人外犯罪基本法

世川 結輝

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①ツキの少年

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    その少年は街の明かりを背負い、夜を駆けていた。
 
​*
 
「うちの子を探してください」
 唾を飛ばしながらそう叫ぶ女性を俺はまあまあと宥める。
「行方不明なのは二日前からなんですね。警察の方には――」
 俺がすべて言い終わる前に女性は被せて叫ぶ。
「言いました。けど、家出だろうって、すぐ帰ってくるからって取り合ってくれなくて」
「自宅に彼の財布や携帯はありますか」
「いえ」
「では、息子さんに電話してみましたか」
「してみたんですが、『家出する』とだけメッセージが来て」
 大きくため息が漏れそうになるが、これも仕事だと飲み込み、「では、家出ですね」なんて言えば、女性は立ち上がり顔を真っ赤にして声を荒げた。
「まあ、なんてことを言うんです。この事務所はご近所の評判もよくって、先生は弁護士でもあるって聞いて期待してきたのに、こんなに投げやりだなんて。本当に私たち親がどんな気持ちで子供を探しているかなんて、あなた達にはわかりはしないでしょうけど――」
 苦笑いを維持するのも辛くなってきたため、俺は仕方なくうなずく。
「わかりました、出来る限り探してみます」
「ほんとですか」
 そう言って女性は私の手に飛びつき握りしめる。
「なにとぞ、何卒お願いしますよ、先生」
 痛いほど握りしめられた手を振りほどきながら、俺は言う。
「それでは、もう一度息子さんの名前を聞いてもいいですか」
「マサヤ、長浜マサヤです」
 
​*
 
 弁護士になったのが七年前、前線から退いたのが三年前。随分堕落したと自分でも常々思う。元の自分が嫌で変わるために目指した弁護士という職業が、今になってさらに俺を嫌な奴にしていく。
 数年前に可決された『NCL(Nonhuman Crime Law)』により、私立の弁護士らの肩身は随分狭くなった。どんな犯罪でも幽霊のせいにしてしまえば、犯人探しも必要がなくなるのだ。そして、幽霊という不確定的なものについての裁判は、国が認めた専門の弁護士が法廷に立つため、俺のような個人営業の弁護士は仕事を奪われていく一方である。さらには、嘘か真か幽霊専門の探偵などと言うばかばかしい職業も誕生したため、いわゆる俺たち一般人は、同じ一般人に頼られることはなくなっていく。
 それならば、と興信所も兼業で始めてみたはいいものの、入ってくる依頼は今回のような人探しが関の山で、始める前よりも『事件』に触れる機会は減った。
 
​*
 
 とりあえず、マサヤ少年の家の近所の山に登った。近所や友人の家への聞き込みは母親がすでに済ませており、俺の仕事はあたりをしらみつぶしに探してみることだけである。
「あ」
 山に足を踏み入れたところで、少年の容姿を一つも知らないことを思い出す。はなからこの仕事に対しやる気がないとはいえさすがにこれはいかがなものか。胸の内で自分を叱咤し、記憶を辿る。確か母親は、中学校と言っていたから中学生だとして、可愛らしいとも言っていたから、多少の誇張はあるとしても華奢な少年であろう。あとは……。
「私は犬が大の苦手で、先日マサヤが抱えて連れてきた小汚い犬を、外に放り投げたばかりなんです」
 大してヒントになりそうにないことを思い出してしまった。ただ、家出した理由はこれであろうかと推測できる。穏やかそうに見えて、幾世代か前の凝り固まった教育理念を掲げた母親であろうことは、少しの会話で俺にもわかった。そんな窮屈な家が嫌になったのだろう。思春期にはよくあることだ。
 山を中腹まで登ったあたりで、足元が覚束ないほど空が暗くなっていた。山登りに慣れていないうえにスーツ姿では、たとえ大した高さの山でなかろうとこれ以上登るのは危険である。明日改めて来ようと引き返す。
――暗闇は怖いよ。家にも学校にも居場所がないからここに居るけど、一人は寂しくて寂しくて仕方ない。君にはわからないだろうけどね
 ふと昔の友人の言葉を思い出した。友人と呼べるほど仲が良かったわけではないし、俺にそう呼ぶ権利などないのだが。
 青く苦い思い出を引き出しに押し込み、俺は頂上に足を向けた。
 
 藪をかき分け「マサヤくーん」なんて呼んでみるが、返答が得られるわけでもない。俺が中学生の頃は家出と言えば、友人の家や近所の森なんかであったが、今どきの子はどこに逃げ込むのだろう。どうせ家出するならどこか知り合いの家なんかに逃げ込んでくれてればいいが。
 夜風が強く吹き付け木の葉を揺らす音が静寂の中に響く。こんな夜にはそれこそ幽霊なんてものが出そうだ。くだらないことが頭に浮かび一人で苦笑する。
 昨今、十五歳以下の子供の行方不明事件の原因の六割は、幽霊の仕業だと言われている。警察の調べによるものだというのは建前だ。幽霊だと決めつけられた事件の中にいくつ人間によるものが混ざっているのか。今でも幽霊のせいにし逃げおおせている犯罪者がいるかと思うと、怒りがふつふつと込み上げてくる。
 とはいえ、幽霊が見えるわけでもなければ、幽霊犯罪を扱うための資格もない俺は、こうして怒りを蓄えることしかできないのだが。
    たしか、どこかのテレビのコメンテーターが言っていた。
――幽霊は今もあなたのそばに
 がさっと大きく葉が揺れた。肩が大きく跳ね、情けなく「ひっ」と声が漏れた。
 ああ、ばかばかしい。幽霊にビビる三十路の男など、どこに需要があるだろうか。今日はここまでで切り上げようと、空を仰いだ時、地平線から美しい姿を見せていた満月が遮られる。
 目の前に現れた少年は、山の下に広がる街の明かりを背負い、月の輝く雲一つない空を駆けていた。俺は驚き尻もちをつく。少年の色素の薄い髪は月光を反射し金糸のようにキラキラと輝き、月影により浮き出た端正な横顔は陰っていてもその美しさを強かに語っている。その様子はまるで天馬のようで、口が半開きのまま思わず見とれた。
 ぶつかったわけでもないのにひとりでに倒れたおじさんに、少年は驚き足を止めた。
「ごめ」
 短くそう言って手を差し出す。
 なんて美しい少年だろう。さらりと夜風になびく髪に、月影により顔に影を落とす長い睫毛、顔の骨格からしても日本人離れしていると言える。目を引くのは深い緑の瞳。その美しい翡翠の瞳は静かにこちらを見つめる。
「ありがとう」
 そう言って彼の手を掴み起き上がる。日本語をしゃべっているし、日本語が伝わったし、日本人であろう。なによりこの少年は学ランを身に着けている。首元の校章はこのあたりの中学校のものだったはずだ。
 少年は俺が立ち上がったのを見届けると、また走りだす。華奢な体のおかげか藪を軽々飛び越えながらかけていく。華奢な、中学生――。
「マサヤ君!」
 思わずそう叫ぶと、少年は足を止める。
「マサヤ君、長浜マサヤ君だよね」
 俺は藪の中を小走りに少年の方へ向かう。マサヤ君の特徴である華奢な中学生。何よりこんな時間に山の中を駆けまわるなんて、家出以外に考えられない。
「お母さんに頼まれたんだ。君がどこにいるのか探してくれって。よかった、みんな心配してるから、早く帰ろう」
 今度はこちらが手を差し出す。少年は少しその手を見つめた後、勢い良く跳ねのけた。
「俺、マサヤじゃないんだけど」
「え」
 俺が呆気に取られている間に少年はまた走り出そうとする。思わずその手を掴み引き止めれば、少年はひどく顔をしかめた。
「なにすんだよおっさん」
 今更口調のことやら年長者への敬意を指導するつもりはないが、先ほども言った通りこんな時間に一人で山にいるなど、家出以外に考えられない。
「なら君の家はどこ。親御さん心配してるんじゃないのか」
 俺の言葉に少年はまた顔をゆがめる。
「うるさい、そんなのいない」
「それは――」
 問いかけようとしたとき、夜風がゴウと音を立てて吹き抜ける。木の葉は天高く舞い、俺の視界を遮っていく。
「きた」
 少年がそう言った途端、背中にひやりとした心地がした。俺は反射的に少年を抱え藪の中に飛びこんだ。後ろを振り返るが何かがいるわけでもなく。ただ舞い上がった木の葉がゆっくり地面に降りていくところだった。月影が遮られていく。
 なぜ俺はこうも大げさに飛び退いたのか。自分でもわからない。藪の中で息を殺してしゃがみ込む俺たちの視線の先には、目に見えにないナニカがいる。俺はそのナニカに気付かれないようにただ息を止めることしかできなかった。
 数秒の後、背中に感じていた悪寒も目の前の気配も雲と共に消えていった。ようやく肩の力が抜け大きく息を吐いた。何だったのかわからない。しかし、明確に命の危険を感じていた。
 ふと、右手で押さえつけていた少年がのそりと起き上がった。
「あんたも視えるのか」
 
​*
 
 俺が地面に押し付けていたせいで、少年は泥だらけになってしまった。その詫びと身元の確認のため、とりあえず俺の自宅兼事務所に連れて帰る。
「学ランって洗濯機で回していいんだっけ」
 洗濯機の前で試行錯誤しているうちに、シャワーを終えた少年が出てきた。
「ダメに決まってるだろ、弁償しろよ」
 憎まれ口を叩きつつも、濡れた髪があどけなさを引き立てている。着替え用に貸した俺の服は少し大きかったようで、どこも丈があまりまくっていた。
「まあとりあえず、なんか飲むか」
 
 事務所の応接間に少年を座らせ、その目の前に温かなココアを入れてやる。
「夏にココアかよ」
 そんな憎まれ口に負けることなく、俺は氷を入れてやった。
 数口飲んだところでようやく少年の顔色がよくなった。出会ったときは暗くてよく見えなかったが、この少年は随分青ざめていた。それは問うまでもなくあの気配のせいだろう。
「なあ、あんたも視えるかってどういう意味だ。お前には何か視えてたのか」
 俺がおもむろに問えば、少年は大きなため息をついた。
「視えてないならいい」
 そう言ってココアを飲む。少年は話をしたくなさそうだがそうはいかない。俺はまた問う。
「お前どこの誰なんだ。いつまでも青少年を家に置いとくわけにはいかないんだが」
「親はいない、家はない」
 少年はそれだけ言うとまた黙りこくってしまう。
 この年頃の少年は難しいと聞くが、ここまでとは思わなかった。俺もこの時期は随分やんちゃをした覚えがあるが、ここまでつっけんどんではなかったと思う。近所のおばちゃんに可愛がられるくらいは、愛想はよかったはずだ。
 だからと言って、この少年の心を開かせる術も思いつかない。
「なあ、何とかしゃべってくれよ。お前に黙り続けられるのは少し困るんだが」
 とうとうこんな言葉を零してしまうあたり、俺は最初から弁護士には向いてなかったのかもしれない。心の中でため息をついたとき、少年がコップを机の上に置いた。
「名前聞くなら、まず自分から名乗れよ」
 先ほどとは打って変わって弱弱しくそうつぶやく少年は、照れたように目をそらす。
 なるほど、これは俗にいうツンデレと言うやつなのだろう。本心と真逆のこと、もしくは本心を嫌味を交えてでしか語れないのだろう。つまりこの言葉を翻訳すると、あなたの名前を知りたいですということか。希望的観測が過ぎるだろうが、そんなことを考えていても仕方ない。俺は言われた通りに自己紹介からすることにした。
「大岳マモル、三十二歳。三年前まで弁護士をしていたんだが、それだけでは食っていけなくなって、探偵というか、何でも屋みたいなのを兼業でやっている。さっきあの山にいたのは、とある依頼でお前くらいの歳の少年を探していたからだ」
 そこまで言い終えると次はお前の番だとでもいうように、俺は少年をまっすぐ見据える。少年はようやく口を開いた。
「矢取エイト、十四歳。親は死んで今は施設にいる」
 それだけ言うとまた俯いて黙り込む。代わりに俺が言葉を紡いでやる。
「なるほど、だから『そんなのいない』ってことね。なら、お前は何であんなとこにいたの。わざわざ施設抜け出して夜の散歩をしたかったわけじゃないよな」
 数秒の沈黙の後、少年は弱弱しく言う。
「おじさんはさ、『NCL』についてどう思う」
 思わぬ質問だった。俺は少し悩んで言葉を紡ぐ。
「まあ、そうだなあ。俺の仕事を奪った憎き法律で、人による未解決事件を都合よく隠蔽しようとする汚い大人の愚策かな」
「おじさんは幽霊信じてないのか」
 少年はその潤んだ翡翠をこちらに向ける。その姿はまるで拾ってくれと訴えかけている子犬のようだ。そんな子犬には何か希望する返答があるように思う。しかし、それを汲み取れるほど俺は出来た人間ではないので、当たり障りのないことを答えた。
「信じてないわけじゃないが、俺にはその類のものが見えないからな。何とも言い難い」
 少年は少し考えた後、意を決して口を開いた。
「俺幽霊が視えるんだ」
 何とはなしにそのような気はしていた。先ほどの山での悪寒やこの少年の怯えよう、おかしな風。信じたくはないが幽霊の仕業と言われて信じてしまいそうになる。
「そうかよ、ほんとにそんなものがいたとはな」
 やはり少年は俺の返答を待っているようで、黙ってこちらを見つめている。こんなおじさんに何を求めているのか。俺は少年の飲み終えたコップを流し台に運びながら、静かな事務所に零すように語った。
「あの法ができたはいいものの、見えない俺たちには信じられないし、だからあんなデモにも発展する。果てには、NCL反対派に警察庁長官が狙撃されて殺されるなんてことがおきるんだ。あれ以来、世間のほとんどがNCLに不満を抱いている。実際見えないものにまで気を回してられるほど、大人ってのは暇じゃないからな。俺も見てのとおり、その幽霊うんぬんに仕事を追われたうちの一人だし、お前の気持ちをわかってやれない」
 思ったより情けない口調になったと後悔する。うら若き少年に見せるには、あまりにもみっともないおじさんの姿だろうか。彼の期待する返答が出来た気もしない。
 この三年、幽霊のせいで、何もかも自堕落な日々を送ってきた。『NCL』なんてものが出来なければ俺はもっとまともな人生を送っていただろう。幽霊なんてものがいなければ俺はもっと弁護士らしく、人らしく生きられたかもしれない。
「幽霊が見えるって言うなら俺は少しうらやましいと思うよ」
 ひねった蛇口から流れる水が俺の声をかき消していった。してはいけない発言だったと瞬時に感じた。少年が黙ったままなのは、先ほどの発言が聞こえなかったからだと思いたい。
    コップを軽くすすぎ、俺は弁明ずるように明るく言う。
「それでもさ、君に同情しないわけじゃないよ。悪いな、大人げない発言だった。お詫びに外が明るくなるまでここに居ればいいよ」
 濡れた手を拭き振り向けば、少年は目を丸くしていた。
「俺、おじさんのことよくわからない」
 少年の言葉に俺は苦笑する。
「俺もだ」
 自分のことなど自分が一番わかりはしない。
「施設の電話番号分かるか。今日泊まることを連絡しとかないとな」
 そう言うと少年はポケットの中から学生証を取り出した。受け取り、裏を見れば緊急連絡先が書かれている。それを見ながら机の上の子機に手をかける。
「なんで嘘だと思わないの、幽霊が見えるなんてありえない。科学的にもまだ証明されていないことなのに。みんな幽霊なんかいないっていう」
 少年の声が少し震えている。
「みんなってのは過剰表現だな。幽霊を信じてるやつがいるからあんな法律が成立するんだろ」
「それでも、幽霊が見えるとか、幽霊によく追いかけられるとか、気持ち悪いだろ」
「追いかけられるのか」
 あの山であんなに青ざめて走り回っていたのは、幽霊に追いかけられていたからかと合点がいく。いつもああやって人気のないところで逃げ回り、息を殺して怯えていたのだろうか。一瞬その気配を感じただけで冷汗を流した俺にとって、それがどれほどの恐怖か想像もつかない。
「そりゃ、怖かったな」
 俺は子機を耳に当てた。
 電話をしながら少し考える。幽霊に追いかけられるなんてどう対処していいものか。相談するにしても誰に話すべきか。このうら若き少年を安心させるためにはどうしたらいいのか。幽霊退治なんて俺にはできはしない。
「さてどうするべきかな」
 子機を置いてつぶやく。
「お、怒られたのか」
 少年が不安そうに言うので俺は慌てて弁明する。
「違うよ、職員の方は問題ないって言ってくれたよ。ちょうど夏休みなのがよかったみたい。俺が悩んでるのは、幽霊をどうするべきかってこと」
 お節介だったろうか。それでも、この少年を明日「はい、さようなら」と帰す気にもなれない。助けを欲している人を見捨てるなんて今の俺にできそうもない。二度も同じ過ちを繰り返すわけにはいかないから。
「なんで、なんでそんな。お前、視えないんだろ」
 少年は悲しげに問う。俺は少し考えて答える。
「理解と同情心はイコールじゃないだろ。相手が自分とは真逆の立場に立っていたって、そいつに親切にしない理由にはならない。自分が間違ってる前提で相手に接するのが大人ってやつだ」
 自分のネガティブさを上手く言い換えただけだったのだが、少年にとっては目から鱗だったようで、先ほどより少年の表情が柔らかくなっているような気がする。
 十五年前に同じように言えていたらどれだけよかったか。
「それにしてもこんな近所に幽霊がいるなんてな。もしあの山に残ってたら幽霊に取り殺されるんじゃないか」
 冗談交じりに言う。言ってから自分の仕事を思い出す。
「ちょ、ちょっと待て。もしあの山に人がいたらまずいよな」
 俺の問いに少年は戸惑いながら頷く。
「マサヤ君がっ」
 
​*
 
 俺が事務所を飛び出し山に駆けだせば、なぜか少年もついてきた。
「お前幽霊怖いんだろ、事務所に居てもよかったんだぜ」
「おじさんが一人で行って死んだら夢見が悪い」
 憎まれ口も戻ってきたようで安心する。
「それより、マサヤって誰」
「依頼で探してる少年だよ。いるとしたらこの山の中だとあたりをつけてたんだが、もし当たってたらマサヤ君がやばい」
 あの時の悪寒をリアルに思い出す。真夏なのに背中が凍えるように冷えて震えあがりそうだった。今、森の中でマサヤ君が震えると思うと気が急く。
 足元を照らしていた月光も、また暗雲に隠されていく。山の麓に足を踏み入れたとき、頂上から強い風が吹き下ろした。まるで俺たちに入るなと言わんばかりだ。手のひらがひどく汗ばむ。
「いる」
 隣で少年がそうつぶやく。
――行方不明事件の六割が幽霊によるもの
 こんな時に嫌なことを思い出す。首を振って嫌な予感と恐怖を振り払う。
「行ってくるから、まってろ」
 少年に背広を被せ、腕をまくる。
「まって、俺も行くから」
 震えた声で少年は言う。しかしその瞳は据わっている。
「だから、特徴とかおしえて」
 俺は頷き特徴を教えかけて、マサヤ君のことを何も知らないことを思い出す。そう言えば少年は目を吊り上げて声を荒げた。
「あんた、なんで探偵なんてしてるんだよ。向いてないだろ」
 返す言葉もない。
「なんでもいい、ほかに情報はないの」
 少し考えて、母親のあの言葉を思い出す。
「山で拾ってきた子犬を母親に追い出されて、家出したのはその数日後だ」
 俺が言うと、少年は少し考えた後、顔を跳ね上げる。
「俺、その犬見たことある」
 
 そう言った少年に付いて山を走る。息も絶え絶えな俺と違って少年は軽々と山を登っていく。若さが妬ましい。
「一週間くらい前、山で隠れてた時にお地蔵さんの前に子犬が寝てたのを見たんだ。そこに毎日ドックフードが置いてあったから、誰かが世話してるんだと思ってたけど」
「なるほど、それがマサヤ君ってわけね。案内してくれ」
 俺の言葉に「言われなくても」とまた憎まれ口をきく。
 地蔵前にたどり着いたが、そこには何もいない。ただ背筋を凍らせるような風が吹き抜けている。少年と俺は冷や汗を流しながら、辺りを見回す。その時、少し向こうから子犬の鳴き声が聞こえた。俺たちは目を見合わせ、同時に走り出す。木々をかき分けたところで、倒れた学生服の少年とそのそばで必死にほえ続ける子犬が目に入った。子犬が吠え続ける方向を見るが、俺の目には何も映らない。しかし、隣のエイト少年は震える手で俺の腕をつかんでいる。
「いるんだな」
 少年は小さくうなずく。
「大きな狼みたいな、血まみれの」
 俺はエイト少年の頭をグイっと抑え、「目えつぶってろ」と置き去りに走った。
 幽霊相手にどう戦うかなんて、これっぽっちも考えちゃいなかった。俺はとりあえず子犬と倒れたマモル少年のもとに駆け寄り、脇に抱えてエイト少年のもとに戻る。
「任せたぞ」
 エイト少年にそう告げ、近くにあった長い棒を手に取り、俺はまた駆けだす。俺には幽霊なんてちっとも視えていないのだが、不思議なことに何かがいるという感覚だけは、俺の情けない恐怖心が感じ取っていた。恐怖心の感じるまま、俺は棒を振りぬく。棒は空を切る。あったっているのかどうか分からない。それでも何度もふりぬく。無我夢中で振り回すうち、腕が痛んできた。ふと自分の腕を見ると、どこで付けたのか無数のひっかき傷にまみれていた。気付かないうちにどこかでひっかいたなんて、生易しい傷じゃない。まるで獣に引っかかれたような――。
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 力なく俺の上でうなだれる少年の小さな肩をゆする。手が濡れた心地がして、目をやれば俺の手は真っ赤に染まっていた。
「嘘だろ」
 エイト少年の背中には三本の傷が刻まれていた。かすかに荒い少年の呼吸が聞こえる。急いでワイシャツを脱ぎ、傷口に押し当てる。携帯は、……ズボンの後ろポケットに入っている。震える手で取り上げる。しかし、どこに掛ければいい。誰に助けを求めたらいい。
 目の前に死にかけている少年がいて、俺はまた何も出来ず見ているだけなのか。強くなりたくて、もう助けを求める声を無視したくなくて、弱い自分を見て見ぬふりしたくなくて、俺は弁護士になったのに。
 俺は友人を見殺しにした。人と少し違ったあいつは、良くいじめられていた。そのいじめに割って入る勇気も、彼を見捨てる勇気もなかった俺は、陰で彼を心配するふりだけしていた。偽善だと言われても言い返しようもない。俺は弱かったのだ。強くなりたくて、今度こそ正々堂々戦えるようになりたくて、人を助けたくて、俺は弁護士になった。
「ああ、神様。なんでもいい。俺はもういいから、この子たちを助けてくれ。未来ある彼らを、どうか」
 エイト少年を抱きしめ目を閉じたとき、また強い風が吹いた。しかしその風は、背筋を凍らせるような冷たいものではなく、温かく俺たちを包み、まるで何かに守られているようだった。目を開けてみれば、目の前の何もないはずのところに青紫の火が立ち上っていた。その傍らに誰かが立っている。
「もう大丈夫だよ、おじさん」
 透き通った声だった。張りつめていた糸をゆっくりほどいていくような、温かな声色だった。
 
 炎が燃え尽きると、その誰かが近づいてくる。着流しに身を包んだその男は、俺より少し若いくらいだろうか。髪をかき上げ、その端正な顔をあらわにしながら、丸いレンズの奥の切れ長の目でこちらを優しく伺う。
「おじさんも、幽霊が視えるんだね」
 そう言われ俺は首を横に振る。
「視えるのは、この子」
 抱きしめる手に力を入れると、男はにこりと微笑む。
「そう、大丈夫だよ。いま治したげるから、大丈夫」
 彼の言う大丈夫が、本当に大丈夫なのだと俺の脳を洗脳するようで、俺は流されるまま頷いた。
 彼はあれよあれよという間にエイト少年をさらって変な御札を貼っていく。彼が少年を優しく見つめているため、俺も抵抗をしなかった。
 ふと、倒れていたマモル少年のことを思い出す。
「あの子は気を失ってるだけだよ」
 男にそう言われ頷く。男の足元に何度も吠える子犬がいた。俺はその子犬を抱き上げ優しく頭を撫でる。
「大丈夫、もう大丈夫だ」
 そんな俺の手を見て男は目を見開いた。
「あんたも怪我してるじゃん。早く手当てしよう」
「お前は何者なんだ」
「阿倍野トウマ。祓い屋だよ」
 腕に黄色の包帯のようなものを貼られ、男がふっと息をかけると見る見るうちに痛みが引いていった。
「明日には傷が塞がるかな」
目を丸くする俺に祓い屋は名刺を押し付ける。
「視える人間は幽霊に目を付けられやすい。その少年がまた困ることがあればいつでも電話して」
 俺は黙って受け取る。
「それにあんたも、少し幽霊が視えてるみたいだから、気を付けた方がいい。いや、感じているが正しいのかな」
 気が付けばエイト少年の体にも、同じ黄色の包帯がまかれている。少し血が滲んではいるがもう流れていないようで、少年の顔色も随分良くなっている。俺の足元に少年二人を寝かせると、祓い屋は森の奥へ歩いていく。
「ま、まて」
 俺がそう叫ぶと同時に、男の懐の携帯が鳴った。男は取り出し耳に当てる。
「どうした、カケル。え、飛行機のお祓いだって。出雲とか、とおっ。仕方ない。明日の朝には間に合うようにするよ」
「おい、まてよ」
 電話に割り込むように俺が言うと、男はこちらを振り向き微笑んだ。
「じゃあね、あんたかっこよかったよ」
 それだけを残し、跡形もなく夏の幻のように彼らは消えていった。夢のような心地が俺の胸にまだ残っている。眠る少年らと腕の中の子犬を交互に見つめ、俺はつぶやいた。
「とりあえず、どうやって帰ろうか」
 
​*
 
「本当にありがとうございました。ほらマサヤも」
 母親はそう言ってマサヤ少年の頭をムリヤリ下げる。マサヤ少年は少し不満そうに上目遣いにこちらを見ている。
「あの、犬はどうなるの」
 少年の頭を母親はペシンと叩く。
「うちでは飼いませんからね。先生も、どうぞ保健所にでも引き渡してくださいな」
「安心しな、この事務所で飼うから」
 唐突にそう言ったのは、ソファでくつろぐエイト少年だった。
「お前、勝手に言いやがって」
 俺の言葉を無視して、エイト少年はマサヤ君にこっそり耳打ちする。
「そしたらいつでも来られるだろう」
 この二人は同じ中学の同じ学年であった。あの夜少し話して打ち解けたようで、俺は少し安心した。この二人とも心配になるほど内気な、今はただの明るい中学生だ。二人は見つめ合ってくすくすと笑っている。
 マサヤ君がお礼を言って出て行ったあと、エイト少年はソファに座って、またぼーっと俺の事件ファイルを眺め始める。
 昨夜、何とか二人を担いで事務所に戻った後、夜も遅かったためマサヤ君の母親への連絡を明日にすることとし、二人をソファに寝かせた。そのすぐあと、エイト少年が目を覚ました。幽霊の件がひと段落した経緯を告げると、安心したようにまたソファに倒れ込んだのだ。
 その頃には傷は見る影もなく消えていた。
 そして眠りにつくまで、お互いのことをなんとなく話した。家族のこと、友人のこと、俺の関わった事件のこと。そうすると、エイト少年は事件に興味があったようで、彼は朝まで寝ずにファイルを漁っていたのだ。
「なあ、エイト少年や」
「エイトでいい、気持ち悪い」
「エイトや、その書類は一応他人に見せちゃダメなんだ」
 その言葉にはピクリともしない。エイトの手元をのぞき込めば、女性誘拐事件を重点的に見ている。
「なに、そんなに気になるの?」
 俺が問うと、エイトは少し言いづらそうにしゃべりだす。
「姉ちゃんを殺した奴を探してる」
 驚き唖然とする俺を置いて、エイトは続きを語る。
「姉ちゃんの名前は眞本タマエ」
「眞本って名字違うのか」
「姉ちゃんは、里親が見つかったから。俺はまだ施設だから前のままの名字」
 なるほどと納得する。血が繋がっているとはいえ、今はほぼ他人。情報が入ってこないだろう。
「ほかになんか手掛かりないのか、俺一応そっち方面に顔広いから聞いてみるよ。姉ちゃんが亡くなったのはいつごろなんだ」
 俺がペンを持つと少年は語りだす。
「知ったのはつい最近なんだけど、死亡時期は四年前くらいだって言ってた。その時期に姉ちゃんと仲が良かった奴がいる。俺はそいつが怪しいと思ってる」
「そいつの名前は?」
「烏丸カケル」
エイトが言ったと同時に事務所の扉が開く。
「ここが探偵事務所だと聞いたんですが」
 ドアのそばに若い女が立っている。
「ご依頼ですか」
 そう問えば女は頷く。
「友人を殺した男を捕まえてほしいのです」
 俺とエイトは目を合わせた。
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本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

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