すごろく

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 箱があった。それはいつでもそこにあった。都会の路地裏に、田舎の畦道に、廃墟の片隅に、田畑の中心に、山奥に、海底に、空の彼方に、宇宙空間に、地下帝国に、誰かさんの脳内に、ぼんやりした夢の中に、空っぽの向こう側に――。
 その箱は、様々な形をしていた。大きな赤いリボン付きのプレゼント箱、カラフルな外装のびっくり箱、どこかの島に眠っていそうな古ぼけた宝箱、長方形の小物入れ、小さな指輪入れ、しわがれた段ボール箱、みすぼらしい木箱、真新しい紙箱、重厚な金庫、振るとからからと音が鳴りそうな市販のチョコレートの箱――。その箱は一つだった。様々な形があれど、その箱はこの世界に一つしか存在しなかった。
 箱は必ず閉じられている。当たり前だ。箱は誰かに開かれるために生まれてきた。だから誰かに開かれない限り、箱はずっと閉まっている。開かれるのを今か今かと待ち侘びている。しかし、この箱は開かれない。――開かれることはなかった。
 誰もがその箱を認知していた。友人と駄弁る学生、買い物を急ぐ主婦、疲れた顔のサラリーマン、ランニングをする青年、犬の散歩をする老人、胡散臭い外国人――多くの人間がその箱の目の前を通り過ぎた。けれどその中の一人として、箱を気に留める者はいなかった。箱は確かにそこにあったのに、誰もが「何となく」無視して、「何となく」通り過ぎていった。まるでそこに箱などないように。箱はいつまでも、自らを開ける者を待ち続けた。
 その箱がどれだけの年月の間、待ち続けていたのか。誰も数えている者はいなかったし、箱には意志がないので、それはわからなかった。ただ並大抵の時間ではないということは確かだった。
 その証拠に、いつの間にかもう何年も箱の目の前を通る人間は現れなくなっていた。背比べをする高いビルの群れも、子どもの笑い声と泣き声が絶えない住宅街も、シャッターだらけの商店街も、小汚い人ばかりが暮らしていたアパートも、肥料と家畜の匂いのする平屋も、かつて誰かが行き来を繰り返していた往来も――そのすべてが深い木々と苔に覆われて、静かに虫と鳥の音色だけを垂れ流していた。
 それでも箱は変わらずにそこにあった。もう開けてくれそうな者が現れることは永遠にないだろうに。これまでも、これからも、箱は閉じられたままだろうに。
 ある日、そばの木の幹にぴょんと猿が飛び乗り、鳴いた。何の意味もなかった。
 しかし、その瞬間、人の手でなければ開かれないはずの箱は、ゆっくりと開いた。
 箱の中身は――空だった。何もなかった。ただ箱の底が見えるばかりだった。そして、その箱の中が空だったことを観測する者も、もはや誰もいないのだった。
 猿がもう一度鳴いた。やはり意味はなかった。けれど箱は閉じた。人の手でそっと戻されたように。優しく幕を下ろしていくように。
 猿はもう鳴かず、またぴょんぴょんとどこかへと去っていった。また箱は取り残された。そしてまた待つだろう。自らが開かれるときを、いつまでも。
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