人の身にして精霊王

山外大河

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二章 隻腕の精霊使い

26 訪れた休息

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「あ、シオン。戻ってたのか。遅かったな」

 風呂から出るとシオンと金髪の精霊が目に入った。
 どうやら事情聴取を終えて戻って来たらしい。
 シオンはエルに向けていた視線を此方に向けて言う。

「どうにも憲兵は僕の事を一般人と扱ってくれなくてね。色々と意見を聞かされたよ」

「意見?」

「今後の事だよ。普段自分達の縄張りに迷い込んで来た者だけを。もしくは誘いこんだ人間だけを襲っている様な連中が、大々的に表の施設を襲撃した。それに対する対策を考えたが、意見が欲しいってね」

「それで、色々語ってて遅くなったって訳か」

「いや、そうでもない。僕は精霊術絡みの事の知識は、少なくとも人間の中では誰よりも蓄えているつもりだけれど、僕は軍人でなければ憲兵でも無い。ましてやそういうジャンルの専門家でもなければ、ミリオタでもないんだ。完全にお門違いさ。それに答えられるのだとすれば、先の潜入もより良い作戦を立てられた筈だよ」

 まああの時の作戦が果たして良かったのか悪かったのかはさておいて、確かにシオンの言う事はもっともかもしれない。確かにお門違いだ。

「で、まあ殆ど有力な事を言えなかったけれど、まあ関わってしまったのだから、知りたい事もある。だから少しこちらから話を聞いていたんだ」

「例えば?」

「文字通り今後の事だよ。結局僕はなんの意見も出せなかったけれど、あなた方は考え抜いた対策を実行に移すのかといった事を聞いておきたくてね」

「で、なんて言ってた?」

「移したい。移せるかどうかは分からないが、だったかな。彼らもお役所仕事で……そもそも、即急にそういう案を立てられる位の士気はあるのに、小規模ながら表に影響を齎す無法地帯の存在を放置していた訳だからね。色々な大人の事情が絡み合って、そう簡単には動けないらしい」

「だったら態々裏通りから出て来てまで俺達を狙った様な連中は、結局スルーされるってのか?」

「されるかもしれない。まあ表で何かをしでかされた際の対策は万全に組まれるだろうけどね。でも憲兵と意見は一致した。多分自分達が動かなくても、奴らは勝手に潰れるってね」

「どういう事だ?」

「勝手に潰れる。潰される。僕も言われて気付いた事なんだけど、そもそもああいう連中が基本的に表側で騒ぎを起こさないという事はね……多分、彼らには彼らなりのルールや信念があるのだと思う。実際にあの場にいる悪人が常に悪事を働いている訳じゃあないんだ」

 確かに……それは言えているのかもしれない。
 エルを治療している時、俺達は助けられはしなかったものの無視はされた。してくれた。
 エルという恰好の獲物が目の前にあるにも関わらずだ。
 それはつまりその位の良識があったという事だ。

「多分そうやってルールを守っているから、あの場所は表側とはかけ離れていても、それでも人が住む居住区域になり得ているのだと思うよ。そしてそういうルールを破って暴走した連中がどうなるかは……なんとなく、想像がつくだろう?」

 少し考えてその答えは浮かんできた。
 多分あそこの住人は、誰かを傷付ける事に対する抵抗は普通の人間よりも少ない。
 そんな彼らが異分子を見つけたのならば。それをどうにかする為に動き出したのなら……きっとそれは一つの終わりを意味する。

「だからまあ、そういう訳だ。表の憲兵が動けないでいる内に、事はきっと終わりを迎える。もしかすると本来表で起きるかもしれなかった様な事件も、そうして未然に終っていたりしたのかもしれないね……そうであるなら、まだこの世界の人間は救いようがある。ちゃんと皆まともでいられてる」

 その言葉の続きを言いあぐねている間にシオンは話題を切り変えた。

「……さてと。まあこの話はこれでいいだろう。僕達にとってこれは終わった事で、あまり思い返したくない事だ。そしてなにより、僕も血を洗い流したい」

 そう言ったシオンは、近くのクローゼットから鞄を取り出し肩に掛ける。隣にいた精霊もあまり大きくない荷物を抱えた。

「え、風呂入んねえの?」

「入るよ。別の部屋で……ああ、まあ空き部屋が出たんで、僕はそっちに移動さ」

「あ、ああ、成程……って、だとすれば態々お前にそんな手間掛けさせられねえって。俺らが移動する」

「いや、あの……掛けさせてくれないか。ほら、一応この部屋借りたの僕で、その空き部屋も代金を払ってきたんだ。だから、その……窓とドアがしっかりした方の部屋、選ぶ権利位あるんじゃないかなぁ……」

「あ、確かに……悪い」

 言われてみれば、ごもっともの話である。

「……っていうか部屋代払ったって事は、二部屋取ったって事だよな。つまりその……俺達は此処に居て良いって事になるのか」

「ああ。こんな部屋……というのは、このホテルのオーナーに失礼極まりないけど、好きに使ってくれ」

「……悪いな」

「いいよ、別に。じゃあ僕は血を洗い流したら眠るよ。疲れたしね。また明日」

 そう言ってシオンは部屋を出て行こうとする。

「あ、ちょっと待ってくれ」

「ん? どうかしたかい?」

 シオンはその足を止めてこちらを向きなおした。
 シオンには一つ伝えておかなければならない事がある。

「エルと話が付いた。明日、例の枷……頼めるか?」

 それを聞いたシオンは、少し意外といった様な表情を浮かべた。
 シオンからしてみれば、自分が用意する枷を受け取って貰えるとは思わなかったのかもしれない。

「分かった。用意しておくよ」

 最後にシオンはそう言い残して、部屋から出て行った。

「……これで良かったんだよな、エル」

「いいんです。エイジさんの方から伝えてくれて、ありがとうございます」

 エルはシオンが居なくなった事により、少し気が楽になった様な感じにそう答えた。
 そういえばエルは俺が風呂入っている間、一時的にシオンと一緒にいたんだよな。
 なんか戻って来た時、何かを話していた様な気がするけれど、一体何を話していたのだろうか。

「そういやお前。俺が風呂入ってる時、シオンと何話してたんだ?」

 俺がそう尋ねると、エルが言いにくそうに俯いて口を開いた。

「えーっと……その……」

 本当に言いにくそうだ。
 まあ考えてみれば、二人の間に楽しい会話が成立するとは思えない。きっと今のエルとシオンが成立させる会話は、どちらの精神的にもマイナスにしか作用しない様な、そんな会話だったのだろう。

「いや、言いにくいんだったらいいよ」

 だったら言わない方が良い。あまり掘り返さない方が良い。
 それがエルの為でシオンの為で……もしかすると、俺の為でもあるのかもしれない。

「あ、はい……すみません」

「謝んなって。別に謝る要素は何処にもねえだろ。言いたくなけりゃそれでいい。これでこの話はお終いだ」

 だからもっとこう、違う事を考えよう。

「んな事よりとりあえず、なんか食わね? 俺、昼に食べてから何も食ってねえし、空腹感がすげえんだわ。多分無茶苦茶消費したであろうカロリーを取り戻さねえと」

 一気に話題を切り変えた。

「そ、そうですね。じゃあさっき買った物を何か開け――」

「いや、ちょっと待て。もしかするとルームサービス的な奴があるかもしれない。まああった所で、この惨状で機能するかどうかは疑問だけど……っていうか、部屋借りた張本人に無言で頼む訳にはいかねえか」

 とりあえず確認だけ取ってみよう。
 俺は部屋から半歩体を出し、丁度曲がり角を曲がろうとしていたシオンに再び声を掛ける。

「おーい、シオン。ちょっといいか?」

「いいけど一体僕はいつになったら、この血塗れの体から解放されるんだい?」

 シオンには若干悪い気がしたが、この時の俺はいくらか気が楽になっていた。
 気は抜けない。抜いた隙に襲撃にあったのだから、抜ける筈が無い。
 だけどそれでも……視線を潜りぬけた後の休息だ。
 気を抜けなくとも、気は楽になる。
 これから先、エルが枷を嵌める事によって、こういう時間が増えるのだろうけれど……それでも今、この瞬間をしっかりと満喫したいと、そう思った。
 重苦しくて辛い事を考えるのはその後でもいい。
 飯食って眠って、起きて。それからでいい。
 こうして俺達は、ようやく疲れを癒し始めたのだった。
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