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第三部 ノーサイド

第60話 春元と妹と、もうひとりのその後

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 その日、街の小さなライブハウスには、キャパシティを遥かに上回る観客が押し寄せていた。まだライブは始まっていないにも関わらず、館内には観客の熱気が充満しており、今か今かとボルテージも上がっていた。

 ライブハウスの入り口付近には、幾つかのテレビ局の取材と思われるカメラクルーが何人も待機していた。豪華なお祝いの花もたくさん飾られている。

 今日ここに集まった皆のお目当ては、これから行われる『日本初』のあるアイドルグループのお披露目公演だった。

 そんな興奮状態にある集団の中に、異質な男の姿があった。街中でよく見掛けるサラリーマン風のスーツ姿の男。身に着けているスーツは量販店で売られているような、ごく目立たない安物のスーツである。顔にもこれといった特徴がない。面と向かって挨拶を交わしても、別れてから一分もしないうちに忘れてしまうようなありふれた顔である。

 特徴がないことこそが、唯一、この男の特徴を表わしていた。

 男は当たり前のようにライブハウスの中に入っていくと、これもまた当たり前のように関係者以外立ち入り禁止のはずの出演者の控え室へと向かっていく。

 誰も男の歩みを止める者はいない。自然体で振る舞う男を見て、誰もが関係者だと思い込んでしまっているのだ。

 控え室の前まで来たところで、ちょうど控え室のドアが中から開いた。ドアには『エリムス様』と書かれた紙が貼られている。

 廊下に出て来たのは、派手なピンクのジャンパーを着た男だった。胸元の辺りに『アルファベット』で大きく『エリムス』と刺繍が施されている。

「あっ、あんたは……」

 ジャンパーの男はスーツ姿の男の顔を見て、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐになるほどなという風に頷いた。

「いつかオレの前に現われるんじゃないかと思っていたが、まさか今日だとは思わなかったぜ」

 ジャンパーの男は言葉を続けた。

「こんな晴れの日に死神の代理人がやって来てしまって、逆に迷惑じゃなかったですか?」

 スーツ姿の男──紫人が訊き返す。

「そんなことはないさ。むしろ君にはぜひ、この晴れの舞台を見てもらいと思っていたから良かったよ。本当はこちらから連絡をしたかったんだけど、ゲームのときに使っていたアドレス宛てにいくらメールを送っても、送り返されてきて連絡が出来なかったんで……」

「我々とゲーム参加者の関係は、あくまでもゲームが開催されている期間だけの関係ですから。それに死神の代理人にいつまでも付きまとわれたら、それこそ不安になるでしょ?」

「いや、オレの場合は君たちのお陰で助けられた身だからな。ちゃんと面と向かってお礼も言いたかったんだよ」

「そう言ってくださると、こちらとしてもゲームを開催した意義があるというものです」

「本当に君たちのお陰で助かったよ。妹に代わって礼を言わせて貰うよ。──ありがとう」

 ジャンパーの男──春元は丁寧に一礼した。

「いえ、こちらこそ危険なゲームにご参加頂いて、本当に感謝しております」

 春元と同じように紫人も折り目正しく一礼する。

「こうして立派なお披露目公演を行えるのも、君たちから受け取った賞金のお陰だからな」

「見たところ、マスコミもたくさん押しかけていて、立派な公演になりそうですね」

「実は『ある伝手』を頼ったんだよ」

「伝手、ですか?」

「ああ、その男がマスコミ各社に今日のお披露目公演のことを流してくれたんだ。そうしたらご覧の通り、これだけたくさんの取材陣が集まったというわけさ」

「その方はマスコミ関係者なんですか?」

「いや、ただのフリーライターだよ。でも、マスコミの裏側に精通していて、マスコミが喰い付きそうなネタを知っているのさ」

「なるほど、そういう人物とお知り合いだったんですね」

「──君もよく知っていると思うけどな、たぶん」

 春元は不意に声をひそめて、意味深につぶやいた。

「えっ? わたくしの知っている人間ですか? 人間とは深い関わりは持たないように心がけているのですが……」

 珍しく紫人の口調に動揺が混じった。

「その男とはもう学生時代からの長い付き合いでね」

「学生時代のご友人は大事にしないといけませんね」

「今回君にゲームの話を持ちかけられたときに、真っ先にその男の元に相談をしに行ったんだ。そうしたら、まさかまさかの話を聞けてね──」

「――――」

 どこにでもある紫人の顔に変化があった。眉尻がほんの少しだけぴくりと動いたのである。春元の話に興味を示しているのだ。

「そのフリーライターをしているというご友人のお名前を教えて頂くことは出来ますか?」

「――瓜生うりゅうというのが、そいつの名前だよ」

「――瓜生……なるほど分かりました」

 紫人がほおーという感じで一度大きく頷いた。

「その瓜生さんというのは、もしかしたら前回の『デス13ゲーム』に――」

「ああ、参加していた男だよ」

 春元は紫人の後に続く言葉を受け取った

 春元の学生時代からの友人である瓜生は、フリーライターを生業としており、特に都市伝説ネタに詳しかった。だから春元は紫人の話を聞いて、すぐに瓜生に相談したのである。もちろん、そのときは瓜生がデス13ゲームに参加したことがあるとは知らなかった。少しでもいいからデス13ゲームについての情報が得られればいいという思いしかなかった。

 それが蓋を開けてみれば、まさかまさかの事実を聞かされた。瓜生は前回のデス13ゲームに参加していたのだ。

 春元の話を聞いた瓜生は、絶対にゲームに参加しないように強硬に言ってきた。デス13ゲームがどれほど危険なゲームなのか懇切丁寧に教えてくれた。

 しかし、ゲームに参加する以外に残された手段がなかった春元は、瓜生の説得には耳を貸さずに、結局ゲームに参加することを強行した。

 春元がゲーム開始当初に、はじめからデス13ゲームのことを知っていたかのような口ぶりだったのには、こういう理由があったのである。

「春元さんと瓜生さんとが知り合いだったとは、いやはや、それはわたくしの調査不足でした。上司に知られたら、かんかんにどやされてしまいますね」

 紫人が珍しく冗談交じりの口調で言った。

「死神でも分からないことがあるんだな」

 春元は意外だなという風な表情で、紫人の顔を見返した。

「死神といえども、万能の神というわけではございませんので。いえ、逆に言えば、分からないことがあるからこそ、人生は面白いのではないかと思います」

「なるほど。それはいえてるかもしれないな。でも、死神に人生を説かれるなんて、なんだか不思議な気分だよ。そういえば、肝心の死神さんは今日は来ていないのかい? 『あの子』にもぜひ会いたかったんだけどな」

「わたくしの上司は本日、別の所に出向いておりまして、こちらに伺うことが出来なかったんです。ご期待に添えられなくて、まことに申し訳ございません」

「別の場所ね……。てっきり、オレが『あのこと』に気付いたから姿を見せないのかと思ったよ──」

 春元は意味有りげな口振りで紫人に鎌をかけた。

「まあ、『その件』については、上司から必ず聞いてくるようにきつく言われてきていますが──」

 紫人の顔に初めて人間らしい苦笑が浮かぶ。

「そういうことならば少し場所を移動しようか。ここで話すって訳にはいかないだろう?」

「良いんですか? そろそろライブが始まる時間なのでは?」

「いや、話すぐらいの時間ならあるから大丈夫だよ」

 春元も紫人に聞きたいことがいくつかあったのだ。

「それではお言葉に甘えて、もう少しだけお話をしましょうか」

 2人は廊下を歩いていき、ライブハウスの裏口から外へ出た。

 そこは路地裏の行き止まり。通りからも奥まっているので、2人が話をしていても誰の耳にも届かないだろう。

「それで、どちらから話したらいいかな?」

 春元はさっそく話を切り出した。

「僭越ながら、先に『例の件』について教えていただけますか?」

 紫人が訊いてきた。

「分かった。それじゃ、『その件』についてから話そうか。──実を言うと、オレもゲームの最終局面まで全然気付かなかったんだ。最後の最後に『コレ』を目にしたときに、ようやく気が付いたというわけさ」

 春元は自分が着ているピンクのジャンパーの胸元部分を指差した。

 そこには春元が名付け親であり、深く愛してやまないアイドルの名前が『アルファベット』で大きく刺繍されている。


『エリムス』


 それが春元が応援しているアイドルの名前である。

「この名前は『英単語を無理やり逆から読んで作った』ものなんだ。妹がまた元の『笑顔』を取り戻してくれるようにとの願いを込めてね。それで気が付いたというわけさ」

「――なるほど、理解出来ました。そういうからくりがあったんですね」

 春元の説明を聞いた紫人は感心したような表情を浮かべている。

「オレも気が付いたときには、まさかと思ったよ。『あの子』は死神のイメージとは、一番かけ離れた外見をしていたからな。でも、あんな危険なゲームの最中に、こんな偶然があるとはどうしても思えなかった。だから、『あの子』の正体は死神で間違いないと考えたのさ。本当はもっと早くに気が付いていれば良かったんだけどな。なにせ、死神は『はじめから自分の正体を自分の口で』、オレたちに『教えてくれていた』んだからな。ほんと、『あの子』にはまんまと一杯食わされたよ。――どうかな? オレの考えは合っているのか? それとも間違っているのか?」

「はい、春元様のご賢察の通りです。『あの方』こそ、わたくしの上司である死神になります。ゲーム参加者の様子を身近で見るために、あのような形でゲームに参加していたんです」

「やっぱりそうだったのか──」

 春元は首を何度も上下に動かして首肯した。ずっと頭の隅で引っ掛かっていた事柄に、これでようやく決着がつけられた。

「オレに聞きたいことはそれで終わりかな?」

「いえ、実はもうひとつございます。──これは上司から聞いてこいと言われたわけではないのですが、個人的に気になっている件がひとつございまして。もし可能であるならば、わたくしに教えていただきたいのですが──」

 そこで紫人は一回言葉を切ると、スーツのポケットから一枚の紙切れを取り出して、春元の方に向けてきた。

「──『この件』については、いつから気付かれていたんですか?」

 紫人が手にしている紙切れは、ライブハウスの前で配られていた公演を知らせるチラシだった。いわゆる、フライヤーと呼ばれているものである。可愛らしいステージ衣装を身に付けた2人の女性の写真が印刷されている。さらにチラシの中央には──。


『エリムス再始動! 今日からエリムスは二人組みのアイドルユニットとして生まれ変わります! 日本初! 引き篭もりとニューハーフによる、夢のアイドルユニット誕生!』


 ポップな字体で派手なキャプションが踊っている。

「ああ、『その件』のことか。──オレも始めのうちはまったく気が付かなかったよ。ヴァニラという名前はいかにも水商売にありそうな源氏名みたいだったし、派手な服装も水商売を連想させるものだったからな。低い声はきっとキャバクラ勤めで酒焼けをしているんだろうなぐらいしか思わなかったよ。だから、最初は女性として見ていた。ただ、あいつの話を聞いていると、所々腑に落ちない点が多々あってさ。特に『高校野球』の話なんかはおかしいなと思いながら聞いていたんだ。それで途中から、もしかしたらと思い始めたんだ」

「ご本人さんには『その件』は確認しなかったのですか?」

「ゲーム中にそんな重大な話を聞くわけにはいかないからな。それに本人が『その件』を隠し通すつもりだったのならば、なおさらこちらから聞くわけにはいかないと思ったし」

「お優しい心遣いですね。──今回こういうアイドルユニットを作ろうとお考えになったのはいつなんですか?」

「ヴァニラがゲームを途中退場したときは考えもしなかったよ。ヴァニラを助けることで精一杯だったからな。でも、苦しんでいるヴァニラを見ているうちに、ふと気が付いたんだ。もしかしたら、オレのやりたいと思っていることにヴァニラを参加させれば、ヴァニラの希望を叶えることが出来るんじゃないかってね。ヴァニラはゲームを退場して、賞金を手に入れることが出来なかったが、アイドルとして活動することで、お金を稼げるんじゃないかと思ったんだ。それで体調が回復したヴァニラを病院に訪ねて、話をしてみた。エリムスに加入しないかとね。ヴァニラの性別については、そのときに確認したんだよ。最初は話を渋るかと思ったけど、案外ヴァニラはすぐに承諾してくれたよ。その結果、本日お披露目公演の運びとなったというわけさ。オレとしても妹ひとりよりも、ヴァニラが一緒にいてくれた方が、マスコミが何倍も喰いつくという算段があったけどな」

「その作戦は見事に成功したわけですね」

「ああ、こんなにもたくさんの人が集まってくれたわけだからな」

 春元は紫人が手にしたチラシに万感の思いが篭った眼差しを向けた。


 引き篭もりとは、言うまでもなく春元の妹の由梨奈のことである。
 そして、ニューハーフとは──ヴァニラのことである。


 ヴァニラの性別が『男』であることに気がついたとき、春元は同時に察したことがあった。ヴァニラが命を懸けた危険なゲームに参加した理由である。ヴァニラは性転換手術の費用を得る為に、ゲームに身を投じたのだろうと予想した。果たして、春元の予想は間違っていなかった。病室でヴァニラに妹のアイドル再デビューの話をしたとき、ヴァニラは性転換手術のことを包み隠さずに話してくれたのである。

 今だに性差別が根深く残る日本で、春元は当たり前のようにヴァニラの性別をすんなりと受け入れていた。それが不思議であると思うことも一切なかった。



 春元は知らなかったが、ヴァニラが春元に思いを寄せるようになったのも、そんな春元の暖かい心に引かれたからだった。春元の妹とアイドルユニットを組むことにしたのも、性転換手術の費用という事情もあったが、それ以上にこれからも春元と一緒にいられるという気持ちの上での理由が大きかった。もちろん、そんな裏事情について、春元はまだ知らずにいるが――。



 どうやらこの2人の仲が近付くには、まだまだ時間が掛かりそうな雰囲気である。


「――わたくしがお聞きしたかったことはこれで以上ですが、春元様の方からはどうですか? わたくしがお答えられる範囲の質問であれば、お答えいたしますが──」

「オレは死神の正体を聞きたかったんだが、今の話で全部分かったからな。他に聞きたいことは……そうだ、忘れるところだった。もうひとつ、ずっと気になっていたことがあったんだ。スオウ君のことだけど──」

「それでしたら、わたくしの口からお話しすることが出来ます。──ゲーム終了後のスオウ様は現在──」


 その後、ゲーム勝者の春元と死神の代理人である紫人との会話は、公演が始まるギリギリの時間まで続いたのだった――。
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