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第二部 ジェノサイド

第30話 迷宮に誘われて

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 残り時間――4時間48分  

 残りデストラップ――6個

 残り生存者――14名     
  
 死亡者――5名        

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 先ほどの分かれ道から歩くこと十数分。今度は十字路の前にたどり着いたスオウ達一行。

 右側に曲がる道を進むと、園内の入り口に向かっていくことになる。数時間前にクレーン車のデストラップにスオウが見舞われた坂道へと続いている道だ。イツカがゲーム参加者たちに呼びかける園内放送をした迷子センターは、右に曲がっていくと、すぐ先にある。特徴的な屋根の頭もここから望める。

 反対の左に曲がって行くと、その先には『巨大迷宮』が待ち受けている。そして真っ直ぐ進んで行くと、いろいろな乗り物で遊べる『アトラクション乗り場』に辿り着く。『アトラクション乗り場』は広大なエリアの為か、坂道を下った先からでも行けるようになっている。

「ここまで来たら、死神が望んでいる『アトラクション乗り場』に向かうのが一番だろうな」

 順番に三つの道の先に視線を向けていた春元が、一同の方に顔を戻した。

「そうですね。おそらく『巨大迷宮』にだって、きっとデストラップが仕掛けられているはずですよね。そうだとすると、狭い迷宮の中でデストラップに掛かるよりも、何か起きたときでも、みんなで行動が出来る広い敷地の『アトラクション乗り場』に向かうのが良いと思います」

 スオウは自分の意見を述べた。時間的にもゲームは終盤に差し掛かっているといって良かった。ということは、残りのデストラップが雪崩のように次から次に襲ってくる可能性が高い。出来るだけ集団で行動をした方が有利であると踏んだのである。

「そうだな。オレもわざわざ迷宮なんかに行くことはないと思う。このまま『アトラクション乗り場』を目指して、そこでゲームクリアまで安全に過ごせればいいと思っているんだけどな」

「わたしもそれに賛成です。これ以上の被害を出す前に、このまま寄り道せずに『アトラクション乗り場』を目指すべきだと思います」

「イツカ、本当にいいのか? 残ったデストラップはまだ何個もあるんだぜ? それが一気に──」

「スオウ君の言いたいことは分かるよ。でも、このまま逃げてばかりいてもしょうがないし……。虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うでしょ?」

「よし、2人の意見は分かった。他のみんなはどう思う?」

「アタシは最初からあんたに付いて行くって決めているから。最終決戦場が『アトラクション乗り場』だっていうなら、こっちから乗り込んでいくまでのことよ!」

 ヴァニラが勇ましい声をあげた。春元を信頼しているからこその言葉であろう。

「俺たちも異論はな──」

 玲子の傍にピッタリと寄り添っている慧登が声を発したそのとき、突然、辺り一帯が明るく照らし出された。差し詰め、この場所だけスポットライトを当てられたかのようであった。もちろん、そんなスポットライトが急に点灯するはずはないし、そもそも近くにスポットライトなどない。

「この光はなんだ?」

 スオウは明かりの方に目を向けたが、あまりにも眩しすぎて直視することが出来なかった。方角的には坂道の方である。

「ねえ、これってデストラップの前兆なんじゃないの!」

 光の輪の中でヴァニラの声が響いた。

「みんな、気を付けるんだ!」

 春元の叫び声が木霊する。

 不意に光の奥から、ドゥルルン、ドゥルルンという低い轟き音が聞こえてきた。聞き馴染みのある音である。排気量の大きい車のアクセルを踏み込む音だ。

「車だっ!」

 スオウの声が呼び水になったのか、車の走行音がスオウ達の方に近付いてきた。

「こっちに来るぞ! おれたちをはねる気か?」

 だが、春元の心配は杞憂に終わった。坂道を登ってきた車は、なぜかスオウたちの数メートル手前で止まったのである。外灯の下に姿を見せた車は、外国製の高級車だった。車体は黒塗り。後部座席の窓には一面スモークが張られていて、中を窺うことは出来ない。この手の車に乗っている人間は自ずと限られてくる。

「クソっ、あいつまで来ていたのかよ!」

 慧登が苦々しい顔で車に視線を向けた。

「見たことある車なのか?」

 春元が冷静に尋ねる。

「若頭の車です……」

「おい、若頭ってことは、まさか──」

「ええ、ヤクザ者です」

 慧登の言葉を聞いたイツカとヴァニラの口から、声にならない声が漏れた。

 車のドアを開く音がした。運転席からひとりの男が降りてくる。服装はダークカラーのスーツ姿。慧登と違って、この手のスーツを着慣れている感があった。明らかに一般人とは違う、物々しい雰囲気を醸し出している。

「なんで……あんたが、ここにいるんだよ……?」

 慧登の声はすでに少し震えている。

「ようやくこうして会えたというのに、それはねえだろう。どうやら命はまだあるみたいで良かったぜ。まあ、こっちとしてはしゃべれさえすれば、どれだけ怪我をしていようと構わなかったんだがな」

 怖いセリフをサラッと言ってのけた。言葉の使い方に躊躇が一切ない。普段からこの手のセリフを使い慣れているのだ。

「お前には大事なことを聞かなきゃならないからな」

「――春元さんたちは逃げて下さい。こいつの相手は俺がしますから」

 慧登が男には聞こえない小さな声で、早口で言った。

「待てよ、お前はどうするんだ──」

「さっきも言ったでしょ。この男と俺は仲間でもあるんです。もっとも、今目の前にいる男は、俺のことなんか使い捨ての駒ぐらいにしか思っていないだろうけど」

「お前、何をしたっていうんだ?」

「俺は……」

 慧登はそこで一旦言葉を切って、苦悩めいた表情を浮かべた。それから何かを吹っ切るように大きく首を振ると、さらに言葉を続けた。

「俺はあいつらと一緒に詐欺行為をしていたんです。最近世間でよく聞く『アレ』ですよ」

「アレって、まさか高齢の老人を狙った──」

「そうです。オレオレ詐欺です。金に困っていた俺は、あいつらと一緒にオレオレ詐欺をしていたんです。このスーツだってそうです。老人を騙す為に、こんな着慣れないスーツを着ているんです」

 慧登の話を聞いて、ようやくスオウも合点がいった。会社員の振りをする為のスーツ姿だったのだ。

「慧登さん、例えそうだとしても、ここまで一緒に行動して──」

 スオウの説得の言葉に、しかし、慧登はゆっくりと首を振って拒否の姿勢を示した。

「スオウ君、これは自分で蒔いた種なんだ。だから自分で刈り取るしかないんだ。みんなを巻き込むわけにはいかない。みんなは早く逃げてくれ。さっきのチンピラと違って、あの男は本物のヤクザなんだ。いくら俺とは関係がないといっても、何もせずに逃がしてくれる保障はないんだ」

「慧登さん……」

 すでに心の中で決断を下してしまっているらしい慧登の意思は強かった。スオウは春元の顔を見つめた。春元に説得してもらおうと思ったのだ。せっかく一緒になってここまで行動してきたのだ。はいそうですかといって、簡単に慧登のことを見捨てる訳にはいかない。

 しかし一方で、相手は本物のヤクザである。高校生の自分ではどう判断したらよいか分からなかった。

「慧登君、すまない……」

 春元の口からは、しかし苦渋に満ちた言葉が漏れ出た。その言葉だけで、スオウは春元がどんな判断を下したのか分かった。隣に立つイツカが無言でスオウの右手を握りしめてきた。イツカもまた遣り切れない思いを抱いたのだろう。

「いいんです。ここまで一緒に来られただけでも良かったですから。みんな、本当にありがとう。──ただ、春元さんにひとつだけお願いがあります」

 慧登の視線がある女性に注がれた。

「分かっている。玲子さんのことはオレたちが必ず守る」

 春元が慧登の思いを先回りして答えた。

「はい、お願いします。それじゃ、春元さんたちは俺の合図でここから逃げて下さい」

 慧登が男の方に近づいていく。

「なあ、そんなに俺から話を聞きたかったら――その手で直接俺を捕まえてみろよっ!」

 そう言ったかと思うと、急に振り返って走り出した。慧登が向かったのは『巨大迷路』に続く道である。

「今です! みんな、逃げて下さいっ!」

 スオウたちの脇を駆け抜けるときに、慧登が叫んだ。そう、慧登は自分を囮にしたのだ。

「分かった。──オレたちも逃げるぞ!」

 春元の号令の下、スオウたちはいっせいに慧登とは違う道へと走り出した。向かったのは『アトラクション乗り場』に続く道である。

「――クズ野郎が。そこまで言うのなら、俺が直接捕まえてやるよ。もっとも、俺のやり方はちょっとばかし激しいけどな」

 その場にひとり残された男は、迷うことなく慧登が走り去った方に向かって歩き出した。その足取りは威厳すら感じさせた。絶対的な強者の足取りである。


 こうして、ここまで行動を共にしてきた仲間がひとり、スオウ達のもとから離れることとなった。


 ――――――――――――――――


 ヒカリは手にしたスマホを改めて確認した。生配信はちゃんと中断してある。ここから先の会話は絶対に流したくなかったのだ。

「あんた、そんなふざけたお面を被っているが、もしかして警察関係者なのか?」

 相手の出方を窺うように、言葉を選んで質問した。

「どうしてそう思うんだ? まるで警察に対して、何か含むことがある言い方に聞こえるけどな」

 お面の男は冷静な態度を一切崩さない。

「けっ、白々しいにもほどがあるぜ。どうせ俺のことは知っているんだろう?」

「さて、なんのことやら」

「クソ野郎が。だったら、こいつのことはどうなんだ? さっきは知っているって口振りだったけどな」

 自分のことは脇に置いて、櫻子について訊いてみた。櫻子はヒカリ達の会話を聞いているみたいだが、感情の浮いていない顔からは何を考えているのか掴めなかった。ヒカリのように動揺しているのかどうか分からないが、少なくともこの場に留まっているということは、目の前の男に対して興味はあるらしい。

「ああ、その女のことか。いいだろう、教えてやるよ。そいつはな、数年前に世間を大いに騒がせたお嬢ちゃんなんだよ。──『毒娘どくむすめ』って言えば、オツムの緩いお前でも分かるだろう?」

 お面の男の言葉が、ヒカリの脳みそに突き刺さった。『毒娘』といえば、いっとき、ネット上で知らぬものはいないくらいの認知度を誇った超が付くほどの有名人である。『毒日記どくにっき』と呼ばれた曰く付きの動画を、毎日のようにネット上にアップしていたのだ。その『毒日記』の内容というのが──。

「まあ、『毒娘』ほどじゃないにしても、お前さんだって、ネット上ではそこそこ名の知れた有名人だよな。少し前まではヘタレのヒカリ──略して『ヘタリ』とも呼ばれていたしな」

 ヒカリの脳内血液が一気にヒートアップした。その単語は忘れようと思っても絶対に忘れることの出来ない、ヒカリの過去を象徴する忌まわしい単語なのだ。

「クソが……」

 知らぬうちに奥歯を強く噛み締めていた。そうでもしないと、過去の呪縛に心が押し潰されそうになる。

「そんなネット上の有名人が2人もそろって、ここで何をしているのか気になってな。ついでにそこに落ちている『丸いモノ』についても聞きたいしな」

 お面の男は人の生首をまるで路上に落ちているゴミのように表現した。この男もまた、心に歪みを抱えているのだろう。

「先に言っておくが、その首は俺がやったわけじゃねえからな!」

 ヒカリは吐き捨てるように言ったが、なんだか言い訳がましい口調になってしまった。知らぬうちに、この男のペースに巻き込まれていたのだ。

「そうだな。度胸の無いお前さんには、こんな過激なことは出来ねえだろうからな。でも、そっちの女ならやりかねないけどな。──まあ、こんな生ゴミのことど、はっきりいってどうでもいいさ。俺が今一番聞きたいのは、さっきも言った通り、今夜この場所で『何』が行われているかとういうことだからな」

「俺もさっき言ったぜ。お前に教える気はねえってな」

「確かにそんな強気のたわ言を言ってたよな。『ヘタリ』のくせしてな」

 お面の男が煽ってきていることは分かったが、それでも苛立ちを抑えるのには強靭な精神力を要した。

「――言ってくれるじゃねえかよ」

 ヒカリとお面の男との間に緊迫した空気が生まれてくる。そのまま互いに無言で睨み合っていると、場違いな軽快なメロディが流れてきた。スマホのメール着信音である。

 ヒカリは紫人からのメールだと思って、当然のようにスマホにチラッと目を向けたが、スマホにメールの着信はなかった。訝っていると、視界の隅で櫻子がスマホの画面を見ているのが目に入った。

「ちぇっ」

 ヒカリは舌打ちをひとつした。

「お前の方のメールかよ」

 櫻子に対して毒づく。

「…………」

 櫻子は我関せずといった態度である。

「相変わらず『毒娘』は、自分の世界に閉じこもっているってわけか」

 お面の男が初めて感情めいた声を出した。

 3人の間に出来ていた緊張感が一瞬薄まった。そのとき──。


 ドサッ。


 妙に柔らかい物体が硬いコンクリートの上に落ちる音がした。


 ゴロゴロゴロ。


 コース上を『何』かが転がる音が続いた。

 3人のちょうど真ん中に転がってきたのは人間の生首であった!

「うぐっ!」

「────!」

 ヒカリとお面の男がその生首を見て一瞬声を詰まらせる中、櫻子だけがまったく違う行動をとった。まるで『予めそういう事態が起きる』ことを知っていたかのような、俊敏な動きを見せたのである。櫻子は脇目も振らずに、その場から逃げ出した。コースから離れて、すぐに園内の道を駆け抜けて行く。

「お、お、おい、待てよっ!」

 ワンテンポ遅れて、ヒカリも行動を起こした。すぐさま櫻子の後を追い掛ける。素性の分からない怪しいお面の男から離れたかったのだ。

 そして──お面の男だけが残された。

「やれやれ。これじゃ、二兎追うもの一兎も得ずってやつだな」

 お面の男はゆっくりとコース上に降り立った。転がっている生首を一瞥する。

「悪いな。生憎と『俺の部署』は殺人事件は扱っていないんでな。お前さんは、もうしばらくここで転がってな。その内に市民の味方のお巡りさんがやってきてくれるだろうからな」

 惨たらしい生首に掛ける言葉とは到底思えないことを、サラッと言いのけた。

「さて、これからどうするかな。とりあえず『刑事』の勘を頼りに、やつらの行方を追ってみることにするか」

 言葉とは裏腹に、歩き出したお面の男の足取りは非常に軽かった。実はお面の男は目の前で起きている事態に、非常に興奮しているのだった。

「これからもっと面白くなりそうだな。これだから『サツ』はやめられねえんだよな」


 ――――――――――――――――


 背後に死神の息吹を感じながら、慧登は全速力で走って行く。慧登にとって、あの男は死神に匹敵するほど恐ろしい存在なのだ。今にもうなじの辺りを冷たい手でゾワリと触られるんじゃないかという恐怖が心中にあった。


 でも、こんなところでヤツに捕まる訳にはいかねえんだよっ!


 恐怖を文字通り気持ちで捻じ伏せる。

 道は『巨大迷宮』に続いている。慧登はこのままその迷宮に入るつもりだった。迷宮内ならば男を振り切れると考えてのことである。

 男を迷宮内に残して、自分はいち早く外に抜け出して玲子の元に戻る。もはや作戦とはいえないその場しのぎの案だったが、今の慧登にはそれ以外の手は思いつかなかった。

 道の先に二メートル以上ある壁の連なりが見えてきた。『巨大迷宮』を構成する、木製の構造体である。


『一度入ったら二度と出られない魔の迷宮へようこそ。あなたの頭脳が勝つか、それとも迷宮に潜むモンスターに喰われてしまうか……挑戦者は覚悟して入場せよ!』


 入り口付近に、入園者を煽る案内板が設置されていた。慧登は走り抜けざまに、横目でチラッと見るとはなしに見た。

「ヤクザに追われている身にしてみれば、モンスターなんか気にならねえよ!」

 自嘲気味に笑い飛ばしながら、『巨大迷宮』の門を潜り抜けていった。


 ――――――――――――――――


「ちょっと待って! ねえ、ちょっと待ってくれる!」

 後方から玲子の声が聞こえてきた。玲子は一番後方を走っていた。離れ離れになった慧登のことで後ろ髪を引かれていたのだろう。

「どうしたんだ?」

 玲子の傍で走るのをサポートしていた春元が足を止めた。心配げに玲子の顔を見つめる。

「玲子さん、どうしたんだろう?」

 スオウの隣にいるイツカも玲子のことを気遣う様子を見せた。

「まさかとは思うけど……」

 スオウはある想像をした。慧登と玲子の関係性についてである。

「もしかして、玲子さんって慧登さんのことが──」

 どうやら、イツカもスオウと同じ想像にたどりついたらしい。

「あたし……あたし……」

 思い詰めた顔で今走ってきた道を振り返る玲子。

「ここまで来て申し訳ないけど……あたし、やっぱり戻ることにするから!」

 そうはっきりと言った。


 ああ、やっぱりな。


 スオウは声には出さずに、胸の中でつぶやいた。もっとも、慧登が玲子のことを意識しているのは丸分かりだったが、玲子まで慧登に対して何らかの感情を持っていたとは気付かなかったが。

「戻るっていっても、慧登君は追われているのよ? さっき見たでしょ! 追っている相手はヤクザなのよ!」

 ヴァニラが玲子に言い聞かせる。

「それは分かってる。でも、ここで助けにいかないと、あたし、ダメになっちゃうから……」

 意味深な玲子のセリフだった。

「もしかして、君は慧登君と何かしらの繋がりがあるのか?」

 春元が後方から誰か追ってこないか注意しつつ、玲子に質問した。

「ううん、そういうことじゃないの」

「えっ、違うんだ?」

 慧登と玲子の関係を穿って見ていたスオウは内心驚いてしまった。てっきり慧登に対してそういう思いがあったからこそ、助けに向かうのだとばかり思っていたのだ。では、なぜ玲子は慧登を助けに行こうとしているのだろうか。

「スオウ君、あたしは別にそういう感情で彼を助けに行くわけじゃないから」

「すいません。なんか、そういう感じに見えたので……」

「いいのよ。でもそれって、なんか高校生らしい発想でいいわね」

 玲子は別にスオウに嫌味を言っているわけではないようだった。その証拠に、眩しいものでも見るかのようにスオウを見つめる玲子の視線はどこか温かく、そしてどこか切ないものだった。

 無くした何かを思い出すとき、手の届かない何かを思い出すとき、人は決まってそういう目をする。

「きっとみんな、あたしのことを誤解して見ていたと思う。あのね、あたしも慧登君と同じ人間なの……」

「玲子さん、それってつまり……」

 それ以上言葉が続かないスオウだった。玲子が言わんとしていることは、玲子もまた──。

「そうよ、あたしも今まで散々人をダマして生きてきたの。それも沢山の人を、本当に沢山の人をね……。そうしなければ生きてこられなかったから……。でも、それは言い訳にしかならないわね……」

 独白する玲子のことを黙って見つめるしかない面々。

「つまり、君も慧登君と同じように『オレオレ詐欺』を働いて──いや、君ぐらいの外見があれば──」

「さすが春元さんね。頭の回転が速いわ。──そう、あたしがしていたのは『オレオレ詐欺』じゃなくて、『女』を使った詐欺よ。『結婚詐欺』とか、『美人局』みたいなものとかね。だって、せっかくこの美貌を持って産まれたんだから、使わないと損でしょ?」

 玲子はその場でおどけたように軽やかにくるっと回ってみせた。もっとも、その表情に覇気は感じられない。

「これで分かったでしょ? 本当のあたしはもっとはすっ葉で、どうしようもない女なのよ。でも、こうしてか弱い女を装っていれば、みんな助けてくれるでしょ? だから言葉遣いも丁寧にして、なるべく本性を出さないように注意してきたってわけ。慧登君のこともダマしちゃったけどね。だからこそ、あたしは慧登君を見捨てることが出来ないの。ここまでずっと助けてくれた彼を今見捨てたら、それこそ詐欺師以下の最低人間になっちゃうからね。もっとも、詐欺師がそう言ったところで説得力は皆無かな……」

 最後は自虐的にそう言って、話を纏めた。

「そこまで言うのならば、もう止めても無駄みたいだな」

 春元はすでに説得を諦めているみたいだった。

「悪いわね。折角こうして合流して、みんなで力を合わせて頑張ろうって決めたのに、自分から抜けることになっちゃって……」

「いや、みんな、自分の命を懸けてこのゲームに参加しているんだから、最終的な判断は自分で決めるのが正解だと思っている。だから、オレもこれ以上は何も言わないよ」

「ごめんなさい……」

 玲子が静かに頭を下げた。

「ただひとつだけ、オレから言っておくことがある」

 春元は服のポケットから銀色の細長い物体を手で取り出した。それを玲子の方に差し出す。

「これは……?」

「もしもの備えとして準備しておいてものさ。こいつを使う場面に出くわさなければ一番いいけど、お守り代わりだと思って持っていってくれ」

「ありがとう。本音を言うと荒事は苦手だから、ちょっと不安だったの。でも、これを持っていれば心強いわ」

 玲子が春元から『ナイフ』を受け取った。ゴーカートのコ-ス上でデストラップに合った慧登を救ったあのナイフである。云うなれば、幸運のナイフといっても良かった。

「分かっていると思うが、十二分に気を付けてな」

「ええ、気を付けるわ。それから春元さん以外のみんなも、ここまで本当にありがとうね」

 玲子がスオウたちの顔を順番に見つめていく。

「──また合流出来ますよね?」

 玲子の気持ちは痛いほど分かっていたが、スオウはそう聞かずにはいられなかった。短い時間とはいえ、玲子は生死を一緒に潜り抜けてきた仲間なのだ。

「そうね、また合流しましょうか。もちろん、そのときは慧登君もちゃんと連れてくるから」

「はい、ずっと待っていますからね」

「分かったわ」

「絶対ですからね!」

「分かったから、そんな泣きそうな顔で見送らないでよ。そっちのことが心配になっちゃうでしょ」

「ごめんなさい……でも、約束はしましたからね」

「うん、ちゃんと約束はしたわ」

 二人が交わした、しかし、決して守られることのない約束。

 スオウも玲子も、そして、その場にいた全員がそのことを理解していた。だからこそ、誰も何も言わなかったのである。

「それじゃ、もう行くから」

 玲子は振り返って、走ってきた道を戻っていく。

 
 こうして短い間にまた、ここまで行動を共にしてきた仲間がひとり、スオウたちのもとから離れることになった。
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