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第一部 インサイド

第17話 惨劇の巨人、あるいは巨人殺し 第三の犠牲者

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 残り時間――10時間06分

 残りデストラップ――10個

 残り生存者――11名     
  
 死亡者――2名 

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 スオウの視界の先に、煌びやかなイルミネーションで彩られたアトラクション群が見えてきた。

 メルヘンチックなBGMとともに馬と馬車が上下しながら回るメリーゴーラウンド。ダンスをしているように華麗に動くコーヒーカップ。モクモクと煙突から煙を出しながら走るミニSL。遊園地のシンボルマークになっている見上げるほど巨大な観覧車。小さな子供でも乗れるファミリー向けのアトラクション群である。

 さらには、数十メートル近い高さから一気に落下するフリーフォール。ワイヤーに吊り下げられたブランコが高速で空中を回る回転ブランコ。大きな船が左右に行ったり来たりするフライング・パイレーツ 。そして、遊園地の乗り物では人気ナンバー1であろうジェットコースター。こちらは絶叫系と呼ばれるアトラクション群である。

 自分が危険なゲームに参加していることをうっかり忘れてしまうくらい華やかな景色であった。

「まだ妹が元気な頃に、このでっかい観覧車に一緒に乗ったんだよなあ」

 スオウは昔を思い出して、誰に言うでもなく感傷的につぶやいた。

 ちょうど自転車が観覧車の横を通過していく。

「あれ? なんだ? この観覧車、もう乗れないんだ……」

 観覧車乗り場には、工事現場などでよく見かける黄色と黒のロープが張られており、中に入ることが出来なくなっていた。すぐ近くに大きな立て看板が設置されていて、『老朽化の為、現在閉鎖中です』という注意書きが書かれていた。

「そういえば紫人が最初に言ってな。老朽化と故障中のアトラクションがあるって。あれって観覧車のことだったのか」

 少しだけ残念な気分になった。もちろん観覧車が稼動していたとしても、乗って楽しむつもりはなかったが。

「この先の坂を上ったところに、迷子センターがあるみたいだよ」

 隣から話し掛けられた。ナビ役のイツカが指示を出してくれたのだ。

「──あ、うん……分かった」

 イツカの声を聞いたスオウは淡い思い出をいったん胸の奥に仕舞うと、気を引き締め直した。今はこのゲームに集中しないとならない。ここまで何事も無く走ってこられたが、この先に危険がないとは言い切れないのだ。

「ヴァニラさん、あと少しだから頑張ってくださいよ」

 後ろに乗るヴァニラに声を掛けた。

「オッケー、スオウ君。頑張って漕ぐから」

「おいおい、平気でウソをつくなよ。さっきから足を一切動かしてないだろうが! オレの方のペダルがやたら重たいのはきっとそのせいだな」

「あのね、無駄な運動をすると、アタシのキレイな足が太くなっちゃうでしょ!」

「たしかにそれ以上太くなったら、大根足が丸太足になっちま──あ、痛っ! オレの足を蹴るなよ!」

 どうやら後ろの席で、何がしかの戦いが行われているみたいだった。

「2人とも、ちゃんと周りに注意の目を光らせておいてくださいよ! どこでデストラップの前兆が起こるか分からないんですからね!」

 自分が観覧車を見て気が散っていたことは棚に上げて、後ろの2人に注意を飛ばすスオウだった。


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 何かに急き立てられるようにして平岩は『ミニチュア王国』内を走るが、その歩みは早歩きとほとんど変わらなかった。高齢の平岩にしてみれば、これでも全速力で走っているのだが、いかんせん、寄る年波には勝てず、これ以上のスピードを出すことは出来なかった。

 足だけを必死に動かしていたわけではない。頭もフル回転させて、デストラップの前兆を読み解こうと考えていた。前兆の意味しているものが分かれば、デストラップを回避出来る確率は飛躍的にあがるのだ。


『天安門』、『ピラミッド』、『ポンペイ』、『ワールドトレードセンター』……。これらに共通しているものはいったい──。


 頭の中でそれらの建築物を思い浮かべてみた。まずは一番形が分かりやすいピラミッド。言うまでもなく、巨大な石を積み重ねて作られたエジプトにある遺跡である。次に天安門をイメージする。天安門は紫禁城に作られた豪華な城門だったはずだ。ポンペイは名前だけは聞いた覚えがあるが、どんな建築物だったか思い出せなかった。そして、最後に残ったワールドトレードセンターは、平岩の頭の中で一番鮮明に記憶が残っていた。今でも超高層のツインタワーをはっきりと脳裏に思い浮かべることが出来る。

 そこまで考えたところで、ふと疑問がわいた。


 どうして『ワールドトレードセンター』のことだけは、こんなにもしっかりとわしの記憶に残っているんだ?


 次の瞬間、平岩の背筋にゾワリと寒気が走り抜けた。

「──いや、そんなの考えるまでもなかった……。『ワールドトレードセンター』といったら……あの大惨事が起こったところじゃないか!」

 平岩は十数年前にテレビで見た、ツインタワーに激突する飛行機の映像をはっきりと思いだした。

「そうか! だからわしは鮮明にあのツインタワーのことを覚えていたんだ!」

 世界中を恐怖で包み込んだあの大惨事。何千人もの犠牲者が出たテロ事件。そこから始まった影響は、今もまだ『対テロ戦争』として続いている。

「だとしたら、は、は、早く、早く……こ、こ、ここから逃げ出さないと!」

 デストラップの前兆の一端を探り当てたことにより、心に大きな動揺が生まれた。そのせいか足元の注意がおろそかになっていた。

 平岩はミニチュアの周りに張られていたロープに足を引っ掛けてしまい、盛大に転んでしまったのである。

 平岩の体がロープを越えて、ミニチュアが設置されているゾーンに勢いよく倒れこむ。

「ぐ、ぐ、ぐぐぅ……」

 あまりの激痛に口から呻き声が漏れた。足を取られたせいで、そのままうつ伏せに倒れてしまい、膝、手、顎の三箇所をしたたかに打ち付けてしまったのである。

 幸い、倒れた場所がコンクリートではなかったので、骨折は免れたみたいだったが、痛みがまったく引かない。

 頭が朦朧としてくる……。

 視界が徐々に狭まってくる……。

 平岩の意識が混濁していく……。


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 現実と夢の狭間に落ち込んだ平岩の意識は、紫人に初めて出会ったときのことを思い返していた。

 平岩は定年まで真面目に働き続けた。定年後は退職金を使って、仕事をしていたときには出来なかった贅沢でもしようかと考えていた。妻と一緒に温泉旅行でも行こうかと計画していた。きっと妻も喜んでくれるはずだと思った。

 しかし、それらはすべて実現することがなかった。

 四十数年連れ添った妻が何を思ったのか、平岩が退職したその日に突然離婚届けを突きつけてきたのである。世間で言うところの『熟年離婚』というやつだ。

 もちろん、平岩は妻を懸命に説得した。しかし、妻は決して首を縦に振ってはくれなかった。あとで分かったことだが、妻ははじめから平岩の定年退職を期に離婚すると、もう何年も前から決めていたのである。

 子供がいなかった平岩は60歳にして、独り身になってしまった。

 そこから平岩の生活は荒れた。

 食事はもちろんのこと、家事全般の一切をやってこなかった為、家の中が日を追うごとに散らかり始めた。洗っていない汚れた洗濯物は床の上にそのまま置きっ放しになり、食事の後の食器はそのまま流し台に積み重なっていった。

 家の中で一番場所を取ったのがゴミだった。指定日に指定されたゴミを出さないといけないと初めて知ったのだが、そのルールを守るのが面倒になり、徐々にゴミを家の中に溜め込むようになった。家の中に置けなくなると、次に家の外へ置くようになった。たちまち庭がゴミでいっぱいになった。玄関先もゴミで溢れた。その頃から、平岩の家は近所で『ゴミ屋敷』と呼ばれるようになった。

 町内会の役員に、何度も掃除をするように言われた。平岩はすべて無視した。

 テレビのニュースで住宅街の迷惑な『ゴミ屋敷』として放送されたが、頑なに平岩は生活を改めようとはしなかった。

 周りの人間に対しては、まだ使える物が簡単に捨てられてしまう社会に警鐘を鳴らす為に、エコロジーとリサイクルを心がけていると言い続けた。自分は地球に優しい生活をしているに過ぎないと言い張った。

 無論、そんなのは詭弁に過ぎないことぐらい、平岩自身が一番よく分かっていた。あるいは、自分の生活を否定されるのが嫌で、意固地になっていたのかもしれない。

 そんなある日、弁護士がやってきた。期日までにゴミを片付けないと裁判に訴えると言ってきた。

 それでも平岩は何もしなかった。いや、何も出来なかったというのが正しかった。膨大な量のゴミを処理するには、莫大な費用が必要だったのだが、そのときにはもう平岩の貯金は尽きかけていたのである。

 弁護士が言った期日まであと少しというときになって、その男が現われた。


 死神の代理人──紫人である。


 紫人はゴミの処理費用と、さらには新しい生活の為の資金まで提供すると言ってきた。それにはあるゲームへの参加が絶対条件であった。

 もちろん、平岩はその場で即決した。


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 園内に走る道の脇に『ミニチュア王国』への案内標識が立っていた。ここから二百メートル先とある。

「あともう少しだから頑張ろう」

 慧登は隣を歩く玲子に声をかけた。

「うん……」

 玲子が言葉少なに答えた。まだまだ幸代の件が堪えているみたいだ。一方、ヒカリは相も変わらずスマホとにらめっこ中で、こちらの会話に加わってくる気配は無い。

「無理かもしれないけどさ、嫌なことは早く忘れた方がいいよ」

「うん……そうだね……」

 消沈している玲子が元気になるような言葉を掛けてあげたかったが、慧登が今まで蓄積してきた学力では、たいして良い言葉が思い付かなかった。結局、そのあとの言葉が見付からずに、お互い黙ってしまった。せっかくライバルであるヒカリの邪魔がないというのに、良い見せ場を作れない慧登だった。

「──あそこ」

 突然、美佳が道の先を指差した。

「えっ、お、お、おい! いきなり驚かさないでくれよ!」

 数十分振りに美佳が声を発したので、慧登はびっくりして立ち止まってしまった。この子にはどう対応したらよいか、今だに迷ってしまう。

「あそこって急に言われてもなあ……」

 仕方なく慧登は美佳の細い指が指し示す方に視線を向けた。『ミニチュア王国』があるあたりが、なぜかひと際明るく照らし出されていた。

「あそこだけ強い照明が使われているのかな? 君はあの明るさが気になるのか?」

 視線を先に向けたまま慧登は訊いた。

「ん? ねえ、俺の声、聞いてる?」

 返事がないので視線を美佳の元に戻したが、そこに美佳の姿はもうなかった。慧登が立ち止まっている間に、美佳はさっさと前へと歩いて行ってしまったのである。

「やっぱり君とはどう接したらいいか分からないよ。スマホばかりイジッているやつも困るけど、上手くコミュニケーションがとれない人間も困るんだぜ」

 残念ながら、慧登のぼやきは誰の耳にも届かなかった。


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 このゲームに勝てば、新しい生活を始められる。そうだ、このゲームにさえ勝てばいいんだ。勝てば、勝てば、勝てば────。


 混濁していた平岩の意識が現実の世界に戻ってきた。すぐさま自分の置かれた状況を確認する。

 遊園地の『ミニチュア王国』でうつ伏せに倒れている自分。慌てて起き上がろうとしたが、なぜか出来なかった。両足にロープが絡まっていたのだ。その場で上半身だけ起こすと、手を足の方へと伸ばしてロープをほどこうとしたが、ロープの結び目はきつく複雑に絡まりあっており、びくともしなかった。

「こんな所にいつまでもいられないっていうのに……」

 平岩は頭の中でデストラップの前兆のことを思い返していた。ワールドトレードセンターのツインタワーから連想されるものは、まさに『死』以外の何物でもない。だから、少しでも早くその『死』から遠ざからないとならない。

「そういえば、ここは大丈夫なのか……?」

 自分の周りにあるミニチュアの建築物を確かめてみた。

 東京タワー、東京ドーム、レインボーブリッジなどの近代的な建築物。姫路城、熊本城、松本城などの有名な名城。清水寺、東大寺、薬師寺、厳島神社などの神社・仏閣。

 どうやら日本ゾーンで転んで倒れたらしい。一番身近な場所に設置されていたのは、黄金に輝く金閣寺であった。

「よし。とりあえず、この場所ならば大丈夫だろう」

 ワールドトレードセンターのような大惨事を連想させるものは見当たらなかったので、ほっと安堵した。

「そうだ。残りのデストラップの前兆についても、改めて考えないといけないかもしれないな」

 少しだけ気持ちが落ち着いたせいか、冷静に思考が出来るくらいだけの余裕が生まれた。

「まず『ピラミッド』は王家の墓のイメージから『死』を連想させるな。じゃあ、『天安門』はどうなんだ?」 

 平岩の脳裏にまたテレビのニュース映像が浮かび上がった。

「そうか、これもテレビのニュースで見たじゃないか。『天安門広場』で繰り広げられた民主化運動のデモと、軍隊による戦車を使っての武力弾圧。これも『死』を連想させるな。だとしたら、『ポンペイ』も何か『死』が絡んでいるはずだ」

 平岩はさらに頭を働かせる。

「『ポンペイ』、『ポンペイ』、『ポンペイ』……確か、大昔に学校で習った記憶があるんじゃが……土地の名前だったか……? それとも都市の名前だったか……? そうか、分かった! 思い出したぞ!」

 思わず声に出して叫んでいた。

「『ポンペイ』だけじゃなく、『ヴェスヴィオ火山』と一緒に考えれば良かったんじゃ! 『ヴェスヴィオ火山』の噴火によって、一夜にして壊滅した古代都市が『ポンペイ』だ。やはり、ここにも『死』が絡んでいる。つまり『天安門』、『ピラミッド』、『ポンペイ』、『ワールドトレードセンター』には近付くなというのが、前兆の答えとみていいだろう」

 デストラップの前兆の意味はすべて解き明かした。これでようやく本当に安心することが出来る。足に絡まったロープはなんとかしないとならないが、ひとまず落ち着こうと思った。

「わしの一番近くに光り輝く金閣寺があるっていうことは、わしが『金』を獲ることの前兆を意味しているのかもしれないな」

 そんな冗談を口にする余裕まで生まれた。まさに現金なものである。

「しかし、夜だというのに少し暑いな。それとも、年甲斐もなく『ミニチュア王国』を走ったせいか?」

 平岩は体が熱を帯びてくるのを感じた。


 いや……これは明らかに、なんだかおかしいぞ……? なんで、こんなに熱いんじゃ……?


 不意に違和感が生まれた。焦ったように周囲に警戒の視線を飛ばす。

「ここは安全な場所のはずだが……」

 すぐ近くに設置されている赤々と輝く金閣寺を、なんとはなしに見つめる。

「うん……? さっきと比べて随分と色が違うじゃないか……。金閣寺はこんなに赤々しくなかったはずじゃ……?」

 おかしいのは色だけではなかった。なぜか金閣寺の裏から白くたなびくものが見えたのである。それは煙だった。

「まさか……金閣寺が燃えているのか? だから熱いのか?」

 平岩は慌てて案内図を手に取ると、急いで金閣寺の説明部分をチェックした。

「やっぱりそうだ……」

 不安が的中した。案内図に書かれている金閣寺の番号もまた狂っていたのである。印刷ミスはもうひとつあったのだ!

「でも、金閣寺はテロにあったこともないし、自然災害にあったこともないし──あっ! 金閣寺といったら小説の……」

 平岩は学生時代に読んだ、難解な日本語で書かれた三島由紀夫の小説『金閣寺』を思い出した。その小説の元になったのが、見習い僧侶の手によって起きた金閣寺への放火事件である。


 金閣寺は放火により一度全焼しているのだ!


「まさか、ミニチュアの金閣寺が燃えるのが……デストラップなのか……? だったら、一秒でも早くここから逃げないと!」

 平岩は足にロープが絡まっていることも忘れ、急いで立ち上がろうとして、その場で尻餅をついてしまった。尾てい骨を打ったが、今は痛みを気にしている暇など無い。

「このままじゃ、焼け死ぬことになるぞ……」

 赤々とした炎が金閣寺全体を包み込もうとしていた。その炎の先には平岩の体がある。

「早くしないと、早くしないと、早くしないと……」

 死に物狂いで足を動かすが、もちろん、そんなことでロープが簡単にほどけるはずもなかった。

「くそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっ────」

 炎に照らされた平岩の顔には、もはや絶望しか浮かんでいなかった。

 やがて炎の舌先が平岩の衣服に到達した。そこから先は驚くほど速かった。平岩の全身がすぐに炎に包まれる。あたりに香ばしい肉の焼ける臭いが立ち込めていく。平岩が手に持っていたミニチュアの設置場所の番号が狂った案内図も燃えていく。


 そう、『番号』が『狂って』いたのである!


 『番狂わせ』という言葉がある。英語では『ジャイアントキリング』という。直訳すれば──『巨人殺し』。


 『ミニチュア王国』に迷い込んだ『巨人』は、こうして炎によって『殺される』ことになったのである。
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