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シンデレラ嬢は王子様と結婚しました【初稿版】

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「レティアータ・マルシア公爵令嬢! 平民上がりの令嬢を虐めるその醜い性根、私の婚約者としては失格だ! お前との婚約は破棄させてもらう!」

 明日は国立学園の卒業式。今日この日に卒業を控えた生徒で賑わう学園のダンスホールに響くのは、見目麗しい王太子殿下のよく通る声。その姿の横には、婚約者ではない(とても見覚えのある)令嬢が張り付いている。最後の学園主催の一大イベントであり、卒業生とそれを見送る在校生の最後の交流会である卒業記念パーティーは、その瞬間に王太子の独りよがり劇場と化した。このパーティー、私本当に楽しみにしてたのに。少し離れた場所で待っているレティアータ様レティアータ様憧れの人淑女の顔変わらない笑顔を見ながら、持っていた果実水を王太子にぶっかけなかった自分を褒めて欲しい、と私は内心で呟いた。



 ◇ ◇ ◇


 私、ココノ・ヒースは元平民の子爵令嬢である。

『元』とつくのは庶子として平民暮らししていたのを本当の(血縁上の)父親であるヒース子爵に引き取られたからだ。跡取りを失ったと泣きながら私を引き取らせてくれと母に縋る実父。その姿は素晴らしいほど大根役者だったが、母もそんな父に最初の種を蒔かれたような女なので大概目が曇っている所がある。私自身貴族になんてなりたいと思ったことはなかったが、母はそれが私の幸せに繋がると信じて疑わなかった。何故だ。本人の意思を尊重しろ。幸せにしてやってね、と可愛いはずの一人娘を差し出す母。教会の日曜学校の過程を終えたら手に職をつけて、いつか母とケーキ屋さんをやりたい、と思っていた私の可愛らしい夢はそこで潰えたのだった。

 という訳で、私は今不本意ながらヒース子爵令嬢をしている。正直、母の男に弱い所を目撃した衝撃と犬猫のように差し出されてしまったショックが響いて元の家に帰りたいとも思えないので、今後これ以上心が折れたら修道院に行く予定である。

 さて、そんな私の生活だが、子爵家に引き取られたからといってその日からキラッと素敵な貴族暮らし、とはいかなかった。むしろその逆だ。実父は仕事で帰宅出来ないほどに忙殺されており、引き取って来て早々に無責任にも私の世話を義母に丸投げしやがったのだ。どうしてそんな状態なのに私を引き取ろうと思ったのか。

 家に着く。私と義母を引き合わせて三人で挨拶をする。そして仕事に戻る。実父、屋敷の滞在時間半刻ほどで消えました。ねぇ、跡取りってこんな扱いでいいの?

 結果、継子が来たのが面白くない子爵夫人の義母がやらかしてくれました。放置プレイです。義母は私に関する事をなーーーんも、しませんでした。

 私の部屋だと言われた場所は埃まみれの屋根裏部屋。侍女無し。食事無し。灯りすら無し。服は自分で持ってきたお仕着せとどっこいのワンピースのみ。使用人に話し掛けると、多分義母が怖いんだろうね。みんなそそくさと逃げていく。水すら貰えなくて、屋敷の裏の井戸まで行ったよ。なんだよこの家。

 この時点で、元々赤の他人である義母への信頼度はゼロを通り越して地面にめり込んだ。そうこうしているうちに夜が更けてしまったので、仕方がないと溜息をつきながら持ってきたクッキーを鞄から出して齧ったあと、埃臭い布団でとっとと休んだのが初日のことである。

 しかしまあ、こんな絵に書いたような古臭い虐め、する人いるんだな。お嬢さん育ちなら何も出来ずにメソメソ泣いてしまうんだろうな。なんて思いつつ、こちとら立派な雑草育ちなので大体のことは自分で出来る。

 義母は初日の挨拶の別れ際に「屋敷では自由に過ごしてね」とか言っていた。多分あれは嫌味だろうが、その場には何人も使用人がいたので言質としてはバッチリ。私は言われた通り、翌日から張り切って『屋敷で自由に過ごす』事にした。

 朝日が昇るのに合わせて起き出し、身支度をしてから音のする厨房に突入。戦々恐々とこちらを見ている料理人に笑顔を振りまきつつ、勝手にパントリーを漁って果物やパンで腹拵えをする。

 お腹を満たして屋根裏部屋に戻ると、持ってきた中で一番粗末なワンピースを着て、落ちていた薄汚れた布切れをエプロン代わりに腰に巻き、腕を捲る。なにはともあれとまずは屋根裏部屋の大掃除を行った。適度に部屋が綺麗になり自分が煤けて汚れてきた辺りでそれを終わらせると、今度は案内してもらえなかった屋敷の中を勝手に散策だ。今後住む(予定の)家だし部屋を知っておいて損はないだろう。貴族のマナーなんて知らない残念な平民の子(義母の嫌味意訳)なので、勿論一切遠慮なんてしない。義母の声がする部屋以外は全部開けて回って屋敷の中を確認し、使用人の皆さんには丁寧にご挨拶した。皆困惑した表情で隅に行ってヒソヒソ話をしてるけど、そんなん知らん。

 途中で見つけた箒を片手に、ステップを踏みながら屋敷から出て表の門まで向かう。即興の『義母に虐められる継子の歌』を歌いながら、丁寧に時間をかけて門の内側をお掃除してあげた。

 陽気に垂れ流される歌の内容で、ヒース子爵家に突然現れた謎の少女の素性もご近所さんに紹介出来ただろう。通りすがりの人達がちょこちょこと足を止めつつ見ていってくれたので、ある程度満足したところでその日は切り上げた。よし、日課にしよう。

『なんもしない』義母は何も知らないまま、私は襤褸を着て門の前で歌いながら掃除をする日々が一週間ほど経過した。

 今日も今日とて楽しく歌いながら掃除をしていると、家の前に猛スピードで走ってきた馬車が盛大な軋み音を響かせて止まり、凄い勢いで出てきた父が私を家の中に押し込んだ。家の使用人は皆一様に私の事に関して押し黙っていたので、私の仕事は義母の耳に入る前に別のルートから実父の耳に入ってしまったようだ。世間様から私につけられた渾名は『ヒース子爵家のシンデレラ』。逆に縁起いいかもね。いつか王子様と結婚出来るかな。人の噂は広まるのが早い、と言うけれど貴族界隈はかなり顕著なそうで。義母は実父にお叱りを受け、私はやっとこ普通の部屋と普通の食事と侍女と新しい洋服をご用意されたのだった。

 ちなみに、ヒース子爵家の跡取り問題についてだが、これまた悲しい事実が発掘された。父からは『お前の兄は病弱で、闘病生活も虚しく命を散らしてしまった』と涙ながらに聞かされていたのだが、実情は違っていた。

 門のお掃除中に近所の噂好きおばさんに聞いたところによると、正妻腹の一人息子だった異母兄は侍女をしていた男爵家の三女と恋仲になり、そのまま駆け落ちしたという。家格を考えると普通に一緒になれそうなものだが、異母兄がその侍女との関係を明かした途端に可愛い息子チャン一筋な義母からの激しいイビりがあったらしい。そりゃあ、そんな姑の所に嫁入りなんて嫌だよね。

 かくして愛し合う男女は手と手を取り合い嫉妬に狂う姑の元を後にしたのだとか。商才がずば抜けていた屋台骨の兄がいなくなり、実父の商会は今現在兄の抜けた穴のせいで炎上の真っ最中。実父がほぼ帰ってこない理由を理解した。原因、義母じゃん。

 跡継ぎ駆け落ち騒動の次の噂は子爵家のシンデレラである。近所で有名な鬼姑が鬼義母になったんだからそりゃあ噂も千里を走るというもの。帰ってきた実父がヤバめな顔色をしていたのは、疲労のせいだけではないだろう。というか、学があまりない私から控えめに言っても、義母はこの家を没落させたいとしか思えないのだが、実父よ、あの女を野放しにしておいて大丈夫か?せめて領地に送った方が良くないか?

 その後はプチプチとした継子虐めを綺麗にスルーして、そこそこ悪くはない生活が出来そうだ、と安堵していたのも束の間。義母はある日唐突に猫撫で声で「ココノちゃんはお年頃だし、国立学園に編入しましょうね?家のためにお見合い相手も探さなきゃいけないし、なんなら寮もあるから私たちにも気兼ねせず勉強できるわよ」とか言い出した。

 待て、私は教会の日曜学校で読み書きと計算の基礎を学んだ程度だぞ。先ずはこの家で家庭教師ガヴァネスを付けるって話はどこ行った。相談したくとも全く連絡の取れぬ父。

 平民上がりの礼儀もマナーも知らない14歳を、何の用意もなしにお貴族様ばかりの学校にやろうとする義母、本当に何を考えてんだ。我が家は既に割と悪い意味で有名なのに、不敬で家門お取り潰しの可能性まで盛り込んできたぞ。何しろ同年代には王族の方がいらっしゃる。

 そもそもヒース子爵家は、どう足掻いたところで狭い領地からの収入が限られている家だ。家の事を考えられる子爵夫人であるならば、父のやっている商会を潰さないようにと立ち回るべきなのに。取引先の子息や令嬢も通ってる学園に平凡平民の申し子のような私を入れるとか、どう考えても狂ってる。私がなにか粗相をして取引停止契約中止なんか起きても責任取れないよ。

 そして、正直真面目に考える。家の為だのお見合い相手だのと言われても、私は既に貴族界隈では醜聞としてシンデレラの二つ名を頂いてしまっており、関わってくれるまともな貴族子息がいるとは思えない。良いとこ『おもしれー女』枠だろう。そんな婿いらない、勘弁して欲しい。

 実母に子種を貰った以外はこの家には恩も縁もない。そして義母が鬱陶しい。そろそろ子爵家の存続の心配やめてもいいかなと思った私は、投げやりに学園への入学を承諾したのだった。学校がダメだったら、逃げればいいのだ。



 ◇ ◇ ◇



 学園は、実際通ってみると思いの外楽しかった。制服は可愛いし、裕福な商家の子や学者の家の子など、平民もちょいちょいだが在籍している。平民シンデレラは当然の如く、出来の悪い下級貴族の長男なんかがたむろしている最下級クラスからのスタートだった。

折角入ったからにはそこそこ頑張ろう、と思っていたある日のこと。私は中庭の四阿で運命の出会いをすることになる。

 そこにはこの国の王太子殿下の婚約者、レティアータ・マルシア公爵令嬢がひっそりと本を読む姿があった。ベンチに座り姿を風に任せる様はまるで絵画の女神のよう。白皙の肌に蜂蜜色のふわりとした髪、文字を追う淡い水色の瞳には長い睫毛が影を落としていた。淡いピンクの爪先がページをめくるその仕草さえ優雅で。儚げ美少女なレティアータ様に、私は一発で胸を撃ち抜かれた。

 その日から、私は(無害な)ストーカーと化した。レティアータ嬢を見たい一心で重なる選択授業を探し、所持品を真似し、所作を勉強し、教室や食堂では少し遠くの席からその麗しいお姿を毎日楽しむ。最上級クラスの彼女に少しでも近付こうと勉強も必死に頑張った。そうこうしているうちに、いつの間にか友人も出来ていた。『レティアータ様をお慕いする会』という、ストーカーの自分に比べたら全然ささやかな、レティアータ嬢に好意を寄せる普通の令嬢達である。

 幸いというか、最下位クラスの教材はおバカちゃんでも頑張れば這い上がれるような優しい梯子で出来ており、勉強初心者の私の滑り出しには最適だった。教師陣もやる気のある生徒にはちゃんと教えてくれる。授業内容も画一進行ではなく割と個人の進み具合に配慮し柔軟に対応してもらえた。貴族家門の特性ギフトというこの国の不思議な力にも初めて触れた。好奇心旺盛な性格と、様々な知識を得るのが単純に楽しかったのも良い方向に働き、私は学期末試験の度にクラスを上げていった。全てはレティアータ様の為に!

 いや本当、冷静にまたは客観的に考えると動機がアレなのだが、元平民の私の持論は自分が幸せならそれでいいじゃない、である。

 お貴族様のあれやこれやは、マナーの先生やダンスの先生に頼み込んで放課後までみっちりと勉強させて貰いました。残業させてすみません。残業代は義母にツケておいてください。

 放課後通いつめていた図書館でも、友人が出来た。最上級クラスのベルとアルという男子の双子だ。クレート公爵家の縁戚らしい。見目が良く、頭が回り、そしてイタズラ好きだった。意地の悪いイタズラはごく稀にどこかに仕掛けられ、引っかかる度に私は貴族令嬢ということを忘れて彼らを追いかけ回した。やられたら倍返しだ。親切な彼らは試験前には苦手科目を教えてくれることもあり、私はお返しにと手作りの菓子をこっそり振る舞った。買収ではない。気付いたら気の置けない友人になっていた。

 そんなわけで所作や素行は付け焼き刃ながらも、シンデレラが階段を駆け昇るように、私はほぼ最速とも言える期間で最上級クラスに進級した。

 ある日の授業前。私は平民上がりの庶子の下位貴族であるがゆえに、必然というかなんというか、成績を抜かされ面白くないと思うような性格をしてらっしゃる令嬢(か子息)から、地味なアレコレを受けている。今日も今日とて犯人は、早朝から私の授業用のプリントを窓から飛び立たせるという趣深いことをやって下さった。授業が始まるまでに拾い集めなければ、と階段を降り中庭に出る。何枚か拾ってみたが、予想以上に広範囲に散っていて面倒くさい。諦めて新しいの貰おうかな、と思った矢先に声が掛けられた。

「ヒース子爵令嬢、どうなさいましたの」

 聞き覚えのある声に恐る恐る振り返ると、麗しの女神、レティアータ様のお姿がそこにあった。淑女の表情を忘れて目を見張る。

「…授業で使うプリントを散らばしてしまって」

 女神の耳に多分無縁であろう『いじめ』という単語を入れたくなくて思わず言葉を濁してしまったが、聡明な彼女はすぐに状況を察したようだった。

「わたくしも一緒に拾いますわ」

「マルシア公爵令嬢にそんなことして頂くのは恐れ多いです! それにもうじき授業が始まってしまいますし!」

 顔色を青くしたり赤くしたりする私を見てクスリと微笑んだレティアータ様は、スカートを折り込むようにしゃがむとプリントを一枚拾った。

「学友が困っているのですもの、助けるのが当たり前でなくって? ヒース子爵令嬢」

 こちらに紙を差し出しながら、首を僅かに傾げるレティアータ様はあまりにも女神すぎた。推しに、認知されてる。最高。最高です神様。

「ありがとうございますぅううう!!!」

「ほら、早く拾ってしまいましょう。先生を困らせてしまうわ」

 一人より二人の方が早いわよと付け加え、歩き出したレティアータ様を見て慌てて私も紙片を拾い始める。全部のプリントを無事回収したのを確認したあと、教室に戻る道すがら、レティアータ様は楽しそうに私に話しかけてきた。

「わたくし、成績をあんな短期間にここまで上げた努力家のシンデレラさんにとても興味がありましたの。良ければ、お茶でもご一緒して下さらない?」

 淑女の仕草などすっかり忘れて全力で頷く私にまたクスリと笑い、レティアータ様は私たちの教室のドアを開けた。

 レティアータ様とのうふふアハハな学園生活は私にとっては薔薇色だった。けれど、気になることもある。彼女が時々物憂げに溜息をつくのは、交流を蔑ろにされている婚約者である王太子殿下のこと。そして、王太子殿下が侍らせているとある子爵令嬢のこと。

 大好きなレティアータ様の為になんとかしてあげたかったのだけれど、それは大丈夫と言外に言われてしまうと私は大きく動くことが出来ない。簡単な敵情視察と仕込みをするだけに留まった。

 そして辿り着いた卒業記念パーティーに話は戻る。



 ◇ ◇ ◇



「レティアータ・マルシア公爵令嬢! 平民上がりの令嬢を虐めるその性根、私の婚約者としては失格だ! お前との婚約は破棄させてもらう!」

 レティアータ様になにか飲み物を、と離れた隙にうっかりやられてしまった。自信満々に胸を張り、レティアータ様に指を突きつける無能なエルドレッド王太子殿下。騒ぎが始まったために人が引き、王太子殿下と例の令嬢(と側近候補)と、レティアータ様の周りにぽっかりと空白が出来る。あ、まずいな。なるべく近付いとこ。

「殿下の仰っている事が分かりません。虐めとは、一体何のことでしょうか」

 口元を扇子で覆い、怪訝そうにレティアータ様が返答すると、王太子殿下は傍らの令嬢の腰に手を回し、攻撃的な笑みを唇に乗せた。

「言葉の通りだ。庶子から家に養女とされた、このリリス・ジューク子爵令嬢や、ココノ・ヒース子爵令嬢を元平民だからと見下すだけに留まらず、虐めを働いていたそうだな! 悋気に任せてそのようなことをする女、国母としては相応しくない! 私の婚約者はリリスに改めさせてもらう!」

 そうだ、リリスとかいう名前だった、あの女。いつだったかに同じ元平民同士仲良くしてね!と言われたが、引き取られた時期も違うし同じ子爵家でも家の規模も性質も違う。そんな所で仲間意識持たれても困るわ、としか思わなかった。言われたタイミングも私が最下位クラスにいた時だ。クラスを抜かしてからは殆ど交流はない。正直見下されていたと思う。どうして私に関わってくる女は義母にしろこのリリス嬢にしろ、みんな行動が軽率なんだ。今もリリス嬢は婚約者のいる王太子殿下にべっとりくっついてるが、公的な場所であんなこと出来る女は平民でもなかなか見ないよ。逸材だよ。

「虐めなど、記憶にございません。マルシア家の名に誓って、そのようなことやっておりませんわ」

 キッパリと否定したレティアータ様に、王太子殿下は認めないのか!と声を荒らげる。横のリリス嬢が私に気付いてパッと顔を輝かせた。悪い予感。

「生き証人がそこにいるわ、ココノ・ヒース子爵令嬢! 前へどうぞ!」

 名指しされては仕方ない。私は嫌そうな顔を隠さず、渋々と人の輪の中に進み出た。クラスメイトからの視線が痛い。

「レティアータ、お前が教室の机からヒース子爵令嬢の教科書を取り出して執拗に破いていたのを見た生徒がいるそうだ! 認めるか!?」

 王太子殿下によって高らかに挙げられた悪事、周囲は皆それを否定すると当たり前のように信じていた。が、まさかの返答が返る。

「ええ、破きましたわ!」

 一斉に生徒たちがざわつき始め、場が騒然となる。あちゃー、と思いながら私はレティアータ様の横まで歩みを進めた。飲み物を取りに行った帰りのため両手に果実水なので、とても体裁が悪い。しかしこんな場でレティアータ様にお渡しする訳にも行かない。

「あの日、わたくしとした事が教科書をどこかに置き忘れてしまいましたの。ココノ嬢の教科書を一時いっときお借りしようと開いたのです。そうしましたら! 平民を馬鹿にするような品性下劣な落書きがありましたのよ! しかも何枚も! ココノ様の目に入る前に全て破いて差し上げましたわ!」

 淑女の仮面を忘れて憤慨するお姿はまさに苛烈である。そして天然だ。元々正義感が強い方なのだ。私のために怒ってくれてるその姿、まじで尊い。

「あー、ごほん。それはレティ様が図書館に教科書をお忘れになった日のことですね。ちなみにその後なんですが、私は新しい教科書をちゃんと頂きましたよ。それと共に、レティ様と教科書を交換して使う提案を頂きました。マルシア公爵令嬢のサインが入った教科書に仇なす者は、流石におりませんでしたね。最高のいたずら防止策でしょう?」

 苦笑混じりに私が補足する。しかし、そんなに沢山落書きあったのか…。こええな、平民イジメ。こちらとしては証拠保全に努めて欲しかった気もしないでもないが。

 うぐ、と言葉に詰まった王太子殿下にレティアータ様が冷ややかな目線を送る。が、彼の人はまだめげないらしい。

「学園主催のパーティーで、ヒース子爵令嬢のドレスに白ワインを掛けただろう! それに関しては目撃者が何人もいるからな!」

「ええ、ええ。わたくし確かにココノ嬢のドレスに白ワインを掛けましたわ! 不逞の輩がココノ嬢のドレスの後身頃に赤ワインを点々と零して嘲笑っているのを目撃してしまいましたからね! あれはココノ嬢のお母様から譲られたドレスをリメイクした、大事な一着でしたもの。ワインのシミが残っては一大事でしょう! 殿下、そういう場合の対処法をご存知でして?」

 熱くなるレティアータ様に反して私は冷静である。レティアータ様の発言の穴を埋めて淡々と補足を付け加える。

「赤ワインを零した時は直ぐにたっぷりの白ワインで薄めて、それから水で濯ぐんです。そうするとシミになりづらいと、私はその時初めて知りました。未成年の平民だったのでワインなんて縁がありませんでしたからね。私だけだったらきっとどうにも出来なかったでしょう。レティ様が博識なおかげでドレスは無事に綺麗になりました」

 怒りか羞恥か分からないが、王太子殿下は微妙に震えている。隣の女も微妙に顔色が悪い。そろそろやめてくれないかなあ。あ、なんか紙めくってる。これまだ続きそう。

「廊下でココノ嬢を冷たい声で詰り貶して、辱めていたこともあったそうだな?」

「キツい言葉を掛けたことはありますわ! あの時はココノ嬢から『日常のちょっとした仕草から言葉まで矯正したい、普通に指摘されるのでは効き目がないので姑のようにキツめの言い方で』とお願いされていたのです! わたくしシュウトメノヨウナイイカタ、というもの不慣れで苦労しましたが、短期間で見違えるように所作もお話も美しくなられましたわ!」

「私、出身が出身なものでなかなか貴族らしさが身につかなくてですね。日常だと特に頭からすっぽ抜けがちなので、レティ様に指摘して頂けないかお願いしたのですよ。心に刺さる言葉でとお願いしたのは、その方が頭に残るからです。罵倒はご褒美なので。ですけど、レティ様は鬼姑のような言葉って馴染みがなかったのか、言う時めちゃくちゃ大根役者で可愛かったですよ」

 罵倒はご褒美。うっかり余計なことを言ってしまった気がするが、目の前の馬鹿殿下と阿呆女はその辺は聞き流したらしい。そしてまだ続ける。殿下、これ負け戦だよ!そろそろやめといたほうがいいよ!

「ヒース子爵令嬢の制服に難癖をつけ足止めし、スカートを血で染めて大声で呪ったとも聞いたぞ!」

 すると、先程までの勢いを無くしたレティアータ様は少し顔色を悪くして申し訳なさそうに話し始めた。

「血で汚してしまったのは、確かに申し訳なく思っておりますのよ、わたくしも…。ココノ嬢のスカートの裾上げが解けかけているのを直させて貰おうとしたのですけれど…。あの、わたくし完璧令嬢などと呼ばれておりますが、裁縫に関してだけは何をしても本当にダメダメで…」

 しゅん、としてしまったレティアータ様を励ますように私が援護を送る。その節は本当に申し訳なかったよ!

「ちょっとどころではなかったです、針が何度も指を刺しておりましたから。そりゃあ、スカートも血染めになりますって。レティ様が針仕事がダメだなんて知らずにお任せしてしまった私も悪いんですよ。あの時断って自分で繕っていればと後悔しています。『この指は呪われてますわ!』とレティ様は御自身の手をお嘆きになられていましたが、人間得手不得手があります。短所を必死に隠そうとするレティ様はもうそりゃあ可愛くて、むしろ前よりも好きになりましたね!」

 レティアータ様が顔を赤くし俯く横で私は彼女がいかに可愛らしいかを熱説する。まるで息のあった主従のようと、勝手に一人で喜びを感じている私。

「では、ヒース子爵令嬢がホールの階段から転げ落ちた時、気絶する前に最後に発した言葉がお前の名前だったのはなぜだ!?」

 あーッ!その事故の話出さないで!私の恥であり切腹モノな汚点なんです!あーあー、レティアータ様がめちゃくちゃおつらい顔してるじゃないですか!

「ほ、ホールの階段から!?!?! なんてこと! ココノ嬢は無事でしたの!?」

 無事じゃなかったらここにいませんって。と内心でツッコミを入れる。ドレスから靴のつま先を片方出して、見えるようにレティアータ様に声をかけた。

「レティ様、私幽霊じゃないですよ。ほら、ちゃんと足もありますよ。生きてるので安心して下さい」

「そ、そうですよね! すみません、取り乱しすぎましたわ!」

 隠していても仕方ないので内容をぶっちゃける。あまり本人には聞かせたくなかったよ、こんな話。よよよ。

「あの時はレティ様に頂いたガラス細工のネックレスが嬉しくて嬉しくて、気もそぞろになっていたために階段で足を踏み外してしまって。転げ落ちて最初に目に入ったのは粉々になったネックレスだったのですよ…。悲しいやら申し訳ないやら自決したいやらでレティ様のお名前が口をついたのです。まさかそれがダイイングメッセージ扱いされるなんて思いませんでした…恥ずかしい…」

 壊してしまってすみません、しかもそれを隠していてすみません、と私が沈痛な面持ちで謝ると、レティアータ様はハンカチを差し出してくれた。天使。いや、女神。ところでそろそろ両手にグラスがキツイんですが、どなたか引き取ってもらえませんかね。

 とか思っていたら、どこからか現れたベルとアルがグラスを持って行ってくれた。おかげでハンカチが受け取れた。サンキューフレンズ!グッジョブ!

「あなたが無事なのであれば、何も問題ありませんわ。プレゼントなんていくらでもお贈りできますもの。替えがないのはあなた自身だわ。ココノ嬢、わたくしあなたが無事でいてくれて良かったと、今心の底から思っておりますわ」

「レティ様ぁ~(泣)」

 ひしと抱き合う女生徒二人に、周囲からは麗しい友情だ、なんて素敵なご関係なの、とポツポツ誉めそやす言葉が呟かれる。もう誰も、レティアータ様が虐めをしていただなどと思っていないだろう。しかし、このままだと都合の悪い人が二人ほどいた。

「ちょっと! ココノ嬢は違ったかもしれないけど、あたしは虐められてたんだからね!?」

 大きな声で割り入ってきたのはリリス嬢だった。顔を真っ赤にして握り締めたこぶしが震えている。隣にいる王太子殿下は何を信じていいのか分からない、と言いたげな目でリリスと私たちとを交互に見ている。王太子殿下、仮にも未来の王様なんだからもうちょっとしっかりしてくれ。うちの国の未来が不安だぞ。リリスはレティアータ様をキッと睨んで騒ぎ出した。

「あんた、あたしの教科書も破いたでしょ!」

「それ自作自演だったわよね」

 ひょいとツッコミを入れる私をリリス嬢は一瞬「?」という顔で見たが、すぐにレティアータ様に向き直る。

「筆箱に悪戯されたりもしたわ!」

「それ、その時のクラスメイトの男子よ」

「机に落書きされてたのもあなたでしょ!?」

「それ、リリス嬢が粉かけた公爵子息の婚約者様ね」

「殿下に頂いた髪飾りを壊されたこともあるわ!」

「言い難いけど、それ殿下ご自身が…コホン…」

 キョトンとした顔のレティアータ様、動揺した顔のリリス嬢、そしてやや青ざめた王太子殿下。

「なによ! なによ、あんた、一体なんなのよ! なんでさっきから、見てもないのに犯人を決めつけてるのよ! 全部あたしに嫉妬したレティアータ公爵令嬢がやったんじゃないの!?」

 息も荒く私に食ってかかってきたリリス嬢に、私はわざとらしく肩を竦めてみせた。

「うちの家門の貴族特性ギフトよ。入学してすぐに発現したの。人の魔力にそれぞれ個人の色がついて見える、っていう大したことのないものだけどね」

 家門ごとの貴族特性ギフト、というのはその家門の血筋に発現する特殊な能力のことである。血の濃い薄いに関係なく素質があれば使えるようになるし、素質がなければ高貴な血筋でも使えない。高位貴族の血筋ほど有用で珍しい能力が出るという、魔法とも違う摩訶不思議な力だ。血筋に関わるものなので、叙爵したばかりの家や爵位を買った家にはその力は無い。平民になるとその次の代からは能力は消えるという。

 私の場合、意識すると人の魔力に色がついて見えるようになる。一人一人違う色で、物を触ったり体が触れた場所には魔力の残滓が残って見える。色で誰がどこに触れたか分かるというものだった。

「え、じゃあ、さっき犯人をズバズバ言ってたのって…」

 リリス嬢の顔が段々と青くなる。私は呆れた顔で殿下とリリス嬢を見据えた。

「そうよ、私の貴族特性ギフトで見たの。破かれた本、筆箱、机、髪飾り。それについてる魔力の残滓の色と、近くにいる人の魔力の色を見比べればわかるわ。教科書と筆箱の騒ぎの時は同じクラスだったわよね、私たち」

 にっこり笑って言ってやると、それで思い出したのかハッとした顔で口に手を当てる。それから、ゆっくりと後ろにいる人物に向かって振り返った。

「殿下…。あたしが殿下から貰った髪飾りを壊したの、殿下だったんですか…?どうして?」

 多分、レティアータ様に冤罪を被せるためだけではない。自分だけを頼って泣きついてくるリリス嬢が可愛いから、とかそんなような、仄暗く陰湿な理由だろう。その答えは王太子殿下の顔に書いてあった。思ってること簡単に顔に出ちゃうとへっぽこ感強まりますよ、と私は心の中だけで呟いた。

「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」

 静かになったホールに、レティアータ様の声だけが響く。もう、誰も王太子殿下に傾く者はいない。

「待ってくれ、レティ…」

「マルシア公爵令嬢、とお呼び下さい」

 レティアータ様に突き放された殿下は、はっとリリス嬢に顔を向ける。リリス嬢は一瞬のちに目線を地面に落とした。それを見て、ショックを受けた顔をする殿下。そっちはそっちで話し合いしてくれや。

 騒ぎを聞きつけた教師陣が場をおさめに入ってくる。項垂れた王太子殿下とリリス嬢は、側近候補達に抱えられて退場していった。どう処罰されるのやら、と思ったが、自分にはもう関係の無いことだと考えるのをやめた。

「ココノ」

 解散の流れになりつつあるパーティー会場、ふと名を呼ばれ振り返ると、レティアータ様が私のことを見つめていた。

「わたくしは…わたくしは、あなたという友を得たことを生涯誇りに思います」

 ずっとお友達でいてね。そう言って微笑んだレティアータ様に、私は頬を染め、はい、と返事を返したのだった。



 ◇ ◇ ◇



 貴族特性ギフトの発現により、私は残された魔力の残滓を辛うじて辿って、異母兄の居場所を特定するに至った。とても遠く長い道のりだった。実父は泣いて喜び、兄と約束をした。妻は領地の別邸に軟禁して二度と兄夫婦に近づかせないと。その後爵位や商会に関する事務的な内容を話し合って、二人は和解した。抱き合いお互いの名を呼ぶ親子の姿を見て、ほとんど家族として過ごしたことの無い私も、なんか少しうるっと来てしまった。本当に良かった。ドナドナになる義母はざまぁみろ。

 功労者である私には実父から暫くの時間の猶予と、今後を好きにする権利が与えられた。平民に戻るなら金銭面の援助はもちろんするし、貴族として嫁ぐならなんとしてでも良縁を探して持参金もちゃんとつける、とのこと。

 そんなことになりました、と私は久しぶりに筆を取りレティアータ様にお手紙を書いた。レティアータ様は婚約破棄騒動の翌日、留学生として我が国にお忍びで来ていた隣の国の王太子殿下のプロポーズを受け、縁談が纏まったばかりだった。

 隣の国ともなると距離があるね、しかも王族に嫁がれるからにはもうお会い出来る機会もないかもね。愛しい私の女神様。そう思って寂しい気持ちになっていた私は、翌日めちゃくちゃ豪華な馬車が家の前に止まったのを見て腰を抜かした。お迎えだという。私はどこへ連れていかれるんだ?精一杯のよそ行き姿で子犬のようにブルガク震えながら馬車に乗る。

 着いた先は度々お茶しにお邪魔したことのある、見慣れたマルシア公爵邸だった。出迎えてくれたのは着飾った天使であり女神でもあるレティアータ様と、あと何故ここにいるか分からない、見慣れた二人。最上位クラスでクラスメイトになった、図書館のイタズラ双子のベルとアルだった。

「やあ、ココノ嬢。今日も元気そうだね」

「待ってたよ。何だいその顔、ココノ」

「なんで二人がここに???」

 私の間抜け面を見て双子は声を揃えて笑った。

「ほら、ココノ嬢はやっぱりレティアータにしか興味がないんだよ!」

「レティアータ嬢の事が本当に好きなんだなあ」

「エイベル殿下、アラン殿下、あまりココノをいじめないでやってくださいまし!」

 レティアータ様のセリフに目を見張る。でんか?

 えっ? でんか?

「ふふ、可愛らしい顔してるわよ、ココノ」

 ぽかんと口を開けたままの私をレティアータ様が引っ張り、四人でサロンに移動する。椅子に座らされ、侍女がテーブルにティーセットを準備。目の前でトポポと淹れられた紅茶の湯気を見ながら、私はまだ思考が停止していた。『留学生』は確かに上位クラスに何人か居たが、この二人はそうではなかったはずだ。お忍びとは、そういう事か。

「クレート公爵家は母の実家なんだよ。この国の王宮に滞在するより居心地が良くてね。だからそこから学校に通ったんだ」

「王族として来ると国家間のしがらみもあるし、身分が護衛が安全が~って、やいのやいの煩いからさ~」

 ベルことエイベル殿下はにっこり王子様スマイルで理由を話して微笑む。アルことアラン殿下はイタズラが成功した時の顔をしていた。私はおずおずと二人に尋ねる。

「留学の、理由は?」

「初恋の人が幸せになれるか、見届けに来たんだ」

 エイベル殿下の素敵な笑顔からめちゃくちゃクサくて重いセリフが出た。しかし顔が整ってる方が言うと、威力がすごいね。説得力が全然違う。

「嘘つけ、兄貴未練タラッタラだったろ。なんならエルドレッドの不貞を突きつけて婚約解消させるつもりだったじゃん、結果的にアイツ勝手に自爆したけどさ」

「ふふ、おかげでレティが僕のものになったから、彼が見る目のない無能で得したな。パーティーではレティに瑕疵がつかなくて良かったよ、ココノ嬢には本当に感謝してる」

 エイベル殿下が笑うと、隣でレティアータ様がぽっと赤くなる。えっ、そういうこと!?!隣国の王太子殿下ってベルのこと!?!待って、在学中、私その人にめちゃくちゃ不敬を働いてた気がするよ!?!暴言暴行エトセトラ。ひぇぇ。

 顔色を悪くした私に、レティアータ様が大丈夫ですか?とおろおろする。そんな顔も可愛いです最高。鼻血出そう。

 ふと隣から腕が伸びてきて、馴れ馴れしく私の肩にアル…じゃない、アラン殿下がしがみついた。今までだったら鬱陶しいな!と邪険に払い除けていたのだが、身分を知ってしまった今は事情が違う。

「アルッ…アラ…ッ…ラン殿下…!」

 言葉がこんがらがる私に、アラン殿下はラン殿下って誰だよ、と大きく笑う。もういいじゃん、猫被らなくていいぜ、と唇をつつかれた。こちらを見つめる瞳が溢れそうな甘さで満ちている。

「おまえみたいな気が強いの、俺は好きだよ。家庭的だし、しっかりしてるし、何より俺と息が合う。なあココノ、レティアータ嬢と一緒に来ないか?」

 アラン殿下の言わんとしていることを理解した瞬間、私はボン、と赤くなった。レティアータ様一筋で来た私に、対男性の恋愛耐性なんてものは存在しない。急接近されてクラクラする頭を抱え、思いつく限りの彼に見合わない理由を並べた。

「いや、私庶子で元平民で、二人の前では全然淑女じゃなかったし、下位貴族で、何回も引っぱたいたり暴言も吐いたし、そもそも血筋が釣り合わないし礼儀も作法も知識も何もかも足りてないからですね…!」

 必死に言い募る私にアラン殿下は遠慮なく体重をかけてくる。あの!近い!近い!密着してる!可愛いですわねって、レティアータ様、それ誰のこと言ってらっしゃいます?

「元々おまえのことは気になってたんだよね。図書館でちょっかいかけ出してから、毎日ほんと楽しくってさ。やり返すまで諦めない根性ガッツとか、本当に半端ないし、向いてると思うんだ」

 ニヤニヤ笑うアラン殿下のお顔が近すぎる。ひとたび意識してしまうと、じゃれ慣れた友人という感情より男性に言い寄られる羞恥の方が上回った。今まで『気軽な男友達』という感覚で接していたので、いきなり男性だ王子様だと言われて恐れ多いと思わないわけがない。

「げっ、下賎な身ですゆえーッ!」

 悲鳴のような声を上げ、地面に這いつくばりそうになっている私を、レティアータ様とアラン殿下が全力で阻止している。許して頼む、土下座させてくれ。

「それな、一応調べたんだ。おまえの家系のこと。そうしたらおまえの母ちゃん、ウチの国の貴族だったわ」

「は?」

 思わず全力土下座を中止する。すっぽ抜けてひっくり返りそうになったレティアータ様は、エイベル殿下が華麗に抱き止めていた。くっ、絵になる!じゃなくて!

「ウチの国の元伯爵家の次女だってさ。父親が事業にも領地経営にも失敗しちまったせいで結局爵位返上して国を移った、ってとこまで調べた」

「そんなご都合いいことってあるますかー!?」

 私は頭を抱えた。子爵家で侍女をしていたのは元の身分があったからか。子爵のお手つきになった理由も多分そのせいだ。お金のある家の貴族になれば幸せになれるだろう、というのは楽観的思考からではなく、多分身の上に起きた事を踏まえての判断。性格や言動、母のことを見る目が変わる。そして、一言。

「あの、まさかとは思うんだけど」

「うん、会いに行って話した。娘さんを僕に下さいって言ったら喜ばれた」

「あーーー! 外堀埋められてるッ!!」

 王子と知る前だったら、目の前のニヤニヤ笑顔を容赦なく叩けたのに。ギリリと奥歯を噛み締めて睨みつけると、遠慮しなくていいのにと言われたので、私は遠慮せず予備動作をつけてその頭を叩いた。パッカーンといい音がした。

「イッテェ、いつもより強く叩いたな!? 俺の黄金の脳細胞幾つ殺したよ!?」

「許可が出ましたので! イタズラに割いてる分の脳細胞なら、いくらか間引いても問題ないでしょう!」

 言い合う私たちを、レティアータ様とエイベル殿下が笑いを噛み殺しながら見ている。ふと、レティアータ様が、優しい声で聞いてなかった話を告げてくる。

「ココノ、嫁ぐ時の爵位の事なら心配しないでいいわ。お父様が、あの婚約破棄から私を守って下さったココノに恩返しがしたいと仰っているの」

 あ、はい、子爵家からではなく一度公爵家に養子に入ってから隣国に嫁げって事ですね、ってここも外堀埋められてるーーーッ!

「いいじゃん、王太子妃ではないから学ぶことも多くないよ?気楽、気楽」

「全然気楽じゃないですよ! 王子妃でも十分責任あることいっぱいでしょう! 私頭平民ですよ!」

 二人でギャンギャンやっていると、エイベル殿下がスっと会話に入って来た。

「最下位クラスから上位クラスまで、あの短期間で上がるのは相当の努力と才能がないと無理だろう?ココノ嬢、君はちゃんと学校で実績を出してる。そんなに謙遜しないで」

 柔らかい笑みを見せるエイベル殿下は、やんちゃな双子のベルとは思えないほど落ち着いていた。諭すように言われて、胸にストンと落ちる。そうか、私ちゃんと頑張れてたのか。なんだか少し自分に自信がついた気がした。

 エイベル殿下がイタズラを考えついた時のような表情を浮かべてアラン殿下に視線をやり、それから私の顔を見る。

「まあ、これがココノ嬢にとっては王手チェックメイトになると思うんだけど、言っていいかな」

「はい?」

「アランと結婚したら、レティアータは君のお姉さまだ」

「アラン殿下、結婚しましょう」

 手のひらを返して即落ちした私に、レティアータ様が苦笑を、エイベル殿下が爆笑を、アラン殿下が悔しそうな呻きを漏らしたのだった。



 ◇ ◇ ◇



 翌年。隣の国の双子の王子が同時に結婚式を挙げた。王太子である第一王子と補佐の第二王子はとても仲が良く、そのそれぞれの妃も親密な関係だった。第二王子の妃はとても勤勉で努力家であり、当時を知る者は『シンデレラは王子様と結婚できたのね』と噂しているとの事。
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みんなの感想(1件)

ちえさん
2022.12.27 ちえさん

テンポの良さとか、とても好きになりました。
どこかで、他の作品ないかな。
探しにいこう。

解除
1 / 5

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