婚約破棄は大歓迎! 悪役令嬢は辺境でぐうたらスローライフを送りたい ~二度寝を邪魔する奴は、王太子でも許しません~

小林 れい

文字の大きさ
4 / 9
第四章:氷の公爵、咸魚(しおづけうお)の聖域に踏み入る

~その合理的な休息術、我が軍にも導入したいのですが~

ジークフリート殿下が「君の自己犠牲に涙が止まらない!」と叫びながら王都へ走り去ってから数日。私の「二度寝の呪い」というデタラメは、霧と共に隣国へと流れ出していたらしい。

その日、別荘の静寂を破ったのは、軍靴の規則正しい響きだった。

「……失礼する。ベルシュタイン公爵令嬢、ユーラリア殿とお見受けする」

応接間に現れたのは、黒い軍服を隙なく着こなした長身の男だった。鋭い知性を感じさせる眼鏡の奥の瞳は、まるで凍てつく湖のように冷たい。隣国ディストブルグの軍事総督、アルベルト・フォン・シュバルツ公爵だ。

(((……うわぁ、見るからに『真面目』が服着て歩いてるような人が来たわね……)))

私はソファの上で、特注の「人をダメにする巨大クッション」に埋もれたまま、薄目を開けた。立ち上がる? そんなエネルギー、今の私には一ミリも残っていない。

「公爵様……。わざわざお越しいただいたのに申し訳ありませんが、今、私は『重力』と熾烈な戦いを繰り広げている最中なのです。このクッションという名の結界から出ることは、死を意味しますわ……」

私は力なく手を振り、再びクッションの海へと沈み込んだ。普通なら「無礼千万!」と怒鳴られるところだが、アルベルト公爵は眉一つ動かさず、手帳を取り出した。

「重力との戦い……。なるほど、君は常に肉体に負荷をかけ、魔力の精密操作を行っているという噂は本当だったか」

((……は? 何をメモしてるの、この人))

「君が開発したという『日陰作り(カーム・クラウド)』の魔法。そして、この一帯に施された精神を弛緩させる結界……。これらはすべて、兵士の疲労を極限まで取り除くための『戦略的休息』の研究の一環だろう?」

アルベルトは真剣な表情で、私がただ「ダラダラしたいから」という理由で作った魔導具や環境を、次々と軍事的な視点で解釈し始めた。

「公爵様、誤解です。私はただ、お昼寝の質を上げたいだけで……」

「謙遜は不要だ。……実は、我が国の兵士たちは深刻な不眠に悩まされている。君のような『休息のスペシャリスト』の知恵を借りたい。……特に、その君が抱えている奇妙な形の物体(クッション)は何だ? 非常に魔力の流動がスムーズだが」

((これ? これは、中のビーズの配合に三日三晩(寝ながら)こだわった、究極の怠惰アイテムよ))

「これは……『人をダメにする、もとい、精神を浄化する聖域』ですわ。……そんなに気になるなら、試してみます?」

私は半分嫌がらせのつもりで、予備のクッションを彼に投げた。 アルベルトはそれを完璧な動作でキャッチし、不審そうに椅子の上に置いて、腰を下ろした。

……一秒、二秒。 アルベルト公爵の眼鏡が、わずかにずれた。

「…………っ!? なんだ、この……脊椎を優しく支配するような感覚は……。筋肉の緊張が、一瞬で消失していく……。これは、禁忌の治癒魔法か?」

「いえ、ただのビーズクッションです」

「……素晴らしい。ユーラリア殿、君は天才だ。無駄な虚飾を捨て、効率的に『無』になるための努力を惜しまない。君のような合理的な人間に、私は初めて出会った」

アルベルトの冷徹な仮面が、少しずつ剥がれていく。彼は手帳に猛烈な勢いで書き込みを始めた。『案件名:ユーラリア式・超効率的睡眠導入法の獲得について』。

((合理……? まぁ、楽をするための努力は惜しまないけど、それって合理的なのかしら……?))

「気に入った。ユーラリア、我が国へ来ないか? 君のその『休息術』を我が軍の特別顧問として指導してほしい。報酬は、君が一生寝て暮らせるだけの年金と、誰にも邪魔されない防音寝室だ」

「……顧問? 働くんですか? 絶対に嫌です」

私は即座に断った。働くために国を移動するなんて、咸魚の風上にも置けない。 しかし、アルベルト公爵は諦めなかった。

「……なるほど。今の君は『二度寝の呪い』と戦うので手一杯ということか。ならば、私がその呪いを解く手伝いをしよう。……まずは、このクッションをあと百個、我が国へ輸出してもらえないだろうか?」

((百個!? 自分で作るの面倒くさいから、魔道具ギルドに丸投げしていいかしら……))

こうして、元婚約者の王太子が「愛の再燃」で追いかけてくる一方で、隣国の冷徹公爵が「究極の休息」を求めて私の別荘に日参し始めるという、さらに面倒な事態が幕を開けたのである。
感想 0

あなたにおすすめの小説

「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった

歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。 だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」 追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。 一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。 誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。 「その言葉は、もう翻訳できません」

追放された宮廷花師が辺境の荒野に花を咲かせたら、王都の庭園だけが枯れ続けているようです

歩人
ファンタジー
「花を飾るだけの令嬢は不要だ」——王城の庭園を十年守った伯爵令嬢フローラは追放された。 翌月、王城の庭園が一夜にして枯れ果てる。さらに隣国への外交花束を用意できず国際問題に—— フローラの花束に込められた花言葉が、実は外交メッセージそのものだったのだ。 一方、辺境の荒野に降り立ったフローラが地面に触れると花が芽吹き始める。 荒野を花畑に変えていくスローライフの中で、花の感情が色で見える加護が目覚めて——。

婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。

八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。 普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。

絶対婚約いたしません。させられました。案の定、婚約破棄されました

toyjoy11
ファンタジー
婚約破棄ものではあるのだけど、どちらかと言うと反乱もの。 残酷シーンが多く含まれます。 誰も高位貴族が婚約者になりたがらない第一王子と婚約者になったミルフィーユ・レモナンド侯爵令嬢。 両親に 「絶対アレと婚約しません。もしも、させるんでしたら、私は、クーデターを起こしてやります。」 と宣言した彼女は有言実行をするのだった。 一応、転生者ではあるものの元10歳児。チートはありません。 4/5 21時完結予定。

神殿から追放された聖女 原因を作った奴には痛い目を見てもらいます!

秋鷺 照
ファンタジー
いわれのない罪で神殿を追われた聖女フェノリアが、復讐して返り咲く話。

私ですか?

庭にハニワ
ファンタジー
うわ。 本当にやらかしたよ、あのボンクラ公子。 長年積み上げた婚約者の絆、なんてモノはひとっかけらもなかったようだ。 良く知らんけど。 この婚約、破棄するってコトは……貴族階級は騒ぎになるな。 それによって迷惑被るのは私なんだが。 あ、申し遅れました。 私、今婚約破棄された令嬢の影武者です。

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜

Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。