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詩人になりたかった
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大学の構内である。昼休み時で、私は広場の隅に備え付けられている粗末なベンチに座り、コンビニで買ったおにぎりをもそもそと頬張っている。
「えー、皆さん、どうも、音楽学科のミヤモトっていいます!」
きんきんとやかましく響くマイクの音が聞こえて、ふとそちらに目を向ける。
広場の中央にいつの間にか何人か集まっている。その中心にはギターを抱えた男子学生が立っている。
「聴いてください。ヤスダ先生へ捧げる愛のうた。君を想うと」
スタンドマイクにこれでもかと叫んだあと、その男子学生はギターを弾き始める。ぎゃりぎゃりとこれまたやかましい音が響く。それに乗せて歌い始める。そこらへんの人よりも下手くそなくらいの歌声を垂れ流す。しかし本人は至って楽しそうである。周囲に集まっている学生たちはくすくす笑っている。
――イキってんじゃねえよ、クソが。食事中に不快なもん聴かせんな。
心の中で悪態をつき、しかしそれが表に出ることはなく、私の口はただねちょねちょと米粒を咀嚼するだけだった。
いつもは昼飯を食べ終わると、何もせずに次の講義までぼーっと虚空を見つめるのだけれど、今日に限ってはその男子学生のギターの音と歌声があまりにも不快で、大学付属の図書館に逃げ込んだ。
さすがに図書館の中にまであの不快な雑音どもが侵入してくることはなく、ひとまず一息ついた。
適当に文学の棚から小説を取り出して、手近な席に着いて読む。が、私の耳はどうにも無駄に敏感なようで、すぐにまた別の不快な声を感知する。
すぐ近くの席で、二人の女子学生が、今期はあれが良いだ、これはダメだ、とくだらないアニメの話をしている。本人たちは大して大声で話していないつもりなのだろうけれど、私の耳には否応なくその女子学生どものどうでもいい会話が一期一句鼓膜に忍び込んでくる。
――図書館でアニメの話なんかしてんじゃねえよ、気持ち悪い。
また心の中で悪態をついて、でも決して口に出すことはなく、結局その女子学生どもから少し距離を置いた席に身体を移した。
そうこうしているうちに、次の講義がある時刻だ。
指定されている講義室に向かった。私が入ってきた時点ではまだ学生は疎らだったが、あとからぞろぞろとだるそうに集まってくる。講義室がだんだんと騒がしくなってくる。この瞬間が嫌いだ。閉塞的な中学校や高校の教室を思い出す。息苦しくなる。
大学とはもっと静かに学問をするところだと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、高校生に毛が生えているだけの連中が、ただ就職を有利にするために惰性で通ってきているだけである。
――変な夢を見ている方が悪いって笑うんだろ、どいつもこいつも。
苛立ちを隠すように、また周囲の騒がしさを紛らわせるために、公費のテキストを読むのに没頭しようとする。しかし文字をただ目で追うばかりで内容は頭に入ってこず、代わりにひたすら騒がしい周囲の声が嫌というほど鼓膜を通って頭に入ってくる。
その中でも特にひどいのは自分が座っている席から後ろ右隣の席を陣取っている男女混同の一団である。ひと際大きな声で喋っている。
「お前さあ、全然講義来ないじゃん。単位取れないぞ」
「いやあ、仕方ないって。最近配信で忙しいの」
「ゲーム配信してるんだっけ?」
「そうそう。最近結構人気出てきてさ。やめられないわけよ」
「でもあんた、この講義のテキストも買ってないじゃん。教材の売店、今日閉まるよ」
「うへえ、マジか。これもう詰んでんじゃん。帰ろうかなあ」
「おー、帰れ帰れ」
「マジで帰ろっかなあ。単位取れなさそうなら大学来る意味なんかねえし」
「そんなこと言ってたら留年するよ」
「したって別にいいね。つーか退学したっていいよ。未来の俺はゲーム配信で食ってんだからな」
「あー、はいはい、もうほんとに鬱陶しいから帰って帰って」
「そうだそうだ、やっぱり帰れ帰れ」
「なんだよお、お前ら冷たいじゃんかあ」
そして一同揃ってげらげら大笑い。
私はどうにか平穏を保とうとするのだけれど、貧乏ゆすりという形で一部外部に漏れだしてしまっている。でも誰も私になんか興味がないので、気づかれることもないし気にされることもない。
――ああ、うるさいうるさい、馴れ合いばっかしやがって。もう二度と大学に来るなよ。お前らなんて、どこかで自分たちの自信過剰に潰されて野垂れ死んでしまえばいいんだ。
悪態がどんどん湧いて出てきて、それに呼応するように貧乏ゆすりは激しくなる、だがしかし、やはり誰も私のことなんか見ていなくて、何でこんなに自分が苛立っているのかもよくわからなくなる。
教授が講義室に入ってきて、少し騒がしさが和らぐ。ほんの数分間のことのはずなのに、ずいぶんと長かったような気がする。あの一団もさすがに声を潜め、ようやく私の心は落ち着いてきて、貧乏ゆすりも治まる。
講義を受ける。講義の時間が一番好きだ。いつもはやかましい学生どももこのときばかりは静かで、何よりも学問をしているという感覚になれる。このために私は大学に来たのだと思うことができる。私は前のめりになって教授の話に耳を傾け、ノートをとる。しかし目の端には、机に突っ伏して寝ている学生の姿が目に入る。邪魔だ。貧乏ゆすりが復活する。
結局そいつは講義が終わるまで顔を伏せたままで、私の貧乏ゆすりも止まらなかった。
講義終了後、学生たちが帰っていく前に、教授が早口でまくし立てるように言った。
「今週のね、金曜日の四限目に共通講義棟の方で、イトジマ先生という日本近代文学の権威の先生が来られて、講演会をやられます。テーマは森鴎外の舞姫について。対象は二年生だけど、皆さん文学部の学生ですし、ぜひ受講してください」
教授の話が終わるか終わらないかのうちに、大半の学生はすでに講義室から姿を消していた。私はただじっと席に座り、教授が少し残念そうな表情で講義室を出ていくのを見届けてから立ち上がった。
教授の言っていた講演会には興味があり、ふと忘れないように思い立ち、学生手帳を取り出してそこにメモを書いているとき、講義室に居残って後ろでぐちゃぐちゃ喋っている二人の男子学生の声が嫌でも耳に入ってきた。
「お前さあ、行く?」
「何に?」
「さっき先生が言ってたやつ。あの、なんとかって先生の講演会」
「そんなもん行くわけないじゃん。行く意味がわからん」
瞬間、振り返ってそいつの顔を思い切りぶん殴ってやろうかと思った。というよりも、そういうイメージが頭に浮かんだ。しかし、ただそれは浮かんだだけである。実際の私は黙々とメモを書いているだけだし、振り向く動作をしようとすることもなかった。
「だよなあ。単位にもなんないもんに誰が行くかっての」
「そんなことよりもさ、FGOやってんだけどさ――」
「あー、あれ最近アップデートあったよな――」
後ろの男子学生二人は、もうよく知らないゲームの話を始めた。
――そんなにゲームが好きなら、専門学校にでも行けよ。
心の中で怒鳴った。でもそれは相変わらず、自分の内側で反響するのみだった。
私はメモをとり終わると、目を伏せ、後ろの男子学生二人の顔を見ないようにしてそそくさと講義室を出た。もっとも、その二人は私の存在など認識もしていなかっただろうが。
外に出る。悶々と渦巻く感情の逃げ場を探すように、そっと頭を上げて視線を空へと向けた。
秋の寒々しい空気に晒された空は妙に高くて。
雲がやけに白く光っていて、風に流される落ち葉が地面を擦る音ががさがさとうるさい。
何かが言葉になりそうだったけれど、それはぐにゃぐにゃと輪郭も持たずに揺れるばかりで、形になりかけてもすぐにどろどろと溶けてしまって。
意味もなく喚き散らしたいような衝動も、ぎゅっと握った手のひらの中で押し潰される。
一瞬、雲の隙間を縫うようにひらひらと文字が降ってきたような気がして、思わず目を見開いてみるけれど、それはぱっと散って塵と化し、風に吹き飛ばされていく。
私はそんな情景を、ただ見上げていた。ただ、見上げているだけだった。
「えー、皆さん、どうも、音楽学科のミヤモトっていいます!」
きんきんとやかましく響くマイクの音が聞こえて、ふとそちらに目を向ける。
広場の中央にいつの間にか何人か集まっている。その中心にはギターを抱えた男子学生が立っている。
「聴いてください。ヤスダ先生へ捧げる愛のうた。君を想うと」
スタンドマイクにこれでもかと叫んだあと、その男子学生はギターを弾き始める。ぎゃりぎゃりとこれまたやかましい音が響く。それに乗せて歌い始める。そこらへんの人よりも下手くそなくらいの歌声を垂れ流す。しかし本人は至って楽しそうである。周囲に集まっている学生たちはくすくす笑っている。
――イキってんじゃねえよ、クソが。食事中に不快なもん聴かせんな。
心の中で悪態をつき、しかしそれが表に出ることはなく、私の口はただねちょねちょと米粒を咀嚼するだけだった。
いつもは昼飯を食べ終わると、何もせずに次の講義までぼーっと虚空を見つめるのだけれど、今日に限ってはその男子学生のギターの音と歌声があまりにも不快で、大学付属の図書館に逃げ込んだ。
さすがに図書館の中にまであの不快な雑音どもが侵入してくることはなく、ひとまず一息ついた。
適当に文学の棚から小説を取り出して、手近な席に着いて読む。が、私の耳はどうにも無駄に敏感なようで、すぐにまた別の不快な声を感知する。
すぐ近くの席で、二人の女子学生が、今期はあれが良いだ、これはダメだ、とくだらないアニメの話をしている。本人たちは大して大声で話していないつもりなのだろうけれど、私の耳には否応なくその女子学生どものどうでもいい会話が一期一句鼓膜に忍び込んでくる。
――図書館でアニメの話なんかしてんじゃねえよ、気持ち悪い。
また心の中で悪態をついて、でも決して口に出すことはなく、結局その女子学生どもから少し距離を置いた席に身体を移した。
そうこうしているうちに、次の講義がある時刻だ。
指定されている講義室に向かった。私が入ってきた時点ではまだ学生は疎らだったが、あとからぞろぞろとだるそうに集まってくる。講義室がだんだんと騒がしくなってくる。この瞬間が嫌いだ。閉塞的な中学校や高校の教室を思い出す。息苦しくなる。
大学とはもっと静かに学問をするところだと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、高校生に毛が生えているだけの連中が、ただ就職を有利にするために惰性で通ってきているだけである。
――変な夢を見ている方が悪いって笑うんだろ、どいつもこいつも。
苛立ちを隠すように、また周囲の騒がしさを紛らわせるために、公費のテキストを読むのに没頭しようとする。しかし文字をただ目で追うばかりで内容は頭に入ってこず、代わりにひたすら騒がしい周囲の声が嫌というほど鼓膜を通って頭に入ってくる。
その中でも特にひどいのは自分が座っている席から後ろ右隣の席を陣取っている男女混同の一団である。ひと際大きな声で喋っている。
「お前さあ、全然講義来ないじゃん。単位取れないぞ」
「いやあ、仕方ないって。最近配信で忙しいの」
「ゲーム配信してるんだっけ?」
「そうそう。最近結構人気出てきてさ。やめられないわけよ」
「でもあんた、この講義のテキストも買ってないじゃん。教材の売店、今日閉まるよ」
「うへえ、マジか。これもう詰んでんじゃん。帰ろうかなあ」
「おー、帰れ帰れ」
「マジで帰ろっかなあ。単位取れなさそうなら大学来る意味なんかねえし」
「そんなこと言ってたら留年するよ」
「したって別にいいね。つーか退学したっていいよ。未来の俺はゲーム配信で食ってんだからな」
「あー、はいはい、もうほんとに鬱陶しいから帰って帰って」
「そうだそうだ、やっぱり帰れ帰れ」
「なんだよお、お前ら冷たいじゃんかあ」
そして一同揃ってげらげら大笑い。
私はどうにか平穏を保とうとするのだけれど、貧乏ゆすりという形で一部外部に漏れだしてしまっている。でも誰も私になんか興味がないので、気づかれることもないし気にされることもない。
――ああ、うるさいうるさい、馴れ合いばっかしやがって。もう二度と大学に来るなよ。お前らなんて、どこかで自分たちの自信過剰に潰されて野垂れ死んでしまえばいいんだ。
悪態がどんどん湧いて出てきて、それに呼応するように貧乏ゆすりは激しくなる、だがしかし、やはり誰も私のことなんか見ていなくて、何でこんなに自分が苛立っているのかもよくわからなくなる。
教授が講義室に入ってきて、少し騒がしさが和らぐ。ほんの数分間のことのはずなのに、ずいぶんと長かったような気がする。あの一団もさすがに声を潜め、ようやく私の心は落ち着いてきて、貧乏ゆすりも治まる。
講義を受ける。講義の時間が一番好きだ。いつもはやかましい学生どももこのときばかりは静かで、何よりも学問をしているという感覚になれる。このために私は大学に来たのだと思うことができる。私は前のめりになって教授の話に耳を傾け、ノートをとる。しかし目の端には、机に突っ伏して寝ている学生の姿が目に入る。邪魔だ。貧乏ゆすりが復活する。
結局そいつは講義が終わるまで顔を伏せたままで、私の貧乏ゆすりも止まらなかった。
講義終了後、学生たちが帰っていく前に、教授が早口でまくし立てるように言った。
「今週のね、金曜日の四限目に共通講義棟の方で、イトジマ先生という日本近代文学の権威の先生が来られて、講演会をやられます。テーマは森鴎外の舞姫について。対象は二年生だけど、皆さん文学部の学生ですし、ぜひ受講してください」
教授の話が終わるか終わらないかのうちに、大半の学生はすでに講義室から姿を消していた。私はただじっと席に座り、教授が少し残念そうな表情で講義室を出ていくのを見届けてから立ち上がった。
教授の言っていた講演会には興味があり、ふと忘れないように思い立ち、学生手帳を取り出してそこにメモを書いているとき、講義室に居残って後ろでぐちゃぐちゃ喋っている二人の男子学生の声が嫌でも耳に入ってきた。
「お前さあ、行く?」
「何に?」
「さっき先生が言ってたやつ。あの、なんとかって先生の講演会」
「そんなもん行くわけないじゃん。行く意味がわからん」
瞬間、振り返ってそいつの顔を思い切りぶん殴ってやろうかと思った。というよりも、そういうイメージが頭に浮かんだ。しかし、ただそれは浮かんだだけである。実際の私は黙々とメモを書いているだけだし、振り向く動作をしようとすることもなかった。
「だよなあ。単位にもなんないもんに誰が行くかっての」
「そんなことよりもさ、FGOやってんだけどさ――」
「あー、あれ最近アップデートあったよな――」
後ろの男子学生二人は、もうよく知らないゲームの話を始めた。
――そんなにゲームが好きなら、専門学校にでも行けよ。
心の中で怒鳴った。でもそれは相変わらず、自分の内側で反響するのみだった。
私はメモをとり終わると、目を伏せ、後ろの男子学生二人の顔を見ないようにしてそそくさと講義室を出た。もっとも、その二人は私の存在など認識もしていなかっただろうが。
外に出る。悶々と渦巻く感情の逃げ場を探すように、そっと頭を上げて視線を空へと向けた。
秋の寒々しい空気に晒された空は妙に高くて。
雲がやけに白く光っていて、風に流される落ち葉が地面を擦る音ががさがさとうるさい。
何かが言葉になりそうだったけれど、それはぐにゃぐにゃと輪郭も持たずに揺れるばかりで、形になりかけてもすぐにどろどろと溶けてしまって。
意味もなく喚き散らしたいような衝動も、ぎゅっと握った手のひらの中で押し潰される。
一瞬、雲の隙間を縫うようにひらひらと文字が降ってきたような気がして、思わず目を見開いてみるけれど、それはぱっと散って塵と化し、風に吹き飛ばされていく。
私はそんな情景を、ただ見上げていた。ただ、見上げているだけだった。
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