人の身にして精霊王

山外大河

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三章 誇りに塗れた英雄譚

30 分岐点 下

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 今思えば、工場から助け出した精霊から礼を言われるのは、これが初めてかもしれない。
 初めてだからこそ。此処に来てようやく初めてだったからこそ、凄く気が楽になった気がする。
 助け出しておいて礼の一つも言われない事が、どこか精神的に来ていたのかもしれない。
 でもそれも、短いその一言で払拭された。はっきり言って気分がいい。たったそれだけでも十分に良い。

「どういたしまして」

 俺は自然と僅かに笑みを浮かべてそう返す。
 そんな俺に彼女はこう言った。

「多分さ、皆色々あって言い出せないと思うけど、ちゃんとアンタに感謝してる子は結構いると思うよ。思いっきり敵意を向けてる子もいるけど、それでもどこかでアンタに感謝してると思う。それを簡単には受け入れられないだけで。だからこそ、一応は言われたとおりに考えてる。とりあえずこの場で答えを出そうとしている」

 ……言われてみればその通りだ。
 俺が尋ねたからといって、精霊達には答える義理が無い。この場にとどまっている理由すらない。
 それが今こうして全員が試行錯誤をしているのは、つまりはそういう感じの解釈もあるのかもしれない。
 ……そうだとしても、あの敵意を見る限り、まともな奴とは思われて居ないだろうけど。

「お前はどうなんだ? その……まともな奴って、受け入れてくれたのか?」

 先の赤髪の精霊を脳裏に浮かべた後、目の前の黒髪の精霊にそう尋ねると、一拍空けてから彼女は答える。

「どうだろうね……正直、アンタの事をどう見てるのかなんてのは、自分でもよく分からない。人間が怖いのは変わらないし、だからきっと今も私はアンタをまともに見れてない。だけど私が助けられた事だけは間違いないし、それには礼を言わないといけない。ちょっと勇気を出してでも言わないといけない。そう思える位には受け入れてるつもりだし、そう思えるくらいには、他の人間とは違って見えるんだと思う」

「……十分だよ、それでも」

「なら良かった……のかな? それも、良く分からないな。ほんと、分かんない事ばっかり」

 黒髪の精霊は複雑な表情を浮かべながらそう言う。
 そしてその複雑な表情のまま、彼女は続ける。

「……これが分かっていたら、もっと違う道を選んだのかな?」

「えーっと……なんの話?」

「今後の話」

 そうだ。コイツが俺に話かけてきたのは、それを伝えにきてくれたからという事もあったんだ。

「……どうするんだ、これから」

「私は……というより、多分此処に居る精霊の半数程の目的地は同じ。だから私はその子らと話をつけて、そこに向かおうと思ってる。もう何人かには話を通した」

「目的地……お前らが目指すってなったら、やっぱ絶界の楽園か?」

「違うよ。精霊が皆そんな夢を見ている訳じゃない。あくまで噂。そう割り切ってる子も多くいる。あれば理想だけどね、無いかもしれないものを目指せる程、私達に余裕はないの」

「……じゃあ、行く当てがあんのか?」

「あるよ。絶界の楽園程の理想郷じゃなくても、それでもある程度まともそうな場所はある。少なくとも、絶界の楽園よりは信憑性が高い」

 絶界の楽園以外にそういう場所がある事を、今初めて知ったけど……まあ不思議な話ではない。
 俺が今までまともに会話した精霊はエルだけだった。そのエルが今隣で首を傾げているのだから、俺が知る訳が無いんだ。

「それは……どういう所ですか?」

 エルが黒髪の精霊にそう尋ねる。

「……ごめん。その辺は話せない、かな」

 黒髪の精霊が少しだけ申し訳なさそうに続ける。

「私達の目的地をアンタらに知られる事を嫌がる精霊もきっといる。そして誰がどんな精霊術を持っているかなんてのも知らないから、面倒な事になるかもしれないし……だから言えない。そういう面倒な話以外なら、きっとある程度なら教えられると思うけれど」

 ……ま、そりゃそうだよな。
 人間から逃れる為に行動をしているのに、その目的地を人間に知られるわけにはいかないだろう。
 でもまあ、それ以外の事ならある程度答えられるってんなら、一応は聞いておこう。

「じゃあそのある程度に当てはまっていれば教えてくれ。お前、名前は?」

「私の名前? それ位なら教えられる。私はハスカ。よろしく……って言っていいのかは分かんないけど、とりあえず聞いたんだから覚えといて」

「ああ、覚えとく」

「で、えーっと……アンタらは、名前なんて言ったっけ?」

「俺は栄治。瀬戸栄治だ」

「エルです。よろしくお願いします」

「よろしく、エル。それと……アンタは、エイジって呼べばいいのかな?」

「それでいいよ」

「じゃあ、エイジ。ちゃんとアンタの名前、覚えたから」

 そう言って、ハスカは俺達の元から離れていく。
 エルにはよろしく言って、俺には無しか。そう考えるとやはりまだまだ溝は大きい。
 だけどきっと名前を教えてもらって、名前を聞かれるだけでも十分すぎる位に溝は縮まっているのだと思う。
 もし、次に会うことがあれば……その時はよろしくの一声位掛けてくれるだろうか。
 掛けてくれればいいなと、俺はそんな事を考えながら、精霊達の輪に戻っていくハスカを見送った。




 そうして暫く時間が経過した。
 まあ暫くといっても十数分程。だけど事は大きく動いた。
 つまりは、精霊達が行動を始めたのだ。
 結果的に精霊達は二手に分かれる事となった。
 ハスカ達と共に絶界の楽園ではないどこかに向かう者。総勢十六名。元々そこに向かう予定だったのか、長い物には巻かれろ的な奴なのかは分からないが、八割の精霊がその場所へ向かう事となった。
 その中には、例の走り屋みたいな精霊も居る。
 人数が人数なのと、俺や俺以外に此処に残った連中が馬車を動かせない事から、馬車はその精霊に託した。精霊達を乗せ走り出す時、こちらにグッドラックと言わんばかりのグーサインを送ってくれたということは、彼女の眼には俺はある程度まともに映っているのだろうか。そうであると、本当にうれしい。
 そうして大勢居た精霊の多くは馬車に揺られて去っていく。
 そして残った精霊は、エルを除いて四人。
 黒髪で小柄な体系をしている、何故か常時ジト目でこちらを見てくる精霊。
 金髪のセミロングの髪形が特徴の、なんだかよ分からないが上目づかいでこちらを見てくる精霊。
 この二人はまだ一度も会話を交わしていない。そんな精霊達だ。
 つまりは残り二人はどんな形であれ言葉を交わしてある。
 黄緑色の髪の、俺が一番初めに枷を壊した精霊。俺の窮地を救ってくれた、状況打開の初手を放ったあの精霊。
 そして、もう一人。

「……ッ」

 これまで通り、俺に敵意を向け続ける赤髪の精霊。
 彼女達が今どうして此処に残っているのかは、俺には分からない。
 それを紐解くためにも、俺はこう尋ねる。

「えーっと、お前らは、どうしたいんだ?」

 少なくとも赤髪の精霊からはまともな回答は返ってこないだろうなと。そんな事を考えながら俺は誰かが口を開くのを、交代して治療してもらう側となっているエルに回復術を掛けながら待った。
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