
「不動産屋さん?」
「はい。良さそうなのはありましたか?」
「はい。だけど少し予算オーバーなんですよ」
「少しくらいなら、私どもがなんとかいたしますが。10万円くらいですか?」
「いえ。もう少し」
「30万円くらいですか?」
「いやいや、まだまだです」
「まさか……100万円とか言いませんよね?」
「ははっ。まさか、そんなわけないじゃないですか。1000万円です」
「…………。あのー、他にお求めやすい物件を数多く取り揃えておりますので、そちらを検討してみませんか?」
「いえ。気に入ったのは、一つだけなんです。ただ、私もバカではないので、普通に1000万円まけろとなんて言うつもりはありません。このリュックサックに5000万円入ってます。もし、この物件の消費税や諸費用込みで5000万円にしてくれるなら、念の為に一度だけ物件を見に行ったうえで、今日のうちに契約と支払いをしますよ。どうですか?」
「え! ええー! しょ、しょしょ、少々お待ちください。上司と相談してきます」
「リーダー、なんだか腹黒く感じたのは、私だけですか? でも成功なら、リーダーにご褒美として『怪盗20面相』を1本あげますよ」
「ああー、そう言えば『怪盗20面相』は山分けしないのかい? 20本弱あるんだろ?」
「分けるつもりでいたんですけど、なんかめんどくさくなっちゃって。どうせ保管する場所は1か所だし……アジトが決まったらワインセラーを作りましょうね。それで、あれだけのワインだから、飲む時っていうのはものすごく良い事があった時か仕事で大成功した時くらいじゃないですか。はっきり言ってリーダーの人生でものすごく良い事なんて起こるわけがないから、そうなるとリーダーが飲めるのは仕事で大成功した時だけなので、それなら結局みんな一緒に飲むでしょ? それで誰のを開けるとかで揉めるのもなんだし、私が管理しておけばいいかと」
「なるほど。実に理路整然とした答えだ。じゃあ、このご褒美の1本をもらっても大して意味がないんじゃ?」
「そんなこと……。じゃあ、その1本は私と明智君は絶対に飲まないです。リーダーが好きなようにしてください。生活に困った時に売るのもよし。警察に捕まりそうになった時に賄賂として使うのもよし。死ぬ前に言っといてくれたら、棺の中のリーダーの遺体に掛けてあげてもいいですよ」
「そ、そうだな。せっかく阿部君がくれたのだから、よく考えて使うよ。おお、不動産屋さんが上司を連れて戻ってきたぞ」
 複雑な顔をしているな。二つ返事でOKとはいってないようだぞ。もしかしたら全く話にならないのだろうか。それとも何らかの駆け引きをするつもりなのか。アジトの修繕費と旅行費用で引いて残る300万円と、今すぐは無理だけど前回の取り分を足した貯金がいくらか銀行にはあるが。新しく家具や電化製品を買うのを先延ばしにしないといけなくなるだけだ。それはそれで辛いな。まずは話を聞いてみるか。
「お待たせいたしました。あのー、確認ですけど、今から物件を見に行ってそのうえで気に入っていただけたら、今日のうちに契約と支払いをしていただけるで、いいでしょうか?」
 おおー、これは手応えありありだぞ。
「はい。このリュックサックにちょうど5000万円入っているので」
 本当は6000万円だから、後で不動産屋さんが見ていない所で1000万円出そう。全財産を使ったように見せかけた方が、相手も満足するのだ。
「……分かりました。総額5000万円ちょうどにしましょう。では、内見にご案内しますね」
 物件を実際に見ると写真で見る何倍も素晴らしく、住宅街でも高級と呼んで差し支えないような場所なので敷地面積に対して立派な住居は小さく見え、庭は広々としていて隣近所との距離も程よくあり夜中に少々騒いでも問題なく思えた。阿部君が好き勝手できる部屋を一つ提供したとしても、私だけでなく明智君にも個室をあてがえられる。それでもおそらく私と明智君ともに大きなリビングルームを根城とするだろう。口には出せないが、今さら一人で寝るのは寂しいのだ。もちろん布団は別々だぞ。寝ぼけた明智君に蹴られるのだけはゴメンだ。
 意気揚々と不動産屋さんへ戻り、涼しい顔で支払いと契約を済ませる前に、ゴリ押しついでに明日から入居してもいいか5000万円を持ちながら尋ねると、即答だったので明日の予定は引っ越しとなった。業者に頼めるはずもなく、阿部君と明智君をいかに口車に乗せるかが、私の腕の見せどころだろう。
 なので、自宅に帰ると言った阿部君を含めて、寝床がベッドの下しかない私と明智君とトラゾウは、私のお金で高級ホテルに泊まることになった。もう作戦は始まっているのだ。これで明日の朝はみんなご機嫌だぞ。それで引っ越し用にレンタカーではなく阿部君パパの車を借りたいと言えば、阿部君は少なくとも私に付き合わざるを得ないぞ。改めて自分の策士ぶりを実感してしまった夜だった。
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