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五章 絶界の楽園
ex もしも立場が逆だとすれば
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ナタリアが少しだけ違和感を感じたのは意識を取り戻してすぐに感じていた。
その違和感が何なのかはすぐには分からなかったけれど、それでも自分がエイジと契約を結んだ事を知ってからはそれが契約者であるエイジの身に何か良くない事が起きているのだということは理解できた。
だけど初めて感じた感覚の正体は分かっても、なにがそれをそうさせているのかは分からない。分かっていたつもりでいたが違っていた。
エイジは既に大怪我を負っていた。きっと自分が追わせたものだろう。それがこの違和感の正体だろうと、そうナタリアは考えていたが違っていた。
そんな生易しい物ではなかった。
そういった大怪我が生々しい物だと思える光景が目の前に広がっていた。
「エイジさん? ……エイジさん!?」
何度目かの吐血の後、これまでは何とか動かそうとしていたのが分かったエイジの体が、完全にぐったりと動かなくなる。
いや、動いてはいた。だけどそれは何かの意思によって動かされるものではない。
痙攣だ。エイジの体内で起きている異常がそうさせている。
「くそ、洒落になんねえぞオイ!」
何故かこの場にエルと共に現れた人間が耳元に手を当てて叫び出す。
「こちら五番隊三班土御門! 頼む、近くの救護班こっちに回してくれ! 俺のダチが……作戦の要の奴がヤバい! ……手ぇ足りてねえ事は分かってんだよ! 救急車でもドクターヘリでもいいからさっさと回せっつってんだろうが!」
そうして人間が叫ぶ中、エルは慌ててエイジを地面に寝かせて、エイジに向かって精霊術を発動させる。
回復術だ。恐らくこの状況を打開する為の唯一と言ってもいい程の要。ナタリアには使えない契約者の命を救うための精霊術。
何か声を掛けるべきかと思った。だけど必死の形相のエルに掛けられる言葉などはなく、どこかに向かって叫んでいた男には声を掛ける気も意味もない。
故に見ている事しかできなかった。
どう考えたって自分と契約を結んだことによって起きているこの惨状を。一人の精霊としか契約できないという理を打ちこわした結果生まれた代償を。どうにもできず見ている事しかできなかった。
「ってオイお前! 一体何して――」
「回復術です! 分かったら話しかけないでください! 気が散ります!」
そう叫び散らしながら、回復術は継続して続けられる。
だけど……明らかに様子がおかしかった。
刻印から伝わってくる感覚も……エルの様子も。
「あれ……おかしい……なんで、え?」
最初は呟くように。そして徐々に強く荒々しく。
「……やだ! お願い、やだ、エイジさん!」
「お、おいどうした! 何がどうなってんだ!?」
「わかんないんです! でもきっと大事な所に術が届いてない! このままじゃ……」
回復術を使っているのに……刻印から伝わってくる感覚は酷くなる一方なのだ。
自分が負わせた怪我には作用しているのかもしれない。だけど感覚的に根本的な何かが治癒されている気がしない。
今まできっと何度もエイジの事を治療してきたエルにとって、その感覚はより分かりやすい物なのかもしれない。今までとは明らかに違う違和感を感じているのかもしれない。
「お願い……効いて、お願い! お願いだからッ!」
「……」
……どうにもならない。
直感的にそんな事を考えた。
エルの回復術が届かない。自分は回復術を使えない。そしてそれは目の前の人間もきっと変わらない。
そもそも信用はできないが、人間である以上人間は助けるだろう。だから本当に助けを呼んでいるのだろうと、そう思う。
だけどもう……多分助けに来たところで間に合わない。
先の人間がエルの回復術に対してみせた反応。そういう回復の手段があるという事を知らないという様な反応。そういう反応をみせる者が呼んだ助けが、回復術の様な即座に身体の治癒を行う手段を持っているとは思えない。
だとすれば……もうどうしようもない。
そんな事を考えた所で、目の前の人間がこちらに言葉をぶつけてきた。
「オイそこの赤髪! 確かナタリアっつったか!? お前コイツをなんとかできねえのか!?」
「……あったらとっくに手を施しているだろうが」
何もできないからこうして見ている事しかできない。そんな事位察しろよと、ナタリアは誠一に敵意にまみれた視線を向ける。
だけどそうした中で一つ疑問が生まれた。
(何もできない……本当にそうか?)
そもそもの原因が何であるか。それは確かに理解できている。
そしてその原因が生み出した何かを回復術で排除する事ができない。できないから一向に治療が進まない所か悪化の一途を辿っている。
そして少し考えれば問題の解決策は容易に浮かんでくるのだ。
瀬戸栄治という人間を死に向かわせている根本的な原因を取り除いてしまえばいい。
それが唯一かもしれない打開策。
二人の精霊と契約を交わしている事で今の惨状が引き起こされているのなら、その一つを彼から取り除いてしまえばいい。
つまりはこれまでの考えを改めなければならない。
何もできない。否、違う。そうじゃない。
「……いや、違う。策はある」
そう言ったナタリアにエルも誠一も視線を向ける。
そしてその視線を向けられながら、ナタリアはその手に圧縮された炎の塊を作り出して言う。
「コイツが二人の精霊と契約しているから、こういう状況になっているんだと思う。だとすれば……一人が消えればそれで解決するだろう」
「何を……言ってるんですか」
「……本当に、何を言っているのだろうな、私は」
もし今の自分を少し前の自分が見たとすれば、一体どんな視線を向けてくるだろうか。
だけど今の自分の手足が震えている事を考えれば、きっと碌な表情を向けられないだろうとは思う。
だってそうだ。その炎を向けるのだから。
人間を助けるために、自分自身に向けようとしているのだから。
契約を一方的に打ち切ることはできる。だけどそうなればまた意識を失って、結果的にエイジやエルを殺めてしまうかもしれない。
だとすれば……やれる事はこれしかない。
本当にこれしかない。
間違っても、その矛先を必死に回復術を使っているエルに向けるような真似はしてはいけない。
自分か彼女か。どちらが彼の隣りに居るべきかなど、考えなくても容易に答えは出てくる。ずっとエイジに信頼を寄せていた者と、伸ばされた手を弾き続けた者。比べる事すらできない。もしそれで比べて結果その矛先を彼女に向けたのならば、もう自分は人間と変わらない。
この場で消えるべきなのは十中八九自分なのだ。
故に震える手を自分へと近づけようとする。
自分で自分の命を絶つ。震えながらもその選択肢を選べた理由を罪滅ぼしだと考えた。
今までずっと差し向けられた手に対して酷い仕打ちをして来た罪滅ぼしだと。そんな言葉が脳裏を過った。
(……違う)
だけどそれを否定する。否定したかった。罪滅ぼしという理由も間違いではないのかもしれないが、それだけではない。それだけだとその手は止まっていたのかもしれない。否、そもそもこうした案を実行に移すこともできなかったのかも知れない。
この覚悟は、そんな物だけでできていない。
結局……ただ単純に、今まで自分に手を差し伸べてくれた相手を、助けたかったのだと思う。
何度も何度も自分なんかを助けようとしてくれた人間を、助けてあげたかったのだと思う。
だから自分に凶器を向けていて、怖くてその手が震えても、そうする事を受け入れられたのだと思う。
エルと誠一はナタリアが一体何をしようとしているのかを理解した様に表情を変え、手持無沙汰だった誠一が動きだした。
だけどそれは間に合わない。間に合わせない。
きっともう一刻の時間もない。邪魔はさせない。絶対に生き残らせてみせると。
その思いでその手を近づけ、最後に視線を向けたのはエルだった。
それは一つの大きな未練なのかもしれない。
(……もし、お前と立場が逆なら、私はソイツの隣りに居られたか?)
帰ってくるはずの無い問いを投げかけ、ある筈の無い幻想も抱き。それを最後に終わりを迎える。
彼と彼女がそれぞれ、一つの終わりを迎える。
その違和感が何なのかはすぐには分からなかったけれど、それでも自分がエイジと契約を結んだ事を知ってからはそれが契約者であるエイジの身に何か良くない事が起きているのだということは理解できた。
だけど初めて感じた感覚の正体は分かっても、なにがそれをそうさせているのかは分からない。分かっていたつもりでいたが違っていた。
エイジは既に大怪我を負っていた。きっと自分が追わせたものだろう。それがこの違和感の正体だろうと、そうナタリアは考えていたが違っていた。
そんな生易しい物ではなかった。
そういった大怪我が生々しい物だと思える光景が目の前に広がっていた。
「エイジさん? ……エイジさん!?」
何度目かの吐血の後、これまでは何とか動かそうとしていたのが分かったエイジの体が、完全にぐったりと動かなくなる。
いや、動いてはいた。だけどそれは何かの意思によって動かされるものではない。
痙攣だ。エイジの体内で起きている異常がそうさせている。
「くそ、洒落になんねえぞオイ!」
何故かこの場にエルと共に現れた人間が耳元に手を当てて叫び出す。
「こちら五番隊三班土御門! 頼む、近くの救護班こっちに回してくれ! 俺のダチが……作戦の要の奴がヤバい! ……手ぇ足りてねえ事は分かってんだよ! 救急車でもドクターヘリでもいいからさっさと回せっつってんだろうが!」
そうして人間が叫ぶ中、エルは慌ててエイジを地面に寝かせて、エイジに向かって精霊術を発動させる。
回復術だ。恐らくこの状況を打開する為の唯一と言ってもいい程の要。ナタリアには使えない契約者の命を救うための精霊術。
何か声を掛けるべきかと思った。だけど必死の形相のエルに掛けられる言葉などはなく、どこかに向かって叫んでいた男には声を掛ける気も意味もない。
故に見ている事しかできなかった。
どう考えたって自分と契約を結んだことによって起きているこの惨状を。一人の精霊としか契約できないという理を打ちこわした結果生まれた代償を。どうにもできず見ている事しかできなかった。
「ってオイお前! 一体何して――」
「回復術です! 分かったら話しかけないでください! 気が散ります!」
そう叫び散らしながら、回復術は継続して続けられる。
だけど……明らかに様子がおかしかった。
刻印から伝わってくる感覚も……エルの様子も。
「あれ……おかしい……なんで、え?」
最初は呟くように。そして徐々に強く荒々しく。
「……やだ! お願い、やだ、エイジさん!」
「お、おいどうした! 何がどうなってんだ!?」
「わかんないんです! でもきっと大事な所に術が届いてない! このままじゃ……」
回復術を使っているのに……刻印から伝わってくる感覚は酷くなる一方なのだ。
自分が負わせた怪我には作用しているのかもしれない。だけど感覚的に根本的な何かが治癒されている気がしない。
今まできっと何度もエイジの事を治療してきたエルにとって、その感覚はより分かりやすい物なのかもしれない。今までとは明らかに違う違和感を感じているのかもしれない。
「お願い……効いて、お願い! お願いだからッ!」
「……」
……どうにもならない。
直感的にそんな事を考えた。
エルの回復術が届かない。自分は回復術を使えない。そしてそれは目の前の人間もきっと変わらない。
そもそも信用はできないが、人間である以上人間は助けるだろう。だから本当に助けを呼んでいるのだろうと、そう思う。
だけどもう……多分助けに来たところで間に合わない。
先の人間がエルの回復術に対してみせた反応。そういう回復の手段があるという事を知らないという様な反応。そういう反応をみせる者が呼んだ助けが、回復術の様な即座に身体の治癒を行う手段を持っているとは思えない。
だとすれば……もうどうしようもない。
そんな事を考えた所で、目の前の人間がこちらに言葉をぶつけてきた。
「オイそこの赤髪! 確かナタリアっつったか!? お前コイツをなんとかできねえのか!?」
「……あったらとっくに手を施しているだろうが」
何もできないからこうして見ている事しかできない。そんな事位察しろよと、ナタリアは誠一に敵意にまみれた視線を向ける。
だけどそうした中で一つ疑問が生まれた。
(何もできない……本当にそうか?)
そもそもの原因が何であるか。それは確かに理解できている。
そしてその原因が生み出した何かを回復術で排除する事ができない。できないから一向に治療が進まない所か悪化の一途を辿っている。
そして少し考えれば問題の解決策は容易に浮かんでくるのだ。
瀬戸栄治という人間を死に向かわせている根本的な原因を取り除いてしまえばいい。
それが唯一かもしれない打開策。
二人の精霊と契約を交わしている事で今の惨状が引き起こされているのなら、その一つを彼から取り除いてしまえばいい。
つまりはこれまでの考えを改めなければならない。
何もできない。否、違う。そうじゃない。
「……いや、違う。策はある」
そう言ったナタリアにエルも誠一も視線を向ける。
そしてその視線を向けられながら、ナタリアはその手に圧縮された炎の塊を作り出して言う。
「コイツが二人の精霊と契約しているから、こういう状況になっているんだと思う。だとすれば……一人が消えればそれで解決するだろう」
「何を……言ってるんですか」
「……本当に、何を言っているのだろうな、私は」
もし今の自分を少し前の自分が見たとすれば、一体どんな視線を向けてくるだろうか。
だけど今の自分の手足が震えている事を考えれば、きっと碌な表情を向けられないだろうとは思う。
だってそうだ。その炎を向けるのだから。
人間を助けるために、自分自身に向けようとしているのだから。
契約を一方的に打ち切ることはできる。だけどそうなればまた意識を失って、結果的にエイジやエルを殺めてしまうかもしれない。
だとすれば……やれる事はこれしかない。
本当にこれしかない。
間違っても、その矛先を必死に回復術を使っているエルに向けるような真似はしてはいけない。
自分か彼女か。どちらが彼の隣りに居るべきかなど、考えなくても容易に答えは出てくる。ずっとエイジに信頼を寄せていた者と、伸ばされた手を弾き続けた者。比べる事すらできない。もしそれで比べて結果その矛先を彼女に向けたのならば、もう自分は人間と変わらない。
この場で消えるべきなのは十中八九自分なのだ。
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今までずっと差し向けられた手に対して酷い仕打ちをして来た罪滅ぼしだと。そんな言葉が脳裏を過った。
(……違う)
だけどそれを否定する。否定したかった。罪滅ぼしという理由も間違いではないのかもしれないが、それだけではない。それだけだとその手は止まっていたのかもしれない。否、そもそもこうした案を実行に移すこともできなかったのかも知れない。
この覚悟は、そんな物だけでできていない。
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何度も何度も自分なんかを助けようとしてくれた人間を、助けてあげたかったのだと思う。
だから自分に凶器を向けていて、怖くてその手が震えても、そうする事を受け入れられたのだと思う。
エルと誠一はナタリアが一体何をしようとしているのかを理解した様に表情を変え、手持無沙汰だった誠一が動きだした。
だけどそれは間に合わない。間に合わせない。
きっともう一刻の時間もない。邪魔はさせない。絶対に生き残らせてみせると。
その思いでその手を近づけ、最後に視線を向けたのはエルだった。
それは一つの大きな未練なのかもしれない。
(……もし、お前と立場が逆なら、私はソイツの隣りに居られたか?)
帰ってくるはずの無い問いを投げかけ、ある筈の無い幻想も抱き。それを最後に終わりを迎える。
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