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成就編

問答

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「……誰だお前」
アパートの廊下通路の柵を背に、寺崎は荒垣の家から出てきた男に問いかけた。
敬語が外れたが、いきなり暴力を振るってくる男に使う敬語はない。
「真島だよ。荒垣から聞いてんだろ」
「真島……?」
聞いたことのない名前に眉を顰める。
真島と名乗った男は自信満々だが、寺崎は荒垣からその名を聞いたことは一度もなかった。
寺崎の反応が意外だったのだろう。真島はキョトンとした顔をしてから、何かを察したらしくうすら笑みを浮かべた。
「へぇ、俺のこと言わなかったんだ。意外。それともうっかりセクシャルを漏らさないよう必死だったのかな?」
「……お前、荒垣の何なんだ」
セクシャルという単語に過剰に反応してしまった自分を恥じる余裕もない。
「何って…………わかんねぇ?アイツのセクシャルも知ってるってことは、それだけ深い仲ってことだよ」
真島の見た目に反した舐め腐った態度に、何故か寺崎は腑が煮え繰り返る程の怒りを覚えた。
つまりこの男は荒垣と同じゲイ、もしくはバイらしい。
同時にこの場にいない荒垣にも怒りが湧いてくる。
寺崎に否定されて傷心なのはわかるが、たった数日の間に同種のセクシャリティの人間を家に招く節操のなさに、どうしよもなく苛立った。
しかし、ここで感情を任せて捲し立てては先日の二の舞である。極めて冷静であれと己に言い聞かせた。
「なんでお前が荒垣の家にいる?」
「なんでって、本人に呼ばれたんだよ。お前、何にも知らないんだな。まあフったフラれたの直後なら当然か」
真島の言葉に寺崎は内心で動揺した。
荒垣はこんな男に、もう全てを話したのか。寺崎が暴言をぶつけて、秘めていた心を暴いたことまで。
どんな顔で話したのだろう。苦笑いしながら?それとも泣きながら?
いずれの表情も寺崎の中のイメージでは合致せず、それがどうにも歯痒く思ってしまった。
「お前は関係ないことだろうが。それよか荒垣はどうした」
「ん?アイツなら疲れて寝てるよ」
「は?」
いつの日か、荒垣が体力には自信があると笑いながら自慢していたのを思い出す。
仕事柄、身体を動かす荒垣は体力が平均男性よりも多いだろう。その荒垣が、疲れて寝てる?
今の荒垣の心境的にどこかに出かけそうにもなく、寺崎はどうにも引っかかった。
「無粋だなぁ。俺みたいな男が休日に呼ばれてヤることなんて限られてるだろ」
言わんとしていることの意図を理解した時、言葉に含まれた意味の下品さに、思わず胸倉を掴んでいた。
首元が締め上げられて苦しいのか、真島は少し目を細めながら、それでも笑みを崩さなかった。
「手が早……いやぁ、荒垣もなんでこんな奴好きになったかねぇ」
「喧しい。傷心のアイツに漬け込んだか。とんだクズ野郎だな」
「何でお前が怒るんだよ。怒れる立場か?俺からすれば、呼ばれてもないのにアポ無しで訪ねてくるお前の方がよっぽどヤバいと思うけど」
真島の言葉に、寺崎は返す言葉を持たなかった。
自分でも行動がチグハグで、何をしたいのかよく分かっていない自覚はある。
それでも、どこの誰かもわからない男に荒垣がいいように弄ばれているのが気に食わなかった。
目の前の男を荒垣から引き剥がせるなら、自分が他人からどんなレッテルを貼られようと気にならない。
真島は目の据わった寺崎にめんどくさそうにため息を吐き、内緒話をするように声を顰めた。
「なんならもう味わってて、今更手放しがたくなって戻ってきたか?」
「あ?」

「教えてやるよ。荒垣に"今の生き方"を教え込んだのは俺だ」

あまりにも下品な発言に、寺崎の堪忍袋の尾が切れた。

「下衆が!!」

衝動的に真島を後方に突き飛ばした。
同時だった。
真島の背後にある玄関扉が開いたのは。

「まじまぁ、さっきからうるさいけど何やって…………てらさ」
き、までは聞こえなかった。
荒垣本人が分厚い扉を閉めたからだ。
壁になって視界を遮る筈だった真島は、タイミング悪く荒垣が開いた扉の角が突き飛ばされた際に頭と衝突したらしい。その場で蹲って後頭部を両手で抱えて声も出さない。
何が起きたのか、寺崎にはわからなった。
ただ、一瞬見えた荒垣は冬のような厚着をして、火照った顔に額には冷えピタを貼っていた。
想像していた現状とは全く違い、ただ風邪を引いているようにしか見えなかった。
正直思考を放棄したいが、この場には痛みに悶える真島に部屋に閉じこもった荒垣しかいない。
仕方なく、その場にしゃがみ込んで誤解の発端らしき人物の肩を鷲掴みした。
「オイ真島、どういうことだ」
「……ってェ…………お前ら人を心配する心とかねぇの?」
「質問に答えろ」
肩を掴んだ手に力を込めると、痛い痛い!と伏せていた顔を上げる。
目の前にある面は半泣きで、しわしわの不細工顔だ。しかし、先程まで浮かべていた薄ら笑いと違い、こちらの頼りなさそうな表情の方が真島の顔や雰囲気に合致していた。

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