人の身にして精霊王

山外大河

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六章 君ガ為のカタストロフィ

2 その思いを言葉に込めて

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「おはようございます、エイジさん」

 午前七時。エルが眠そうな目を擦りながら居間へとやってきた。
 エルは基本的に朝が弱い。今日も多分半分寝ぼけているのかもしれない。何故か枕を抱えている。

「おはよう、エル。とりあえずコーヒーでも飲むか?」

「あ、すみません……ってあれ? なんで私枕持ってきてるんだろ?」

 流石にそれにはすぐに気付いたようで、エルは首を傾げながら一旦部屋の隅に持ってきた枕を置く。
 俺はそんなエルを見てほんの少し気を楽にしながら、エルの分と俺の二杯目のコーヒーを淹れ始める。
 何度かエルにコーヒーを淹れて、エル好みの砂糖の量はほぼ正確に把握できた。最終的にマックスコーヒー位の甘さが丁度いいらしい。アレより甘いのも普通に飲めるし、結構その時その時の気分で、自分で淹れる時はもっと甘くなったりするらしいけど、大体常時おいしく感じられるのはこの甘さだ。
 そして俺は普通にブラック。これこそがコーヒーだ。エルには悪いがやはりこの甘さに達すればコーヒーではない。違う何かだ。はて、だとすれば果たして俺は何を淹れに来たのだろうか?
 ……うん、コーヒーだ。自分でも何言ってるのか良く分からなくなってきたし、というか普通にインスタントコーヒーを使いつつコーヒーを語るというのはその筋の人にとっても失礼な気がしなくもない。
 そんな事を考えながらとりあえず二人分のコーヒーを淹れ、エルの元へと持っていく。

「ありがとうございます」

 俺からマグカップを受け取ったエルはとりあえず眠気を覚ます様に一口。

「うん、いいですね。絶妙です。絶妙な調整ですよ」

「なら良かった」

「エイジさんはブラックですよね?」

「そうだけど」

「毎度毎度思いますが、よく飲めますね」

「俺もお前の見て毎度毎度思うよ。良く飲めるな」

 本当に俺達はコーヒーの好みだけは絶対に合わない。
 だけど他の事はとても噛み合っていると思う。
 今、俺がそう思えるのはエルが合わせてくれているだけなのかもしれないけれど。

「それにしてもエイジさん、いつから起きてたんですか?」

「さっきだよ、少し前。なんか目が覚めた」

 一時間半前がさっきという言葉で示すに相応しい時間がと聞かれればそれは否だろう。そらだけ幅広い時間を示すほどアバウトな言葉ではない。
 だからこれはこれで明確に、自覚的な嘘だ。正直に言えば勘ぐられる。色々と悟られる。
 またエルに心配をかける。
 だからこれでいい。

「そうですか。ならいいんです。もしかしてまた眠れなかったのかなって思ったので少し安心しました」

 そう言ってエルは表情を和らげる。正解だ。大正解だ。だからこそ言わなくて良かったと本当に思える。
 心配をかけたくないんだ。
 エルにもう大丈夫だって、安心してもらいたいんだ。
 この世界で目を覚ましてから。いや、違うな。それより前。この世界に戻ってくる以前からもずっと心配をかけ続けているのは間違いないし、それがあまり良くない事だという事は分かる。
 それがエルの重荷になるから。エルだって楽な思いをしてはいないだろうに、それ以上の負荷をかけたくない。
 俺を助けてくれる女の子に、そんな思いをさせたくないんだ。
 だけど俺が嘘を付こうと正直になろうと結局何も変わらないのかもしれない。

「最近は結構眠れるようになったよ。おかげ様でな」

 そんな思いで付いているこの嘘は、果たしてエルに届いているのだろうかという自問自答の答え。
 それはきっと隣りで寝てくれる事が一つの答えなのだと思う。つまりは全てお見通しなのだ。

「いえいえ、とにかく眠れたなら良かったです」

 さっきの言葉も。今の言葉も。全部知ってて合わせてくれているのだろう。エルが目を覚まして、そこに俺がいない理由も全部悟られているんだろう。
 俺もいい加減それは理解できた。理解できても俺は嘘を吐き続けるんだ。
 それが例え通用しなくとも、エルを安心させたいという思いは嘘では無く紛れもない本心だから。



 今日の朝ごはんは食パンで済ませる事にした。

「エルは今日なんか予定あんの?」

 エルの分と俺の分。二人分を焼いて、それを食べながらそんな会話を交わしはじめる。
 そうだ、二人でだ。
 今この家には俺とエルしか住んでいない。親父も母さんも仕事で飛び回っている。こんな世界なのにというべきかこんな世界だからというべきか、イマイチ親の仕事を良く知らない俺は何も言えないが、とにかく今はエルと二人だ。

「そうですね。対策局の方にちょっと用事が」

「例の研究絡みか」

「はい。まあいつもそんなに大した事しないんですぐ終わると思いますけどね」

 エルは俺が目を覚まして対策局を去った後も、不定期にあの場所に通っている。
 俺が眠っている間に精霊の研究を手伝うという話になっていたらしい。
 目を覚ましてから得た情報を総括するに、精霊対策局は文字通り精霊が起こす被害を防ぐ、即ち精霊と戦う組織だ。
 俺からすれば正直精霊であるエルがそういう所に行くという事が、あまり良くない事態を招くのではないかと心配になってくるが、だけどそれは俺がその組織の事を良く知らないからこそ出てくる不安なのだろう。
 エル曰く精霊と戦う組織ではあっても、精霊と戦いたい組織ではないらしい。それどころか精霊に優しいとすら思うそうだ。
 確かにエルを担当しているらしい牧野霞という医師兼研究者はやや怪しい雰囲気を感じなくもなかったが、それでも悪い人には見えなかった。エルの言う通り信頼できる相手なのだろう。
 そしてその人以外にもあの組織の中にはエルが信頼できるような相手がそこそこいるそうだ。
 まあエルは可愛いし性格もいいし今となっては人当たりも良いし、そしてなにより精霊という特別な立ち位置に立っている。それ故に誰かと接する機会はいくらでもあるだろうし、それであの組織内の知り合いが増えていくのはある意味必然的な事の様に思える。
 そして信頼できる相手という枠組みを超えてというべきなのかは分からないが、友達を通り越して親友みたいな相手までできる位だ。
 それだけ良好な人間関係を築けているのならば、俺の心配という奴はまさしく余計なお世話という奴だろう。きっとその場所はエルにとっては一つの居場所と言ってもいい。

「まあ何かあったら呼んでくれ。こっちがどういう状況であれすぐ飛んでく」

「じゃあもしそうなったらお願いしますね」

 俺はエルにそう言って、エルからもそんな言葉が帰ってくるが、おそらくというか間違いなくそういう事にはならない筈だ。
 エルが暴走状態に陥らない特別な精霊である限りは、多くの人がエルの味方をしてくれる。

「ああ、任せろ」

 その事に安堵しながら、俺はエルに言葉を返した。
 ただ目の前の女の子が幸せであってほしいと、そんな願いを込めて。
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