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第二部 ジェノサイド

第38話 読解力を試す

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 残り時間――2時間22分  

 残りデストラップ――3個

 残り生存者――10名     
  
 死亡者――8名         

 重体によるゲーム参加不能者――1名

 ――――――――――――――――


 メリーゴーラウンドの影からスオウと男が走り去っていく様子をじっと見ていた春元は、周囲の安全が確保されると、再び、迷子センターに向かって走り始めた。

 スオウのことはもちろん心配であったが、ここでスオウの英断を無駄にするわけにはいかない。いち早く迷子センターから必要な物を持ち帰って、ヴァニラの手当てを行い、その後に出来うるならばスオウの手助けにも行くつもりだった。

 運動は得意ではないが、春元は懸命に走り続けた。すぐに『アトラクション乗り場』の出口が見えてきた。ここを抜ければ、あとはまっすぐ道を進んでいくだけでいい。

「とりあえず何もトラブルが起きることなく、ここまで戻ってこられたな」

 荒い息継ぎをしながらも、ほっと安堵する春元だった。

 さらにそこから5分ほど走ったところで、目的地の迷子センターにたどりついた。しかし、春元の記憶にある建物の姿は様変わりしていた。

 入り口がめちゃくちゃに破壊されている。壁の一部も倒れており、中身が丸見えだった。建物は半壊状態で、建っているのが不思議なほどの惨状を呈していた。

「なんだよこれ……? なにがあったっていうんだ……?」

 地面に散らばった窓ガラスの破片に注意しながら、中に足を踏み入れた。

 机やイス、棚は潰れていたり、ひしゃげていたりといった有様だった。ゲーム参加者を呼び集める為に使った園内放送の機材も、床に転がってしまっている。一方で、さきほど来たときには気がつかなかったが、奥の方に可愛らしい小さなベッドがあるのが見えた。この遊園地のマスコットキャラクターと思われる大きなぬいぐるみが一緒に置かれている。本来ならばカーテンで仕切られていたのかもしれないが、そのカーテンが引き裂かれたおかげで、奥まで見通せるようになったのだろう。ベッドは迷子になった子供たちの為の設備と思われた。ベッドの脇には、ベビーカーが一台置かれていた。赤ちゃん向けのお菓子や粉ミルクの大きな缶もある。親とはぐれてぐずっている子供をあやす為のオモチャも沢山置かれている。それ以外には、消火器が床の隅に転がっているのも見えた。

 余りの惨状に目的の物を探すのは困難かと思われたが、幸いにして、瓦礫の中に救急箱を見つけることが出来た。蓋はしっかり閉じられており、中身があたりに散乱しているということもなかった。

「やれやれだぜ。こいつが無事でよかった」

 膝を付いて救急箱を手に取ると、さっそく蓋を開けて中を確認する。

「消毒液と解熱剤──それだけあれば十分か……。いや、救急箱ごと全部持っていった方が早いかもしれないな」

 ウィルスに冒されたヴァニラの体に何が効くのか分からないので、とりあえず全部持っていくことにした。

「よし、戻るとするか」

 春元が立ち上がり、来た道を戻ろうとしたとき、メールの受信音がした。

「またかよ」

 ぼやきながらメールを開きかけて、そこで一旦手が止まる。もしもヴァニラの死の知らせるメールだったら、と不安が沸き起こったのだ。

「いや、大丈夫だ。あいつは芯が強いからな。あれくらいのことで死にはしないさ」

 自分自身にそう言い聞かせる。そして、覚悟を決めてメールを開いた。果たして、そこには──。


『 ゲーム退場者――1名 慧登

  
  残り時間――2時間19分  

  残りデストラップ――3個

  残り生存者――10名     
  
  死亡者――8名   

  重体によるゲーム参加不能者――1名      』



「──慧登君……まさか、君まで……」

 ヴァニラの名前はなかったが、見知った名前を見て、春元は言葉を失った。

 自分で蒔いた種だから自分で刈り取るしかないと言って、自らオトリを買ってでた慧登。あるいは、春元もあのときすでに心のどこかでもう二度と慧登とは会えないんじゃないかと覚悟はしていたが、それを実際に目にしてしまうとこみ上げてくるものがあった。

 慧登の顔を思い返す。似合わないスーツを着て、でも玲子のことになると人一倍張り切っていた慧登。その慧登とはもう二度と会うことも話すことも出来ないのだ。


 慧登君、君の死は絶対に無駄にはしないからな。


 今慧登に対して掛けてやれる言葉は、それぐらいしか思い浮かばなかった。

 しかし悲しいかな、しんみりとした時間はそう長くは続かなかった。早くゲームに戻れと言わんばかりに、次の展開が起きた。

 間近で乾いた音が聞こえてきたのだ。

「この音って……まさか銃声なのか……?」

 春元の体に緊張が走る。慧登には悪いが、慧登のことは一旦頭の隅に移動させる。

「確か慧登君を追っていたのはヤクザとか言っていたよな。銃を持っているとしたら、そいつらしか考えられないが……」

 銃を持った相手と直接ケンカをするほど、春元もバカではない。ここは冷静に考えるまでもなく、逃げるのが最良の選択であることは間違いない。ヴァニアラも待っているのだ。

 再び銃声が木霊した。

「これは誰かが撃たれているってことだよな……」

 手にした救急箱をじっと見つめる。これを今必要としている人が待っている。しかし、すぐそばで銃で撃たれている人がいる可能性があった。


 悪いな、ヴァニラ。ちょっと行ってくるよ。確認だけしてくるからさ。もしもオレの手に負えないようだったら、すぐにそっちに向かうから。少しだけ戻るのが遅れるかもしれないけど、それまで待っててくれよな。


 誰に言われたというわけではなかったが、ここで銃声を無視することは出来なかった。損な性格だということは自覚している。損な役回りだとも承知している。でも、今までそうやって生きてきた。だから、今回もそうするだけだった。

 救急箱を大事そうに床の上に置くと、『別の物』を手に持って外に出た。

「鬼が出るか蛇が出るか分からないけど、とにかく撃たれるのだけは避けたいよな」

 春元は銃声の聞こえた方へと慎重に歩を進めていく。


 ――――――――――――――――


 抱きしめた慧登の体から、徐々に温もりが消えていく。それが意味するものがなんなのか、分からないわけはない。でも、まだ信じられなかった。ほんの少し前まで、あんなに元気に話していたのに。

 今まで男のことなど金を稼ぐための道具としか見てこなかった。でも、慧登は違った。自分の為に命まで懸けてくれたのだ。

 だからこそ、慧登の命を懸けた行動を無駄にしてはいけない。ここから早く逃げなくてはいけない。

 でも、それなのに──なぜか、体が一向に言うことをきいてくれない。いや、そうではない。心のどこかで、この場から離れたくないと思っている自分がいるのだ。

 そのとき──。

 すぐ近くの地面が削れて、軽い土煙がまき起こった。乾いた音は後から聞こえてきた。

 玲子は視線を坂道の下に向けた。

 ヨレヨレになった高級スーツに身を包んだ男が、こちらの方を睨みつけていた。顔の半分がどす黒い血で汚れている。髪もボサボサで、表情には疲弊の色が濃く浮いていた。しかし、目だけは違った。冷酷無比な目が玲子の顔を射抜いてくる。右手には黒くて細長い物体を握っていた。慧登を死に追いやった元凶の銃である。

「おい、聞こえるか? オレはこう見えても根が優しいからな。そのまま大人しくしていれば、苦しむことなくオトコの後を追わせてやるぜ!」

 最低最悪のブラックジョークを平然と口にする男。

「──お前こそ、死にやがれっ!」

 玲子の罵声に対して、男は銃で答えた。

 再度、銃声があがり、玲子の体の脇を銃弾がかすめて飛んでいく。男は怪我をしているように見えたが、射撃の精度は落ちていないみたいだ。

「せっかく一発で殺してやろうと思ったのにな。人の親切心を無下にするとはよ。仕方がねえな。それじゃ急所をわざと外して、じわじわと嬲り殺しにしてやるよ!」

 男が銃口を玲子に振り向ける。

 玲子は物言わぬ慧登の体を抱きしめたまま、銃口の先にある男の顔を睨みつけた。

 次の展開は誰の目にも明らかに思われた。しかし──。

「おい、早まるな!」

 声と同時に、あたり一面が白い煙で覆われた。

 そこに銃声が木霊する。しかし白煙で目測を誤ったのか、銃弾は玲子の体に当たることなく地面にめり込んだ。

 視界ゼロの中で、不意に玲子は腕を強く取られた。

「こっちだ! 逃げるぞ!」

 声と一緒に体ごと強引に引っ張られていく。玲子の腕の中から慧登の体が落ちたが、玲子はされるがままに従った。


 ――――――――――――――――


 スオウは後方から追ってくる男を引き離さない程度の速度で走り続けた。スオウの役目は、あくまでも男を自分の方に引きつけておくことである。引き離してしまっては元も子もない。

 しかし、このままいつまでも2人だけのマラソン大会を続けるわけにもいかない。どこかのタイミングで、なんらかの行動に出る必要があった。

 すなわち、男と勝負するのだ。

 今スオウが手にしているのは、美佳から預かった痴漢撃退スプレーだけである。これをどう使えば、もっとも効果的な結果を得られるか、そのことを必死に考えながら走っていた。

 武器を持ったあの男と、正面で向かい合うのは危険極まりない。だとしたら、数多くあるアトラクションのどれかに潜んで、あの男が来たところで顔面にスプレーを振り掛ける、というのが案としては最善に思われた。男の視界を奪った後で、男を地面の上に押さえ込み、ベルトなり服なりを使って体を拘束すればいいだけである。

 それには最高の立地と絶好のタイミングを考える必要があった。だが、スオウの思考をメールの着信音が遮った。


 また誰かがデストラップに掛かって死んだのか……?


 少し前に慧登の死を知らせるメールを受け取ったばかりだった。時間を置かずに届いたメールに悪い予感が脳裏を過ぎる。


 慧登さんが死んでしまった後だから、ひょっとしたら今度は玲子さんが……。


 スオウは後方から追いかけて来る男の動きに注意を払いつつ、スマホをポケットから取り出すと、素早くメールを開いた。

 そこに書かれていた内容は──。


 ――――――――――――――――


 春元は玲子の右腕を掴んで、強引に引っ張ってきた。視界を奪う為に使用した消火器は、必要なくなったので坂道で捨ててきた。迷子センターまで戻ってきたところで、玲子の手を離す。玲子は力が抜け落ちたかのように、床にどさっと座り込んでしまった。

「玲子さん、すぐにあの男が追いかけてくるはずだ。このまま逃げよう!」

「──ダメ……ダメ……。だって、慧登君を……慧登君を……置いてはいけない……。一緒に、一緒に……」

 玲子は呆然とした表情のまま、虚ろな目を壁に向けている。

「君の気持ちは痛いほど分かる。でも相手は銃を持っているんだ! 端から勝負にならない。こちちらが撃たれて終わりだ。きっと死んだ慧登君だって、そんなこと望んではいないはずだ!」

 春元はわざと強い口調で言い聞かせた。

「そんな風に言うのは簡単よね……。だって、あなたにはヴァニラさんがいるから! でも、あたしにはもう守るべき人がいない……。もういないの! たった今目の前で殺されたんだからっ!」

「玲子さん……」

 玲子の心の底から発せられた悲痛な言葉に、春元は一瞬言葉に詰まってしまった。本来ならば玲子の気持ちを考えて、ここは時間を掛けて説得したいところが、今は時間的な余裕がなかった。そこで春元はあえてこちらの事情を包み隠さず玲子に伝えることにした。

「──玲子さん、君は危険な状況にあって紫人からのメールを読む余裕がなかったかもしれないが……実はヴァニラもデストラップに掛かったんだ」

「えっ……? そう、だったの……」

 玲子が春元の顔をじっと凝視してきた。

「もっとも即死のデストラップじゃなかったから、辛うじて生き延びてはいるけどな……。ただ、いつまで体がもつか分からない。そういう事情があって、オレはこの迷子センターまで救急箱を取りにやってきたんだ。そこでたまたま銃声を聞いて、急いで現場に駆けつけたら、君がいたというわけさ」

 春元はここまでの経緯を掻い摘んで説明した。

「──そうだったんだ……。ごめんなさい……。あたし、全然……知らなかったから……」

「いや、いいんだ。みんな必死だからな。お互いのことまで頭が回らないのはしょうがないさ。ただ、君がまたオレたちと一緒に行動してくれたら、これ以上ないくらい心強い戦力になる。どうだろう? オレと一緒に来てくれないか?」

「春元さん、分かりました。慧登君を置いていくのは心苦しいけど、あたしも──」

 春元の言葉を聞いて、一時の激情から立ち直ったのか、玲子がようやく重い腰を上げようとした。

 そのとき、2人のスマホからメールの着信音があがった。

「またかよ! 今度は何だ?」

 苛立ったように春元はスマホを手に取った。

「まさか、ヴァニラさんが──」

 玲子も慌てた様子で自分のスマホを取り出す。


『市内全域に竜巻注意情報が出されました。竜巻及び突風発生のおそれがあります。すみやかに頑丈な建物に移動し、安全の確保に努めてください』


「えっ、これってどういうことなの……?」

 解答を求めるように玲子が春元の顔を見やる。

「いや、オレも分からない……。ただ、この状況で届いたということは、あるいはデストラップの前兆を示しているのかもしれないが、どういう意味なのかまでは……」

「デストラップの前兆……? それって、この後に園内のどこかでデストラップが発動するっていうことなの……? あっ、もしかして――」

 春元の顔を見つめていた玲子の視線が、不意に春元の背後に位置する窓に向けられた。いや正確に言うと、窓の外の景色に向けられた。

「――春元さん……ごめんなさい。あたし、やっぱり一緒に行けない。行けなくなったから」

「えっ? 何を言ってるんだ。今言っただろう。このメールはデストラップの前兆を示しているかもしれないんだぜ。ひとりでいるよりも、みんなで一緒にいた──」

「ううん、違うの。あの男を倒せる可能性を見つけたの。だから、春元さんはひとりで逃げて」

 春元を逆に説得し始めた玲子の視線は、窓の外に見える『アトラクション』に釘付けになっていた。

「男を倒せる可能性って、どういうことだ?」

「デストラップにやつをおびき寄せてやるの。そして、慧登君の仇を討つの!」

「デストラップ……?」

 春元はそこでようやく玲子の視線が自分ではなく、窓の外に向けられていることに気が付いた。自分も視線を外に向ける。そこに見えたのは遊園地の花形である『アトラクション』であった。

「まさか、『あのアトラクション』が今回のデストラップだというのか? だとしたら、オレも何か手伝うことが──」

「ううん、春元さんはヴァニラさんの元に急いで。今のヴァニラさんに必要なのは、春元さんの存在だから」

 玲子の言葉に春元は苦笑いを浮かべた。

「どうしたの?」

「いや、同じようなことをスオウ君にも言われたと思ってさ。そんなにオレとヴァニラは似合いのカップルに見えるのか?」

「そうね、凸凹コンビのように見えて、実は気が合う同士って感じに見えなくもないけど。でも、春元さんはヴァニラさんの『事情』を分かってるの?」

「ああ、『あの事情』だろう。もちろん、分かってるさ。最初は分からなかったけど、途中からなんとなく気が付いたよ。ヴァニラの話の節々にも『ボロ』が出ていたからな」

「そうだったんだ。それじゃ、もうあたしが口を出すことはないわね。──さあ、ヴァニラさんの元に急いであげて」

「いや、その前に君の作戦だけ聞かせてくれ。まさか玉砕覚悟で立ち向かうつもりじゃないとは思うけど」

「大丈夫、そんなバカなことはしないから。今思ったんだけど、ここに有る物で使えそうな物がいくつかあるから、それを使えばどうにかなるかなって思って──」

「そこまで考えているのならば、オレの出る幕はなさそうだな。でも、もしも危険を感じたら絶対に無理はしないで逃げるんだぞ」

「うん、分かってる」

「やっぱり、オレも残って──」

 それでもまだ春元はここに玲子と離れ離れになることに躊躇があった。

「いいから春元さんはヴァニラさんのもとに急いで戻って。あたしは大丈夫だから!」

「──分かった。そこまで言うのならば、オレはこれで戻ることにするよ」

 春元はこれ以上何を言っても玲子の気持ちが変わらないことを察した。玲子にも玲子なりの思いがあるのだ。そこは尊重しなくてはならない。

「ありがとう。ヴァニラさんにもよろしく言っておいてね。あたし、ヴァニラさんとならば親友になれた気がするの」

「おいおい、それってもう会えないような言い方じゃないかよ」

「そうだね。じゃあ、言い方を変えるから。──ヴァニラさんと春元さんの結婚式にはぜひ呼んでね」

「おいおい、今度は極端な言い方だな」

 そこで2人はそろって顔に笑みを浮かべた。緊張と緩和が混ぜ合わさった、そんな笑顔だった。

 そして、2人は迷子センターで再び分かれて別行動に移った。


 ――――――――――――――――


『市内全域に竜巻注意情報が出されました。竜巻及び突風発生のおそれがあります。すみやかに頑丈な建物に移動し、安全の確保に努めてください』


 開いたメールは、紫人からのものではなかった。しかし、そこに書かれていた内容は、間違いなく危険を知らせるものであった。すぐにスオウの頭に浮かんだ単語がある。

 デストラップの前兆──。

 常識的に考えれば、単なる気象注意を促すメールでしかないが、スオウは今デス13ゲームという命を懸けたゲームに参加している身である。そのことを踏まえて考えると、このメールはデストラップの前兆が示されていると考えた方が良かった。


 そうか! このメールに書かれているデストラップの前兆を解読して、あの男をデストラップに引きこむことが出来たら、もしかしたら──。


 頭に閃きが走り、一気にそこまで思考がたどりついた。

 スオウとて、いくらあの男が自分の命を狙っているといっても、積極的に殺そうという気は起きなかった。ただの高校生の自分が人を殺せるとも思っていない。でも、デストラップに掛けるぐらいなら、なんとかなりそうな気がした。

「問題はこのメールの文章が、どんなデストラップの前兆を示しているかだけど……」

 スオウは独り言をつぶやきながら、周辺をぐるっと見回した。華やかなアトラクションの数々が見える。この中にデストラップに関係するものがあるかもしれなかった。

「もしもデストラップが発動するとしたら、『あのアトラクション』の可能性が高いよな」

 スオウの視線が『あるアトラクション』で固定される。アトラクションの形状が、まさにメールの内容と符号するように思えたのだ。

 ちょうどそのとき、追ってくるあの男の姿が見えてきた。

「自分の勘を信じて、『あのアトラクション』にあいつを誘い込むしかないか」

 服のポケットから美佳に借りた痴漢スプレーを取り出す。このスプレーを有効活用して、上手い具合にあの男だけアトラクションに残るように仕向けたかった。

 園内に植えられている木々の葉がざわめきだした。スオウも全身に風の流れを感じる。メールにあった警報通り、少しずつ風が強くなってきていた。

「あとはデストラップが発動するタイミングを見誤らないことだな」

 スオウは自分の方に近付いてくる男の様子をじっと観察した。手には凶器を持っているが、足を今も引きずっている。これならば面と向かって対峙しても、いきなり斬られることはなさそうだ。つまり、こちらにもチャンスがあるということである。

「おいおい、いつまで鬼ごっこをすればいいんだよ? いいかげん、走るのにも飽きてきたぜ。ここらで一対一の対決でもするか?」

 スオウは隠れていた場所から体を晒して、男をわざと挑発した。狙いはデストラップへの誘導である。

「クソガキが! そこで待ってろ! その言葉を後悔させてやる!」

 ものの見事にスオウの挑発にのった男が、こちらに向かってくる。

「そっちこそ強気な態度でいられるのも今のうちだぜ」

 スオウは男の様子を確認しつつ、目的の『アトラクション』へと向かった。
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