人の身にして精霊王

山外大河

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EXTRA CHAPTER タタカイノハジマリ

9 タタカイノハジマリ

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「よし……生きてんな。とにかく此処からずズラかるぞ。いつ追撃が来るか分かったもんじゃねえ」

 こちらがまるで状況を呑み込めていない中、カイルはシオンを背負い直してその場から全速力で走りだす。
 ルミアから……あの精霊から遠ざかる様に。

「ま、て……カイ、ル。逃げちゃ……駄目、だ……ッ」

 まだあの場にあの精霊が取り残されている。このまま此処から逃げるわけにはいかない。
 だけどそんな言葉も思いも親友の耳には届かない。もしもこの言葉が届くようなら、自分達はこの二年間も友好な関係を気付けていた筈だ。
 喧嘩別れなどしなかった筈だ。

「……」

 もはや言葉すら帰ってこない。それは彼が今の行動を止める気がないという意思を示してきて……そして何を返しても不毛だとでも思っているのかもしれない。
 とにかく彼は止まらなかった。
 止めることもできなかった。

 今のシオンには何もできない。
 戻ってきた意識をこのまま繋ぎとめる事すらも出来やしない。
 ただ何かできるわけでもなく、その意識は再び暗闇の中へと沈んでいく。






 胸糞悪い夢を見ていた。
 部屋の中心の手術台に、動けない様に枷を嵌めて拘束されたあの精霊がぐったりと横たわっている。
 その周囲の台には良く分からない薬品や使用済みの注射針が散乱していて、ルミアの笑い声だけが聞こえてくる。そんな夢。

「……ッ!?」

 そんな悪夢から逃れる様に勢いよく体を起こした。
 そうして瞳に映る誰もいないこの一室の光景に見覚えはない。宿泊先の宿ではないのだろう。その事がルミアとの一連の出来事が夢ではなく現実の物だという事を嫌でも自覚させてくる。

「……クソ……ッ」

 息を粗くしながら思わず頭を抱える。
 見ていた夢は本当に最悪な夢だ。最悪の未来だ。
 そして……最悪な過去だ。
 ただ被験者をあの精霊にして、ただの笑みに笑い声を足した昔の記憶。世間から称賛され、もてはやされた。栄光に塗れた人体実験の記憶。

 実際に最前線で歩んできたからこそ分かる。自分達研究者がどれだけ非道な事をして来たかなんて良く分かる。頭を抱えたくなるほどに、どうしようもなく非道で外道。非人道的な行為。
 だからこの夢は冗談でもなんでもなく未来予知だ。今のまま行けば夢で見た程度の事は確定事項だ。
 そして夢の続きは現実で展開される。

「……止めないと」

 それだけは止めなければならない。
 そんな事は絶対に駄目だ。

「……助けないと」

 それがどれだけ困難な事だったとしても。
 黒い刻印。そんな歪な繋がりだけでも残っていてくれる限りは、まだ終わりじゃない。
 まだ終わってはいけない。終わらせない。

 だからいつまでもベッドになんて座っていられない。

「体は……問題ないか」

 立ち上がって軽く体を動かしてみたが、右腕も両足も違和感なく動かせた。回復術による適切な処置が施されたのだろう。あの攻撃を受けて右手両足のどこも欠損していなかったのは奇跡だったが、その繋がっている手足を動かせるのは紛れもなくその治療のおかげだ。
 そもそもこうして殺されずに生きているのだってカイルのおかげだ。

「……」

 カイルと顔を合わせるのは億劫だ。きっと何を話しても受け入れてはくれないし、その思考を変えてやる事も出来ない。どうしようもなくやるせない感情だけが沸いてきて目を反らしたくなってしまう。
 だけど彼とは顔を合わせなければならない。あの時の事を。あの後の事を。聞いておかなければばらない事が沢山あるし……なにより礼を言わなければならない。
 きっとカイルに助けられたのだから、どこかにカイルが居るのだろう。少し部屋の近くを探してみようかと思ったその時だった。

 部屋の扉が開かれた。

「……目ぇ覚ましたか、シオン」

 部屋の中に入ってきたのはこれから探そうと思っていたカイルだった。おそらくはこちらの様子でも伺いに来たのだろう。

「どうだ、調子は」

「おかげさまで。問題なく体は動くよ」

「そうか。なら良かった。完全に瀕死の状態だったからな。正直もう駄目なんじゃねえかって思ったよ」

 心底安心した様にカイルはそう言う。
 そんなカイルにシオンは正面から向き合って深々と頭を下げる。

「ありがとう、カイル。キミのおかげで助かった。本当にありがとう」

「よせよ、柄でもねえ。そんなにかしこまんな。てめぇに頭下げられるとかしっくりこ来ねえんだわ。ダチだから助けた。ダチだから助けられた。それでいいだろ。とにかく頭上げろや」

 言われて、その通り頭を上げた。
 そして再びカイルと向き合ってから、彼に問いかける。

「……カイルはどうしてあの場所にいたんだい?」

 カイルの登場はシオンにとっては予想外すぎた。彼はどうしてあの街のあの場所に居たのだろうか?

「ほぼ偶然だ。バルジオででけえ祭りやるだろ? アレの警備員として派遣されてな。その道中であの街に立ち寄ったわけだ。そしたらお前とルミアがドンパチやってた。避難誘導してる憲兵に話聞いて止めに向かったけどよ、もう手遅れだった。お前が空から降ってきた」

 それがあのタイミングだったという訳だ。
 だとすれば本当に自分が助かったのは奇跡だと言ってもいいのかもしれない。

「まあとりあえず安心しろ。お前がルミアに手を出したって話にはなってたが、憲兵がお前を探し回ってるみたいな事にはなってねえ」

「なってないのか?」

 てっきり捜索されているものだと思っていた。

「ああ。ルミアがうまく話を付けて示談みてえな形で話を終わらせたらしい。街に及んだ被害の賠償も引き受けてな。だからお前の社会的な評判はともかく街出歩いて捕まる様な事はねえだろうよ」

「……何を考えているんだルミアは」

 あの精霊を手に入れるために、シオンという障害を消す必要があった。
 故に最後に喰らった攻撃は正真正銘こちらを殺す攻撃だったし、おそらく最後の攻撃もこちらに当たらなければ効果が発動しない様な調整をしてあったのだろう。とにかくあの瞬間まで彼女はシオンを殺すつもりだった。

 そしてその後もそれは可能だったのだろう。

 カイルがシオンを助けた。それはあの精霊の刻印が残っている事を見ればすぐに分かることで、恐らくその確認もしているだろう。そしてしているのだとすれば……直接口にしたくはないがカイルに追いついてこちらを殺す事は容易だった筈だ。
 だけどそれをしなかった。それどころか彼女にとってする必要があるとは思えない示談という自主的な解決策の公使。
 これらから一体何が導き出される?

「……ああ、そういう事か」

 答えは思った以上に簡単に出てきた。

「まだ遊ばれてるのか僕は」

 シオンを殺せなかった。殺せる予定だったのにカイルの介入でシオンを殺すことができなかったのだ。
 つまりルミアにとっては予定外。その攻撃で仕留められなかった時の事など考えていない。それで殺して全て終わりのつもりだったはずだ。
 だから気が変わってもおかしくない。こちらが生き残った現状を踏まえて次の行動を考えた結果……まだ弄んで楽しんでみようなどという感情の変化があってもおかしくはない。

 彼女の性格を考えると、この状況から再び足掻こうとするこちらを弄ぶのは本当に楽しい事だろうから。
 そういう楽しみ方を思いついたのだろう。

 示談云々はその証拠だ。
 こちらが逮捕されるなんていうつまらない終わり方をしないように道まで整備して来たわけだ。

 つまりは弄ばれているんだ。
 掌の上で踊らされている。
 でも、それに気付いても踊らない訳にはいかない。

「遊ばれてる……か。予想はしていたが、やっぱりお前ルミアの奴に嵌められでもしたのか」

「まあね。こちらを挑発する様な事を言われ続けてね。気が付けば殴りかかっていた。我慢できるような事じゃなかったんだ」

 その言葉を聞いたカイルは一拍空けてからシオンに問う。

「それは精霊の事か?」

「ああ」

「……お前の思想を踏みにじられでもしたか?」

「それもあるよ……だけど踏みにじられているのは精霊だ」

「……またそれかよ」

 カイルは顔を俯かせて、軽くため息を付いてからシオンに言う。

「……もう止めにしねえか?」

「何が言いたいんだ」

「何がじゃねえだろ……分かれよ。分かってくれよ。もうこれ以上言いたくねえんだけどよ……お前の考えはおかしいんだよ! なんで精霊の事をそんな歪んだ捉え方してんだよ! わかるか? ……お前それで腕無くしてんだぞ!? ……その腕はそういう事なんだろ? 精霊絡みでやられたんだろ!?」

 カイルとあったのは二年ぶりだ。喧嘩別れして以来だ。
 だからこの腕の事を話したことは無い。だけどシオンが腕を失った事は噂では聞いていたのだろう。聞いていて、彼の思想も聞かされていたカイルはそういう答えに辿り着いた。
 それが正しいかどうかといえばそれは正しい。
 自分が精霊をそういう見方で見ているから。だからこそ左腕を失う様な結果になった。それは間違いない。
 でも……歪んでなんかはいない。

「そうだよ。でも……止めない。僕にはもう精霊を蔑ろにする様な真似は出来ない。だから止められないんだ。僕は僕の選んだ道をこれからも歩き続けるさ」

「……ッ」

「だからこれから準備を整えてルミアの所に行ってくるよ。僕にとっての大切な存在を助けに行くんだ」

「……それは精霊か?」

「ああ。僕の恩人で何よりも守りたい女の子だ」

 失うのが怖くて手を伸ばせなかったほど、大切な存在だ。
 そんな相手を助けようとする事が歪んでいてたまるか。

「彼女を助けられるなら、僕は死んだってかまわない」

「シオン、お前!」

 カイルが声を上げながらシオンの胸倉を掴んだ。

「自分が何言ってんのか分かってんのか!? 精霊なんかの為に命捨てるって言ってんだぞお前は!」

「……分かってるよ。分かって言ってる。例え命を掛けてでも助けないといけないんだ。それはきっと間違いじゃない。命の使い方としてはこの上なく真っ当な筈だ」

「違うだろ! そうじゃねえよ! 何もかもおかしい! 気づけよ、お前は盛大に間違えちまってんだよ! どっかおかしくなってんだよ! そんなもんが正しいわけがねえだろうが!」

「だったら……この際もう間違いでもなんでもいいさ」

 そして一拍空けてから、カイルの目を見てシオンは言う。

「そうする思想が間違いだっていうのなら。サイコパスだっていうなら。僕はもうサイコパスでも何でもいい。そうであれた事を誇りにすら思うよ」

「……ッ!」

 自然とカイルの手がシオンの胸倉から離れた。
 手を離したカイルはその場で俯いたまま動かない。
 シオンはその隣りを横切って部屋の入口へと足を進める。

 今後の策を練り始めた。
 あの精霊の位置情報は掴める。エイジと違いこの刻印で精霊の居場所を把握する事はできないが、それでも歪な繋がりだが確かに繋がってはいる。そこを辿ればあの精霊の元へと辿り着く。
 あの精霊がそうして自分を二度も見付けてくれた様に、今度は自分が彼女を見付ける。
 見付けて見せるんだと、強く思う。
 だけどそこで一旦あの精霊の事を考えることを止めた。
 もう一つ。もう一つだけカイルに言っておかなければならない事がある。

「カイル」

 視線を部屋の中に戻してカイルに声を掛けた。
 そうしてこちらに向けてくる視線は、やるせなさを感じさせて、その拳は強く握られている。
 ああそうだ。ああいう事を言ってもまだそういう反応をしてくれる。まだ彼はシオンの事を心配してくれているのだ。
 だからこそ。それに気付けたからこそ言っておかなければならない。
 返事は無く、向けられるのは視線だけ。そんな状況でシオンはカイルに言った。

「こんな僕をまだダチだって言ってくれてありがとう」

 縁を切られたっておかしくない。だけどその縁は今まで繋がったままで、今日もまた解けることは無い。
 そこが自分の帰れる場所じゃないとしても、それでもとても嬉しい事なのだ。そう思ってくれている親友かがいるという事は本当に嬉しいのだ。

 そんな相手に。親友に再び背を向け、シオンは再び動きだす。

 ただ一人、守りたい女の子を助ける為に。
 彼の孤独な戦いが始まった。
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