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第一部 インサイド

第12話 番犬 第二のデストラップ

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 残り時間――11時間19分

 残りデストラップ――12個

 残り生存者――12名     
  
 死亡者――1名 

 ――――――――――――――――


「ねえ、スオウ君、ここからだと花火がよく見えるよ」

 イツカは窓枠に頬杖して、花火を眺めている。さっきまでの緊張感が薄れてきたのか、その表情に少し明るさが戻っていた。

「ていうか、花火も気を付けた方がいいのかな?」

 普段だったら楽しめる花火も、さきほどのデストラップの件をどうしても忘れられずに、スオウはつい慎重になってしまう。

「えっ、花火って危ないの?」

 イツカが慌てた様子で窓際から離れようとする。

「違う、違う。そう思っただけで、実際のところは分からないから」

「そうなんだ。びっくりしちゃった」

「でも、スオウ君の言葉も一理あるかもしれないぞ」

 春元が鼻歌を止めて、スオウたちの方に顔を向けてきた。

「考えてもみろよ。花火なんて火薬で出来た危険物そのものなんだぜ。デストラップのネタとしては、これ以上ないくらい適しているだろう?」

「春元さん、まさか打ち上げ花火が窓を突き破ってくるなんてことないですよね?」

 自分で言い出しておきながら、春元にそう言われると、スオウはさらに心配になってきてしまった。

「いや、さすがにそこまではしないと思うが、とにかく気を抜かずにいることだな。なんだったら、みんなの気分をリラックスさせる為に、オレがとっておきの──」

「だから『エリムス』の曲は聞きませんよ」

 スオウは先回りして断った。

「少年、ツッコミが早すぎるぜ」

 春元が残念そうに首を振った。よほど『エリムス』というアイドルが好きなのだろう。

「もしも花火がこのホール内に飛び込んできそうだったら、そのときはこの無駄に大柄な男に、肉の壁になってもらえばいいだけのことよ」

 ヴァニラが春元のお腹を指先でツンツンとつつく。そのちょっとした仕草さえも、妙にセクシーに見える。

「おいおい、オレは真面目に注意しているんだぞ」

「本当に真面目な人間ならば、こんなときに地下アイドルの歌は口ずさまないでしょ」

「いや、だから『エリムス』は特別なアイドルでだな、曲も素晴らしくクオリティが高くて──」

 春元とヴァニラのふたりが、恋人同士にしかみえない雰囲気で言い合いを始めた、そのとき──。


『入園者の皆様に注意事項があります。打ち上げ花火は風の向きによって、大きくそれることがありますので、ご注意ください』


 イベント広場の方から、注意を呼びかける園内アナウンスが聞こえてきた。


 ――――――――――――――――


 入り口でひと悶着あったが、『ハローアニマルパーク』の中に入った4人は、とりあえず案内板に書かれていた順番通りに進んでいった。柵に囲まれたエリアに動物たちは一匹もいない。ただ芝生が広がっているだけである。その奥は木々が生い茂る林に繋がっていた。

「君のお目当ての動物がいなくて残念だったな」

 慧登は後方からついてくる美佳に声をかけた。美佳が首を小さく振って返す。前髪に隠れてしまって顔の表情は一切分からないが、それほど残念がっている様子には見えなかった。

「おっ、玲子ちゃん、向こうにイスがあるぜ。そこでゆっくり花火を見よう」

 進行方向に見えてきた切り株で作られたイスを指差して、ヒカリがうれしそうに走って行く。こちらはゲームそっちのけで、玲子のご機嫌をとるのに必死なようである。

「ひとりで急ぐと危険だぞ。デストラップの危険がないわけじゃないんだからな」

 慧登は一応忠告だけしておいた。ヒカリは確かに気に入らない人間ではあるが、目の前でデストラップに掛かってもらっては困る。今はチームで行動しているのだ。ひとりの人間のミスによって、他の人間が巻き込まれる可能性もなくはないのである。

「忘れたのかよ! 9時の閉園時間まで大丈夫だって言ったのはお前だろうが!」

 どうやら人の忠告を素直に聞く耳を持ち合わせていないらしい。

「ほら、ここならばジャマな木もないし、絶好の花火観覧ポイントだ。玲子ちゃん、早くおいでよ」

 ヒカリが振り返って、満面の笑みで玲子に手を振る。しかし、その直後に――。

「あ、イテッ!」

 気もそぞろになっていたのか、暗い足元に注意がいかなかったらしく、ヒカリがその場ででつまづいて、地面に盛大に転んだ。

「まったく本当に騒がしい男だな」

 慧登は仕方なくヒカリの元に早足で駆け寄って行った。

「クソっ! なんなんだよ!」

 相変わらず怒りの沸点が低いらしく、ヒカリがまた怒鳴っている。

「どうしたの? 何かにつまづいたの?」

 玲子がヒカリが転んだあたりの地面を見つめた。

「足のつま先に何かが引っかかったんだよ。もしかしたら、足を怪我したかもしれないよ。玲子ちゃん、看病してよ」

 ヒカリが下心丸出しの表情で玲子に訴える。

「──これが原因じゃない?」

 美佳がヒカリの懇願をたった一言でぶった切った。ヒカリが美佳に射るような視線を飛ばすが、美佳は気付いていないのか、手に持ったモノを慧登の方に見せてくる。

「なんだよ、それ?」

 慧登は美佳の手にしたモノを見つめた。

 それは木材をくり貫いて作られた文字であった。表面は泥で汚れているが、その形から見て、数字の『0』か、あるいはアルファベットの『O』みたいだった。

「看板か案内板に付いていたのが、取れて落ちちゃったんじゃないの? 数字の0ってことは、何かの価格の表示に使われていたのかもね。動物にあげるエサ代100円とか、よくあるでしょ? その0の部分が剥がれ落ちたとかかな?」

 玲子が的確な指摘をしてみせた。

「そうだよ。きっとそうに違いないよ。さすが玲子ちゃん。頭の回転が速いな」

 足の痛みのことなど忘れたのか、それとも最初から怪我などしていなかったのか、ヒカリが玲子の意見にすぐに飛びつく。

「どうせもう必要ねえんだから、こんなもんは投げちまえばいいんだよ」

 ヒカリは美佳の手から乱暴に木のオブジェを奪うと、木々が生い茂る林に向かって投げてしまった。

「よし、これで転んだことは忘れよう。さあ、花火の観覧に移ろうぜ。早くしないと花火が終わっちゃうからな」

 ヒカリのご陽気な声に返事をしたのは、残念ながら玲子ではなく、別の生き物であった。


 ガグルルルゥゥゥゥゥゥ。


 威嚇するような低い吠え声。

「えっ? なんだよ……今の声は……?」

 途端に怯え声を漏らすヒカリ。これ以上ないくらい分かりやすい性格である。

「動物の声みたいだな。それもどうやら、えらく機嫌が悪いみたいだぜ」

 言わなくてもいいことを敢えて付け加えて慧登は教えてやった。

「お、お、おい……だって、ここに動物はいないはずだろう?」

 ヒカリはすでに逃げ腰になっている。


 ガウグググゥゥゥゥ。


 また例の声が聞こえてきた。きほどよりも獰猛さが増している。

「この声って、さっきお前が木のオブジェを投げたあたりから聞こえてくるぞ。向こうで寝ていた何かに木がぶつかって、そいつを起こしたんじゃないのか?」

 慧登は視線を暗がりの木々の間に注意深く向けた。気配は確かに感じるが、鬱蒼とした木々のせいで何も見えない。

「はあ? それじゃ、俺のせいだっていうのかよ!」

「じゃあ、誰のせいだって言うんだよ?」

「そんなの……こんな場所に来ようって言った、そのネクラ女のせいに決まっているじゃねえか!」

 ヒカリが責任を美佳に押し付ける。

「はあ? 皆の意見でここに来るって決めたんだろうが。この子だけのせいじゃないだろう。そもそも命を懸けたゲームをしている最中にも関わらず、浮かれているからこうなるんだよ!」

「誰が浮かれているって? 人のこと言う前に、お前はどうなんだよ!」

「…………」

 ヒカリにそう言われてしまうと、慧登としても答えに詰まるしかなった。慧登自身、玲子のそばにいるだけで気分が高揚していたのだから。

「ねえ、今は言い合いなんかしている場合じゃないでしょ!」

 玲子の声を聞いて、慧登とヒカリは口論を止めた。

「何の声かは分からないけど、早くここから離れたほうがいいんじゃ──」

 だが、玲子の言葉は最後まで続かなかった。

 前方の暗がりから、のっそりと姿を見せた『モノ』がいたのだ。

 真っ黒な子牛ほどの大きさがある犬。首輪をしていないところを見ると野良犬らしい。肋骨が浮き出た脇腹に、口元からダラダラと滴る涎。明らかに腹を空かしているのだ。しかも眠りから起こされて怒っている。これ以上ないくらい危険な状態の獣だった。

「これって……まさかデストラップなの……?」

 いつのまにか慧登とヒカリの背後に隠れた玲子が、恐る恐る野良犬の方に目を向ける。

「じょ、じょ、冗談だろう? こんなデストラップありかよ……」

 ヒカリの声はすでに震えてしまっている。

「待てよ。これが本当にデストラップなら、どこかに『前兆』があったはずだろう?」

 慧登は野良犬から目をそらすことなく、頭の中で高速で考えを巡らす。


 動物のいない動物広場。『ハローアニマルパーク』という名称。案内板に描かれた動物の絵。つまずいたヒカリ。美佳が差し出した木材のオブジェ。数字の『0』か、アルファベットの『O』の形………………………。


 そのとき、慧登の脳がひとつの解答を導き出した。


 そうか、あれだったんだ! あの『木のオブジェ』がデストラップの『前兆』だったんだ!


 慧登は確信した。

「番犬だよ。この犬は番犬なんだよ!」

「えっ、番犬って、どう見てもただの野良犬でしょ?」

 玲子の言葉に、慧登は大きく首を横に振って否定した。

「番犬といっても、こいつはただの番犬じゃないんだよ」

「どういうことなの?」

「ここの名前を覚えているかい?」

「──『ハローアニマルパーク』」

 玲子ではなく、美佳がぼそっと答えた。

「そうだよ。『ハローアニマルパーク』さ! そして、ここの地面に落ちていたのが、アルファベットの『O』の形をした木のオブジェだ!」

「えっ? それがどうしたの? あたしには分かんないんだけど……」

 玲子がしきりに首をかしげる。

「簡単な中学英語だよ。ハローから『O』を取ったら、どうなる?」

「ハローから『O』って……」

「──クソがっ! そういうことかよ!」

 玲子よりも先に、ヒカリがいち早く答えにたどり着いた。右足のつま先で、地面を忌々しそうに蹴りつける。

「H・E・L・L・O──ハローから『O』を取ったら、残りはH・E・L・L──『ヘル』──つまり『地獄』ってことなんだ!」

 慧登は早口で説明した。

「地獄って……そんな……」

 地獄という言葉の絶望的な響きに、玲子の顔が一瞬で蒼ざめていく。

「要するに、ここは子供たちが遊びに来るような『ハローアニマルパーク』じゃなくて、『ヘルアニマルパーク』──『地獄の動物公園』ってことさ。そして、地獄にいる動物といったら、地獄の番犬──」

 慧登の言葉の続きを美佳が受け取った。

「──ケルベロス」

 美佳の冷静な声に、慧登は大きく一度うなずいた。
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