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三章 誇りに塗れた英雄譚
4 適応
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部屋に案内され、従業員が部屋から出て行ったのを見てから、俺は荷物を床に降ろして軽く息をつく。
あの青年と話していると、歩き続けた疲労とは違う気疲れ的な物を感じた。
やはりああやってまともな事を言ってくれているのに……それなのに黒い刻印を刻んでいるのが見えるなんて事は、精神的に来るものがある。疲労の度合いで言えば、こっちの方が遥かに大きいのかもしれない。
……精神的なといえばエルの方はどうだろうか。
俺はエルに視線を向けると、エルは複雑な表情を浮かべていた。
「どうした?」
「……そういえば、普通の人から普通に話しかけられたのって、初めてだなって思いまして」
……言われてみればそうかもしれない。
シオンから枷を受け取るまでは、エルは精霊として人々の目に写っていた。そして枷を身に付けてからも、エルはまだ人と接するのが難しい訳で、俺が全部応対してた訳だし……そしてシオンも普通の人にと括るには少しどころか大幅に違う気がする。
シオンの場合は、もうきっと普通に声を掛けるだなんて軽々しい事じゃないだろうから。
だとすれば確かにこれが初めてだ。
今も自分達を虐げている普通の人間から、初めてまともな言葉を受け取ったんだ。
「今、どんな気分だ?」
「……不思議な気分です。はっきり言って怖かったんですよ。あのシオンって人に感じていた怖さがまだマシに思えてくる位には。だけど……それでも、普通の言葉だったんです。だからよく分からないんです。自分で自分がどう思ったのか。思っているのか。整理がつかないって言えば良いんですかね」
まあ分からなくて仕方が無いだろう。そう簡単に周囲の変化には適応できないし、エルの場合は境遇が境遇だ。前に進むには足枷が多すぎる。
何もせずに整理を付けて拒絶するよりはマシだけど……まだまだ前途多難といった所か。
でもまあそれでも……一つだけ、今の言葉に嬉しい事がある。
あの青年はエルにとって、シオンよりも怖かった。
つまりだ。少なくとも普通の人間よりは、シオンはマシな人間だと思ってくれているんだ。
『当然あの人は今でも怖いし、こうして作動している枷に実は何か裏があるんじゃないかって考えだしたら止まりません。だけど……それでも、もうちょっと何かあったんじゃないかって思うんです』
あのホテルでの言葉が、こうして直接誰かに話し掛けられた事によって証明された。それでシオンが何か報われるのかどうかは分からないけれど、それでもきっと良い事なんだ。
お前のやってきた事は間違っちゃいねえんだよ、シオン。
俺は今頃まだアルダリアスで祭を楽しんでいるであろうシオンに、心の中でそう言ってやった。
そして次に俺はエルに言葉を返してやる。
「まあ徐々に整理していけばいいだろ。ゆっくりと、確実に。焦る必要なんか何処にもねえからさ」
「そうですね……だったらゆっくり考えます。焦ってちゃ、まともに向き合えない気がしますから」
「それがいいよ。だから今はゆっくり休もう。疲れてちゃ、何も考えられねえよ」
「はい」
エルはそう返してソファーに座る。
俺も向き合う様に座った。
そしてほんの少しの沈黙の後、俺は呟く。
「……あのホテルのソファーって、やっぱ高級品だったんだな」
「そうですね……なんかこう、微妙に堅いです」
まあそれでも決して悪くは無かったんだけど。
普通のソファと比べたグレード的な意味でも。重めの空気を軽くする、一つの雑談の種としても。
「そういやエル」
暫くエルと適当な雑談を交わしていた俺は、お茶受けとして置かれていたお菓子を手に取ってからふと重大な事に気づき、エルに話を振った。
「どうしました?」
「文字ってさ……教えようと思ったら、結構面倒臭かったりするか?」
率直に言って何処を見ても何書いてあるか分からないというのは、相当不安になってくる。いくらエルが文字を読めるからと言って、俺が読めなくてもいいという訳では決して無い筈なんだ。
「……覚えたいんですか?」
「ああ。覚えないとこの先やって行けないだろ」
「大丈夫ですよ。私を頼ってください。文字位私が読みますから」
「いや、頼りっぱなしってのもアレだろ……だから今。というより暫く、頼らせてくれねえか? 俺に文字を教えてくれ」
「……分かりました。エイジさんがそこまで言うなら」
そこまで言ってくれた所でエルは微笑を浮かべ、やや胸を張ってこう続けた。
「任せてください。私が読み書きを完璧にしてあげます」
「おお、頼りになる。すげえ頼りになりそう!」
「ちなみに、どの位分からないんでしたっけ……」
「全部」
「あ、そういえばそうでしたね……ちなみに、エイジさんのいた世界の文字とか数字ってどんな感じでした?」
「そうだな……こんな感じ」
俺は置かれていたメモ用紙に、添えて置いてあったボールペンで数字の1から9までと、俺の名前をひらがな、カタカナ、漢字で書いてみる。
「全く違いますね……」
「だろ。俺もあの服屋で値札見た時は戦慄したぜ……」
「……あの、なんというか、前途多難ですね」
「だよなぁ……実際英語の成績悪かったから、外国語を覚える事に関しては、自信がまるでねえ」
「が、頑張りましょう」
「お、おう……頑張る」
そう、頑張らないと行けない。頑張って適応するべき所は適応していかなければならない。そうでなければこの世界で前には決して進めない。
精霊絡みの事以外は必死に合わせていかないと行けないんだ。
……精霊絡み以外の事は。
「じゃあ、少しだけ始めてみますか?」
「そうだな。じゃあよろしく頼むよ、エル先生」
だからまずは文字を覚える。俺は試験前の徹夜の時の様に、気合いを入れ直した。
あの青年と話していると、歩き続けた疲労とは違う気疲れ的な物を感じた。
やはりああやってまともな事を言ってくれているのに……それなのに黒い刻印を刻んでいるのが見えるなんて事は、精神的に来るものがある。疲労の度合いで言えば、こっちの方が遥かに大きいのかもしれない。
……精神的なといえばエルの方はどうだろうか。
俺はエルに視線を向けると、エルは複雑な表情を浮かべていた。
「どうした?」
「……そういえば、普通の人から普通に話しかけられたのって、初めてだなって思いまして」
……言われてみればそうかもしれない。
シオンから枷を受け取るまでは、エルは精霊として人々の目に写っていた。そして枷を身に付けてからも、エルはまだ人と接するのが難しい訳で、俺が全部応対してた訳だし……そしてシオンも普通の人にと括るには少しどころか大幅に違う気がする。
シオンの場合は、もうきっと普通に声を掛けるだなんて軽々しい事じゃないだろうから。
だとすれば確かにこれが初めてだ。
今も自分達を虐げている普通の人間から、初めてまともな言葉を受け取ったんだ。
「今、どんな気分だ?」
「……不思議な気分です。はっきり言って怖かったんですよ。あのシオンって人に感じていた怖さがまだマシに思えてくる位には。だけど……それでも、普通の言葉だったんです。だからよく分からないんです。自分で自分がどう思ったのか。思っているのか。整理がつかないって言えば良いんですかね」
まあ分からなくて仕方が無いだろう。そう簡単に周囲の変化には適応できないし、エルの場合は境遇が境遇だ。前に進むには足枷が多すぎる。
何もせずに整理を付けて拒絶するよりはマシだけど……まだまだ前途多難といった所か。
でもまあそれでも……一つだけ、今の言葉に嬉しい事がある。
あの青年はエルにとって、シオンよりも怖かった。
つまりだ。少なくとも普通の人間よりは、シオンはマシな人間だと思ってくれているんだ。
『当然あの人は今でも怖いし、こうして作動している枷に実は何か裏があるんじゃないかって考えだしたら止まりません。だけど……それでも、もうちょっと何かあったんじゃないかって思うんです』
あのホテルでの言葉が、こうして直接誰かに話し掛けられた事によって証明された。それでシオンが何か報われるのかどうかは分からないけれど、それでもきっと良い事なんだ。
お前のやってきた事は間違っちゃいねえんだよ、シオン。
俺は今頃まだアルダリアスで祭を楽しんでいるであろうシオンに、心の中でそう言ってやった。
そして次に俺はエルに言葉を返してやる。
「まあ徐々に整理していけばいいだろ。ゆっくりと、確実に。焦る必要なんか何処にもねえからさ」
「そうですね……だったらゆっくり考えます。焦ってちゃ、まともに向き合えない気がしますから」
「それがいいよ。だから今はゆっくり休もう。疲れてちゃ、何も考えられねえよ」
「はい」
エルはそう返してソファーに座る。
俺も向き合う様に座った。
そしてほんの少しの沈黙の後、俺は呟く。
「……あのホテルのソファーって、やっぱ高級品だったんだな」
「そうですね……なんかこう、微妙に堅いです」
まあそれでも決して悪くは無かったんだけど。
普通のソファと比べたグレード的な意味でも。重めの空気を軽くする、一つの雑談の種としても。
「そういやエル」
暫くエルと適当な雑談を交わしていた俺は、お茶受けとして置かれていたお菓子を手に取ってからふと重大な事に気づき、エルに話を振った。
「どうしました?」
「文字ってさ……教えようと思ったら、結構面倒臭かったりするか?」
率直に言って何処を見ても何書いてあるか分からないというのは、相当不安になってくる。いくらエルが文字を読めるからと言って、俺が読めなくてもいいという訳では決して無い筈なんだ。
「……覚えたいんですか?」
「ああ。覚えないとこの先やって行けないだろ」
「大丈夫ですよ。私を頼ってください。文字位私が読みますから」
「いや、頼りっぱなしってのもアレだろ……だから今。というより暫く、頼らせてくれねえか? 俺に文字を教えてくれ」
「……分かりました。エイジさんがそこまで言うなら」
そこまで言ってくれた所でエルは微笑を浮かべ、やや胸を張ってこう続けた。
「任せてください。私が読み書きを完璧にしてあげます」
「おお、頼りになる。すげえ頼りになりそう!」
「ちなみに、どの位分からないんでしたっけ……」
「全部」
「あ、そういえばそうでしたね……ちなみに、エイジさんのいた世界の文字とか数字ってどんな感じでした?」
「そうだな……こんな感じ」
俺は置かれていたメモ用紙に、添えて置いてあったボールペンで数字の1から9までと、俺の名前をひらがな、カタカナ、漢字で書いてみる。
「全く違いますね……」
「だろ。俺もあの服屋で値札見た時は戦慄したぜ……」
「……あの、なんというか、前途多難ですね」
「だよなぁ……実際英語の成績悪かったから、外国語を覚える事に関しては、自信がまるでねえ」
「が、頑張りましょう」
「お、おう……頑張る」
そう、頑張らないと行けない。頑張って適応するべき所は適応していかなければならない。そうでなければこの世界で前には決して進めない。
精霊絡みの事以外は必死に合わせていかないと行けないんだ。
……精霊絡み以外の事は。
「じゃあ、少しだけ始めてみますか?」
「そうだな。じゃあよろしく頼むよ、エル先生」
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