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第二部 ジェノサイド

第26話 真夜中のカーレース

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 残り時間――6時間10分

 残りデストラップ――7個

 残り生存者――15名     
  
 死亡者――4名 

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「おーい! 二人とも大丈夫だったか?」

 少し離れた場所にいる春元がスオウたちのことを心配そうに見つめてきた。春元の背後にはヴァニラの姿がある。2人の様子を見る限り、どこか怪我をしている感じはなかった。

「ええ、おれたちの方は大丈夫です。それよりも春元さんたちの方こそ、大丈夫だったんですか?」

 スオウは質問を返した。春元たちが立っていたすぐ間近でイルミネーションの電気がショートしたのだ。電気だけではなく、あるいは破裂して飛んだイルミネーションの欠片で傷を負ったかもしれないと心配したのである。

「ああ、こっちも大丈夫だったぜ。とっさに身を守ったからな」

「アタシも平気よ。それよりも、あんたたち2人はいつまでそうやってくっついているつもりなの?」

 ヴァニラがスオウのことを意味深な目で見つめてきた。

「えっ? どういうことですか?」

「イルミネーションのデストラップは無くなったんだから、芝生の上を歩いても平気になったわけでしょ?」

 ヴァニラが芝生の上で軽快にジャンプをする。

「分かってますけど、それが何か……?」

「だって、いつまでもイツカちゃんを背負っているから、もしかしたら、イツカちゃんの体を放したくないのかと思ってね」

 そこまで言われて、ようやくスオウもヴァニラが言わんとしていることの真意に気が付いた。

「ち、ち、違います、違いますよ! 別にそんなやましいことは、これっぽっちも考えていませんからっ!」

 スオウは背負っていたイツカを慌てて芝生の上に降ろした。イルミネーションのデストラップの脅威が無くなった今、芝生の上は完全地帯になったのだ。しかし目の前で起きたデストラップの衝撃と、人数が増えたゲーム参加者のことで頭がいっぱいで、そのことをすっかり忘れていたのである。

「アタシたちの目は気にしなくてもいいのよ。だって青春時代って、そういうものでしょ!」

 ヴァニラが邪気のない笑顔を浮かべて冷やかす。

「今はちゃんとゲームに集中していますから、お気遣いなく」

「分かったわ。そういうことにしておくから。──それでイツカちゃんの胸のサイズは何カップか分かったの?」

「えっ……!」

「ちょ、ちょ、ちょっと……ヴァ、ヴァニラさん! もう、やめてください!」

 イツカが顔を真っ赤にしながらヴァニラに猛抗議をする。

「いいじゃない、そんなに怒らなくたって。男はみんな、女の子の胸に勝てないものなのよ。ちなみにだけど、アタシはFカップなんだけどね」

「そんなことは今聞いていませんから!」

 なぜかイツカが自分の胸元を隠すように慌てて腕を組む。

「え、え、Fカップって……」

「あら、スオウくんは興味が大有りみたいね」

「あっ、あの……いや、その……そんなことありませんから!」

 スオウはイツカの顔を見ながら、必死に両手を振って否定の態度を示す。

「ちょっとスオウくん。そんなに全力で否定されると、なんだかわたしの胸がすごく小さいみたいになっちゃうから……」

「い、い、いや、違うって……その、つまり……だから……」

「おいおい、いつまでお巫山戯をしているんだ」

 春元が呆れたように3人のことを見つめる。

「そ、そ、そうですよね……。今は大事なゲームの最中なんだから、無駄話はやめましょう!」

 これ幸いとばかりに、春元の言葉に飛びつくスオウだった。心の中でやれやれと一息つく。

「あの……ちょっといいですか?」

 会話が途切れたのを見計らったように口を開いたのは慧登だった。スオウたちよりも前に進んでいた慧登であったが、こちらの様子が気になったのか、玲子と美佳をその場に残して、スオウたちのいる場所まで戻ってきてくれたみたいだ。付け慣れていないのか、首もとから下げたネクタイの結びが大きく乱れている。

「君の言いたいことは分かってる。この男のことだろう?」

 春元が地面に横たわる男を手で示す。

「ええ、そうです……」

「この男の話では、君を追っているとのことだったが……」

「はい、その通りです。実は──」

 慧登が何やら込み入った話をしようとしたとき、遠くの方から大きな声が聞こえてきた。

「おい、こっちみたいだ!」

「よし、すぐに追いかけるぞ!」

 芝生広場に通じる一本道を、2人の男が走って来るのが見えた。

「どうやら詳しい話は後回しになりそうだな」

「──あの男達は死んだこの男の仲間です。そして、俺もあの連中の『仲間』だったんです……」

 意を決したように慧登が重い声で告白した。

「────」

 春元が何かを問い掛けるような目で慧登を見つめた。しかし、すぐに今の状況を思い出したのか、言葉を続ける。

「今はあいつらから離れることに専念しよう」

「すいません。俺のせいでこんなことになってしまって……」

「まだ詳しい事情が分からないから、謝るのならば、事情がすべて分かった後でいい。とにかく一旦、この芝生広場から出よう。やつらに追い付かれたら、君は困るんだろう?」

「はい……ちょっと、訳ありでして……」

 慧登が真っ直ぐな目で春元に答える。

「よし、君のその目を信じることにするよ」

「本当にすみません……」

「さあ、芝生広場を走り抜けるぞ!」

 春元の号令一下、スオウたちは一斉に走り出した。


 ――――――――――――――――


 2人の男たちは立石健二からの連絡をスマホで受けると、すぐに芝生広場に向かって走り出した。

 目的はふたつ。持ち逃げされた金の回収と、金を持ち逃げした男の確保である。その為の道具も準備してある。

 男のひとりは、右手にじゃらじゃらと音を立てるチェーンを握っていた。勢い良く振り回して相手の体に叩きつける武器である。使い方次第では、皮膚の一部をごっそりと剥ぎ取るほどの威力がある。

「おい、ひとり占めはナシだぜ」

 チェーンの男──土生勝也はぶかつやが隣を走る男に声を掛けた。

「分かってるさ。若頭補佐も言ってただろう。お互いに協力しろってな」
 
 もうひとりの男が早口で答える。こちらの男の名前は矢幡龍三やはたりゅうぞう

 2人ともに暴走族あがりの暴力団関係者である。もっともその身分は、今だに若頭補佐にいいようにこき使われているだけの下っ端扱いだった。この機会にちゃんと仕事をこなして、覚えをめでたくさせたかった。そして、正式な組員として組に迎えてもらうことを目指していた。その為ならば、武力行使することは厭わなかった。いや、解決を早めるためには、武力こそがモノを言うと考えていた。だからこそ、今の2人の顔には一抹の不安すら見えない。早く暴力的な行為をしたくて、ウズウズしている顔をしているぐらいだ。

「うまくいけば、オレたち2人そろって組入り出来そうだな」

 土生はチェーンをギリッと強く握り締めた。

「ああ、これでみじめな下っ端生活ともオサラバ出来そうだぜ」

 矢幡の目は獲物を狙う肉食動物のように、芝生広場に向けられている。そこに自分達のような肉食動物には敵わない、ただ食われるだけの不幸な草食動物がいるはずだ。

「オレは組に入ったら、背中に派手な墨でも入れるつもりだぜ」

「俺が墨を入れるとしたら、自分の名前から一字取って、龍の入れ墨を入れるかな」

「だったら俺は土生──ハブだから、蛇の柄だな」


 2人が下衆な会話を繰り広げている頃、2人のお仲間である立石健二はとっくの昔に、はるか遠くの地へと飛び立っていた。無論、そのことをこの2人は知らなかった。2人とも基本的に自分たちのことしか考えられない種類の人間なのだ。


 ――――――――――――――――


「あの光の輝きはいったい何だったんだ? あそこで何かが起きたのだけは確かだぞ!」

 興奮を抑えきれない声でヒカリは生配信を続けていた。視聴者数を表すカウントは、これまでで一番多かった。入金も絶え間なく続いている。

「おっと、メールが届いたみたいだ! 今から内容を確認するから、トークはちょっと休憩だ。みんな、そのまま待っててくれよな」

 ヒカリはスマホを操作をして、素早くメールの中身を確認する。

「──あいつからか…………」

 メールは紫人からのものだった。ゲーム退場者を通知する内容である。

「犠牲者が出たということは……。だとしたら、さっきのあの光の先に、ゲーム参加者の死体があるかもしれないな」

 生配信にのらないように小さな声でつぶやいた。

「いや、さすがにネットとはいえ、人の死体を映すわけにはいかねえか……」

 ヒカリが内心で葛藤していると、すぐ近くから足音が聞こえてきた。慌てて道沿いの垣根に身を潜める。

 凶暴な面構えをした2人の男が園内の道を走ってきた。さきほど芝生広場に向かって行った男と、明らかに同類と思われた。どう考えても、このあと荒事が起きる予感しかしない。


 これで、さらに燃料が追加されたみたいだな。


 ヒカリはそっとほくそ笑んだ。燃料──つまりトラブルやハプニングは、生配信を大いに盛り上げてくれる材料になるのだ。このチャンスをみすみす逃す手はなかった。むしろ積極的に活用すべきだった。


 これで視聴者数と入金額が一気に伸びるな!


 ヒカリは急き立てるような口調で生配信を再開した。

「また誰かがやって来たみたいだ! もしかしたら、あいつらもあの光の元に向かっているのか? これはますます光の正体が気になってきたぞ! 更なる波乱が起きそうな予感がしてきた! 今夜の生配信は本当に視聴者を飽きさせないな! よーし、こうなったら、あいつらの後を付いて行くしかないよな!」

 走って行く2人の男たちの背後から、ヒカリは気付かれないように尾行していく。

 この道の先に遺体が転がっていようと、もはや関係ない。重要なのは視聴者を引きつける為に、どれだけ凄い映像を撮れるかどうかなのだ。

 この瞬間、ヒカリは人としての境界線を一歩踏み越えていた。生配信に夢中の本人は、その重大な事実に気付くことはなかった。


 ――――――――――――――――


 スオウたち一行は、デストラップの脅威が無くなった芝生広場を走って横切っていった。体力的にも精神的にも落ち込んでいる玲子は、慧登が支えるようにして並走した。歩くよりは速かったが、走るスピードは遅かった。その為、背後から追ってきている男たちとの距離が少しずつ縮まってきていた。

「頑張って! あともう少しだから!」

 意外にも、先頭をきって芝生広場を抜け出たのはヴァニラだった。高校時代に『野球』に打ち込んでいたという話は、案外、本当なのかもしれない。

 スオウもイツカと一緒に芝生広場を抜けて、園内を走る道路の上までたどり着いた。

 目の前に現われたのは『ゴーカート乗り場』である。派手なカラーリングが施されたカートが、何台もコース脇に停まっている。子供連れでも乗れる、2人乗りタイプのカートである。

「園内マップで見ると、この芝生広場の周りに沿ってゴーカートのサーキットコースが作られているみたいだな」

 スオウはマップ上でサーキットコースのゴール位置を探し始めた。

「ちぇっ」

 思わず舌打ちが出てしまった。

「どうしたのスオウ君?」

 イツカが心配そうに身を寄せてきた。

「このゴーカートだけど、ゴール地点がアトラクションゾーンの入り口になっているんだ」

「えっ、それじゃ、このゴーカートに乗ったら、また迷子センターの所に逆戻りってわけなの?」

「ああ、そうなるかな……」

 その場で頭を抱えたくなってきた。せっかくデストラップが設置された芝生広場を抜けられたと思ったら、双六で言うところの『振り出しに戻る』が出てしまったのだ。

「スオウ君、他に何か手はないの?」

「後ろから追ってくるやつらがいなければいいんだけど、あの男たちのことを考えたら、このゴーカートに乗って、出来るだけ距離を稼いだ方がいいと思う。それに玲子さんの足のスピードだと、走って逃げたとしても、いずれあの男たちに追い付かれると思うし」

「そっか……。それじゃ、ここは逆戻りは承知の上で、ゴーカートに乗るのが得策かもしれないね」

「春元さんはどう思いますか?」

 走り疲れたのか、道の上に座り込んでしまっている春元に意見を求めた。

「今夜のゲームを仕切っているヤツは、どうしてもオレたちをアトラクションゾーンに戻したいらしいな」

 春元が苦々しい表情で今走ってきたばかりの芝生広場を見つめた。

「それって、つまりアトラクションゾーンに何か──」

「ああ、デストラップが設置されていると考えて良いだろうな。そこにオレたちを向かわせたいのさ」

「危険地帯に自ら乗り込まなきゃならないってことか……」

「むろん、この場所に留まって、追ってくる男たちと対峙してもいいんだぜ?」

「でも、あの男たちも、さっきの男みたいにきっと何か武器を持っているんじゃないですか? もしそうだとしたら、わたしたちには抵抗する術がないですよ」

 イツカが冷静に分析を下した。

「そう、イツカちゃんの言う通りさ。つまり、オレたちは結局このまま逃げるしかないってことさ」

 春元は立ち上がって、『ゴーカート乗り場』に近寄る。コース上の一番手前に停まっているカートを真剣な眼差しで見つめる。

「春元さん、カートに乗らないんで──あっ、もしかして、ここにもデストラップがあるんですか?」

 スオウは質問の途中で春元の意図に気が付いた。春元はカートにデストラップが仕掛けられていないか調べているのだ。

「カートのブレーキが利かないとか、ハンドルが曲がらないとか、デストラップとしてはいかにもありそうだろう?」

「確かにカートの運転中に事故を誘発させるデストラップが起きたら、こちらとしては避けようがないですからね」

「まあ、パッと見た限りでは、大丈夫そうだけどな」

 春元はカートの運転席に実際に乗り込んで、ブレーキやアクセル、ハンドルの具合をしっかりと確認している。

「それじゃ、やっぱりこのカートを使って移動するんですか?」

「ああ、これで行くしかないな」

 春元が運転席に座ったままの体勢で、スオウたちの方に顔を向けた。

「まずはオレが一番手でいく。カートの具合と、コースの安全性を確かめながら走る。そのあとから、少し距離を置いて付いてきてくれ。順番は君たちに任せる。もしも、オレが乗ったカートに何か起こったら──」

「ちょっとやめてよね! そんな縁起でもないこと言うのは!」

 ヴァニラが真剣な表情で怒った。

「ヴァニラさん、春元さんだって、もしもの場合を考えて言っただけですよ。そんなに怒らなくても……」

 スオウはヴァニラをなだめた。

「そんなこと言われなくても分かってるわよ!」

 なんだか今のヴァニラは非常にご機嫌が斜めらしい。取り付く島もないほどだ。

「スオウ君、悪いな」

 なぜか春元が謝ってくる。

「とにかく時間が勿体無いから、オレは行くぜ。あとは頼んだからな」

 春元が運転する姿勢に入る。軽くアクセルを踏み込んだかと思うと、春元を乗せたカートはググッと前進していく。

「気を付けて下さい!」

 イツカが遠去かっていく春元の背中に声を懸けた。春元が背中を向けたまま、右手を上げてヒラヒラと揺らす。

「デストラップに掛かったら、絶対に許さないからねっ!」

 罵声に近い口調でヴァニラが言った。そこに春元に対するヴァニラの本音が見え隠れしていることに、スオウは気が付いた。ヴァニラは春元の身を本気で案じているのだ。

「十分待って、おれたちも順番にカートに乗り込もう」

 スオウは勤めて落ち着いた声でもって、そこにいる全員に向かって言った。

「玲子さんはカートは大丈夫ですか?」

 気になっていたので聞いてみた。カートは2人乗りなので誰かと一緒に乗ってもらうつもりで考えていたが、乗りたくない人間を無理やり乗せることは出来ない。ここで玲子が乗りたくないと言い出したら、非常に困ってしまう。

「だ、だ、大丈夫よ……。ごめんね、気を遣わせちゃって……」

 口調こそ弱かったが、ひとまず玲子はカートに乗ることを了承してくれた。

「すみません」

 なぜか慧登が謝る。その理由がスオウには分かっていた。もちろん、この場でそのことを追求するほど野暮ではない。だから──。

「大丈夫ですよ。きっとみんな無事に逃げ切れるはずだから」

 はっきりとそう言い切った。それは自分自身に向けた言葉でもあった。
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