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第10話 慎ましやかなお妃様ね
しおりを挟む婚礼衣装を着たからといって、愛が燃え始めることはなかった。
どんな高価なアメジストよりも赤く、どんな遠い場所からに見える煌星のように輝く恋の炎が二人の心臓に灯され、互いを真剣な眼差しで見つめ合う、なんて。
現に、彼の瞳は恋をしている人間の瞳には見えなかった。それはフレイアも同じである。何かおとぎ話でも期待していたのだろうか。これが恋なんだわ、ともならず、フレイアは義務的に誓いの口付けを受け入れた。何か柔らかなものが触れるだけの口付けである。
やはり、どこかぎこちない二人であったがロスカは臣下に言われた通り、自身の腕に添えられたフレイアの手を反対の手で握った。
まさか、誰かにアドバイスされていたなんて、彼女は夢にも思うまい。
「大丈夫だ。俺も緊張してる」
本当?と思わず口が動く。
声が出ないのに、時折こうしてしまうのは、自分の声がもう直ぐ出ると言うことなのだろうか。それとも、声を出していた時間が長かったから染み付いているのだろうか。わからない。ウェディングアイルを歩き出すところでロスカは言い当ててみせた。
「本当に」
下がり切らなかったフレイアの目尻がようやく、緩やかに下がった。
2人は少ない列席者の祝福の拍手を受けながら大聖堂の外へと向かう。外に出たら訪れるであろう、わずかな民に手を振り馬車に乗り込めば良い。これで2人は晴れて夫婦である。
しかし、その予想は覆されてしまった。予想以上に多くの民が大聖堂の前に集まっていたのだ。
財政的な事情で華やかな挙式は出来ないし、炎帝の置き土産である民からの反感はまだ無くなっていない。人の注目を浴びる式典になるとは思えなかったのである。なのに、それがどうだろうか。目の前には予想よりも多くの民がフレイアのことを見つめているではないか。
あの時と同じだ。輿入れの日に使用人にじっと見つめられたのと。
だが数はその倍以上である。多くの人間が彼女とロスカの一挙一動に注目している、フレイアは恐ろしくなった。もっと真面目に授業を受けていれば、聞いていれば、機転の聞く淑女にでもなれたのだろうか。数多の瞳を眺めながら、そんな後悔が頭を巡ったが既に手遅れである。
フレイアは気が動転したまま、手を振らずにドレスの下で膝を折っては深く頭を垂らしてしまった。
これが妃として最適なのかはわからない。ざわざわとしていた民は静かになり、白銀の世界に咲いた季節外れの花に釘付けになった。
ロスカも民のように驚いたが、彼も伊達に苦しい日々を送ってきた訳ではない。フレイアと同じように深々と頭を垂れた。以前の国王とは違う、そう国民には思えただろう。
とは言っても、この後の事ははっきりと覚えていない。顔を上げて、馬車への短い道のりを懸命に歩いた事は覚えている。ウェディングアイルよりも短いのに、やけに長く感じられたのだ。ロスカに手を引かれる形で、馬車に乗り込んだ時にやっと、息が出来るようになった気がした。
芳しくない財政故、2人の婚姻の祝いも慎ましやかであった。
貴族を呼んで三日三晩踊り続け、飲んでは食べ続ける等は行えない。フレイアもそれには承諾していた。婚姻の儀を出来るだけでも十分だから、構わなかった。それに、これから衣食住を共にする城の人間と親交を深めた方が良いと思った。だから彼らにもいつもより少しだけ豪華な、食事が振る舞われた。
ロスカとフレイアは隣り合って座り、皆で食卓を囲んだ。
声の出ない妻に、夫であるロスカは献身的であった。彼女が他の者から声を掛けられれば、不便のないように彼女の意志を組んだり言葉を当てたりしてくれたのだ。ロスカもロスカで、誰かと話し込むことはせず、フレイアを一人ぼっちにしないように終始気にかけてくれた。
恋の炎はまだ燃えそうにないが、彼が夫で良かったかもしれない、とフレイアは考えながらサーモンスープを啜った。
「お妃様、初めてはお辛いかもしれないけど大丈夫よ」
パンを千切った所で、隣にいた侍女長に声をかけられる。
彼女のしっかりとした頬骨が赤く染まっているのは、葡萄酒のせいだろう。フレイアの母親よりも年上ではないだろうか。
そうだった、とフレイアは夜のことを思い出した。ああ、と目を瞑って左手を額に当ててみせる。声が出ないのは不便だったが、表情や手の動きで自分の気持ちを伝える事には慣れていた。忘れていたわ、と伝わったのか、心配だわ、と伝わったのかはわからない。でも、侍女長はふふ、と笑って、こう続けた。
「息は止めちゃいけません。呼吸を忘れないでください」
忘れてはいけない、呼吸は忘れてはいけない。
フレイアは食事を終え、湯浴みの間も寝化粧を整えている間も侍女長の言葉を頭の中で反芻し続けた。ロスカより先にベッドに潜った。マイト家のベッドよりも、分厚く柔らかであった。背の高い靴を履いて疲れていたフレイアは早く眠りたかったものの、そうはいかない。彼女はもう一人ではないのだ。少し遅れて、夫となったロスカが寝室へ入ってきた。
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