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第二部 ジェノサイド

第28話 『デッド』ヒート 第五の犠牲者

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 残り時間――5時間43分

 残りデストラップ――7個

 残り生存者――15名     
  
 死亡者――4名 

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 矢幡と土生の2人は走って『ゴーカート乗り場』にやってきた。コース上に置かれたカートを見て、次に当然のようにコースの先に目を向ける。

「クソっ! やつら、このカートに乗って逃げやがったな!」

 矢幡が逡巡することなく、早速コース上に降りていく。

「オレたちもやつらの後を追うまでことさ」

 土生が軽く手を振って、チェーンをジャラリと鳴らした。早くこのチェーンで誰かを仕留めたいのだ。

「オレが運転するから、お前はその武器で攻撃しろ!」

 矢幡がハンドルが備わった運転席側に乗り込んだ。

「任せておけ。やつらの頭をこいつでカチ割ってやるからよ!」

 土生の目はすでに狂気の色に染まっている。

「よっしゃ! それじゃ、行くぜっ!」

「ああ、限界まで飛ばせっ!」

 暴力的志向の持ち主である2人の男を乗せたカートが、アクセル全開でコース上を走り出した。


 ――――――――――――――――


 ギュギィギギィーーーーーッ!


 まるで化鳥の鳴き声のような甲高い音をたてながら、スオウと慧登を乗せたカートが急停止した。

「慧登さんっ! 慧登さんっ!」

 スオウは自分のシートベルトを剥ぎ取るようにして外すと、慧登の様子を急いで確認した。慧登の首にはネクタイががっつりと深く食い込んでいる。カートの前輪と慧登の首とを結ぶ形で、ネクタイがぴんと張っている。

「まずいな……。早くこのネクタイを外さないと」

 慧登がちゃんと呼吸が出来ているのか、見た目だけでは分からなかった。スオウは自分の指を慧登の首とネクタイとの間に強引に滑り込ませて、ネクタイの締め付けを少しでも緩めようと考えたが、残念ながら、爪の先すら入らないほどきつくネクタイは食い込んでいた。

「慧登さん、このネクタイをなんとかしますから、しっかり意識を持っていてください!」

 慧登に必死に呼びかけながら、ネクタイをなんとか解こうと強引に引っ張ってみる。その間、慧登はぐったりと首を前に曲げたまま、体をぴくぴくと細かく振るわせるだけである。体が震えているということは生きている証拠であるが、この状態が長く続けば、いつまでもつか分からない。

「おい、大丈夫か!」

 春元の声がすぐ近くで聞こえた。

「春元さん!」

 救いを求めるようにぱっと顔を上げると、カートの横に春元が立っていた。スオウが慧登のことに集中している間に、ここまで走ってきたみたいだ。

「慧登さんの首にネクタイが食い込んでしまって……」

「──分かった。これだけ食い込んでいるとなると、手ではとてもじゃないが無理だ」

「じゃあ、どうすれば──」

「こんなこともあると思って、こいつを用意しておいて良かったぜ」

 春元が服のポケットから銀色に輝く金属質の物体を取り出した。手首を軽く捻ると、鋭く尖った刃が飛び出した。所謂、折り畳みナイフと呼ばれるものである。春元がナイフの刃先をネクタイにぐいっと押し付けると、あれほど硬く食い込んでいたネクタイが簡単に裁ち切れた。

 ネクタイでカートと結ばれていた慧登の体が、反動でシートに戻る。すぐにスオウはネクタイの残りを慧登の首から外した。

「う、う、うぶぐっ……うぐぐ……うげげっ……」

 喉が詰まったような声を何度か漏らした後、ようやく慧登の目に落ち着きが戻ってきた。苦しさを物語るように、目は充血しており、目尻からは涙が流れ落ちている。

「大丈夫か? 呼吸はちゃんと出来ているか?」

 春元が慧登の意識を確認する。

「う、う、うん……だ、だ、大丈夫……うん、大丈夫です……」

 慧登は何度か言葉をつっかえながらも、しっかりと返事をした。それを見てスオウもやっと緊張を解いた。

「まさか、このネクタイがデストラップの凶器になるなんて……」

 慧登がコース上に散乱するネクタイの切れ端を、恐ろしいものでも見るように見つめている。何の変哲もない有り触れた柄のネクタイが、ひとりの人間を死地へと追い込もうとしたのである。

「春元さんは、いつ『このこと』に気が付いたんですか? 春元さんがいなかったら、俺は今ごろ……」

「このコースのゴール地点に差し掛かったときに、風で飛んできたゴールテープがオレの首元に絡まりついたんだ。すぐにニュースで見たことのある事故を思い出したんだ。冬場にマフラーをしたままカートに乗って、そのマフラーがカートに引っ掛かって首を絞められたっていう事故のニュースをな。それでもしかしたらと思ってな」

「そんな事故があったんだ……」

 慧登はまだ気になるのか、首のあたりをしきりに擦っている。 

「オレもまさかとは思ったが、用心するに越したことはないから、こうして自分の足を使って、ここまで走ってきたというわけさ」

「ああ、カートはバックで走れないんでしたね」

 スオウは春元の判断力に感服した。もしも同じ状況に合ったとしても、自分ならばそこまで頭が回らないだろう。せいぜいが、コース上を飛んでくる物に気を付けることくらいしか出来ない。春元がチームにいてくれてつくづく良かったと改めて思った。

「オレも走るのはそれほど得意じゃないんだが、間に合って良かったよ。とにかく、デストラップは回避出来たわけだから、これで安心してゴールまで進めるな」

「でも春元さん、このカートは2人乗りですよ?」

 スオウはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「おいおい、まさか、ここまで全速力で走ってきたオレに、また走れっていうのか?」

 もちろん、そんなことは一ミリも考えていない。わざと冗談っぽく言っただけである。

「あの、それじゃ……俺が走りますから……」

 命を助けられた慧登には、スオウの冗談は通じなかったようである。

「慧登君、本気にするなって。スオウ君の冗談に決まっているだろう。定員オーバーだけど、2人でこのカートに乗っていけばいいさ」

 春元が笑顔を見せると、慧登の顔にもようやく笑みが戻ってきた。

「誰が運転しますか?」

 スオウはハンドルを手で示しながら、2人の顔を順番に見つめた。しかし、2人が答えを発するよりも前に、別の声が闇の向こうから聞こえてきた。

「あいつらのカートが見えてきたぞ! アクセル全開でブチかませっ!」

「分かった! このままカートごと、突っ込んでやるっ!」

 下品極まりない怒声である。

「やれやれ、一難去ってまた一難とはこのことだな。仕方がない、逃げるとするか」

 春元がカートに乗り込んだ。運転席である。慧登がスオウの顔色を伺ってくる。

「慧登さんはシートに座って下さい。おれはバンパーに足を掛けて、立って乗りますから」

 命の瀬戸際にいた慧登を立たせるわけにはいかない。

「でも……」

「いいんだよ、気にするな。優先席があったら高校生は席をゆずらないといけないんだからな」

 春元が冗談混じりに言うと、慧登もそれ以上固辞することなく空いているカートのシートに乗り込んだ。

「悪いね、スオウ君」

「いいえ。次にカートに乗るときは、逆でお願いするんで」

「ああ、そうさせてもらうよ」

「2人とも、カートに乗ったな。それじゃ、このままゴール地点までノンストップで行くぜっ!」

 春元の掛け声とともに、カートは再びコース上を走り出した。


 ――――――――――――――――


「へへへ、なんだかカウボーイにでもなった気分だぜ」

 矢幡が運転する横で、土生は手にしたチェーンを頭の上でヒュンヒュンと荒っぽく振り回していた。

「気合が入っているのは分かるが、やり過ぎんなよ。やつにはちゃんと話を聞かせてもらわなくちゃならねえんだからな」

 矢幡は言いながら、アクセル全開でカートを走らせる。

「分かっているさ。でもよ、口だけ聞ける状態にしておけば、あとは何をしたっていいんだろ?」

「まあな。手足の1~2本くらいなら、別に折ったって構いはしねえよ。どうせ減るもんじゃねえしな」

 矢幡が笑えないブラックジョークを平気で口にする。

「そういうことなら、オレの見事なチェーン捌きをかましてやるか」

 土生の持ったチェーンが、さらに凶暴な唸り音を上げて勢い良く回転する。


 ――――――――――――――――


 スオウたち3人を乗せたカートは順調にコースを進んでいく。しかし、カートの定員2人に対して、現在カートにはスオウ、春元、慧登の3人が乗っている。定員オーバーであり、また完全に重量オーバーの状態でもある。その為、運転を任された春元が懸命にカートを走らせてくれているが、いかんせん、スピードはまったくといってもいいくらいあがらない。

「春元さん、このスピードじゃ、後ろから追ってくる連中にいずれ──」

 車体を守るバンパーに器用に立ち乗りしているスオウも、このスピードならば振り落とされる心配はなかったが、逆に追ってくる男たちに追い付かれる心配があった。

「ああ、分かっている。でもな、これでもアクセルベタ踏みで、スピードはマックスなんだぜ」

 ハンドルにしがみつくようにしている春元の顔は真剣そのものである。

「すみません……俺のせいで……」

 慧登がすまなそうにつぶやく。

「慧登さん、それは言わない約束でしょ」

「スオウ君……すまない……」

 言ってるそばから、また繰り返す慧登である。

「まあ、いざとなったらこのカートを乗り捨てて、コースの外に逃げるしかないかもしれないな」

 春元はそこまで先回りして考えているらしかった。

「だけど、それだとイツカたちと離れ離れになっちゃいませんか?」

 スオウはそれを危惧した。せっかく集合したというのに、また離れるようなことになってしまったら元も子もない。

「ああ、だからこそ、このままカートに乗ってゴールまで辿り着きたいんだけどな」

「なんとかなればいいけど──」

 スオウは後方に目をやった。走ってきたコースは少し先がカーブしていて、それ以上後ろは見えなかった。幸い、今はコース上に他のカートは見えない。

「良かった。あいつらの姿はまだ見えません──」

「了解した」

 ハンドルを握る春元が簡潔に答える。

 スオウたちを乗せたカートが一直線になった道に入る。そのとき、後方を警戒していたスオウの視界に、チラッとカートが見えた。それも予想以上に近くに見えた。カーブのときは後方が見通せなくて見えなかっただけで、実際はかなり至近距離まで近付いて来ていたのだ。

「春元さん! やつらです! しかも、かなり近いです!」

 スオウは前を向いて、焦ったように春元に報告した。

「くそっ、思っていた以上に早く追い付かれたな」

「ゴールはまだ先なんですか?」

 慧登の声も緊張で強張っている。

「ああ、まだもう少し先だ。このままだと本当にヤバイかもしれないぞ……」

 春元のつぶやき声に重なるようにして、ガキュンッという金属質の音がした。

 慌ててスオウは振り返った。さっきよりもさらにカートは近付いてきていた。運転席の男の顔まではっきり見えるほどだ。

 運転席の男はニヤニヤ笑いを浮かべている。スオウたちのカートに追い付いたことで、笑うだけの余裕が生まれたのだろう。男はスオウと目が合うと、器用に右手だけでハンドルを握り、中指を突き立てた左手を見せ付けてきた。

「そのポーズは日本人がやっても似合わないんだよ!」

 こんなときだというのに、そんな感想を口に出してしまうスオウだった。そのとき、再び、先ほど聞こえた金属質の音がした。


 ガキュンッ!


「────!」

 音はしっかり耳に聞こえるが、何が起きているのか理解出来なかった。

「逃がしはしねえぜ!」

 運転席の隣にいる男が罵声を放つ。男はシートから立ち上がって、右手を頭上に持ち上げている。その右手の先に不気味な影がちらちらと見える。

 不意に、その影がスオウの方に向かって伸びてきた。まさしく獲物を狙う毒蛇の動きそのものだった。


 ゴキュンッ!


 さきほどとは異なる音があがった。

 そこでようやくスオウも音の正体に気が付いた。シートの上に立っている男が、右手に持ったチェーンらしきモノを叩き付けてきているのだ。最初の二回はコースのコンクリートに当たって甲高い音がしたが、三回目はスオウたちの乗るカートの車体に命中した為に、少しこもった音がしたのだろう。

「さっきからいったい何なんだ、この音は? 後ろで何かやっかいなことが起こっているのか?」

 春元も異変に気が付いたみたいだ。

「春元さん、後ろに乗っている男が、チェーンでこっちのカートを狙ってきているんです!」

 自分でも気が付かないうちに、スオウの声は悲鳴混じりになっていた。

「分かった! こっちも全速力で走る!」

 春元も懸命にカートを運転している。

 シート上に立つ男が頭上にあげた右手をさらに猛然と回し始めた。またチェーンを叩き付けてくるつもりなのだ。

「次の攻撃がきます! 気を付けて下さい!」
 
 スオウの声に重なるようにして、ヒュンという風を切る音がした。

「うごわっ!」

 運蓮席の春元が悲鳴をあげた。同時に、カートが大きく左に曲がる。

「危ない! フェンスにぶつかるっ!」

 スオウはカートから振り落とされないように、バンパーに踏ん張るのでいっぱいで、何も出来なかった。

「俺に任せてください!」

 慧登が横からカートのハンドルに手を伸ばした。ハンドルを握ると、右に大きく切る。フェンスにぶつかる寸前のところで、カートがコース中央に舞い戻った。

「す、す、すまない……」

 体にチェーンが当たったのか、春元は苦しげに肩の辺りを手で押さえている。

 その間も、後方からの攻撃はもちろん続いていた。

「クソっ! 次こそはトドメを刺してやるぜ! 矢幡、もっとアクセルを踏み込めっ! カートをやつらに近付けるんだっ!」

 チェーンを持った男の声が、すぐ間近で聞こえた。それほど二台のカートは近付きつつあったのだ。

「分かった! 土生、今度こそ決めろよ!」

 後方のカートがグンとスピードを上げてきた。

「これでも喰らいやがれっ!」

 ヒュンと風を切る音。

「二人とも頭を下げてっ!」

 スオウも言いながら、その場で頭を下げた。身を守る術といったら、これぐらいしかなかったのだ。


 ゴキュンッ!


 こもった音があがった。またスオウたちが乗るカートの車体のどこかにチェーンが当たったらしい。

「ぶっうぎゅっ!」

 スオウの後方で、なぜか男の『呻き声』らしき音が聞こえてきた。続いて──。


 ガグギュッ!


 何かがガッチリと絡まり合う音がした。さらに、グギュギュギュ、という見耳障りな音が続く。


 まずいぞ。カートがやられたのかも?


 スオウは咄嗟にそう考えた。しかし、スオウたちを乗せたカートはしっかりと前に進んでいる。

 対して──。

 後方から迫ってきていた男たちのカートは、なぜか徐々に離れていく。急にスピードが落ちたのだ。

「そうか! あいつらの乗っていたカートの方が故障したのか!」

 つぶやくスオウの目の前で、男たちを乗せたカートが一瞬止まったように見えた。

 次の瞬間──。

 男たちの乗ったカートが宙を飛ぶように前方に大きく半回転した。空を飛べないカートが、無理やり空に向かって飛んでいったみたいだった。僅かな間だけ空中遊泳をしたカートは、上下逆さまになって車体の底を見せると、その体勢のままあえなくコース上に落下した。まるでハリウッド映画のカーチェイスシーンさながらの光景であった。

 完全に引っくり返ってしまったカートは、激しく火花をあげながらコース上のコンクリートを抉って、前方に滑るようにして進んでいく。

「──えっ? 何があったんだ……?」

 ただただ呆然と見つめるしかないスオウだった。

「──やつのチェーンだ」

 春元が顔をしかめながら声をあげた。

「春元さん、そんなことよりも怪我は大丈夫なんですか?」

「ああ、チェーンの先がちょっと肩を掠った程度さ。ただ、いきなり衝撃がきたから、驚いてハンドルから手を放しちまったがな。──慧登君、悪かったな」

「いえ、俺も役に立てたならば良かったです」

 慧登がハンドルの操作を春元に返す。

「それで春元さん、チェーンって、男のひとりが叩き付けてきたチェーンのことですか?」

「ああ、それだよ。おそらく、さっきの慧登君のネクタイと同じ現象が、やつらのカートでも起こったのさ」

 春元の説明を聞いて、スオウは先ほど見た事故シーンを思い返してみた。頭の中であの現象を丁寧に整理してみる。

「そうか! あのチェーンがあいつらの乗っていたカートの前輪に絡まったんですね! それで前輪がロックされて、カートが突然止まってしまった。その反動で今度はカートが前方に宙返りしたんだ!」

「そういうことさ。やつらはオレたちを追うことで頭がいっぱいで、カートもアクセル全開だったみたいだからな。ブレーキを掛けるよりも先に、カートの方が回転しちまったんだろうな」

 そのとき、お馴染みのメロディが聞こえてきた。メールの着信音である。


『 ゲーム退場者――1名 土生勝也


  残り時間――5時間31分  

  残りデストラップ――6個

  残り生存者――14名     
  
  死亡者――5名        』


「犠牲者はひとりです。土生勝也という人です。ということは、あのカートに乗っていた、もうひとりの男は生きているっていうことですね」

 スオウはメールを見ながら早口で報告していく。

「まあ、そういうことだな。──とにかく、これで脅威は去ったんだから、オレたちは先に進もう」

 ハンドルを握る春元の言葉に、スオウと慧登はそろってうなずいた。


 でも、あのとき聞こえた男の呻き声みたいなのは、いったい何だったんだろう? まるで死の間際みたいな不気味な声だったけど……?


 スオウはひとり訝しげに小首を傾げるのだった。


 3人を乗せたカートはゴール地点に向かって走って行く──。


 ――――――――――――――――


 引っくり返ったカートの下敷きになった矢幡は、体中に感じる鈍痛に顔をしかめつつも、なんとかコ-ス上に体を這い出した。

「クソっが! 何が起こったっていうんだっ!」

 とりあえず怒りに任せてカートを蹴りつけた。鈍痛の痛みが増したが、今はそれよりも怒りが勝っていた。

 コースの先を見つめる。無論、そこに追うべきカートは影も形もなかった。

「あいつらを見失ったなんて、若頭補佐には怖くて報告出来ねえよな」

 そこでようやく相棒の姿が見えないことに気が付いた。

「おい、土生? 土生、どこにいるんだ?」

 周囲をぐるりと見回すが、土生の姿はない。

「おかしいな……? それともオレより先にカートから抜け出して、あいつらを追ったのか? だとしたら、オレも後を追わないとな」

 カートを追う為にコース上を歩き出そうとしたところで、コースの先に視線が釘付けになった。そこにゴロンと転がるようにして、球体状の物体が落ちていたのだ。

 大きさはバスケットボールほど。だが、ゴーカートのコース上にボールが転がっているわけがない。

 2~3歩前に進んだところで、矢幡の足はなぜかピタリと止まってしまった。

 ボールにしか見えなかった物体と、なぜか『目が合った』気がしたのだ。

「ま、ま、まさか……?」

 胸中に湧いた不吉な思いを振り切るようにして、矢幡はカートに目をやった。

 そこに相棒である土生の姿があった。手足は不自然な形で折れ曲がっている。先ほど、手足の1~2本なら折っても構わねえと毒付いたが、まさか相棒がそうなるとは思ってもみなかった。

 ピチャピチャという水が滴る音がする。土生の体から、真っ赤な液体が洩れているのだ。

「う、う、うぐ……ぐぅ、ぐぐぎゅ……」

 矢幡は上半身を折り曲げると、その場で激しくえずいた。

 矢幡の視線の先には確かに土生の姿はあった。しかし一箇所だけ、無くなっている身体の部分があったのだ。人体で一番大事な部分である。

 土生の身体からは頭部が消えていた。

 土生の首は巨人が両手で捻じって切ったような、歪な引き裂け方をしていた。そこから白い棒状のものがにょきりと顔を見せている。骨である。その骨に細長い血管が絡み付いていた。血管の先からは、今も真っ赤な血が滴り落ちている。

「それじゃやっぱり……さっき路上で見た、ボールは……ぐっ、ぐぼっ!」

 そこまで言ったところで、矢幡は腹の中身をコース上にぶちまけてしまった。吐き気を堪えきれなかったのである。

 先ほど見た球体状の物体こそ、土生の生首だったのだ。

 あのとき──土生が放ったチェーンは、スオウたちが乗るカートの車体に確かに命中した。しかし、その反動で跳ね返ったチェーンが、今度は持ち主である土生の首に絡み付いてしまったのである。さらに土生がチェーンを首から外すのに手間取っている間に、あろうことかチェーンの先がカートの前輪に入り込み、絡まってしまったのだ。そして、チェーンは前輪に巻き上げられていったのだった。

 ここで矢幡が急ブレーキを踏んでいれば惨事は免れていたが、スオウたちを追うことに集中していた八幡はカートのスピードを緩めることをしなかった。その結果、土生は自らのチェーンで首を締め上げられる形になってしまった。

 土生の肉体と、カートのエンジンとの力比べは、当然、カートの方に軍配が上がった。巻き付いたチェーンによって、土生の首は捻じ切られてしまったのである。そのときの衝撃で土生の頭部はコース上を転がっていったのだった。

 そして最終的には春元が予想した通り、チェーンで前輪が完全にロックしてしまったカートは急停車を起こして、その反動で2人を乗せたまま前方に大きく半回転したのだった。

「クソクソクソクソクソ……あの野郎……殺してやる……殺してやる……絶対、殺してやる……。あの男だけじゃねえ……あいつらみんな殺してやる……。首を切り刻んで、殺してやるからな……」

 激しい憎悪に囚われた矢幡はゆっくりとコース上を歩き出した。その瞳に狂気の輝きを宿したまま──。
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