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第二部 ジェノサイド

第43話 お面の下の顔 第十二の犠牲者

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 残り時間――1時間27分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――8名     
  
 死亡者――10名   

 重体によるゲーム参加不能者――1名

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 ヴァニラに解熱剤を飲ませてから十数分が経過した──。

 ヴァニラの息遣いが心なしか、さきほどより落ち着きを取り戻してきたように感じられる。解熱剤が効いてきたのかもしれないが、油断はまだ禁物である。あるいは、逆にヴァニラの体力が落ちて、呼吸が細くなっている可能性もなくはないのだ。

 春元は着ていたピンクのド派手なジャンパーをヴァニラの体の上から掛けた。ヴァニラの体を冷さないようにする為の処置である。

 ジャンパーの中央には『エリムス』という春元が応援している地下アイドルグループの名前の刺繍が、大きく派手に施されている。

 ジャンパーに縫われた『エリムス』の刺繍──。

 春元は少し前にその刺繍を見て、ゲームを退場してしまった『ヴァニラの望みを叶える案』がひとつあることに考えが及んだ。その案を実現する為には、当たり前だがヴァニラには生きていてもらわないと困る。


 おれがその案を話したら、ヴァニラは喜ぶかな? それとも驚くかな?


 ふと、そんなことを思った。ヴァニラのことだから、あんたがどうしてもっていうのならその案に乗ってあげてもいいわよと、そんな高飛車な返答をするんじゃないかと想像してしまって、思わず苦笑が漏れた。

「とにかく、なんとしてでもこのゲームが終わるまで絶対に生き残るんだぞ」

 眠るヴァニラにそっと語りかけた。

 そのとき──。

 外の方から、乾いた音が何発も連続で聞こえてきた。

「――――!」

 春元はヴァニラをソファの上に残して、無言のまま入り口に走った。その乾いた音には聞き覚えがあったのだ。『アトラクション乗り場』に向かう坂道で聞いたあの音と同じだったのである。

 入り口から見える園内の景色に、おかしな点は見当たらない。不審な人物の姿もない。

 少し前に激しい破壊音が聞こえてきて、直後に、デストラップが発動してゲーム退場者が出たというメールを受け取った。そのときもすぐに外に出て、目で確かめてみた。遠くの方に、ジェットコースターが崩れ落ちているのが見えた。おそらく、デストラップにジェットコースターが使われたのだと思った。

 しかし、今聞こえてきた音はデストラップ絡みではなく、人為的な音に間違いなかった。

 なぜならば、あの乾いた音は間違いなく銃声だった。だとしたら、銃を発砲した人間がいるということになる。そして、それは同時に銃で撃たれた人間がいるということでもあるのだ。

「ヤクザ連中がまだ生き残っていて、この園内をウロチョロしているってことか? だとしたら、ここでじっとしているのは、逆に危険かもしれないな。あるいは、広い園内を逃げ回った方が安全かもな。仕方がない、ここから移動するしかないか」

 春元は走ってヴァニラの元に戻った。ソファに横たわるヴァニラの体の下に両手を入れる。


 あんたにお姫様だっこなんかされたくないわよ。


 ヴァニラに意識があれば、そんなことを言ってきそうな気がした。

「悪いけど、勝手にお姫様だっこをしてもらうからな」

 一応、眠るヴァニラに一言断ったうえでヴァニラの体を抱えあげると、入り口に向かって歩いていく。

「こういう施設ならば車椅子とかあると思うんだけど……。車椅子があれば、ヴァニラをそれに乗せて楽に移動出来るんだけどな……」

『ゾンビ病棟』から外に出た春元は、とりあえず目的地を決めぬままに歩き出した。両手に圧し掛かるヴァニラの重量は考えないことにする。


 あたしの体が重いって言ったら、あたしの跳び蹴りが炸裂するからね。


 ヴァニラに意識があったら、きっとそんな風に憎まれ口を叩きそうな気がした。そして、そんなことを考えていると、不思議と両手に圧し掛かる重量のことなど、それほど気にならなくなっていた。


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 スオウは心地の良い浅いまどろみの中にいた。妹の夢を見ていた。まだ元気な頃の妹である。

 妹は勉強はそれほど得意ではなかったがスポーツは得意だった。兄のスオウよりも運動神経は良かった。中学のテニス部に所属しており、常に県大会の決勝トーナメントに進めるほどの実力の持ち主だった。明るい性格と相まって、異性はもちろんのこと、同姓からも慕われる、ごく普通の中学生だった。


 あの病気が発覚するまでは──。


 重い心臓病。──すぐに入院の処置が取られて、以来、妹はずっと入院生活を余儀なくされている。大好きだったテニスはむろん出来ない。そればかりか、今ではラケットを強く握り締めるだけの握力すらないほど、病は妹の体を蝕んでいた。

 助かる道はただひとつ──心臓の移植手術である。

 しかし、それには多額の手術費用が必要であった。その大金を得る為に、スオウは今夜、この狂ったゲームに参加したのだった。

 夢の中の妹が、なぜか今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。


 おいおい、そんな顔をしないでくれよ。おれがこのゲームに勝って、必ず助けてみせるからさ。


 力強く言ってみせたが、妹の表情は晴れない。むしろ、逆にスオウのことを心配しているようにも見える。


 大丈夫だよ。絶対に生き残ってみせるからさ。


 夢の中の妹に言っているのか、それとも自分自身に言っているのか、スオウにもよく分からなかった。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……………。


「……大丈……丈夫……大丈夫……スオ……オウ……ウ君……スオウ……スオウ君……大丈夫……大丈夫……大丈夫……スオウ君、大丈夫……?」

 夢の中の自分の声に重なるようにして、誰かの呼びかける声が聞こえてきた。どこか懐かしく感じる声。聞いているだけで心が温かくなる声。最初は遠くに聞こえていたのが、徐々に近くで聞こえてきた。

「スオウ君、大丈夫? ねえ、スオウ君、大丈夫なの?」

 耳元のすぐそばで聞こえる声の主のことを、ようやく思い出した。

「あっ、えっ……イ、イ、イツカ……なのか……?」

 目を開けると、自分の顔を上から心配げに見つめるイツカの視線とぶつかった。

「良かった。何度も呼んだのに、全然目を覚まさないから心配したんだよ!」

「そう、だったんだ……。うん、ごめん……おれは、大丈夫だから……」

 返事をしつつも、それでもまだ頭が半分ぼーっとしていた。イツカもスオウの言葉を半信半疑に聞いたのか、釈然としない顔をしている。

「ちょっと疲れたからイスに座ったら、そのままつい眠っちゃったみたいでさ……」

 立ち上がろうとした瞬間、右足に鈍痛が走った。

「あっ、痛っ!」

 思わずよろけそうになったところで、脇からイツカが手を差し伸べて、体をしっかりと支えてくれた。

「ちょっと、スオウ君、本当に大丈夫なの?」

「ああ、ごめん、ごめん……。足を怪我していたのをすっかり忘れていたよ」

 スオウは矢幡に傷つけられた右太ももに目を向けた。すると、その部分に薄いピンクの布が包帯のように巻かれていた。

「これって、イツカがやってくれたの?」

「うん。ここでスオウ君を見つけたときに、すぐに足の怪我に気付いたから。それで道具はなかったけど、とりあえず応急処置だけでもと思って、ハンカチを水飲み場で濡らしてきて、傷口をしっかり拭いて、包帯代わりにタオルで結んだの。ほら、ヴァニラさんの一件があったから、傷口からばい菌が入ったりしたら困ると思って」

「ありがとう、イツカ」

 イツカのきめ細かい心遣いには、心底頭が下がる思いがした。こんな状況下でも、冷静に行動出来ることが凄いと思った。それだけこのゲームに対して、並々ならぬ思いがあるのかもしれない。

「てっきり、あの『ゾンビ病棟』の中で、ずっと隠れていると思っていたよ」

「はじめはそのつもりだったんだけど、なんかスオウ君のことが気になったから、春元さんに断って、外に出ることにしたの。それで慎重に園内を歩いていたら、スオウ君がここで寝ているのを見付けたの。──そういえば悪い夢でも見ていたの? 随分、うなされていたみたいだったけど……」

「えっ? そんなにうなされていたかな?」

「うん、口から唸り声が漏れていたから……。てっきり傷口からバイ菌が入ったんじゃないかって、それで余計に心配したの」

「そうだったんだ……」

 スオウには呻き声を漏らしていた記憶がなかった。ただ──。

「ちょっと夢を見てたんだ……」

「夢?」

「おれのことを心配している妹の夢を見てさ……。なんか、今にも泣きそうな顔をしているから、それでうなされたのかもしれないな……」

 スオウはさっき見た妹の夢を思い返した。

「妹さんの夢か……」

 なぜかは分からないが、そのとき、イツカの顔にさっと『暗い影』が落ちた。しかし、すぐにその『暗い影』を空元気で追い払うような感じで言葉を続けた。

「妹さんはきっと夢の中で、スオウ君のことが心配になったんじゃないかな」

「そうかもしれないな。だとしたら、これ以上妹に心配をさせない為にも頑張らないとな」

 スオウは改めてそう思った。

 そんなスオウの様子をイツカがなんとも言えない切ない目で見つめていたことに、スオウはとんと気付かなかった。

 すぐ傍にいながら、互いの胸の内を知らない2人。

 しかし、2人がそれぞれの思いに浸っている時間は、そう長くは続かなかった。

 少し離れた場所から、乾いた音が何発も立て続けに聞こえてきたのだ。


 ――――――――――――――――


 男の絶叫と、それに続いて聞こえてきたジェットコースターが脱線して落下していく音。そして、コースが地面に雪崩れ落ちていく轟音。

 予想していた以上に、すべて上手くいった。あの男を地獄の底に叩き落してやったのだ。


 慧登君、仇はとったからね。


 玲子は心の中でそっと慧登に向かってつぶやいた。

 それからしばらくの間、操作室の壁に体を寄りかかったままの姿勢でぼーっとしていた。なんだか、心にぽっかりと穴が空いた気分だった。


 慧登君の仇をとれてうれしいはずなのになんでだろう?


 どんなに仇を討ったところで、慧登はもう二度と戻ってこない。そのことを改めて思い知らされた気分だったのだ。

「こんな弱気じゃダメだ。まだゲームは続いているんだから」

 無理やり声に出し、自分に対して気合を入れる。そうして気持ちを一旦整理すると、意識をゲームへと切り替える。

 静かにジェットコースターの操作室を出た。コースター乗り場を歩いていき、搭乗口の階段に向かう。コースはかなりの部分が落下していたが、幸い階段はしっかりと残っていた。

 カツンカツンという音を立てながら、階段をゆっくりと降りていく。

 階段から地面に降り立った。そのとき、周囲で何かが動く気配を感じた。素早く周辺に注意を振り向ける。しかし、異変は見当たらなかった。

「あれ? あたしの気のせい……? 少しナーバスになっているだけかな……」

 小首を傾げつつ、前へ一歩足を踏み出そうとした瞬間、脇腹の中を突如冷気が走り抜けていった。


 えっ、何これ? そういえば竜巻注意情報が出ていたけど、突風でも吹いたの?


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、なぜか体が前傾姿勢になっていった。視界いっぱいに地面が近付いてくる。


 なんなの……? どうしたっていうの……?


 頭の中に疑問符を浮かべたまま、玲子は地面にどっと倒れこんだ。顔面を強打したが、なぜか痛みはまったく感じなかった。


 あ、あ、あたし……どうしたの……? な、な、なんだか……か、か、体が……おか……しい……?


 答えが出ぬまま、疑問に押しつぶされそうになる玲子の元に、人の気配が近付いてきた。渾身の力を込めて顔を上げる。

 視線の先に、夏祭りの屋台で売っているような愛らしいキャラクターのお面を顔に付けた人の姿があった。お面の絵柄だけ見れば微笑ましいが、なぜか薄ら寒いものを感じた。

 その理由がすぐに分かった。その人物の右手には、物騒極まりないものが握られていたのだ。


 け、け、拳銃……?


 脳裏に単語が浮かんだ。その瞬間、自分の身に何が起きたのか悟った。

 右手を脇腹に伸ばしてみる。指先にねっとりとした液体が纏わり付いた。肉眼で確認するまでもない。脇腹から出血しているのだ。それも大量に。


 これだけ……出血して……いるってことは……助かる……見込みは……なさそうね……。それで……痛みすら……もう、感じ、ない、んだ……。


 玲子はひどく冷静に自分の状況を理解した。

「俺の射撃の腕前も、まだまだ捨てたもんじゃないな」

 お面から覗く口から発せられた低い男の声。

「お、お、おま……おまえ、が……じゅ、じゅ……じゅうを……」

 玲子はやっとの思いで途切れ途切れの声を発した。

「ああ、そうだ。相手がお前じゃ、迂闊には近寄れねえからな。失敗は一度で懲りたからな。二度の失敗はしたくないんで、慎重を期したってわけだが、どうやらそれが奏功したみたいだな」

 お面男は何も持たない左手でお面の端を掴むと、一気にお面を外した。

 果たして、お面の下から出てきた顔は──。

「お、お、おまえ……!」

 生気を失いかけていた玲子は、これ以上ないくらいの驚きの表情を浮かべた。その顔には確かに見覚えがあった。つい数時間前にホテルの前で見た顔である。

 大金をバラ撒いたホテルで──。

「覚えていたみたいだな。そうだよ、あのときの『刑事』だよ」

 お面男はさらりと自らの身分を明かした。

「な、な、なんで……け、け、刑事が……こんな……ところに……?」

「俺も紫人とかいうあのふざけた男に、今夜ここでやっているパーティーに招待されてな」

「それじゃ……あのときの……か、か、金のことで……」

「ああ、あの金絡みの件で、わざわざこんなところまで来たんだよ。――お前も薄々は気付いていると思うが、俺はいわゆる正義のおまわりさんじゃなくて、悪徳刑事って呼ばれる方のタイプでね。本業以外でいろいろと金儲けをしていたんだよ。そこにお前が入り込んできたから少しややこしくなったが、それもこれで終わりだ。お前が死ねば、俺の悪行を知っている人間はいなくなるからな」

 刑事を名乗ったお面男はなんら躊躇うことなく、ごく自然な動作で銃口を向けてきた。

 2メートルと離れていないところから向けられた銃口。加えて、こちらは動くこともままならない瀕死の重体である。この状況下で逃げる術を考えるのは、時間の無駄な気さえした。
 
 いっそうのこと一秒でも早く撃ってくれたら、と思っていたとき──。

「そういえば、あの女子高生も園内にいるって紫人が言ってな。ちょうどいい。後顧の憂いを残すくらいなら、ここでまとめて始末しちまった方がいいかもしれねえな」

 お面男は玲子がすでに虫の息で聞いていないと思ったのか、そんなことを独り言みたいにつぶやいた。


 あの……女子……高生……?


 暗い闇に引きずり込まれそうになっていた玲子の意識だったが、お面男のつぶやき声を聞いて、こちら側の世界に戻ってきた。


 それって……もし、かして……イ、イ、イツカ、ちゃんの……こと……?


 このゲーム内で女子高生は2人しかいない。イツカと美佳である。2人とは話す機会がほとんどなかったが、短くない時間を一緒に行動してきた。

 ふと、慧登の顔が思い浮かんだ。慧登ならきっとこんな場面でも、最後まで諦めずに行動するように思えた。

 だったら、自分も行動を起こさないといけない。ここでただ無駄死にしたのでは、せっかく命懸けで助けてくれた慧登に顔向けが出来ない。

 しかし、今の玲子の状況ではやれることは限られてくる。その中で、もっとも効果的な行動を必死に探る。

「おや、まだ意識があるのか? 美人局をやるくらいだから、案外、根性が座っているのかもしれねえな。――おい、最後に言い残すことがあるのならば、聞いてやってもいいぜ。最後くらいは優しいおまわりさんになってやるよ」

 お面男の嘲るような声を聞きながら、人生最後の名案を必死に考える。


 この……あ、あ、悪徳刑事の……正体を……み、み、皆に……伝えないと……。その為には……ど、ど、どうしたら……いい、のか……?


 お面男を見上げているだけの体力がなくなり、不意に頭ががくんと落ちた。そのとき、視覚が右手の指先に付いた血を捉えた。


 血……血……そ、そ、そうだ……こ、こ、この……血を……使って……。


 玲子は右手を自分の顔まで懸命に引き上げた。そして、血で濡れた指先で口元をなぞった。


 み、み、みんな……あ、あ、あたしが……さ、さ、最後に……出来るのは……『コレ』だけ、だから……。お、お、お願い……ぜ、ぜ、絶対に……き、き、気が付……いて………………………………………………………………。


 玲子の意識は闇の向こうに連れて行かれた。


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「ん、なんだ? 死んだのか?」

 止めを刺す前に死んでしまった玲子のことを冷たく見下ろすお面男は、玲子の口元を見て、わずかに眉根を寄せた。血で染まった玲子の唇。

「自分の血を使って死化粧でもしたのか? それとも別の意味があるのか? まあ、とにかく死んでくれたみたいだし、深く考える必要はないか。それよりも、銃弾が節約出来て良かったぜ」

 お面男にとっては血で彩られた玲子の死化粧よりも、拳銃の残弾数の方がはるかに大事だったのである。
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