人の身にして精霊王

山外大河

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三章 誇りに塗れた英雄譚

ex 今の私にできること

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 言いたいことは山程あった。
 だけど言える状況になって。なかなか言葉が出てこなかったのは一体どうしてだろうか。
 まるで言葉を無意識にせき止めているような感覚があったが、それではいけない事は理解している。
 だから、ゆっくりと。応急処置が始まってしばらくしてから、遠回しにエルは話を始めた。

「……エイジさんは、これからどうするつもりですか?」

 それに対する返答は中々出てこなかった。きっと、エイジにも思うところがあるのだろう。だけど彼がどういう選択を取るのかは大体分かるし、そして……その選択を取ることに反対は無い。だってもう、どうしようと自分たちの置かれた状況なんてのは変わらない。エイジが工場に突入する前段階位で追い付けていれば、話は大きく変わってくるが、もう完全に戻れない所まで来てしまっているのならば、そういう事をしていたほうがきっといい。

「助けに行くんですよね……此処に捕まっている子達を。いいですよ。もうここまで来たら引き返せませんから。付き合ってあげます」

「……いいのか?」

 今はいい。だけどあくまで『今は』だ。

「いいんです。だけど、約束してほしいんです」

「約束?」

「……もう、こんなことはしないでください」

 その言葉には、自分の隣からいなくならないでほしいという念もあったのかもしれない。だけどそれでも、それだけじゃない。
 ただ純粋にエイジの事が心配で。ほんの僅かに自分の事情を入れれば、助けに行ってしまう位に心配で。きっとその言葉に多く詰まっているのは、そんな感情だ。

「……分かってる。お前にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないからな」

 だからそんな返答が返ってきた時、一瞬胸をなで降ろしたくなるほど安堵した。今日の事で今後色々と問題が起きるだろうけど、それでもエイジがこれ以上自分からトラブルに巻き込まれに行くような事はないんだって。そう安堵できた。
 だけど、引っかかる。

『お前にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないからな』

 例えばだ。
 もし自分に迷惑がかからない様な状況になれば、エイジはどうするのだろうか?

「……じゃあもし、私に迷惑がかからない様な状況だったら……そんな状態で、今日と同じ事があったら……その時はエイジさん、どうするんですか?」

 そして言いだしてすぐに気付く。
 今日、エイジが動いた理由の一つ。手紙に書かれていた事の一つ。
 もう、エル一人でも大丈夫だという事。
 即ちこういう無茶苦茶な事をしても、迷惑が掛らないと思った。
 ……つまりだ。

「……多分、動くんだと思う」

 そういう返答が返ってくるのは、最早必然だった。 
 そういう状況になれば、エイジは今日の様に動く。

「俺には此処にいるような奴を見捨てるような事、できやしねえよ」

 そこまで聞いて、思わずエルは押し黙った。
 その目が。その声音が。その言葉の意志の強さを物語っていた。
 あたかも自分のやっていることが当たり前の事の様に。
 知らない誰かの為に動いて……一歩間違えば死んでいて。そうでなくても今、大怪我を負っていて。
 そんな有様になってもまだ、他人の為にそれ以上酷い有様になるのが目に見えている事を、当たり前の様に言っているんだ。

「……んでですか」

「え?」

 ああいう意志をぶつけられれば一瞬位は思わず押し黙る。だけどそして反発するように、ほぼ無意識と言っていい位に、感情が垂れ流される。

「……なんで、そんな事を当たり前の様に言えるんですか」

 静かに漏れたその言葉は、徐々に強さを増していく。

「今、自分がどんな状態か分かっているんですか!? 腕だって折れて、全身傷だらけで、私が来なかったら死んでたかもしれないんですよ! なのに、なんでまだそんな事を言えるんですか……ッ!」

 一度曝け出した感情は、たがが外れた様に止まらない。

「それに、自分の知っている誰かの為だったら、まだ分かりますよ! 例えばよく話に出てくる誠一って人の為だとか! あのシオンって人の為だとか。……私の為だとか。それだったら、まだ分かりますよ! だけど……知らない誰かの為に、なんでそんな事をしようとしているんですか! そんな事で死んじゃっても、いいんですか! 自分がどれだけ無茶苦茶な事をしているのか、理解してますか!」

 知っている誰かの為ならまだいい、それなら納得できる。実際に今こうして自分もエイジを助けに来たのだ。そうであるならば、自分の事の様に理解できる。そういう事なら、止めたいと思ってもきっと止めることはできない。
 だけど名前も顔も知らない誰かの為に、動かなくてもいいのに動いて。そしてきっとどこかで倒れる。そんなエイジを止めたかった。止めなくちゃならないと思った。そんな事の為に、エイジが傷つくような選択肢を取らせることが、どうしたって容認できなかった。
 ……自分がどうやって助けられたのかを、知らぬ内に棚に上げて。
 そしてエイジは言葉を返す。

「ああ、分かってる。自分のやっていることが無茶苦茶なんだって事は分かってるんだ。そりゃ知ってるやつならともかく、知らねえ奴の為に動いて死にたくなんかねえし、そう考えると俺の行動がひどく歪んだものにも思えてくるよ」

「だったら――」

 無茶苦茶なんだと分かっていれば。知らない人の為に死にたくないのなら。だったらそれで止めてくれって。そう、言いたかった。

「……だけどさ」

 でも、言えなかった。

「それでも自分が正しいと思った事をやれる。誰も手を差し伸べない様な奴に手を伸ばせる。そんな事がさ、俺の誇りなんだ」

 誇り。その言葉を聞いて思い出すのは、アルダリアスを出て直後の事。エイジと流れ星の話をした時の事。
 自分を助けてくれた時の葛藤。そんな中でエイジが気付けた誇り。
 エイジが言う、一番大切な部分。
 そして誇りは再び語られる。

「だったら無茶苦茶でも、無謀なことでも。そんな事は関係ねえんだ。今まで碌に成功しなくて、自分でも嫌悪感を覚えていた行動も。そして……お前の為に戦えた事も。お前を助けられた事も。全部、全部、俺の誇りなんだ」

 エイジは本当に、なんの迷いもないような表情で、そう答えた。
 そして二つの事に気付いた。
 きっと本当にエイジの中にある誇りは、あの時言っていたように、無くなれば空っぽになると錯覚する位に、大きなものなのだろうという事。それだけ大きな物だから彼は今日動いたし、これからも動き続けるし、そして自分で無茶苦茶だって。無謀だって。そう言っても、一切の迷いは感じられない。
 そしてもう一つ。

(……ああ、駄目だ)

 エイジの話でようやく、自分がその無茶苦茶な行動によって救われている事を、思い出した。
 つまり……つまりだ。

(……私じゃ、止められない)

 自分を助けてくれた瀬戸栄治という人間を。その人格を。これ以上否定して踏み躙る様な事は、例え彼の為を思っても出来やしなかった。自分を助けてくれたエイジの行動が間違いだなんて、どうしたって言えなかった。言わなくちゃいけないと思っても、どうしてもその言葉が出てこない。
 ……つまりはもう止められない。その資格が彼女にはない。少なくとも本人はそう考えた。
 中々話を切り出せなかったのはきっと、この事にどこかで気付いていたからかもしれない。

『彼を止められるのは……彼を助けられるのは、キミだけだ』

 初めからそんな事ができる人間は……精霊はいなかった。

「……悪いな、エル」

 そしてエイジは、エルに謝罪する。

「お前の言ってることは、間違いじゃないと思う。だけどさ……俺は、お前を助けられた自分を、曲げられない。曲げちゃいけないんだって思う。だからこの誇りは捨てられない。だからきっと、もしそういう場面が来て、動ける状態だったら、俺は迷いなく今日みたいなことをするんだと思うよ」

 その言葉に、反論をしようにも、もうできない。
 だから考え方を変えた。
 もう自分ではこの人を止められない。だとすれば、どうすればいいのだろうか?
 目に見えた危険に自分から足を踏み入れるような。そんな人をなんとかしたいと思った自分は、一体どうするべきなのだろうか?
 その答えは、すぐに出てきた。
 エイジの服の袖を掴んだ。
 それは自分なりの意思表示だ。

(絶対に、エイジさんから離れない)

 自分の一番大切な人が窮地に陥ったら、その時は自分が助ける。
 エイジを止める存在にはなれなくても、エイジを助ける存在にはなれる筈だ。
 だからエイジから離れるな。この手を離したその後も、エイジの隣に居続ける。
 そんな決意を胸に抱いて、エルは治療を受けながら、袖を握る力を強めた。
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