31 / 32
そう思うことにしよう
しおりを挟む
何が起きたのだろう。昨晩までは、確かに七尾人形はここにいたのに。どうして急に、七尾人形どころか七尾人形のいた痕跡さえもなくなってしまったのか。
これは、夢だったのだろうか。七尾人形と過ごした日々は幻だったのだろうか。
いや、そんなわけがない。
七尾人形は確かにいた。
七尾人形を購入したあの夜から、もう何ヶ月も経っている。その間のことが、全てなかったことになるなんて、有り得ない。
そうだ、と思いついて寝室へと走る。七尾人形のために買った洋服を入れているクローゼットの引き出しを開ける。
「……どういうことだよ」
そこに、七尾人形用の服はなかった。七尾人形専用にする前に入っていた自分の服が納められている。
ならばと、今度はキッチンへ走った。昨晩、七尾人形は大量の卵焼きを作っていた。なら、その料理の跡があるはずだ。明石は勢いよくキッチンのゴミ箱を開けた。だけど。
「なんで……」
ゴミ箱には自分が捨てたゴミがあるだけで、卵の殻のかの字もなかった。
半ば諦めつつ、カードの明細も確認してみた。人形を買った形跡も、七尾人形の服を買った支払い履歴も消えていた。
全てがなかったことになっていた。
さっき有り得ないと思った自分の確信が揺らぐ。
こんなことあるだろうか。こんな、非現実的なこと。
自分は本当にあいつと一緒にいたのだろうか。自分がおかしくなったんだろうか。おかしくなって、七尾が好きなあまり代わりの人形を妄想して過ごしていたんだろうか。
急に、一人でいることが怖くなった。
ぞわっと、根拠のない恐怖に駆られる。何が現実なのか、分からなくなる。どれが真実なのか、自信がなくなる。
無性に七尾と話したくなった。
急いでポケットから携帯電話を取り出して、七尾に電話をした。
お願いだ。出てくれ。
そう願いながらコールを聞く。四コール目で、七尾が応答した。
『もしもし?』
「七尾? あの……」
そこで、言葉に詰まった。この状況をどのように説明していいか分からない。
七尾は七尾人形に会ったこともない。何もかもなかったことになった、と訴えたところで、明石の頭がおかしくなったと思われるだけじゃないだろうか。
『どうした? もう家に着いたか?』
「…………」
優しい七尾の声音に、一気に力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。
張り詰めていた気持ちが緩んでいく。
七尾は凄い。その声だけで、音だけで、明石を落ち着かせてくれる。
大丈夫。七尾はきっと信じてくれる。
「うん。今、着いたんだけど……」
『……どうかしたのか?』
「それが……俺にも何がなんだか分かんなくて……」
『……そっち行こうか?』
「いや、大丈夫。出勤まであんま時間ないだろ。七尾の声を聞いたら落ち着いたから。また会った時に話す」
『……そうか』
「うん。またな」
『ん』
電話を切って、ふうっ、と一息ついた。
結局のところ、真相は謎のままだし、追究する術もない。七尾人形がいた証拠も何もない。けれど。
七尾人形とのことは忘れないし、本当のことだったって思うことにする。
七尾人形は確かに存在した。
自分がそう信じていればいい。
七尾人形が跡形もなく消えてしまったことは、起きるべくして起きたことなんだろう。
『この店に辿り着ける人と辿り着けない人といるらしい』
そう七尾人形が言っていたのを思い出す。
『販売側でお客様には不要と判断した場合には、回収させていただきます』
店からのメールにもそう書いてあった。
もしかしたら。自分はあの時。どうしてもあの店で、あの人形を買わなくてはいけなかったのかもしれない。求めていたのかもしれない。必要だったのかもしれない。
リアル七尾と、一緒に生きていくための勇気をもらうために。
そして、それが叶った今、自分にはもう不要だと判断されたのだろう。そう思うことにしよう。
タブレットを抱え上げると、充電器へと繋いだ。出勤時間が迫っている。
仕事に行くために気持ちを切り替えよう。そして、今度は七尾を家へ招いて、ゆっくり七尾人形の話を聞いてもらおう。
「よし」
気合い入れに声を出す。
七尾人形と過ごしたリビングに背を向け、着替えるために寝室へと向かう。ムギがにゃあ、と小さく鳴く声が聞こえた。
これは、夢だったのだろうか。七尾人形と過ごした日々は幻だったのだろうか。
いや、そんなわけがない。
七尾人形は確かにいた。
七尾人形を購入したあの夜から、もう何ヶ月も経っている。その間のことが、全てなかったことになるなんて、有り得ない。
そうだ、と思いついて寝室へと走る。七尾人形のために買った洋服を入れているクローゼットの引き出しを開ける。
「……どういうことだよ」
そこに、七尾人形用の服はなかった。七尾人形専用にする前に入っていた自分の服が納められている。
ならばと、今度はキッチンへ走った。昨晩、七尾人形は大量の卵焼きを作っていた。なら、その料理の跡があるはずだ。明石は勢いよくキッチンのゴミ箱を開けた。だけど。
「なんで……」
ゴミ箱には自分が捨てたゴミがあるだけで、卵の殻のかの字もなかった。
半ば諦めつつ、カードの明細も確認してみた。人形を買った形跡も、七尾人形の服を買った支払い履歴も消えていた。
全てがなかったことになっていた。
さっき有り得ないと思った自分の確信が揺らぐ。
こんなことあるだろうか。こんな、非現実的なこと。
自分は本当にあいつと一緒にいたのだろうか。自分がおかしくなったんだろうか。おかしくなって、七尾が好きなあまり代わりの人形を妄想して過ごしていたんだろうか。
急に、一人でいることが怖くなった。
ぞわっと、根拠のない恐怖に駆られる。何が現実なのか、分からなくなる。どれが真実なのか、自信がなくなる。
無性に七尾と話したくなった。
急いでポケットから携帯電話を取り出して、七尾に電話をした。
お願いだ。出てくれ。
そう願いながらコールを聞く。四コール目で、七尾が応答した。
『もしもし?』
「七尾? あの……」
そこで、言葉に詰まった。この状況をどのように説明していいか分からない。
七尾は七尾人形に会ったこともない。何もかもなかったことになった、と訴えたところで、明石の頭がおかしくなったと思われるだけじゃないだろうか。
『どうした? もう家に着いたか?』
「…………」
優しい七尾の声音に、一気に力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。
張り詰めていた気持ちが緩んでいく。
七尾は凄い。その声だけで、音だけで、明石を落ち着かせてくれる。
大丈夫。七尾はきっと信じてくれる。
「うん。今、着いたんだけど……」
『……どうかしたのか?』
「それが……俺にも何がなんだか分かんなくて……」
『……そっち行こうか?』
「いや、大丈夫。出勤まであんま時間ないだろ。七尾の声を聞いたら落ち着いたから。また会った時に話す」
『……そうか』
「うん。またな」
『ん』
電話を切って、ふうっ、と一息ついた。
結局のところ、真相は謎のままだし、追究する術もない。七尾人形がいた証拠も何もない。けれど。
七尾人形とのことは忘れないし、本当のことだったって思うことにする。
七尾人形は確かに存在した。
自分がそう信じていればいい。
七尾人形が跡形もなく消えてしまったことは、起きるべくして起きたことなんだろう。
『この店に辿り着ける人と辿り着けない人といるらしい』
そう七尾人形が言っていたのを思い出す。
『販売側でお客様には不要と判断した場合には、回収させていただきます』
店からのメールにもそう書いてあった。
もしかしたら。自分はあの時。どうしてもあの店で、あの人形を買わなくてはいけなかったのかもしれない。求めていたのかもしれない。必要だったのかもしれない。
リアル七尾と、一緒に生きていくための勇気をもらうために。
そして、それが叶った今、自分にはもう不要だと判断されたのだろう。そう思うことにしよう。
タブレットを抱え上げると、充電器へと繋いだ。出勤時間が迫っている。
仕事に行くために気持ちを切り替えよう。そして、今度は七尾を家へ招いて、ゆっくり七尾人形の話を聞いてもらおう。
「よし」
気合い入れに声を出す。
七尾人形と過ごしたリビングに背を向け、着替えるために寝室へと向かう。ムギがにゃあ、と小さく鳴く声が聞こえた。
25
あなたにおすすめの小説
君と僕の関係は罰ゲーム
くすのき
BL
小学生の時、幼馴染の発した自分との関係性を聞いてしまった十都棗(とそなつめ)は、彼に頼らない人間になる事を決意して生きてきた。でも大学生となったら、まさかその幼馴染と再会し、しかもお隣さんになっていた。
彼は僕の事を親友と呼ぶが、僕はそのつもりはなくて……。
陽キャ✕陰キャ
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
今日でさようなら
須藤慎弥
BL
勝ち気で素行の悪い陽斗(はると)は、品行方正・文武両道な大地(だいち)の事が好きだった。
住む世界が違う、見ているだけで良い、と実はピュアで控え目な陽斗だったが、同じ高校に入学したのを機に話しかけ、二人は仲良くなることができた。
だが陽斗は、大地が実はモテている事を知り勝手に打ちのめされ、とんでもない要求をしてしまう──。
※程度はともかく五割そういうシーンです。ご注意ください。
※BLove様で行われましたコンテスト参加作です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる