人の身にして精霊王

山外大河

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五章 絶界の楽園

ex 人間の組織 Ⅲ

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「……ちょっと待ってくれ。本当なのかその話は。いくら何でも現実離れしすぎていないか」

 荒川がそう言ってエルの言葉に待ったを入れる。

「今日はっきりした。キミ達精霊は明確な自我を持っている。その相手を工場に送って自我を壊すだと!? それではまるで物ではないか! 俗に言う奴隷なんて非ではない。そんな無茶苦茶な話いくら何でも――」

 荒川はエルの主張を否定する。明確にその否定が通ってほしいという意思を表情と声に込めて、その現実離れした無茶苦茶な世界を否定する。
 ……確かに実際にその光景を見てみなければ納得できないのかもしれない。
 実際にあの異質な空気に包まれた街並みをその目で見なければ、その非現実を現実として受け止められないのかもしれない。
 ……それでも、これは真実だ。

「……嘘じゃないですよ。嘘だったら誰も必死にこの世界を目指していません。きっと皆何処かに居場所を作って、そこでうまくやる筈です。それができないから皆縋ったんですよ。折角作った居場所も全部全部壊していくから、皆楽園とまで呼ばれていたこの世界に縋ったんです」

「……楽園?」

「絶界の楽園。私達はこの世界の事をそう呼んでいました」

 つい数時間前までは、そういう風に呼んでいたのだ。
 噂の中の幻の世界の事を、まるで理想郷の様に。

「そこに行けば精霊が安心して暮らせる。そんな噂を皆信じて……必死に人間の網を潜って、此処まで来たんですよ」

「その結果が今の現状……か」

 荒川は先とは変わってエルの言葉を肯定した様にそう返す。
 初めは突飛した内容で混乱したのかもしれない。だけどもしかすると、こちらがそういう嘘を付いていないと表情や声音で察したのかもしれない。

「……とりあえず、今の所はその話を信じよう。無茶苦茶な話ではあるが、キミが嘘をついている様にも思えない」

 ……ともあれどうやら察してくれたようだった。この悲惨な現実が真実だと、受け入れてくれた。
 そして受け入れたからこそ出てくる疑問もある。次に荒川が、訪ねたのは今この場で産まれたであろう疑問だ。

「だがもしその話が本当なら……キミは私達を前にして平気なのか? 怖くは……ないのか?」

「怖いですよ。あの世界の人間とは何もかも違う。だけど人間だと意識するとやっぱり怖いんです」

 正直に答えたエルは、だけど、と言葉を続ける。

「それでも怖いだけです。耐えられますしそれ以上の事はありません。昔だったらきっとこうは行かなかったと思いますけど……ずっとエイジさんと一緒に今したから。あの人のおかげて、まともな人間には慣れたつもりです」

「エイジ……例の精霊と一緒にこの世界に現れた少年だな。確か……行方不明になっていたキミの親友だったね」

 荒川は確認する様に誠一に視線を向ける。

「ええ。でも交友関係まで良く知ってましたね」

「精霊に殺害される事はあっても共に消失なんてのは今までに例はない。故に身元の調査は行われるし、組織内に友好関係を築いている者がいれば記憶するさ。まあ何にしても……戻ってきてくれてよかったよ。情報を聞きだす云々は置いておいても、一人でも生きている人間が多いに越した事は無い」

 その言葉を聞いてエルも心中て安堵の息をつく。
 エイジが被害者という形で扱われている。その事は誠一から聞いてはいたが、実際にそういう立場の人間から戻ってきて良かったと被害者に向けるような言葉が出てくるのを聞くと、安心感は多少増す。
 そして相手がエイジの事を被害者と扱ってくれているのなら、この事は頼んでおくべきだ。

「あの……エイジさんが目を覚ましても、あの世界の事を聞くのは止めてくれませんか?」

「どうしてだい?」

「多分今のエイジさんがあの世界の事を振りかえれば……きっと辛い思いをしますから。私が答えられる事なら答えますから、それは……止めてください」

 目を覚ましただけで。この世界で起きた事情を知るだけで。選択を誤ったと認識するだけで、エイジは酷く傷つく。
 そのエイジに深く話を聞こうと思えば、それはもう傷を抉っているのと変わらない。それだけはやってはいけない事だと思う。
 そしてそんなエルに荒川は僅かに笑みを浮かべてエルに言う。

「どうやらキミにとって彼はとても大切な存在みたいだね」

「ええ……とても」

 そんなエルの言葉を聞いて、荒川は少し考えるように目を瞑った後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ああ、約束しよう。人間を怖がっているキミが自分を盾に人間を守ろうとしているんだ。その意思はきっと尊重されなければいけない。少なくとも私は尊重したいと思っているつもりだ」

「……ありがとうございます」

「いいよ、礼なんて言わなくて。話を聞かせてもらっているのは私達の方だからね」

 そう言った荒川は一拍空けてからエルに問う。

「それにしても……不思議な話だね」

「不思議?」

「キミは彼と一緒にいたから人間に慣れたと言っていたな。つまりはそれまではこんなまともな応対ができる訳では無かったわけだ。そんな状態で……キミはよくそのエイジ君を信頼できたね」

 確かに不思議な話にも思えるだろう。
 その環境で、何も知らない人間が現れて、共に行動するに至る。その道筋を想定するのは困難な筈だ。
 だけど恐らく誠一は……瀬戸栄治という人間をずっと見てきた彼はきっとそれを察しているのだろう。一人その場で頷いている。しかし話を聞いて荒川が同じような表情を浮かべるかは分からない。それだけ理解が
難しい事だとエルでも思う。

「まあ……色々ありましたから」

「色々……ね。よければ教えてはくれないか、その色々とやらを。きっと初めて手を取り合った人間と精霊の話を……向こうの世界の話を交えてね」

 だけどエイジの代わりに話すという約束をした以上、それを理解されなくても話さなければならないだろう。

「いいですよ。そういう事なら……エイジさんと出会った時の話からすればいいですかね」

「ああ、それでいい。キミのペースで話してくれ。聞きたいことが出て来たらその都度聞くよ」

「……じゃあ、まずは――」

 そしてエルは振り返り始める。
 精霊の事なんか何も知らない。そんな瀬戸栄治という人間に出会った時からの事を。






 やがて回想が現在に追いつき、話は終わった。
 事あるごとに荒川が。もしくは時々誠一がエルに訪ねてきた。
 エイジの行動の事。あの世界で起きた事……あの世界の人間の、精霊以外には優しいという特性の事も。何度も何度も尋ねられた。
 そして最後まで語り終えた時点で、話を聞いた彼らに大きな利があったかといえば……それは恐らくあったのだろう。

「……これは少々まずい事になってるな」

 そう呟いたのは荒川だ。

「もう一度確認しておこう。こちらの世界と向こうの世界を繋ぐ湖に精霊を捕獲する業者が網を張って居た。そしてそれをキミ達が殲滅して突破した。そうだね?

「そういう事になりますね」

「……この事を責めるつもりはない。責められる訳がない。精霊を助けようと行動したのならそれは避けて通れない道だ。だが私でも正しいと思えるその行動で、結果問題が発生しているかもしれない」

 荒川が何を言いたいのかは理解できた。そうする事によって生まれる問題があるとすればそれは一つしかない。

「もしその業者が今回の件で一時的にその狩場から離れるような事になれば……こちらの世界に向かってくる精霊をせき止める存在が無くなってしまう」

 話した内容の一番最後。絶界の楽園へと辿り着く直前に起きた精霊捕獲業者との戦い。
 それに勝利した今、二交代制でも取っていなければフリーになって居る可能性も高い。そして交代要員が居たとしても……回復術という便利な力が広まっているあの世界でも、これまで通りその場所に陣取れるか同かは分からない。
 つまりは今、あの場所は素通りできる可能性が高く、それは即ちこの世界からしてみれば暴走する精霊が出現しやすくなっている状態と言える。

「……そういう業者が今回の件で潰れてくれるなら、それはきっと良い事だとは思う。だが……こちらの世界へたどり着く精霊は増えるのはマズい。辿り着けば結局精霊は救われないし、この世界もより危険な状態に晒される。何か対策を取らなければ……今回の様に大勢の精霊が同時に出現する事態が頻発すれば相当に苦しいぞ」

 だけどきっと今はその二択だ。この世界にたどり着くか、あの業者に捉えられるか。その選択肢しかあの状況にたどり着いた精霊には残されていない。
 だから今何かできる事があるとしても、それはその精霊の為になる事ではない。
 きっとしてやれる事は何もない。

「……どうしたものか」

 少し考えるような素振りを見せる荒川だが、多くの場合人間も精霊も都合のいい考えなどそう簡単に沸いてはこない。
 だけど一つ何かの拍子に浮かんだ事があったのだろう。
 この問題から少しでも目を反らしたかったのか。それとも答えに辿り着くまでの鍵だと思ったのか。そもそもまるで見当違いか。それは分からない。
 分からないが、荒川は改めてエルに問う。

「そうだ……一つ、大切な事を聞き忘れていた」

「大切な事……ですか」

「……問題の根底中の根底だよ。もしかするとこれを知る事で何かを変えられるかもしれない。少なくとも何も知らなければ何も変えられないのではないかと思うよ。だから、教えてくれ」

 そしてそこまで重要な何かだという前振りの後、彼の言葉は紡がれる。

「そもそもの所、キミ達精霊とは……一体何なんだ」 
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